TRAILS REPORT

NIPPON TRAIL #05 房総・クジラの道 〜【後編】まだ見ぬ房総捕鯨の発祥の地へ。

2018.06.27
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文:根津貴央 構成:TRAILS

クジラの漁やクジラを食す文化が今も残る外房・和田浦を出発し、里山を渡りながら房総半島を横断する旅に出たTRAILS Crew。【前編の内容はコチラ

後編では、房総の内陸に忽然とあらわれる秘境のような里から、千葉のマッターホルンこと伊予ヶ岳へ。そして、3日目にようやく内房の東京湾にたどり着く。そこにあったのは、江戸時代に500名もの捕鯨組織(鯨組)があったという安房勝山(鋸南町)。房総捕鯨発祥の地だ。

旅のフィナーレとなる鋸山まで、海の文化と里山文化がミックスされた房総らしいロングハイキング。TRAILSのNIPPON TRAILらしさ、自分たちが探し続けてきた旅のカタチに、一歩近づいたと確信できた旅だった。

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房総の秘境 !? いや陸の孤島 !?



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DAY3の大山千枚田からは西に進路をとり、伊予ヶ岳、富山(とみさん)が連続するクジラの道の山岳セクション(とはいえ、いずれも標高300m台)へと向かう。

ここからしばらくは里歩き。里というのは、辞書的には山あいや田園地帯の小集落を指す。僕も、おそらくいくつかの集落を通っていくのだろうなと思っていた。ところがである。このあたりには集落という集落がないのだ。いや、厳密には集落なのかもしれないが、家がポツリポツリとあるだけで人の気配がないというか、生活感がないというか。

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大山千枚田〜伊予ヶ岳のセクション。まるで、千葉ではないどこかに迷い込んでしまったかのよう。

今まで僕も辺鄙な田舎をたくさん歩いてきたが、そのどこにも似ていない。秘境というより陸の孤島のような印象を受けた。どんな人が、なぜここに住み、そしてどんな暮らしを営んでいるのだろうか。いったいここはどこなのか。僕たちは、どこに迷い込んでしまったのか……。

怖いといったネガティブなイメージではない。千葉にこんな知られざるエリアがあったんだ!という発見のほうが大きかった。

1時間ほど歩くと、前方にひときわ目立つ大きな山が見えてきた。そう、これが房総唯一の岩峰として知られる伊予ヶ岳。安房の妙義山、房総のマッターホルンとも呼ばれている。

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伊予ヶ岳の登山口にある平群天神社(へぐりてんじんじゃ)で安全祈願。




千葉のマッターホルンこと伊予ヶ岳を越えて、房総半島を横断。



妙義山はまだしもマッターホルンとは大きく出たものだ。本場アルプスのマッターホルンは、標高4,478m。かたや房総のマッターホルンは、 標高336m。この数字を眺めるだけで興味深くて仕方がない。ついに、TRAILS Crewによるマッターホルンへの挑戦がはじまる。

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房総のマッターホルンを軽快に登る。里山でありながらもこの開放感。

とはいえ、その挑戦は登山口から40〜50分で終わりを迎える。1時間足らずで登頂できてしまうのだ。でも、かかった時間とは裏腹に満足感と充実感はかなりのもの。やさしそうに見えるものの頂上直下はクサリ場で登り甲斐があった。頂上は360度のパノラマで、房総に広がる里、東京湾を背にした富山、千葉の最高峰・愛宕山などが一望できた。

次に登場するのは富山(とみさん)。切り立った独立峰の伊予ヶ岳とは対照的に、こちらはなだらかで緑豊かな双耳峰。伊予ヶ岳とこれだけ隣接していながら、なぜこうも姿形が異なるのか。民話にはこう記されている。

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南総里見八犬伝の舞台となった富山。麓には、八犬伝で伏姫が犬の八房(やちふさ)と暮らしたとされる洞窟(伏姫籠穴)がある。

『大昔、大太法師(だいだらぼっち・伝説上の巨人)が、上総から安房に向かって歩いてきた。そして砂で汚れた足を洗おうと岩井の浜辺に立ち寄ったものの、眠くなって3km離れた富山を枕に、大いびきをかいて寝てしまった。

21日間も眠り続けてようやく目を覚ました。ちょうどその時、足元で村人がハシゴをかけて砂を落としはじめた。大太法師はくすぐったくて起き上がった。すると、枕にしていた富山は中央がへこんで峰が北と南にわかれ、さらに岩井海岸は大太法師の足の砂で遠浅になった』

実におもしろい。距離や高さといった数字におどらされず、言い伝えをもとに想像力を膨らませながら歩き旅を味わう。いいじゃないか。ただただ楽しむことが目的だからこそ、こういう民話も旅の魅力を増幅させるエッセンスになる。

富山を越えてしばらく歩くと、目の前には内房の海。ついに房総半島を横断したのだ。岩井海岸で僕らが宿泊したのは、民宿・みなみ荘。これがまた最高だった。「たいした料理じゃないですけど」と言いながら女将さんが並べる夕食は、たいしたどころではない超豪勢な品々だった。

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魚貝類は想像していたが、まさかこれほどまでに豪華な料理が出てくるとは!たまたまこの日が特別だったのかと思いきや、これが通常メニューとのこと。

房総で獲れた魚の刺身あり、アワビあり、サザエあり、金目の煮付けあり、焼肉あり、天ぷらあり……。そして、クジラのたれあり。柔らかく仕上げられたクジラのたれをマヨネーズにつけて食す。前日に自分たちで焼いて食べたものと同じものとは思えない美味しさ。

みなみ荘は1962年(昭和37年)にオープン。当時は付近だけでも民宿が60軒ほど(岩井海岸全体だと相当な数にのぼる)あった。おもに企業の保養所として使われ、のちに臨海学校や部活動の合宿、修学旅行などがメインになったそうだ。お客さんに育ち盛りが多いから、料理がこれほどまでのボリュームになったのだろうか。そう思って女将さんに聞いたところ……

「いえいえ、そうじゃないんですよ。うちはリピーターさんが多いんですけど、お越しくださった時に毎回喜んでほしくて。その度に一品ずつ増やしていったら、いつの間にかこんなになってしまったんですよ」

そう笑って言っていた。料理の品数は、女将さんの優しさの量だったのだ。翌朝、僕たちが宿を後にする際、「良かったらどうぞ」と女将さんは甘夏を持たせてくれた。その心遣いがとても嬉しかった。

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女将さんは、まさしくトレイルエンジェルと呼ぶにふさわしい人だった。

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僕たちは、いただいた甘夏とともに、ふたたびクジラの道を歩き出した。




クジラのお惣菜を旅のおともに、訪れたかった房総の秘峰・津辺野山へ。



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岩井海岸を歩く。浜辺歩きが楽しめるのも房総半島の魅力のひとつ。

岩井海岸からは北上して、房総捕鯨発祥の地である安房勝山(鋸南町)へと向かう。一歩ずつではあるが、クジラの道のゴールが近づいてきている。のんきなTRAILS Crewの気持ちも徐々に高ぶってくる……かと思いきや、それよりも空腹感が高まってきていた。腹が減っては戦ができぬということで、まずは腹ごしらえ。

立ち寄ったのは『道の駅富楽里とみやま』。僕らのいちばんのお目当ては、青倉商店のお惣菜だ。たかが惣菜とあなどることなかれ。地元の食材を使った惣菜がとにかく絶品。実はこのお店は有名で、週末には多くの観光客でにぎわう。クジラの道を歩いている僕たちは、迷わずクジラのお惣菜をチョイスした。

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『道の駅富楽里とみやま』にある『青倉商店』。クジラ料理はお店の人気メニュー。青倉商店では、地元の鯨食文化を残すべく、さまざまなクジラ料理を提供している。

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クジラは骨皮肉腸いずれも食料にならないものはなかったと言う。これは鯨の生殖器とひれを描いた図。江戸時代に作られた、長崎県の生月島(いきつきしま)における捕鯨の様子を紹介した『勇魚取絵詞』(いさなとりえことば)に収録。(国立国会図書館デジタルコレクションより)

房総の捕鯨業は、内房の勝山で生まれて現在は外房の和田浦に移ってはいるが、今もなお内房でクジラは食されている。この惣菜店を営む青倉商店の青木達郎社長は、こう語る。

「クジラを食べる文化を残していきたいという思いから、20年前ほどからクジラのお惣菜を提供するようになりました。昔から余すところなく利用していたと言いますが、今もそれを意識しています。捨てられがちなスジの部分は挽肉にしてメンチカツに、皮は串焼きに。美味しいだけでなく食べやすく調理することで、お客さまからも好評です。地のもの、房総ならではということもあって、クジラ以外の商品よりも5倍くらい売れていますね」。

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房総の武甲山とも呼ばれる秘峰・津辺野山は、西峰と本峰からなる双耳峰。訪れる人は少ないが、野性味を残した裏山である。今回歩いてみて、房総にはまだまだおもしろい山がある!と確信させてくれた山だった。

クジラのお惣菜をたんまり購入した僕たちは、いざ津辺野山へ。この山は、同じ鋸南町内にあの有名な鋸山があるため存在感が薄い。一部が採石場ゆえに上部の山肌は削られていて、ちょっと残念な印象もあるが、実際に歩いてみるとそのギャップに驚かされる。

ひと言でいうのなら、歩きやすいジャングル!和田浦からスタートして長らく房総を歩いてきたけど、まさかここにきてこんな特異な山に出会えるとは思わなかった。植生が豊かで、人が少なく、静かで、歩くのが楽しい山。まるで南国にある無人島を探検しているかのような気分が味わえる。千葉にゆかりのあるTRAILS Crewたちも「こんな山だとは思わなかった。千葉でいちばん好きな山かも!」と言うほどだった。

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まるでジャングルのようなワイルドな植生に、しばし見とれるTRAILS Crew。




江戸時代、醍醐新兵衛により500人もの鯨組がつくられた、房総捕鯨発祥の地・安房勝山(鋸南町)を歩く。



眼前に大黒山があらわれた。安房勝山(鋸南町)の岬にある大黒山は、かつて鯨見台として使われていた。頂上から船上の漁師たちに向けて、クジラの動きを信号旗で伝えていたのだ。

P1533007 標高75m、こぢんまりしていて愛くるしい佇まいの大黒山。岬にあるこの山が『鯨見台』として使われていた。

たかだか標高75mのこの山からクジラが目視できたことはもちろん、東京湾にクジラが泳いでいたというのも驚きである。実は、ここ一帯の海岸線は水深500m前後の海底谷が続いており、黒潮に乗って入ってくるクジラの通り道になっていた。ここを『鯨道』と呼んでいたそうだ。

江戸時代、ここ安房勝山で捕鯨を行なっていたのが房総捕鯨の祖と言われる『醍醐新兵衛(だいごしんべえ)』。醍醐家は漁師を組織化した『鯨組』なるものをつくり、大規模な捕鯨を手がけていた。その規模は、最盛期で3組57隻500人にものぼるという。

醍醐新兵衛による鯨組は、誕生から300年間も途絶えることなく続いた他に類を見ない捕鯨集団でもあった。醍醐新兵衛が特異だったのは、その経営手法。漁業権や漁具、資金の供与は行なうも漁自体には関わらない。そして鯨油のみを自分の取り分とし、大量の鯨肉はすべて漁師と村人たちに提供する。地元の漁民との協業方式をとっていたのである。これが長きにわたって続いた理由のひとつかもしれない。

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大黒山の頂上からの眺め。眼下に見えるは勝山港。

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江戸時代の捕鯨の様子。これは長崎県の生月島(いきつきしま)の海岸で、セミクジラを解体しているところ。江戸時代の『勇魚取絵詞』(いさなとりえことば)に収録。(国立国会図書館デジタルコレクションより)

余すところなく利用できる鯨(肉は食用、脂肪は油、骨は油や骨粉、血は肥料など)は、地元の人にとって大きな利益であり、「クジラ一匹捕れば七浦潤う」と言われたほど。

事実、当時こんな歌が詠まれていた。

『いさなとる 安房の浜辺は 魚偏に 京という字の 都なるらん』

いさな(勇魚)とはクジラのことで、クジラによってこの浜が京の都のように栄えたという意味である。この歌は、大黒山の麓にある醍醐新兵衛の墓の隣に書かれている。

また、捕鯨によって栄えた勝山では、毎年『クジラの都まつり』が開催されている。今年で12回目を迎え、毎年、子どもからお年寄りまでたくさんの人でにぎわうそうだ。このイベントでは、古くから歌い継がれる鯨唄の上演や、醍醐新兵衛の餅投げ、クジラ料理の販売などがあり、今もなおクジラの文化が受け継がれている。




旅のフィナーレ。鋸山を経由して東京湾へ。



この旅ラストとなる宿泊地は『紫花山荘』。ここは、高台の古民家を一棟貸ししている貸山荘。僕たちは、地酒と地ビール、道の駅・保田小学校で買った地元の食材に舌鼓を打ちつつ、これまでの旅の思い出を共有し、忘れられない時間を過ごした。

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最後の夜に乾杯!地ビールは「安房麦酒」。地酒「鋸南町」は、鋸南町に生まれ、道の駅・保田小学校にある鋸南百貨店「快(かい)」の店主でもある仲間からの差し入れ。

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貸山荘の『紫花山荘』は高台にあるため眺望がよく、東京湾が一望できる。天気が良かったので、僕たちは庭でテント泊。

そして最終日は、その余韻にひたりながら千葉を代表する山『鋸山(標高330m)』を歩いた。

鋸山のメジャールートは、東側にあるJR浜金谷駅あるいはロープウェーからだが、僕たちは反対側(東側)にある裏鋸山から歩きはじめた。

鋸山周辺は、北斜面はコナラなどの落葉広葉樹林、南斜面はスダジイなどの常緑広葉樹林が見られ、南北で植生の違いが見られるのが興味深い。東側を歩く人はほとんどいないので、自然を楽しむには絶好のルートである。

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旅のラストを飾る鋸山。【左上】石切場跡。【右上】切り通し跡。【左下】百尺観音。【右下】地獄のぞき。

しかも、ひっそりとした樹林帯からスタートして、メジャースポットである石切場跡、地獄のぞき、百尺観音を経て、最後に目の前に東京湾がドカーンと現れる行程は、展開としてもおもしろく、飽きることがない。

下山後は、金谷港まで歩いた。そしてこの旅を締めくくるべく、港前の食事処で新鮮な海の幸を食べ、ビールで乾杯!この上ない満足感に浸りながら、久里浜(神奈川県横須賀市)行きの東京湾フェリーに搭乗した。

鯨道を通るクジラが浮かんできたりしないかな? 4泊5日のクジラの道を歩き終えた僕たちは、デッキ上でふとそんなことを思いながら房総半島を後にした。

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TRAILS Crewで、とことん議論し、プランニングし、そして存分に楽しんだ大満足の4泊5日。『房総・クジラの道』は、まさにTRAILSらしい、NIPPON TRAILらしいトレイルだった。

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『クジラの道』を歩き終えて僕が感じたこと。
それは、アメリカのPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)での5カ月間にわたるロングハイキングを終えた時と同じような感覚を抱いた、ということだった。いろんな出来事がありすぎて、頭のなかで整理できず、混沌としたあの状態。

これまで国内において、ロングトレイルをはじめさまざまなトレイルを歩いてきたけど、一度たりともそんな感覚になったことはなかった。たかだか4泊5日の行程が、どうして5カ月(150日超)の行程と似るのか。僕も不思議でならなかった。

でもそこからわかったのは、僕にとってのロングハイキングが、距離や時間の長さに依存するものではないということ。もちろん長いから楽しいという人もいるだろうし、国内でも長さを意識してロングハイキングを実践している人もいる。そこに優劣はなく、とらえ方は人それぞれでいいと思う。ただ僕の場合は、長さではなかったというだけだ。

よくロングハイキングでは、山と町をつなぐと言う。でも、そのほとんどの場合、町は補給や休息のための経由地にすぎず、山が主、町が従という主従関係を持って語られる。でも僕は違う。山も町も、そして食も人も文化もすべてが対等であり、すべてが主役である。

房総の町で味わったクジラ料理とそれにまつわるストーリー。集落にある田んぼにテントを張らせてくれ、語らいながら朝食をともにしたご夫婦。出発の朝に甘夏を持たせてくれた女将さん。麓の町にある貸山荘で仲間と過ごした夜。それらも、山と同じくらい旅の主役だった。

4泊5日でこれだけの要素がつまった旅ができるのは、山と町が近い日本ならでは。なかでも房総は、とにかくいろいろありすぎて、その魅力を簡潔には言い表すことができない。でも、それこそが僕が思うロングハイキングであり、NIPPON TRAILらしさだと思う。


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WRITER
根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年4月、TRAILSに正式加入。著書に『ロングトレイルはじめました』(誠文堂新光社)がある。

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