TRAIL TALK

#003 Yasuaki Funada / 舟田靖章(前編)

2014.09.12
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■トレイルの上のコミュニティ

――つまりハイキング・カルチャーは、現在進行形でいまも変わり続けているってことですよね。

舟田:なんだと思いますし、アメリカの人たちにとっても、まだまだ僕らハイカーは異様に見えるみたいですね(笑)。向こうでも歩いているのは普通のバックパッカーが大半を占めていて、時々会う人たちにしても、僕らの格好が……荷物が小さくてランニングシューズってのが、いまだに変な人扱いですね。例えばJMTくらいだったら、あれは距離300キロちょっとなんですけど、やっぱりバックパッカーが多いですね。その先行かないと、いわゆるハイカーみたいな人たちにはなかなか会えないかな。数千キロ歩かないと会えないというか(笑)。」

――そうか、面白いですね。だからハイカーってのはやっぱり、「トレイルの上にあるコミュニティ」ってことなんですかね。そのシーズンごとに立ち現れる…。

舟田:実際に動いているし、流れているんで、ハイカーのいる場所って言っても、「ここ」って掴めない部分ですよね。

――トラベラーズタウンみたいなノリで、ハイカーズタウンみたいな場所があるわけじゃないですしね。

舟田:トレイルが街を貫いていて、スルーハイク中にハイカーがよく留まる街はありますけれど、それも季節的なものですよね。だから実際にハイカーに会える場所といったらトレイルの上とか、トレイルエンジェルの家(トレイル上で水や食料を配布してくれたり、トレイルから街まで車で送ってくれたり、家に泊めてくれたりとハイカーを物心両面でサポートするボランティアをトレイルエンジェルと呼び、PCTやATではスルーハイク中にハイカーたちが絶対に立ち寄る有名トレイルエンジェルの家もある)とか、そういうとこしかないかもしれないですよね。トレイルエンジェルの家に行ったらハイカーの情報とか、ハイカーの残していったノートとか、莫大な量がありますけど。ハイカーボックス(トレイルエンジェルの家や郵便局などハイカーの集まる場所に設置されたスルーハイク中に不要になった装備や食料を入れておく箱)の中に残されているギアもすごいマニアックなものとかありますし、日本だったらオークションですごく高くなっているみたいなゴーライトの古いモデルもあったりして。R.E.I.(全米各地にある巨大アウトドアショップ)よりハイカーボックス漁ったほうがいいものがある(笑)。



――トラベラーの世界ではいわゆるトラベラーズタウンみたいな街は世界中にたくさんあって、たとえばインドのゴアだとそこに毎年いっぱい人が来て、毎年のように来る人もいっぱいいて、住み着いてしまった人もいて、もちろん地元のインド人もいて、そういう人たちがごっちゃになって「そのシーズンのゴア」みたいなものが形作られるわけなんですけれど、そこでの過ごし方を覚えてしまうと、もう、最高に楽しいわけです(笑)。同じシーズンのゴアを体験したもの同士の妙な一体感も生まれるし、コミュニティの一員になったような気持ちも味わえます。お話を聞いていると、たとえばPCTに集まっているスルーハイカーたちも、それに近いような気がするんですが。さらにスルーハイカーの場合はコミュニティが常に移動し続けているとこが面白いですよね。

舟田:あー、同じかもしれませんね。また移動し続けることに意味を見いだす人たちですし。

――そういう人たちは仕事は何をしているんですかね? 季節労働なんかで…。

舟田:そういう人も多いですね。シェア・ハウスに住んでいたり、家は誰か友達のとこに泊めてもらって、シーズンオフはどこか住み込みで働いたりして毎年来ているって人もすごく多いです。だからソローの『森の生活』じゃないですけど、やっぱり一種の生活の実験の場でもあると思います。

――トレイルでの経験をもとに普段の生活を変えて行くということですか?

舟田:僕自身も何か答えを見つけたわけじゃないんで、大きなことは言えないんですけど。ただ、「いらないものが多すぎる」というのはつくづく感じますね。それは個人的にはソローにすごく共感する部分ですけど。でも、同時に社会と自分はやっぱり切り離せない部分があるということもすごく感じました。ハイキングなんてのは結局誰かが作ってくれたトレイルを歩くわけで、前人未到の場所を行くわけじゃない。道路があるからヒッチハイクができるのであって、道路を作ってくれた人がいて、車を作ってくれた人がいて、乗せてくれる人がいるからこそ成り立っている。トレイルで食べているスニッカーズにしても、そこには食品加工技術であったり、運送技術であったり、石油加工技術という背景があって、はじめてここにスニッカーズがある。そういうどうしても切り離せない部分があるというのもつくづく見えてきて。

――たしかに文明社会がなかったらメキシコ国境からカナダ国境まで歩くなんてこと誰にでもできることじゃいですよね。そんなの200年前だったらそれこそ国家規模の大事業だったわけで。

舟田:だから単純に文明を否定したりとかは、逆に言えなくなりましたね。そうじゃなしに、もっと持続的な生活のあり方を探るというか、ハイキングはそのための方法なのかもしれない。僕も答えが出てる訳じゃないし、何かそれで実行しているわけじゃないんで、偉そうなことは言えないんですけれど。でも、(スルーハイキングの経験によって)見えた部分やわかった部分はあるとは思います。

――実際、スルーハイキングで得た気づきをもとにライフスタイルを変えているような人たちはいるんでしょうか?

舟田:歩き終わった後に生活が変わってゆく人たちはたぶん多いだろうと思います。



 ■その瞬間瞬間に楽しみを見いだしている人たち

――はじめてのPCTで、いちばんのピークというか、精神的なハイライトはどんな場面でしたか?

舟田:ひとつのハイライトは、純粋に自然が素晴らしいのでシェラ(カリフォルニア州のシェラネヴァダ山脈。PCTのルート上でもJMTとトレイルが重複する部分)はピークでしたね。ただ、スルーハイキングには起承転結がないんですよ。ゴールでもむしろ寂しいというか「ああ、この生活が終わるんだ」というだけで、「やったぜ!」というのはないですし。一緒に歩いてきた人たちとも、そこからはもうバラバラですから。だから、一個のうまいストーリーにできない部分というのがあって、「ハイライトは?」と言われても、逆に悩んじゃう。面白いのが、加藤則芳さんもAT行ってましたけど、加藤さんもうまくまとめちゃわないで、日記で長々と描いているんですね。たぶん、そういうことなんだろうと思います。逆にうまくまとめちゃったら、ロングディスタンスがロングディスタンスである魅力もなくなっちゃう。だから、冒険とか感動物語とか、そういうものを求めて話を聞きたがる人は、がっかりさせちゃうかもしれないんですけど(笑)。でも僕が見つけたのは違うものなんですね。

――そこらへんがハイキングがアルパインクライミングなんかの世界と違う部分なんですかね。

舟田:スリルとは無縁な世界ですからね。どこにエキサイティングなものを見つけるかは、その人次第と言うか。トレイルでの暮らしそのものを楽しめる人でないと続かないですね。単純に寝て、食べて、歩いて、ドラマチックなストーリーになるような毎日じゃないんですけれど、それが楽しいというか、充実している。生活のリズムにしても一日だけじゃなく、一ヶ月や三ヶ月かけてのリズム感とかもできてきて、そういう心地よさがあって。僕にとってスルーハイキングはそういう感じなんですけど。

――歩いているうちに純化されるというか、洗われていくような感覚なんですかね。

舟田:そうかもしれないですね。無駄がそぎ落とされていくというか、徐々にエッセンスが残っていくというか。



――僕の場合は数週間歩いた経験しかないんですけれど、ずっと歩いていると街で溜まった汚れが落とされていくような感覚がりました。どんどんピュアになっていくというか。

舟田:視野もクリアになっていくというか。

――ずっと歩き続けていると、どんどん平穏になってゆくものなんですか。ある種の瞑想状態になるというか、感情のアップダウンもなくなっていったり。

舟田:歩き続けて一種の境地に至ることはあるのかもしれないですけれど、それでもやっぱりアップダウンはあるんですよ。けれど、なんてゆうか、それも自然になってくる。トレイルにアップダウンがあって、気持ちにもアップダウンがあってって。

――すごい小さいことでくよくよしたり。

舟田:モノをなくしたりだとか、そういう本当にくだらない、ささいなことで落ち込んだりもしますよ。僕にも一瞬何かの境地が見えた瞬間があるのかもしれないですけど、やっぱりまだ掴めない。結局、歩き終わった後でもささいなことで落ちたり上がったり、つまらないことで頭にきちゃったり、そんなもんですよね。だから「わかった」なんて、そう簡単に言えるものじゃないのかもしれない。たぶんこんなふうにずっとボンヤリ行くんだろうなと(笑)。

――そうやってずっと歩き続けるのがハイカーなんですかね?

舟田:ただ言えるのは、僕はそれで毎日楽しいんで。

――「過程にこそ意味がある」というか。

舟田:ピークで終わりじゃないですし。

――「ずっと過程」というか、「一生過程でいたい」というか(笑)。

舟田:「いつまでたってもあの向こうばっか見ている」というか(笑)。たぶん、それは歩き終わった人はみんな同じだと思います。やっぱりゴールして終わりというか、「とっととピークに登ってビール飲んで帰ろう」みたいな考え方とは違いますね。

――「どこかにたどり着くことを目的としていない人たち」というか。

舟田:逆にいうと「その瞬間瞬間に楽しみを見いだしている人たち」というか。だから「進歩がない」とか言われちゃうかもしれないですけど(笑)。でも、世の中で進歩とか成長とか言われているものは疑ってかかったほうがいいんじゃないかと僕は思っているんです。「進歩というより単なる肥大化と言った方がいいものが実は大半を占めているんじゃないか」とか。「このままででいいじゃん」って思っちゃうんですよね。



■バックパッキングは死んだ?

――ハイカーはより快楽主義なんですかね。バックパッキングって、そもそもフィジカルな部分よりもマインドの部分が大きいアクティビティだった気がするんです。体ひとつでウィルダネスのなかに入っていって、自然と自分との繋がりを再発見したり、社会や生活のありようを考えるというか。それ自体がひとつの思考実験というか。

舟田:バックパッキングはそもそもがスピリチュアルなものであるというか、ヒッピーカルチャーの影響も強いですよね。

――だから「バックパッキング=現代社会への異議申し立て」という側面があったと思うんですけど、いまのハイカーたちはよりもっと純粋に、「トレイルを歩くこと自体を楽しみたい」という感じなんですかね。

舟田:そう言われると、ハイキングも「スピリチュアルな思考実験」かもしれないです。

――ハイキングの経験そのものは精神や自分自身にも絶対に影響を及ぼしますからね。

舟田:ハイキングでも、自分の背負えるものだけで行って、自分の意志の届く範囲で、自分にコントロールできる範囲のものだけでやり繰りしてみるっていうのは「生活の実験」でもあるし。ハイカーが道具を自作するのも(ULスタイルが確立され始めた90年代においてUL ギアが市場にまだ存在しなかったことに端を発し、ギアの自作は“MYOG -Make Your Own Gear”と呼ばれULカルチャーの重要な一部になっている)、その延長ですよね。



――でも、それをいま「バックパッキング」って言うのって、僕はなんだかピンと来ないんですよね。

舟田:もしかしたら、バックパッキングはもう死んじゃったのかもしれないですね(笑)

――たしかに初期の純粋なバックパッキングは、商業化して肥大化する過程で死んだのかもしれないですね。アメリカでも、バックパッキングという言葉がすでに形骸化している雰囲気はあるわけですよね。

舟田:僕はそう思います。とはいえ、向こうでR.E.I.みたいなお店に行ってもちょっと雰囲気違いますからね。いまだにすごくアンダーグラウンドなカルチャーだとは思います。

――たしかに、アメリカへ行けば所謂ガレージメーカーのレアな道具が簡単に買えるかって行ったらそんなこと全然なくて、売っているお店なんてどこにもない。結局向こうでもほとんどネットでしか売っていないわけで。

舟田:ないですよね。だから逆にハイカーズ・デポなんてすごいですけどね(笑)。でも、バックパッカーのエッセンスを突き詰めていったらハイカーと違っていないと思うんですけどね。その現代版というか。

――いまの時代にバックパッキングを真摯にやろうとすると、むしろハイカーになるということなのかもしれないですね。



 ■まだ途中です

――月並みな質問なんですが、スルーハイキングに行く前の自分とトリプルクラウン後の自分と、何が一番変わっていると思いますか?

舟田:うーん……力が抜けたかもしれないですね。性格も丸くなりました。もともと人見知りで人と会うのも苦手で、暗い方に…自分だけの世界に入っていることが多かったんですね。『自分にしか興味がない』というか。極端にいえば「俺が目を開いているから世界は存在している」くらいに考えてて。「虚無主義」とか「独我論」とか、何ていうのかはわからないんですけど(笑)。だから、かえって普通になったというか(笑)。「スルーハイキングで人生観が劇的に変わった」とか、そういうのを求められると困るんですよ。そうじゃなくて、マイルドにやわらかく、ふんわりと(笑)、変わった。いや、変わっていないのかもしれないけれど…ってゆう感じですかね。まだ完結したわけじゃないんで。

――トリプルクラウンを達成して終わりじゃないですからね。まだまだ人生続くわけで。

舟田:だから、まだ、なんというか、途中なんですよ。なんて言えばいいのかよくわからないけど、まだ途中です。トリプルクラウンはひとつの到達点ではあると思うんですけど、たまたまぼくはロングディスタンスに魅了されて、たまたま日本人で初めてだったっていうだけですからね。それにトリプルクラウンだって、ひとつのくくりでしかないですから。まだまだアメリカの中でだって歩きたい場所たくさんありますし。

――たとえば日本百名山とかセブン・サミッツ(世界の七大陸の最高峰をすべて登ること)だって、よくナンセンスなカテゴライズだって言われるけど、考えたらトリプルクラウンだって同じようなものですよね。世界三大料理とか三大美人とか言っているのとたいして変わらない(笑)。まあ、僕からしてみれば、単純にそんなに歩けて羨ましい限りなんですけど。

舟田:もちろん、僕にとってもあれを三つ歩けたってことはすごく幸せなことですけど。

――ほんとに幸せですよ!

舟田:そう思います。家族の問題とか、怪我とか病気とか、いろんなことでつまづく人も多いですから。僕がこうして歩いていられるのも幸せなことですし。そういう意味で恵まれていますね。ラッキーです。僕、ラッキーなんで(笑)



取材後、舟田さんと同じくPCTハイカーのハイカーズ・デポの長谷川晋さんにお店で会うと、舟田さんについてこんな風に話してくれた。
「舟田君の話は、すべてのスルーハイカーに当てはまるわけじゃないですよ。彼はアメリカ人の間でもクレイジーだって思われていますから。『あんなに歩くのが好きな奴はいない!』って(笑)。」

舟田さんは、いま有機農業農家で住み込みで働いている。彼自身にとってはそれもトレイルの延長だし、生活を自分でコントロールする楽しさを知ったので、農業に限らず自分の手で生活を作っている人に興味が湧いたのだとか。
「ソローが森の生活を始めた理由以上に、その生活を終えた理由の方が重要なのかも、とか、最近ぼんやり考えています」と、彼からのメールには書かれていた。


(後編に続く)


WRITER
三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
masaakimita.web.fc2.com

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