TRAILS REPORT

The First Rays of The New Rising Sun / 証言構成〈TRAILS in 妙高2013〉

2014.01.31
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■関東も関西もひっくるめて何かやろうよ

千代田高史(ノマディクス)
「それで『〈ONE SKY〉をもう一度やりたいね』って話があり、そこにタクさんと土屋さんという東西の大御所二人も昔から『いつか何か一緒にやりたいね』という話をずっとしていたこともあり、そのふたつがひとつになっていったんです。僕はもともと一ユーザーの時代からタクさんと土屋さんのファンだったんで、その二人が初めてふたりでイベントをやるなら絶対に面白いイベントになるはずだという思いがありました。具体的な言い出しっぺは福地さんですね。そういうことを後先考えなく(笑)、忌憚なく言えるって意味で福地さんはキーマンで。僕らはムーンライトギアというお店としては土屋さんやタクさんの後輩の立場でリスペクトする気持ちもありつつ、ライバルでもあり、一方OMMの代理店としては卸し先でもあるので、どっちの顔で行けばいいのか一瞬考えちゃうんですけど、そういうことを考えずに福地さんは言えるっていうか。」

土屋智哉(ハイカーズ・デポ)
「タクちゃんとはお互いが店を始める前から友達で、『何か一緒にやりたいよね』って話はもう3~4年前からずっとしていたんだよね。でもお店は東京と神戸で離れているから『やろうやろう』と言っても、ずっと口約束で終わっていた。お互いの店の中間地点で自分たちのローカルな場所から離れてやるとなると、なかなか場所が見つからなくて。でも『やっぱり何かやろうよ』『どうせ何かやるんだったら関東も関西もひっくるめて何かやろうよ』という機運が、〈ONE SKY〉以降急激に固まってきた。」

北野拓也(スカイハイマウンテンワークス)
「ツッチー(土屋氏)とは前からどこかでやりたいねとか言ってて、元々ふたりともクライマーだったから、長野の廻目平(日本のクライミングの聖地)あたりはどうかなんて話してたんですよ。そしたらロータスの福地さんから『妙高にいいところがある』って話が出てきて、それでまた話が大きくなっていった。」

【ベアフッド・テッドと福地孝氏】
ベアフッド・テッドと福地孝氏

土屋智哉(ハイカーズ・デポ)
「こういうイベントをやる時の一番のネックはやっぱり『場所』なんだよね。ある程度多くのお客さまに来てもらおうとしたら、いろんな要素が出てくるじゃない? アクセスがいいか、まわりに迷惑がかからないか、アクティビティがしやすいかとか。あとは、なんと言っても地元の協力が得られるかどうか。その時に自分も古くからお世話になっているロータスの福地さんから、会場になったアパホテルの〈妙高パインバレー〉にツテがあって、使われなくなっていたゴルフ場の再利用がしたいと言っているという話があり。それなら宿泊施設の隣だからテント持っていない人も宿泊できるし、ある程度ホテルのバックアップも得る事ができるし、多くの人がまわりに迷惑かからずにキャンプができて、なおかつそこに10キロくらいのトレイルがあるというのは、ある意味願ったり叶ったりの条件だった。」

福地孝(ロータス)
「もともと〈妙高パインバレー〉のマンション棟の一室を僕の家族が持っていて、副支配人さんにその上にあるもとゴルフ場だった土地が空いているという話を聞いていたんです。それであるときベアフッド・テッド(ロータスが日本代理店を務めるルナサンダルの創業者。自身もトレイルランナーとして有名)が来たときに『あの上で少し走りたい』という話をしたら、重機を出してクロスカントリー・トレイルを作ってくれたんですよ。その時に本気でここで何かをやりたいという気合いが見えて、そこから始まっていった感じですね。それを一昨年からやっていて、タクさんも整備に一回来てくれました。そういう感じでパインバレーとの交渉や連絡は僕がずっとやっていて、関係者の皆さんの意見を集約していく作業は佐井さんがずっとやっていました。佐井さんはあの時期、ほとんどそれしかやっていなかったんじゃないかな?」

ファストパッキングの装備を紹介する千代田高史氏
ファストパッキングの装備を紹介する千代田高史氏

■妙高パインバレー

ここで〈TRAILS in 妙高〉のもうひとりのキーパーソン、このウェブマガジンのプロデューサーである佐井聡が登場する。ともあれ、当初から佐井がこのイベントの中心人物であったわけではまったくなかったし、〈ONE SKY〉の発展形として構想されていたこのイベントが〈TRAILS in 妙高〉という名前になるには、様々な紆余曲折があったという。

佐井聡(TRAILS)
「自分はもともとアウトドアが好きでギアも好きで、客としてスカイハイやハイカーズデポに行っていたんです。千代ちゃん(千代田高史氏)や山と道の夏目さんとはゴッサマーギアのグレンさん(グレン・ヴァン・ペスキ氏。ゴッサマーギア創業者)が日本に来たときの〈ハイカーズ・パーティ〉(ハイカーズデポ主催で三鷹で行われているイベント)で知り合いになったし、スカイハイにもお店ができた当初から東京から遊びに行っていて。僕は当時会社員だったんですけど、夫婦でULのスタイルでタスマニア島を歩いた話をスカイハイでスライドショーやらせてもらったりもして。そんな感じで以前から今回のメンバーの人たちとはいろんなところで会っていました。その後、去年の三月に会社を辞めてTRAILSを始める準備をしていたんですが、春頃にハイカーズデポの長谷川(晋)さんとパックラフト(超軽量のラフトボート)をしに行こうよという話になり、土屋さんや福地さんも一緒に青梅の御岳山あたりの川に遊びに行ったんです。福地さんとはその時が初めてで、「これからウェブマガジンを始めたいと思っているので、いろいろ協力させてください」と挨拶して。その後〈ONE SKY〉の第二回をやることになり、福地さんから『佐井君も何か手伝ってよ』と言われたのが僕がこのイベントに関わることになった最初です。福地さんとタクさんが妙高にトレイル整備に行ったのは知っていたんで、イベントを妙高でやることは決定事項だと思っていたんですけど、実はどうやらタクさんの中では当時そこまでフィットしていなかったみたいで。自分たちがそこでやる意味がいまひとつ見えていなかったみたいですね。」

北野拓也(スカイハイマウンテンワークス)
「とにかく現地を見ないとイベントをやりようもないんで、『面白そうだから行きません?』って、吉富さん(吉富由純氏。”Beyondx”としても知られる関西アウトドアシーンの名物人物で、スカイハイのランニングチームMt. Rokko Hardcore所属。Peace Mountaineeringとして〈TRAILS in 妙高〉にも参加した)を無理矢理誘って(笑)、トレイル整備がてら妙高まで行きました。まず引っかかったのが、『山』じゃないってこと。いくら自由に使っていいって言っても、元ゴルフ場でやるのはどうなんだろうかと。関西から8時間もかかるから、ウチらがリードして準備していくのもまず無理だし。だから関西チーム的には正直ナシって感じでした。」

土屋智哉氏のバックパック HMG 〈Windrider〉
土屋智哉氏のバックパック HMG 〈Windrider〉

土屋智哉(ハイカーズ・デポ)
「当初は『アパホテルって場所でやるのはどうなのよ?』って話もあったよね。アパホテルって強烈なイメージがあるし(笑)。ハイキング・カルチャーとかランニング・カルチャーってサブカル的な、マスマーケットじゃなくてインディペンデント主導のカルチャーだっていう側面があるから、そういう大きな流れの中で言ったら、俺もアパホテルさんの敷地でやるのは少し違う気もしていた。」

佐井聡(TRAILS)
「7月の頭くらいに福地さんから『今度千代ちゃんや徹さんとミーティングやるから来てよ』って誘われて行ったんですけど、その時はただマウンテンバイクで遊んだだけで。一日マウンテンバイクで遊んで、最後にイベントをどうするかってことをちょろっと話したみたいな(笑)。そんな感じで今回のメンバーに入っていって、いろいろやるようになって、気づいたら自分が一番動いていたんだけど、わりとみんなが動いていなかった(笑)。タクさんは打ち合わせの時も『なぜここでやるのかって話だよね』って言ってました。『妙高山でやるならいいんだけど、〈パインバレー〉でやる理由ってなんだっけ』って。」

北野拓也(スカイハイマウンテンワークス)
「山に行くためならどんなに遠いところだって行けるけど、〈パインバレー〉は山じゃないでしょ。そこでイベントやることになったら、どうしても商業的な側面が出てきちゃうから、はじめの〈ONE SKY〉のコンセプトからは外れる気がしたんですよ。その辺の打ち合わせができていなかった。」

北野拓也氏と土屋智哉氏のトークショーの司会をするTRAILS佐井聡
北野拓也氏と土屋智哉氏のトークショーの司会をするTRAILS佐井聡

福地孝(ロータス)
「アメリカでイベントをやっていた時と比べて、日本では進め方が違うので難しいなと思いましたね。それぞれの方々の『これをやりたい』というのがなかなか出てこない。アメリカでイベントやると『俺はあれしたい、俺はこれをしたい』って意見がボンボン出てきて、それをまとめるって感じですけど、日本の場合はこっちから全部提案して、それをまわりの人が消去していく、みたいな。それで気づいたら全部消去されちゃった(笑)。」

佐井聡(TRAILS)
「これだけ個性の強い人間が集まっているんだから、当然ぶつかることもありますよね。でもその時の福地さんの『みんなでやろうぜ』っていうパワーはすごかった。何があっても迷いなく走り続けた福地さんというエンジンがあったからこそ、イベント開催まで漕ぎ着けることができたんだと思います。ただ問題は、ハンドルを握っている人がいなかったこと。それはみんなの責任ですよね。」

土屋智哉(ハイカーズ・デポ)
「途中で良くなかったことが、この『イベントって誰が主催者なの?』ってことがまったく決まっていないまま話がどんどん大きくなっていっちゃったんだよね。『最終的に誰が責任持つの?』っていう。『みんなでやればいいじゃん』っていう意見もあったけど、お客さまにお金をいただく以上、それは通らないと俺は思うのね。仲間内からも『それじゃまずいんじゃない』とか、『それじゃ俺はできない』とか、喧々諤々の議論が起こった。結局いまこのシーンにいる人って、もともと友達だったりお店のお客さんだったりするんで、そういう仲間だからこそ強いパワーを生み出せることもあるけど、仲間だからこそ抑えるとこは抑えて行かないと。少なくとも俺らはお客さまにお金を頂いてモノを売ったりだとか、シーンを見せているんだとすると、単なる仲間うちのノリだけでは良くないし、それではシーンはぜんぜん広がらない。だから途中では危ぶんでいたよね。実際、空中分解しそうになりかけた。」

左よりロータスの大河原哲氏、サンウエストの田中健介氏、TRAILSの佐井和沙
左よりロータスの大河原哲氏、サンウエストの田中健介氏、TRAILSの佐井和沙


WRITER
三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
masaakimita.web.fc2.com

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