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パックラフト・アディクト | #14 ロシアのパックラフトの旅 <中編>たび重なる困難と幸せなキャンプ生活

2018.12.26
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(English follows after this page.)

文・写真:コンスタンティン・グリドネフスキー 訳・構成:TRAILS

HIKE VENTRESのコンスタンティンによる、連載記事「ロシアの旅」の中編。

前編では、彼の住まいからスタート地点までの列車の旅、さらにパックラフティング・トリップの1日目を紹介しました。

モスクワの南方にある地元のオリョールから、カレリア地方にあるスタート地点のエンゴゼロまでは、距離にして2,000km超。なんと列車で29時間もかかりました。道中、暇を持て余しながらも人との出会いや食事を楽しんだ7人。

ようやくスタート地点に到着してパックラフトに乗るも、湖面は静水で、しかも向かい風のなか必死にパドリングするはめに。さらに途中、隊列が乱れてしまい、メンバー同士しばらく見失ってしまうというハプニングも。そんなすったもんだがありながら、ようやく1日目のゴールであるオレニ島にたどり着いたのでした。

今回の中編は、そのオレニ島から始まる2日目〜5日目までの旅のストーリー。どうやら、大雨あり、通行困難な湖あり、クマの気配ありと、前編にも増してハプニングが続出したようです。

1日1日がとにかくディープゆえ、かなり長大なトリップ・レポートになっています。でもそれは、膨大な数の河川と湖が存在するカレリア地方が驚きと発見に満ちていたからこそ。そんな彼らのパックラフティング・トリップを、ぜひ追体験するつもりでじっくり読んでみてください。

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ロシアのカレリア共和国でのパックラフティング。行程は、エンゴゼロ〜クゼマまでの11日間。今回の中編は、エンゴゼロ湖(DAY1)〜コダグバ湖(DAY5)まで。



釣りとベリー狩りを楽しんだ休息日(DAY2)



湖でパドリングをした日は、カラダが休みを求めるほどの疲労でした(詳しくは前編を参照)。そのため、翌日の2日目(休息日)は、Oleniy(オレニ)島での11日間の冒険において、釣りやベリー狩り、キャンプ、探索、睡眠、話をしてゆったりすることが、何よりも楽しく感じました。

メンバーのひとりが「とても良い休日だ」と言ったように、その日は良い天気になるはずでした。でも、雲や冷たい風が私たちを取り巻いていました。

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1日目の疲れを癒すべく、2日目はこのキャンプ地で丸一日休息をとった。

私たちがキャンプをした場所は小さな渓谷で、ベンチになりそうなほどの大きなマツや水、焚き火スペースに囲まれていました。私たちは、2つか3つの木の幹を石の上に置いて、ベンチとして活用しました。

マツの下には小さなベリーが茂っていて、コケが地面を覆っていました。それはこの島の基礎をなす岩盤の上に、薄い層を作っていました。こういうものは、たいてい湿っているのですが、ここ数週間の日照りと暑さによってすべてが極度に乾燥していました。私がいくら探したのにも関わらず、食べられるキノコがまったく見つからなかったのは、この乾燥のせいです。しかも、これがちょっとした問題になりました。

旅で食べものを調達する際、イルマール、ドブルシャ、シャシュクは、キノコや魚を食べることで充分なタンパク質を得ようと考えていました。でも私は、キノコをゲットするというミッションを達成することができませんでした(もともと、キノコ採集をするよう頼まれていたのです)。

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食料を調達すべく、釣りに励むシャシュクとヴァディム。ヴァディムは大物をゲット!

幸い、シャシュクとヴァディムが釣りで上手くいったようでした。少なくともヴァディムは、確実に釣果をあげていました。私が失敗したあと、彼はレフから渡されたずっしりしたパイク(カワカマス科の淡水魚)と大きなスズキを持って帰ってきました。そこでレフが、素早く丁寧に魚をおろしたものですから、彼は「死神レフ」と呼ばれることになりました。

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ヴァディムが釣ったパイクとスズキ。

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大きな魚も、レフの手にかかれば、ほらご覧のとおり。

ベリー狩りも良い結果でした。ドブルシャと私は、南岸に高山植物と充分な日照によって熟したブルーベリーを見つけました。でもその多くはカウベリーと呼ばれるもので、私たちが住んでいるところでは馴染みがないものでした。そのため、それが食べられるものなのかを確かめる必要があったのですが、幸運にもインターネットがつながったので良かったです。

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ブルーベリーとその葉っぱとカウベリーを混ぜてジュースを作った。

カウベリーはそのまま食べてみると柔らかく、ブルーベリーやその葉と一緒にゆでてジュースにすると、とても美味しかったです。のちに知ったのですが、この飲み物は下痢にとても効くとのこと。

私は、翌日の予定のために気持ちを立て直すような日にできて良かったと感じていました。なぜなら、翌日は湖の横断とポーテージ(パックラフトを担ぎ上げて、陸路を歩いて障害物を越えること)があるのです。

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ゆっくりカラダを休め、美味しい食事もして、7人ともリフレッシュ。



行き先がわからず戸惑い、現地の人に相談する(DAY3)



3日目はキャンプの片付けをしてから、次の湖につながっている、島から見て南南東の小さな川を下りはじめました。開けた水域から狭い水路に入ると、雰囲気が大きく変わりました。風は弱まり、植生も穏やかになりました。オレニ島と同じマツもありましたが、それを上回る数のカバノキが生えていました。

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シガランビ湖に向かうべく細い水路を通る。あたりを見ると、その昔、伐採所が栄えた地であることがわかる。

小さな水路は、Sigalambi(シガランビ)湖という、20世紀はじめに丸太の運搬の中継地点として使われていた場所につながっています。とても荒々しい見た目の印象でしたが、650mにおよぶ水路は、まるで岩みたいな壊れかけた木の塊に塞がれて止まっていました。原因は、多くの利益をこの地にもたらした伐採所があった時代まで遡ります。このことはすべて長く忘れ去られていた過去であり、このような木の塊と、地図上にたまにある印によって、私たちは昔の栄光に想いを馳せることができます。

比較的小さな湖であるシガランビ湖を抜けたあと、私たちは別の湖にポーテージしなければならなかったのですが、それを変更して、より大きなVaryagozero(ヴァリャゴゼロ)湖に行くことにしました。

流れはとても浅く一面に広がっていて、私たちは周囲に倒れている木のなかで重たいパックラフトを押し引きすることに多くの時間をかけてしまいました。

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ポーテージ(パックラフトを担ぎ上げて、陸路を歩いて障害物を越えること)は免れたものの、パドリングできないエリアもあった。

今回の旅の準備をしていた時、私たちは旅行報告書や衛星情報、地形図を読み込み、事前にヴァリャゴゼロ湖の南方に通じる道があることを知っていました。問題は、湖からある程度の距離までしかわからず、そこから先がわからないことでした。密林か沼のような道のいずれかを選ぶ必要があったのですが、そのどちらもベストな道である自信がありませんでした。

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どのルートをチョイスすべきかわからず困っていると、前方に小屋を発見。急いで上陸する。

なので、小さな木の家とサウナににたような小屋、そして数人の人を見た時はとても嬉しかったです。イルマールと私は、彼らに道を聞くため急いで駆け出しました。驚いたことに、彼らのうちのひとりは、私たちが2番目に入った森のパトロール隊員で(彼はとてもフレンドリーでした)、1日目の村で会ったことのある人でした。この日は土曜日で彼は非番だったため、一緒に釣りを楽しんだり、空にしたビール瓶の数で勝負したり、彼との時間を楽しみました。

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なんと、小屋にいた人は1日目の村で出会った人。道に関するアドバイスをもらった。

これからのルートについて相談したところ、適切な道は無いと彼らは言いました。けれど、もし他の方向から行くのであれば、岸辺に行くことができ、そこから短い距離(結局、沼は通る)で、「Zmnik」(チムニク)という、メインの道につながる場所に辿り着くことができるらしいということでした。

「なんですかそれは?」私は全く聞いたことのない言葉に反応しました。「チムニク、それは冬の間だけに使われる道です」と、彼らのうちのひとりが説明してくれました。そしてこう言いました。「おそらく、今の時期でも歩けると思う。これがベストな道だよ」。



明確になったルートを進むも、そこにはクマの糞が……(DAY3)



朝の天気予報では豪雨の予定でしたが、少し曇っているだけの乾いた天気でした。同時に風向きがふたたび変わって、湖の対岸までの2kmの距離を、向かい風に耐え続けながら漕ぐことに1時間も費やしてしまいました。

岸辺は横に長かったのですが、水位が低くとても狭いものでした。岸辺の真ん中には大きな花崗岩の丸石があって、上陸ポイントとして使えそうな大自然の目印でした。ただ嫌なところもあって、それは岩の少し離れたところにベリーと毛が混じったような糞を見つけてしまったこと。そのうちのひとつは、他よりも新しいものでした。

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クマの糞を見つけてしまい、メンバーたちに緊張感が走る。

「おそらくクマの糞だ」と私が言い、「良いね、オレたちは熊の便所を上陸地点に選んだのか」などと冗談を言ってみんな笑いました。上陸した後、私たちは荷物をまとめて服を着替え、ポーテージの準備をしました。

冗談交じりに言ったものの、私たちがクマの住むエリアに入ったのだということを私は気づきました。糞を見つけたのと同時に、数え切れないほどのキイチゴが岸辺の隣の沼地にいっぱい生えているのを見ました。私は誘惑に耐え切れず、いくつかを拾おうとしました。でもそれをぐっとガマンして休憩場所の近くに留まり、自分がいることをクマに知らせるように、くだらない歌を歌いました。これがとても危ない行為であることは、知っての通りだとは思いますが。

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沼地に群生していたキイチゴ。

他の人たちはそれぞれ違ったことをしました。私たちがパッキングをし直して、昼食を作っている間、シャシュクとイルは、冬の道、チムニクを探しに行きました。熊に会う場合に備えて、ふたりはいくつかのクマ用の照明弾を持ち、イルは特に用心していました。ヴァディムもファイヤークラッカーに点火して発砲音のような音を発生させました。「普通のクマなら、これを聞いて逃げるはずだ」と、彼は説明しました。

いったん偵察隊が帰ってきて、良いニュースと悪いニュースを聞かせてくれました。悪いニュースは、彼らが森のパトロール隊員が話してくれた冬の道を見つけることができなかったということ。良いニュースは、大通りまでわずか60〜70kmしかなく、その道は広くてコンディションも良いということでした。

そのニュースに励まされた私たちは、自分たちのマウンテンギアを持って(その時は実際に持っている量よりも少なく感じた)、かろうじて道の形をとっている干からびた沼を歩き始めました。「それって人工的に作られたわけではないよな? それとも?」と私がたずねると「絶対、人工ではなかった」とドブルシャは答えました。

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メインロードに出るべく乾いた沼を歩く。

道自体は本当に素晴らしかった。その道はとても広く、整備と舗装がされていました。ただ道の上に鹿の糞があることから、安全性が少し怪しかった。私たちは「どれぐらい歩く必要があるのだ?」と、ルートプランニングをしているイルマールに聞きました。「道に沿って約3kmと、そこから私たちがボートを膨らませることのできる小さい岸辺まで100mほど」と彼は言いました。そうして、私たちはふたたび進み始めました。

2kmほど歩いて、雨は最初ほど降らなくなってきました。「変だな」と私は思いました。乾燥した天気になると、確かに天気予報では言っていた。そうなりつつあることは私にもわかる。でも、私はもうしばらくレインジャケットを着ていることにしました。



ゲリラ豪雨と、行く手をはばむ葦だらけの湖。さあどうする?(DAY3)



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この歩きやすい道を進んでいけば、岸辺にたどり着くことができるはず。

私たちが天気を確かめようとしたその時、空が晴れわたり、少しだけ雨が止んだあとにすぐ激しく降り始めました。

雨は、私のレインジャケットとズボンの上を流れ、さらにジャケットの中に侵入してきた。私は瞬く間に濡れていきました。

最初は、水たまりに変わってしまったタイヤ痕の間にある芝生部分を歩くことで、足を濡らさないようにしようとしました。でも、すぐにあきらめて、足首までのかさの水たまりをひたすら歩き、できるだけ速く進むことに集中しました。私以外の全員もそうして歩きました。誰も何ひとつ言葉を発しません。私たちは、岸辺に行き、パックラフトを膨らませ、予定のキャンプ地にたどり着くことだけをひたすら考えていました。

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いきなりの激しい雨で、びしょ濡れに……。

永遠のように感じたあと(実際は30分にも満たなかった)、私たちは岸辺が存在するであろう場所に到着しました。でも、実際には衛星地図上にあった葦とイグサ以外、何もありませんでした。

私たちは濡れて冷えた体と泥に浸かっている足のまま、目の前にある水をじっと見つめていました。水は葦ですべて覆われていて、それは、ここからまったく進めないことを意味していました。私たちはどうするべきか? 議論が始まり、異なる意見が飛び交いました。結局、私たちは来た道を引き返し、次の橋へ繋がる道を2km以上歩くことにしました。運試しです。

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岸辺であろう場所には葦とイグサしかなく、泣く泣く引き返すことにした。

夜になり、未だに雨が激しく降り注ぐなか、私たちは悪態をつきながら歩き続けていました(ドライスーツを着るという発想がなぜ思いつかなかったのか私にはわからない。今なら確実に思いつくのに)。

私たちが次の橋に着いた時、水上に出るだなんてまったく考えていませんでした。川を渡るには暗すぎる。もしボートに乗ったとしても、その先に何があるのか?

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ようやく湖の近くの橋まで戻り、ここでキャンプをすることに決めた。

そこに適切なキャンプ地があるわけでもありません。湖に続くエリアはじめじめと湿っていましたが、選べる道はそれしかありませんでした。そして、キャンプすることに決めたのも、その場所でした。

私たちは黙って4つのテント(道の両脇に2つずつ)を張り、さらにタープも設営しました。クルマに轢かれるのを防ぐために、3つほどの小さな木を切り倒し、ヘッドライトを少し反射する細引きを結びつけました。というのも、この道は夜にクルマが通るはずで、こうしておけばクルマが減速して私たちを見つけてくれると思ったからです。

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適切なキャンプ地はなく、致し方なく道の両サイドにテントを張った。

準備がすべて完了し、テントに入って寝袋にもぐりこみました。もはや夕食を作るタイミングと気力が無かったので、バッグの中に忍び込ませてあった未登録の物資(食料計画とは別の緊急的な食べ物)を探しました。それらのものは通常、士気が低くなって不満が高まっているときに、かなり重要なアイテムです。そして今が、完璧にそういう状況でした。

私はスロバキアのソーセージのパッケージを探し出し、それをテント仲間であり、まだ外にいて荷物の仕分けを担ってくれていたイルに渡しました。ソーセージはハチミツと一緒に食べるととても美味しく、他の仲間が引っ張り出してきたドライフルーツとシリアルバーも最高でした。

夜通し雨がテントを鳴らしていたため、私は翌日も同じ状況になるだろうと思っていました。実際その通りのようで、天気予報によると、ふたたび雨が降るらしいとのことでした。



天気予報は外れて晴天に。湖からも無事脱出!(DAY4)



その夜に何かが起こったに違いない、そう思うくらいに私たちの不運は変化しました(少なくとも昼までには)。

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天気予報が外れて朝から快晴だったので、ここぞとばかりに濡れたウェアやギアを干した。

1つ目は、天気予報がまた外れたこと。でも今回は、雨の代わりに渇きをもたらしてくれました。私たちが目を覚ましたあと、太陽は輝き始めました。それは、濡れた荷物を乾かすチャンスでもありました。

2つ目は、橋が壊れていたことによって、クルマに轢かれるんじゃないかという心配は杞憂に終わったこと。奇妙だったのは、前の晩に私たちは橋の上を歩いたはずでしたが、壊れていたことにまったく気づかなかったということです。

3つ目は、イグサに覆われていたPildozero(ピルドゼロ)湖から脱出できたこと。最悪の事態を想定してイグサに接近しましたが、パックラフトが問題なく通るのに充分な深さがあったのです。

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ピルドゼロ湖はイグサに覆われていてパックラフトで渡るのは不可能と思いきや、意外とすんなりクリアー。

最後に、湖から脱出したところは、Vonga(ヴォンガ)川と最初の急流が始まる場所だったということ。湖でのパドリングとポーテージの日々において私たちはこういう場所を実に楽しみにしていました。ちなみにそこは、私たちが前の晩にキャンプしようとしていた場所でもありました。

昼食のために早めの短い休憩をとった後、最初の急流を探しました。そこは、正直にいえば、少し残念な場所でした。パックラフトに乗れる程度の低い水位からスタートしましたが、ヴォンガ川上流は数十メートルにわたってたくさんの岩が広がっているだけで急流ではありませんでした。ここを下ることはとても簡単でした。

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ランチ休憩にピッタリの陸地があったので、上陸して火を熾して昼食をとった。

水の流れはあったので私たちは希望を抱きましたが、それは長く続くことはなく、あっという間に川は緩やかな流れになりました。そしてパドルを漕ぐ退屈な時間が始まりました。

次のSindamozero(シンダモゼロ)湖までの5kmの道のりに、私たちは2時間も費やしました。それに加えて、ノルティック(ドイツのパックラフトメーカー)の試作のパックラフトを漕いでいたニックが、底に穴を開けてしまい水が侵入し始めたようでした。私たちは初日以降から多くの穴を直してきましたが、今回はさらに多くの穴が空いていました。



3人のカヤッカーとの出会い(DAY4)



シンダモゼロ湖に到着した時、私たちは岸辺でカヤックを詰め込んでいる小さなグループを見つけました。彼らはひとまず準備をしたあと、素早く私たちのところに来ました。そのグループは、60代前半とおぼしき男性3人と女性1人、そして古いソビエト式のカヤックに乗っていました。

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4人のカヤッカーと遭遇。

彼らの3つのカヤック(2人乗り2艇と1人乗り1艇)は、フルに荷物が詰め込まれていました。2人乗りのカヤックにひとりで乗っていた男性が、私たちの持っているものがパックラフトではないかと尋ねてきました。

「はい、これらはパックラフトです」と、私たちは丁寧に答えました。「それは湖でパドルを漕ぐのに苦労しないか?」と男性が聞いたので、私たちは「そうですね」と、少し自信なく答えました。

聞けば彼らは、私たちが目指している白海とクゼマに行っていたことがわかりました。それで私たちが「じゃあ、あなたたちはこれからポーテージ地点へ向かうのですね?」と聞くと、「いいや、違うよ」と彼は笑って言いました。「たった200mの距離をポーテージするよりも、あと7kmをパドリングしたほうが、私たちにとってはずっと簡単。このほうが早いんです」と。別れの挨拶を済ませたあと、彼らは私たちを置いて、いとも容易く遥か遠くに消えていきました。

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流れの少ない湖では、パックラフトは直進性に優れるカヤックと異なり、がんばって漕がないといけない。

私たちが話していた場所は、カヤッカーやいかだ舟のクルーたちが、半島を水路で回り込む代わりに陸路をショートカットとして使うところとして有名でした。そしてそこは、私たちががまさに次に向かう場所でした。



最高のキャンプ地と最高の夕食(DAY4)



「前のグループが残したプレゼントに覆われた、大きくて乾いた木が道しるべとなる」。そう、以前読んだトリップレポートのうちの1冊には書かれていました。

そして、それはまさに本当のことでした。遠くから視認できるくらい目立つトーテムポールのような木がありました。それはプレゼントで覆われていて、旅人の出身地やここに来た日付が刻まれていました。

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旅人のギフトをたくさんまとった、トーテムポールのような樹木。

ざっと見ただけでも、90年代中頃の日付を確認することができました。そしてロシアの他にも、ベラルーシやウクライナ、バルト海の名前が記されていました。

ここはテントを張るための雰囲気の良いスペースが多く存在し、私たちは少なくとも5つのファイヤーリングを見ました。それはとても意味のあるものでした(もしポーテージのために荷物を開かないといけない場合、ここでキャンプをするのがおすすめ)。

そして私たちは、午後5時にもなろうという時間にキャンプをすることを決めました。天気も素晴らしく、前の土砂降りでまだ湿っているギアを乾燥させる絶好の機会でもありました。

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焚き火にピッタリのファイヤーリングのあるキャンプサイトを見つけたので、今日は早めに切り上げることにした。

その晩、私たちは豪華なディナーを食べました。計画していた夕食のほかに、ドブルシャの作ったパンケーキと、ヴァディムが釣った魚(そして以前、死神として魚をさばいたレフが見事に準備してくれました)、そして特別なご馳走、乾燥させたスライスレモンにフリーズドライのミールワームを乗せたものが用意されました。

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ドブルシャの特製パンケーキ。

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乾燥レモン & フリーズドライのミールワームは、絶品とは言えないがひどくまずいわけでもなかった。

旅行に出発する前、イルマールは空腹だったら虫さえも食べるだろうと冗談を言っていました。私は「冗談じゃなく本気で持って行くよ」と彼に話し、オランダのスーパーマーケットで買ったフリーズドライのミールワームのパッケージを詰め込んだのです。これまで食べる機会はありませんでしたが、それは正直、そこまで悪い味ではありませんでした。みんなあまり手をつけたがらないなか、イルマールはスナックのように食べていました。

長く伸びた木の影が岸辺に落としこまれるほどの眩しく美しい夕暮れが続いていました。美味しい料理、暖かい炎、楽しい会話は、私たちの今までの悪夢以外の何者でもないほどの惨めさを忘れさせてくれました。人生が楽しく感じ、私たちは心ゆくまで楽しみました。

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美しい夕暮れをしばらく眺めながら、幸せなひとときを過ごした。



邪悪な黒い雲がもたらした大雨で、心が折れかける(DAY5)



翌朝、私が起きると、シャシュクがいなくなっていました。彼は壊れたランディングネット(釣った魚をすくうための網)を持っていっていました。それは、トレイルの神々に捧げるものでした。彼はそれを修理して、パックラフトから釣りをしていたのです。彼が戻って来たとき、彼は誇らしげに1時間未満で釣り上げた半ダースもの太いスズキを見せてきました。

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シャシュクは、朝一番、たくさんのスズキを釣っていた。

でも、迷信を信じているヴァディムは不満そうでした。「そのネットを使うべきではない。これが不運をもたらすということはあなたも知っているはずだ」。そして彼の言うことは本当のこととなりました。

短いポーテージの後、私たちはMuramozero(ムラモゼロ)湖に沿って5km漕ぎました。それが、私たちの旅における最後の大きい湖でした。湖から去ろうとした時、不吉で邪悪な黒い雲が接近して来ているのを発見しました。10分後、私たちは土砂降りの真っ只中にいました。ちょうど目の前には、急流がありました。

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前方には、不吉な雲が一面に広がり始めていた。

幸運なことに、私はドライスーツを着ていましたが、他の人にとっては幸運ではありませんでした。川に手を浸したほうが暖かいと感じるほど、雨水は冷たかった。雨足が落ち着いたあとも依然として寒さを感じていました。ただ、この激しい雨は水位を大きく変化させることはなく、私たちはポーテージすることなく急流を渡ることができそうでした。

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これぞまさしく土砂降り。絶望感を抱くほどだった。

ただし、それはバンパーカー(遊園地などでぶつけ合って遊ぶ小型電気自動車)を運転するようなものでした。特に、ヴァディムとニックは絶望的な感じでした。ヴァディムは、船首に大きなバックパックを積んでいたため、どこに向かっているのがほとんどわかりませんでした。ニックはと言うと、パックラフトの底をショットガンで撃たれているかのようでした。彼は濡れて、そしてとても寒そうでした。まったくもっと良い感じではありませんでした。



火と食事をわけてくれた恩人(DAY5)



さらに悪いことに、私たちは食べるものも無いまま(軽食としてのシリアルバーも充分な量ではなかった)すでに5時間もパックラフトを漕いでいました。そして上陸するための良い場所が見当たりませんでした。岸辺は急勾配で、居心地は悪そうでした。たとえ上陸するのに良い場所を見つけたとしても、木がすべてずぶ濡れで火を熾すにも長い時間がかかるようでした。

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居心地が良くなさそうな場所だったが、昼食もとらずに5時間も漕ぎ続けていたので上陸することに。

幸いにも、水の横にいかだ舟があるのを目にし、上方にあるキャンプ地から煙が上がってるのを確認することができました。また運が変わってきたのです。

文字通り、煙があると言うことは火があるということ。「彼らの火を使わせてもらえないか聞いてみよう」と決め、川を少し上って上陸しました。他の人たちが食器を用意している間、ドブルシャと私は他のキャンプ地に向かい、そこで2人の女性(若い女性と年配の女性)、そして2人の10代男性と1人の中年男性に挨拶しました。

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ランチ場所を決めて、とりあえず人数分の食器を並べる。

「少しの水を沸騰させるために火を分けてもらえませんか?」と尋ねました。彼らは私たちを見て、頷きました。

どうやら、私たちの見た目が不幸そうに見えたようで、女性の1人(若いほう)が昼食の残り物(バケツサイズの鍋の底にあった、砂糖のかかったゆでたパスタ)をわけてくれました。これを何回か食べると私たちの気分も良くなってきました。彼らも私たちが元気になるのを待ってくれていました。実際のところ、それはたった30分のことで、それはこれまででもっとも早いお昼休みでした(通常は1時間から1時間半くらい)。



湖畔で魚が釣れた時、私はとても幸せだった(DAY5)



ニックのパックラフトにできた穴を修理する時間がなく、ニックは舟に乗ることを怖がっていました。そのため、イルマールは私に、ニックとパックラフトを交換できるかどうか尋ねてきました(なぜなら、私はドライスーツを着た唯一の人間だったからです)。私はもちろん同意し、そのことがニックの機嫌を和らげました。

助けてくれたキャンプの横を通り過ぎた時、私たちは「ありがとう!」と声をそろえて叫びました。「あなたたちはここから見るとテントウムシの群れのように見えます」と、若い女性が元気よく笑って言いました。

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出会った女性に「テントウムシの群れ」と呼ばれた私たち。

「テントウムシ」という名前は、なんて可愛い響きを持っていることでしょう! 幸運は私たちに味方していました。そしてその幸せを噛み締めながら、私たちは急流をクリアし、Gagarino(ガガーリノ)湖を経て、そしてKodaguba(コダグバ)湖にたどり着きました。ここは、この夜に私たちがキャンプをすることに決めた場所です。

ヴァディムとシャシュクがまた釣りをしているところを見て、私は何年も釣りをしていなかったことを思い出し、自分の腕を試してみたくなりました。そういうわけで、太いスズキのあとにさらにパイクを釣った時は、私はとても幸せでした。これが私の人生での一番最初の幸せなのだろうと思ったくらいです。

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数年ぶりに釣りにチャレンジして、見事スズキとパイクをゲット。

「その大きさのスズキは鉛筆と呼ばれているんだ」とヴァディムは言いました。「鉛筆のように細いからね」。小さくてもそうでなくても、私にとっては些細なことでした。私が最初に釣った魚で、味もとても良いものだったからです(料理スキルを持っていた死神のレフに感謝を捧げます)。

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その細さゆえに、「鉛筆」と呼ばれているスズキ。

幸運に励まされ、私はふたたびキノコを探したのですが成果はありませんでした。激しい雨が2回も続いたにも関わらず、キノコにとってはまだ乾きすぎているようでした。

この長い日はキノコ収集の失敗に終わり、私たちは火の周りに群がりました。カラダを温めつつ、静かに話をしました。私たちは濡れて疲れていましたが、負けることはありませんでした。

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激しい雨に見舞われ、みんな疲れていたが、焚き火が癒してくれた。

私たちが計画していたルートの半分以上を踏破したという事実は、「テントウムシの群れ」が始めた旅を、無事に終えることができることを期待させるようでした。そして、このように5日目は終わっていきました。

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5日目にたどり着いたコダグバ湖のキャンプ地からの眺め。

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(英語の原文は次ページに掲載しています)

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WRITER
Konstantin Gridnevskiy

Konstantin Gridnevskiy

1978年ロシア生まれ。ここ17年間はオランダにある応用科学の大学の国際旅行マネジメント課にて、アウトドア、リーダーシップ、冒険について教えている。言語、観光、サービスマネジメントの学位を持っていて、研究は、アウトドアでの動作に電子機器がどう影響するか。5年前からパックラフティングをはじめ、それ以来、世界中で川旅を楽しんでいる。これまで旅した国は、ベルギー、ボスニア、クロアチア、イギリス、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、モンテネグロ、ノルウェー、ポーランド、カタール、ロシア、スコットランド、スロバキア、スロベニア、スウェーデン、オランダ。その他のアクティビティは、キャンプ、ハイキング、スノーシュー、サイクリングなど。2012年に、友人と一緒に『HikeVentures』を立ち上げ、自らの旅やアクティビティの情報を発信している。

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