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パックラフト・アディクト | #20 ロシアのパックラフトの旅 <後編>次々と現れる急流に挑む

2019.03.15
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(English follows after this page.)

文・写真:コンスタンティン・グリドネフスキー 訳:齊藤瑠夏、神長倉佑 構成:TRAILS

HIKE VENTRESのコンスタンティンによる、連載記事『ロシアの旅』の後編。

前回の中編では、2日目〜5日目までの7人のパックラフト・アディクトによる旅の模様をお届けしました。

オレニ島をスタートした一行は、行き先がわからず村人に助けを求めたり、クマが生息する島にたどり着いたり、ゲリラ豪雨に悩まされたりと、さまざまな体験を繰り返しながら先へ先へと進みました。

これ以上のハプニングはないと思われましたが、この後編でも岩だらけの急流に出くわしたり、パックラフトに穴が空いたり、水の補給に苦労したりと、相変わらずの珍道中。

その大変ながらも刺激的なトリップをご覧いただきたいと思います。

本来、この『ロシアの旅』は3部作の予定(今回が完結編)でしたが、ネタが満載すぎてひとつの記事に収まりきらず、急遽、後編を2つに分けることにしました。

まさにパックラフト・アディクトであるコンスタンティンのロシアの旅を、ぜひお楽しみください。

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ロシアのカレリア共和国でのパックラフティング。行程は、エンゴゼロ〜クゼマまでの11日間。今回の後編は、コダグバ湖から海に出る直前までのDAY6〜DAY8のトリップレポート。



急流をいかに攻略するか(DAY6)



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DAY6の始まり。キャンプ地近くの湖畔で準備をする。

「レディ・ステディ・ゴー!」
かけ声と共にスタートした6日目。私たちが出会った最初の急流は、なんとキャンプ場からわずか数百mくだったところにありました(いや、急流は言い過ぎだったかもしれません。前日の雨を考えると、水位はまだまだ低かったから)。そして水しぶきの代わりに、石の多い川底をいかに攻略していくかを楽しむパックラフターたちの叫び声を聞きました。

でも、こんなのはへっちゃらです。私たちは6日も前、電車を降りて道を歩いていた頃から、このVonga(ヴォンガ)川の40kmほどを順調にくだってバレンツ海の白海に向かうことを楽しみにしていたからです。実を言うと、この比較的短いヴォンガ川が今回のパックラフティングのもっとも面白いところ。この区間は特段、語るべきポイントはありませんが、私たちが本当に探し求めている、とても激しく面白い急流があります。

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僕(コンスタンティン)は、白海にたどり着くことが待ち遠しくてたまらない。

また、白海でキャンプをしようという思惑はとても私をハッピーにしてくれていました。それはまるで夢が叶うかのような……。というのも、私はここから1000km以上南に離れたロシアで育ちましたが、その頃からこの白海の素朴な魅力を何度も聞いていて、その度にいつも、「いつかこの目で見たい」と思っていました。そして、それが今叶おうとしているのです。わずか40km先で……。

最初のかん高くひっかくようなダウンリバーと小さいStolbovoye(ストルボヴォエ)湖の後、私たちは次の急流に出会いました。前より短いながら、より大きい流れだったのでワクワクしました。

それをさらに面白くさせていたのは、その流れに乗っているのが私たちだけではないということでした。ここまで進んでくるなかで、私たちはどう見ても過積載な古いソビエト式のカヤックを見ました。彼らのほとんど全員がティーンネイジャーでした。

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古いソビエト式のカヤックで川をくだってきた集団。

その船には50〜60代の大人が2人だけ同行していました。そのうち1人はイライラしていて、その時引っかかっていた岩からどうにか船を外そうと試みていました。

また、端にいた男の子、女の子たちはもう一度船を動かすことに必死で、真ん中の荷物の山の上に座っていた女の子たちはぼんやりとしていました。

それはまるで彼らの日常で、岩での立ち往生はただのルーティーンであるかのように見えました。そして実際、ひとつの岩を抜けてもまた数m先で、別の岩にひっかかるのです。

しばらく遠目で彼らの葛藤を眺めた後、私たちはこれ以上彼らを待たずに横を抜けて先に進むことにしました。この川において、私たちパックラフターは明らかにアドバンテージがありました。

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古いソビエト式のカヤックの人たちは、ダウンリバーに苦戦してイライラしていた。

私が彼らを追い越そうとした時、私は「こんにちは」と声をかけました。顔を上げた男の子は、またカヤックが岩に引っかかった時のようなイライラした顔をしました。もし「見た目で人を殺すことができる」ならば、私はこの時、彼に殺されていたでしょう。彼は明らかに幸せなキャンパーではありませんでした。

幸いなことに、他のクルーたちは手を振り返してくれてフレンドリーに見えました。彼らは、他の人たちがこの川にいることに興奮しているようにも見えました。「彼らは心から退屈しているに違いない」そう、私たちは後に結論づけました。

また少し下った先の急流で、私たちは最初の方と同じトラブルを起こしているソビエト式カヤックを通り過ぎました。

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僕たちはトラブルなく気持ちよく川をくだっていく。



クマの気配と薪の不足、直面した2つの問題(DAY6)



しかし、大変なのはその人たちだけではありませんでした。仲間のヴァディムも苦戦しているようだったのです。彼は岩にぶつかりながら、まるでピンボールをボールの立場で楽しんでいるかのようにくだっていました。彼は後に「僕の何が悪いんだ?」と怒りながら聞いてきました。「なんで僕一人だけがこんなに苦戦しているんだ」と。

さらに悪いことに、そのたくさんの衝突のどこかで、彼がデッキに積み込んでいたグループの一日分の食料(レーション)が入ったバッグを落としてしまいました。ただ不幸中の幸いで、何も返ってはこなかったものの、夜に空腹で悩まされることはありませんでした。

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急流をクリアーしてのんびりする仲間たち。

急流をくだっていた時、とても大きなエディ(※)の中で3隻目の過積載カヤックがこれまですれ違ってきたカヤックたちを待っていました。

これまでの2隻との唯一の違いは、エンジンが船外についているということでした。それは通常、湖や一部の川など穏やかでフラットな水上で使用されるもので、数隻のカヤックを一気に引っ張り、時間と燃料を節約しようとしていました。

そして、私たちが彼らを通り過ぎてからしばらくすると、遥か後ろのほうで広い川を引っ張るために苦戦しているモーターのゴロゴロゴロゴロという音が聞こえました。きっと最後のカヤックが追いついたのでしょう。

※エディ:水がとどまり渦巻いている箇所。

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クマがいることで有名なメドヴェジエ湖へ。

残りの日、私たちは小さな湖を渡り、穏やかな水面を長い間パドリングし、さらに2つの急流を下っていきました。その間に「クマの湖」という名前をつけられたMedvezye(メドヴェジエ)湖で小休憩を挟んだのですが、幸い、その主人に会うことはありませんでした。

旅中のほとんどが、雲が多く気温の低い日でした。しかし、驚いたことにSobachye(ソバチエ)湖に着いた途端、天気が一転したのです。空は晴れ上がり、風は止み、暖かい太陽が出始め、次の二晩は、まるでここをホームとして過ごす私たちを歓迎してくれているかのようでした。「これは幸先がいい」と、キャンプに最適な場所を探し始めたときに思いました。

そして見つけたのです。湖の出口のすぐそばで、花崗岩の長い棚のような岩があり、隣には砂浜のビーチがあるところを。そのすぐ後ろに、背の低い木々に囲われた小さなキャンプ地がありました。そこは私たちにとってパーフェクトな場所であるかのように見えたのです。

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湖の出口付近で、絶好のキャンプ地を見つける。

ただひとつだけ不都合だったのは、そこには薪になるような枝があまりなかったことです。その問題を解決する前に、仲間たちが砂浜でまだ新しいクマの足跡を見つけました。「安全第一だよ」。そう言って、ヴァディムはいくつかの爆竹に火を着けました。破裂音は湖全体を駆け巡り、遠く離れた木々にも反響していました。

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大きなクマの足跡を発見。

「クマの問題」は解決され、次は「薪の問題」に取りかかる必要がありました。キャンプ場からそれほど遠くない所に生乾きの木を見つけましたが、それだけでは2日間、火を灯し続けるには不十分。そこで、他の仲間たちと分かれて、私とドブルシャは、湖の対岸から薪を取ってくることにしました。

濡れた服を着る気分ではなかった私たちは、服を脱いで、ほぼ裸の状態で手斧とのこぎりを持ち、パックラフトに乗り込みました。そのまま対岸まで漕いで行き、そこで見つけたいくつかの乾いた丸太を投げ縄でまとめ、私たちのパックラフトの後ろにつけて引きずりました。

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カワマスを釣り上げて満足げなシャシュク。

その頃、シャシュクが2匹の大きなカワマスを捕まえていて、それが彼にとって初めてだったこともわかりました。焚火のかたわら、私たちは岩の上にある自分たちのラフトに寝そべり、くつろぎながら、日暮れを楽しみました。



岩だらけの川への挑戦と贅沢な休日(DAY7)



この日は休むと決めていたのですが、それでもいくつかのことを達成できました。まず、私たちはキャンプ場から少し歩いた先にあるソバチエの急流を探し出しました。ここは2つの主要な急流のうちのひとつで、さまざまな要因が重なり、クラスIIIかⅣ(※)に該当します。ここを突破することは不可能だと指摘する人もいるほどです。

※クラス:瀬(川の流れが速く水深が浅い場所)の難易度。クラス(グレードや級とも表現される)が1〜6級(I〜VI)まであり、数字が大きいほど難易度が高い。

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川は岩だらけで、くだるのが困難そうに見えた。

そう言われるのは、中央にごつごつとした岩場が立ちふさがり(大きな鉄製のイカリが目印になっている)、そこを右側に抜けると1.5メートルの落差があり、左側に抜けても水面から岩の頭が出ているような区間が3mも続くのです。

でも、そういった記述のほとんどは、折り畳みカヤックか古いソビエト式カヤックを使って、この急流に挑戦した人によるもの。「私たちはパックラフターだ、そんな些細な理由では私たちの挑戦は止められない」。そう私たちは思いました。「それに、この急流まで来てしまったのだから、ここでパドルを握らなければ恥になる」とイルマールは言いました。そして、ドブルシャとイルマールと私は、ここで私たちの運を試すことに決めたのです。他の仲間たちは、喜んで岸から私たちを見守ってくれていました。

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まずは、ドブルシャとイルマールと私で、急流にトライ。

パックラフトを空っぽにして、岸壁に近づき、そこからもう一度急流を良く観察しました。飛沫に見惚れながら視線を遠くにやると、そのすぐ後ろにそびえる大きな岩によってそれが遮られます。そう、これを越えるために私たちは急流に挑むのです。注意深く見て、私たちの思う最高のルートを決めました。

しかし、上面からアプローチした際、私は態勢を崩してしまい、完全にルートを逸れ、藻に覆われた岩から滑り落ちました。

着水した時は、うまく切り抜けることができたと感じ、そこからもっと遠くへと行ける気がしました。ただ先に進むほど、これはとても難しいと感じ、「だから彼らはこの急流が突破不可能だと言うのか」と納得しました。

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急流を越えるのは、想像以上に難しかった。

共に急流に挑むドブルシャとイルマールは私よりも良い滑り出しでしたが、それでも抜けるのに苦戦していました。

この挑戦とは別に、私たちは休みの日を、おしゃべり、料理、ベリー摘み、魚釣り、それに加えて、前日の4つの急流でたくさんの穴をあけてしまったニックのボートの修復に費やしました。

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キャンプ地でたくさんのベリーをゲット。

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この日は、最高のハンモック日和でもあった。

翌日の予定を立てようと頭を働かせ始めると、ある疑問が浮かび上がってきました。ここで何をしたらいいのだろう? 私たちはここにもう1日滞在したいのだろうか? それとも白海でのキャンプに挑戦したいのだろうか? しばしの話し合いの後、私たちは4時に起床して6時頃に出発するという前提で、ここを後にすることにしました。

私たちがこれほどまでに出発を急いだのは、満潮により水位が高い時間帯にヴォンガ川を通過しなければならなかったからです。そうしなければ、白海への入り口が干潟になり通行できなくなってしまいます。私のテントメイトも、私たちを起こすのを手伝ってくれました。

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翌朝は、4時起床、6時出発!



急流を難なく突破するも、パックラフトに大きな穴が……(DAY8)



私たちは予定を決行しました。まだ目が覚め切ってない中、急いで朝食を食べ、パックラフトを背負い、前日にドブルシャとイルマールと私が入水したポイントまで運びました。そこからは比較的スムーズな道のりを行き、次に待ち構えるクラスⅣの急流に向かいました。

私は最初にそのポイントへ到着したので、この急流を観察する時間がありました。そこにはまたもやイカリの目印がありました(このイカリは何で、どのように管理されているのか不思議に思うようになってきました)。

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いよいよ、メンバー全員で急流をくだる。

「今見た限りでは大丈夫なようだ」と、後から到着した仲間たちにそう伝えました。そして、私たちはそこで運を試すことにしました。

序盤は比較的進みやすく、むしろ楽しむ余裕すらあり、「本当にこれをクラスⅣに位置づけたのだろうか?」と考えていました。しかし、難しいのはそこからだったのです。曲がり角の先に待ち構えていたのは、川幅の急に狭くなった区間で、これまでの水量がそこへ一気に流れ込み、激流となっていました。さらに、そこは1.5mの急降下になっていて、急な角度のターンが後に続いていました。

私たちはパックラフトから出て、周辺を見てまわりました。川が流れ落ちるその地点はとても印象的で、私たちにとって充分すぎる水量がありました。しかし、その隣には2つの哀悼碑があり、古い方はアルミニウム製パドルのと折り畳み式カヤックの背もたれと共に1987年に亡くなった故人を悼んでいます。新しいほうはごく最近で、2013年のものです。

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以前、この急流で亡くなった人の哀悼碑。

こ2つの哀悼碑は、ここが危険な場所であることを思い出させてくれました。私たちは、「みんな、この急流下りに自信はある?」と問いました。私はありました。イルマール、イル、ドブルシャ、シャシュクも。ヴァディム、レフ、ニックはまず私たちがくるのを見てみたいと言いました。そこで、私たちは早速急流をくだる人と、それを見て安全を確認する人との2つのグループに分かれることにしました。

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まず私が、最初にトライして無事にクリアー。

私が最初に行き、後にイルマールが続きました。この落下ポイントはとても楽しく、唯一難しかったのは急流を抜けたところで岩に衝突しないように注意することでした。その後はもう一度ひらけていて、水位も浅くなっていました。

私たちが無事にくだり切ったのを見たレフ、ニック、ヴァディムたちも挑戦することにしました。レフはここでも素晴らしい動きを見せました。彼の選んだルートは完璧で、まるでプロのようにすべての障害を避けていったのです。

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全員が問題なくくだり切ることができたように思えたが……。

「君は本当にホワイト・ウォーターに来るのが初めてなのかい?」と彼に訊いてしまうほどでした。一方、ヴァディムはまたもや運が悪かったようで、急降下はうまくいったものの、出口のところで岩をかわしきれず、転覆しそうになっていたのです。ニックは問題なく、素早く急流を下り、下流に進むことができました。

しかし、ニックが大丈夫そうに見えたのはそこまでで、私が急流の下の方にたどり着いたとき、彼のパックラフトの底には、拳ほどの穴が開いていることがわかったのです。

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実は、ニックのパックラフトには大きな穴が空いていた。

それは早急な処置が必要とされるほどでした。私は、「まずはこの穴を縫い合わせる必要がありそうだね」と提案しました。

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急流後、しばらくの時間をニックのパックラフトの修理に費やした。

幸いなことに、私たちは針を持っていて、その場所には誰かが残した、糸の代わりになりそうな細い紐がありました。私たちは外側と内側の両方から布を貼り合わせました。のり付きを良くするために、水を温めて、ポットを使ってのりを固めていたので、終わるころには一時間以上経っていました。しかしこの処置のおかげで、ニックのボートは動かせるような状態になりました。

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細い紐とノリとテープを使って、リペア完了!

でも、これによって予定よりペースが遅くなってしまいました。ちなみに、こういった事態を想定し、またゆっくりと進むために、今回の私たちの予定よりもさらに早い時刻に出発することを選択する人もいます。



ヴォンガ村に着き、久しぶりに人の暮らしに触れる(DAY8)



その先で私たちを待ち受けていたのは、さらなる急流(1日目に電車から見えたもの)でした。そこは、始めは穏やかな流れで、その先が白海までの道のりの中で、最後の小さな急流でした。

ここでは、パドルを漕ぎながら人々の営みがよく見えました。鉄道橋の後、電線が川にまたがっていて、少し先にはヴォンガ村に残った建物がぽつぽつと建っています。川には漁網が掛かり、小さな手漕ぎボートはそこに人々が生きているのだという証です。

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人里に近づいてきたため、鉄橋や電線なども目にするようになった。

大抵の場合、最終日には多くの人に会います。私たちとは別のグループに、何名かの漁師がいました。そのうちの一人が、先に引き上げていた私たちの仲間からの伝言を届けてくれたのです。彼の「さらに下流で待っている、と君たちの仲間らが言っていたよ」という言葉に従い、私たちはさらに下流へと漕ぎ始めました。

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この村には漁師も住んでいるようだった。

結論から言うと、この最後のほんの少しの道のりは、平坦で面白みのない、とてもつまらないものでした。私たちが約10時間も水上にいたという事実は、私たちの士気を少しも上げてはくれません。

イルマールでさえ心ここにあらずで、それを見かねた陽気なドブルシャがこう提案してきたのです。「自分がジョークを言って、君が5分間パドルを漕ぐ。これでどうかな?」

すぐにレフとヴァディムも加わって、お互いにジョークを言い合いました。こうして、河口までの時間を過ごしていたのです。

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あまりにも平坦で退屈な川だったので、冗談を言い合って気をまぎらせた。

そのすぐ手前で私たちは美しいキャンプ場を見つけました。そこのテーブルには、宝のありかが書かれた手書きの地図が入ったボトルが置かれ、こんなメッセージが添えられていました。「友人らと舟を漕いでここまで来たが、水がわずかしか残っていなかったので、実に恐ろしい時を過ごした」。

メッセージを書いた彼らはここにたどり着き、海まで行けばタラが釣れることに気が付きました。宝の地図は、タラが釣れる場所を示していたのです。でもその先を読み進める前に、私たちは飲み水を確保しなければなりませんでした。

読んでいたメッセージの中には、ここの島々のひとつに井戸か水源があると書かれていたのですが、その場所や見た目が書かれていない。そのせいで、私たちは充分な水を集められませんでした。

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美しいキャンプ場に到着すると、そこにはイスとテーブルがあった。

次回は、『ロシアの旅』の完結編です。コンスタンティンたちは、ついにバレンツ海の白海にたどり着き、旅のフィナーレ迎えます。お楽しみに!

(English follows after this page)
(英語の原文は次ページに掲載しています)

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WRITER
Konstantin Gridnevskiy

Konstantin Gridnevskiy

1978年ロシア生まれ。ここ17年間はオランダにある応用科学の大学の国際旅行マネジメント課にて、アウトドア、リーダーシップ、冒険について教えている。言語、観光、サービスマネジメントの学位を持っていて、研究は、アウトドアでの動作に電子機器がどう影響するか。5年前からパックラフティングをはじめ、それ以来、世界中で川旅を楽しんでいる。これまで旅した国は、ベルギー、ボスニア、クロアチア、イギリス、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、モンテネグロ、ノルウェー、ポーランド、カタール、ロシア、スコットランド、スロバキア、スロベニア、スウェーデン、オランダ。その他のアクティビティは、キャンプ、ハイキング、スノーシュー、サイクリングなど。2012年に、友人と一緒に『HikeVentures』を立ち上げ、自らの旅やアクティビティの情報を発信している。

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