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エリン・マキトリックのライフ・イン・ザ・ウッズ#1 /生まれながらの冒険家

2016.07.22
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TRAIL TALK#005に登場してくれたブレッドウッド・ヒグマン&エリン・マキトリック夫妻。今回から、ライターである奥さんのエリンの連載がスタート!夫妻での旅を楽しんでいたエリンは、出産を経て、今度は幼い子どもを連れて旅に出るようになる。日本では、子どもが生まれてしばらくは、アウトドア・アクティビティから距離を置いてしまう人も多い。そんな人にとって、エリンの実体験はとても示唆に富んだものになるはずだ。子どもと旅をする魅力、リスク、そして方法論を語り尽くすエリンの新連載、ぜひお楽しみください。

■旅に対する考え方

アドベンチャーはしばし若者の本分として見られます。それは身体が元気で、お金に余裕がなく、経験も浅く、人生のしがらみもまだない年頃。今から15年前、ヒグ(その後、私の彼となった)と私はまさしくそんな若者でした。私が大学を卒業してすぐの夏、私たちはアラスカ半島の荒野に約1,330km(830mile)の旅に出たのです。

出発して早々の雨で、私たちの高価な登山用レインパンツは水がしみ込み、安価なラフト(ゴム製ボート)は最初の川を渡った後に穴があいた。さらに持参した寝袋はあまりに重く、タープは小さすぎ、食料は笑ってしまうほど足りませんでした。

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パックラフトを漕ぐエリンとカトマイ。

甘かった想定の一つひとつはハイキングにおいて致命的になり得るものでしたが、結果的には大きな問題になりませんでした。私たちは、夜ごと地図を詳細に調べ、約1,330kmの行程で感銘を受けた内容をカウントしました。吹き荒れる雨の中ツンドラを歩く自分自身は、まるで勇敢な探検家のようで、そんな自分が誇り高く、生き甲斐を感じました。そしてこの経験を通して何かが自分の中で変わったのがわかりました。その後ヒグと私は結婚し、住んでいた都会を離れ、約1年をかけて6,400km離れたアリューシャン諸島まで歩いた。この経験が、私たちの旅に対する考え方のベースになりました。

私たちがこれらの旅で最初に学んだことは、きわめて現実的なことでした。数カ月の旅の食料を想定することは一週間の小旅行と同じではありません。私たちは持てるだけのピーナッツバターを用意しました。また、雨具は漏れることがありますし、クマから離れてキャンプをする必要もあります。

私は地形図を細かく見て実際の山を見ることを学び、海の波の高さや川の流れの速さ、雪でできた橋の強度の判断についても学びました。また、人間は身体的に不快な経験に対して記憶力が弱いということも。私は旅で幾度となく寒い思いや濡れて不快な経験をしていますが、しばらくするとまた旅に出たいと思うのです。


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急斜面の植物がもろい地面にある場合、流れの中を歩く。

私は、自分が人間の速度で世界を見ているということを学びました。時々、私たちは野生生物を目にし、しばしば彼らが通った道をたどります。そして動物が残した足跡などで彼らの習性を理解します。また旅では見たことのない植物に出会い、それらが育った場所を目にし、一時的な天気の移り変わりを超越した特別な気候や歴史の存在を垣間見ることができます。私たちは山と川の起源を解き明かし、気候変動の足跡をたどっているのです。騒々しい都市や遠い国立公園も歩きました。伐採されたばかりの材木の上を登ったり、将来の鉱区を探索するヘリコプターの下を歩いたりもしました。

■6,400kmの旅のあと。

一年間にわたる6,400kmの旅のあと、私たちは家を見つけました。その家はモンゴルの遊牧民が使うゲルというもので、場所は南中央アラスカのキーナイ半島のセルドビアという小さな村。私たちは自家農園を始めて、庭はブロッコリーとケールでいっぱいになり、冷凍庫は近くで獲れるサケでいっぱいになり、ヤードにはベリーがいっぱい育ち、そしてパチパチと音をたてる薪ストーブを持っていました。友人と家族がいて、お腹の中にはすくすくと育つ赤ちゃんもいる。そんな状況で手一杯だったこともあり、当時の私は次に何をすべきかわかっていませんでした。

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アラスカにある自宅の風景。

■冒険と共に人生を送る

私はこれまでの旅を通して、崖や水の流れ、藪といった複雑なエリアを通して歩くルートを計画する方法を知っていましたし、大吹雪の中でシェルターを設置する方法、土砂降りの雨の中で火を起こす方法、ミニマリズムの原理で荷物を最低限に削減する方法も知っていました。しかし、私は赤ちゃんについてはまったくの無知でした。

荒野への探検は、私たちの人生の一部にしっかり織り込まれていて、それを切り離すことは考えられません。しかし、幼い子どもを持ち、変わらず冒険と共に人生を送ることになるとはとても想像していませんでした。間近に迫った新しい息子の誕生は、氷河で覆われた港や何マイルもの長さの藪を進むことよりよっぽど手強いように思えました。

「(冒険では)藪の中を進むことがあるけど、赤ちゃんを抱えながら連れていけるのかしら?枝が赤ちゃんの顔にあたらないように、何らかの防御物をつくる必要があるわね」。私は息子の誕生を控えて余計な心配をしていたのです。
すると夫のヒグは、「旅に出るのはいいけど、赤ちゃんが興味をもたないことに一緒に連れて行く意味はあるの?」と言いました。

出産予定日が近づくなか、私たちは無知な推測をつづけました。子どもはまだ産まれてませんでしたが、すでに子どもから離れてどうやって自分たちの時間を作ろうかと思案していたのです。
ヒグ:「どれくらいの間、赤ちゃんは母乳を飲むんだっけ?」
エリン:「わからないわ。でも、最初の夏は彼はまだ6カ月ほどなので、誰かに預けるのは難しいと思うわ。来年の夏はどう?」
ヒグ:「だったら短めの旅はどうかな?1〜2週間だったら、おばあちゃんも預かってくれるだろうし」


■生後3週間の男児との旅

出産後、私たちの計画は実現を迎えることになります。その計画とは、私たち夫婦と3,360gほどのお茶目でとうもろこしのような頭の男児との旅。そうです、赤ん坊は祖母に見てもらうのでなく、私の胸のあたりでしっかりと抱きかかえて同行することにしたのです。私は息子を残して出かけるという判断ができませんでした。彼を残して行きたくなかったのです。

自宅で、私は薪ストーブの側に座り、授乳をして、彼の可愛い寝顔をじっと見て、表情が変わるたびに写真を撮ったりします。そんな息子との時間は私にとってとても貴重でした。すくすく育つにつれ、私の休む時間は少なくなっていきました。私は引き出しを開け、おさがりの赤ちゃん服の中から一番小さく暖かいものを探しました。私たち家族はまたみんなで旅に出るのです。今回は新しい家族であるカトマイも一緒に。


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ご機嫌なカトマイとヒグ。

生後3週間のカトマイの泣き声は大きく甲高い悲鳴のようで、憤ると泣いてピンク色の表情に変わる。3週間の体はまだ小さく、胸元で抱っこすると私の冬用コートのジッパーを半分閉めた位置になり、顔はつぶされるように辛うじて見えているくらいでした。

■経験不足の親が氷点下の中でオムツを交換する

当時、私のまだ若い母親の脳に狂気に近い動揺を与えた出来事がありました。キャンプをした時のこと、カトマイを置いて私は自分の小さなデイパックからスリーピングマットを取ったのですが、雪用の靴が私の足からぶらさがったままカトマイの上に落ちてしまったのです。でも、辛うじてヒグの投げたダウンキルトがクッションになってカトマイがケガすることはありませんでしたが、はっとした思いをしました。

また、経験不足の親が氷点下の中でオムツを交換するのも、なかなか大変でした。生後3週間の赤ちゃんは自分の欲望をギャーギャーと声をあげて伝えますが、まだ不慣れな私は泣き声を聞くたびに怯んでしまい、対応についても手探りの状態でした。


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氷点下の中、慣れない手つきでオムツを交換。

ただ、赤ちゃんというものは面白いもので、数分の散歩をするとギャーギャーと泣いていたのが嘘だったかのように平穏に戻ります。旅の道中では、授乳の休憩を挟みながら足を進めて、徐々にリズムをつかんで行きました。

「雪が見えるかしら?」と私はカトマイを胸に抱きながら囁きました。「雪以外の景気を見たことがないだろうけど、ここの景色はいずれ緑に変わるんだよ」。

生後3週間の彼にとって、アウトドアの世界はおそらく白い地面と黒の枝だけのぼんやりとしたモノクロの世界で、母親以上の存在は認識しがたくそれほど重要なことではないのでしょう。私の口数もカトマイが眠りにつくと次第に少なくなり、スノーシューで歩く音にかき消されてあまり聞こえませんが彼の寝息と小さないびきに耳を傾けます。私は歩きながら胸元の彼の様子を頻繁に確認し、不慣れな新しい日常に若干の不安を感じつつ歩みを進めていました。


■どんな状況であっても旅をつづける
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雪の中を軽快に歩く。

人生には転換期があり、それが自分に起きていることを実感する瞬間があるものです。私におけるその瞬間もすぐ目の前にきていました。荒野を探検することは、A 地点からB地点に移動するだけのとてもシンプルなタスクで、かつて都会の生活で大事だと思っていたことを忘れさせてくれて、自分自身を山や空の空間で埋めてくれます。

今私は母親になりました。突然、日常における新しい生命に責任を持ちました。母親への転換ということは人生においてもっとも大きい変化かもしれませんが、私にとっては大きなことではありませんでした。自分では気付きませんでしたが、実際に親になる何年も前から親になる訓練を重ねていたのです。私たちが経験した旅は、自然で生きていく術以外のことも教えてくれました。変化に柔軟であること、環境に適応すること、急な環境の変化に喜んで応じること、そしてどんな状況であっても旅をつづけること。

夏があっと言う間に過ぎ去る頃、私たちの生活リズムはさらに進化しました。ヒグと私は6〜7メートルになる長い布を胴体に巻き付け、慎重に結ぶことで、子どもを抱っこできるようにしたのです。これによりあらゆる遠出でも大丈夫な仕組みが出来上がり、私たち家族のアウトドア生活がつづけられるようになりました。


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砂利の斜面は足元が柔らかいため勢いがつく。

この抱っこ紐を使う際は、赤ちゃんが抱っこする人の胸元に向くように布ではさみ込みます。そのまま数分ほど散歩をすると眠りにつくので、起きるあるいは泣き出すまではそのままにしましょう。

泣き出したら、布から取り出し、授乳して、また戻し、今度は赤ちゃんの顔が外側に向くように抱っこします。その際、木の枝や自然の何かが赤ちゃんの目に入ることがないように、そして蚊などにも気をつけましょう。
また泣き出すことがあったら、布から取り出し、今度は何か噛む棒などを与えるのも良いでしょう。そして落ち着いたら今度は顔が内向きになるように布に戻します。
この繰り返しです。

このリズムは、永遠につづけることがができるものだと思いまます。実際、私たちはテストをして、いろいろ試して、その結果ハイクする時間も日々長くなり、従来よりも簡単な作業で旅ができるようになりました。

私たちは氷の上も歩きました。湖の上にはった氷を上を歩くこともありました。下り坂を滑ったり、流れ着いた流氷やヤギが点在する崖の横を通ったりもしました。これらの旅に要した期間は4日間。ヒグと私と生後6カ月の息子と50代の母親と一緒に過ごしました。


■母に連れられて行ったアウトドアの記憶

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Tutka峰の氷河の残骸の上を歩く

カトマイが泣き出すたびに、隣のテントで寝る母を起こしてしまわないかと私はたじろぎました。そんな時、ヒグはカトマイを抱いて外に出て、辺りを歩いてあやしてくれたのです。月明かりで反射した雪で覆われたフィールドを歩く音が聞こえ、カトマイはヒグの胸で泣きながら横になっていました。

カトマイを布で抱っこする際、私はアルバムの写真で見た昔の光景を思い出します。長く編んだ黒髪の私の母は、ユタ州の砂漠地帯をハイキングしていて、彼女の後ろには抱っこ紐で背負われたブロンド髪をした笑顔の私が写っています。当時の母は今の私ほどの年齢、そして当時の私は今のカトマイほどの年齢でした。

私は少し大きくなった頃、毎年夏にワシントン州のカスケード山脈に家族で巡礼の旅に出かけていました。兄と私は自分たちの寝袋くらいの荷物しか持たず、そのぶん母が荷物で一杯になったリュックを背負っていました。木にバックパックをたてかけ、ストラップを締めるために座り、そして凄まじく隆起した足でよろよろと立ち上がる母の姿を、私は今でも覚えています。私たち子どもはリズムゲームなどをしながら歩いていました。母は弟にお菓子を使っておだてながら、トレイルを下っていきました。

また私は、岩苔と小枝で小さな人形をつくったり、オレンジ色の腹のイモリを捕まえたりしたことを覚えています。母をアルプスの湖の冷たい水の中に引き連れ、流木に乗って川を降ったりもしました。私と父は残飯やサラミを使って釣りをして、釣れたマスは魚嫌いの母の視界に入らないように食べたりもしました。そんな夏の思い出は2〜3週間でしたが、今でもはっきりと記臆に残っています。

子どもの頃、母に連れられて行ったアウトドアの経験が、今や10年以上になり、さらには赤ちゃんを抱っこした旅になり、今後はさらにアドベンチャラスになっていく。今度は私の番です。

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息子のカトマイも徐々に自然に興味を持つようになる。



■ 子どもと一緒に冒険へいくことは可能?

生後6カ月で、カトマイは約7.7kgの体重があり、取り替え用のオムツと着替えだけで約1.8kgありました。また、ミルクの準備などで必要な食材や道具でさらに数kgの重さを旅では持つ必要がありました。旅で必要な道具の全重量が約39kgで、カトマイはその内約11kgを占めていて、ヒグと私とで分割して荷物を持っていきました。

カトマイが必要な授乳の休憩、遊びの休憩、おしめ替え休憩は、どれも地形、天気、他の何かに合わせて生じるものではありませんでした。さらにカトマイは、手の届く範囲の何でも ー 岩、草、有毒キノコー 彼の口に入れようとしました。また、不快なものに対して彼がガマンできる時間は約3秒で、無言で不満の表情を浮かべます。暑い?寒い?眠い?お腹空いた?退屈なの?

自分の胸元に赤ちゃんをくくりつけ、私は自分の座る位置をしっかり決め、一日中甘い香りのする綿毛のようなブロンドの頭に鼻をすりつけます。また、同じ様に赤ちゃんをしっかりくくりつけ、デイトリップに出かけたりもしました(但し、赤ちゃんで自分の足元が見えませんが)。その際は、いつもの倍程注意深く歩き、時にはいつもの倍上の時間がかかりました。また、雑木林の一画に行く際は、息子の顔が枝で傷つかないように腕を伸ばしながら進んだりしました。

ヒグがガレ場の坂を滑り降りる際、カトマイはヒグの胸元で歯を見せて無邪気に笑っていました。カトマイは、将来または現在について複雑な心配がありません。彼は私たちを信頼しています。決して彼の顔に藪の枝があたらないこと、砂利道や氷の上に落としてしまうことがないこと、彼を暖め、食べものをあげて、濡れて冷たくならないようにしてくれることも、わかっているのです。

■彼は冒険と共にある人生を過ごす家族の一員になった

カトマイは、両親に抱きかかえられ、世界が過ぎていくのを見ています。私たちが止まる先々で彼は自分が口にいれて噛むものを見つけ、調べるための新しい石を見つけ、彼の脳のニューロン(神経細胞)は、世界を擬態化し、パターンを作り上げているのです。

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ハイキングを愛するカトマイ。私たちはカトマイのおかげで、さらににハイキングが好きになった。



「カトマイって本当にガマン強いのね!」。私は長いハイキングが終わったあとに叫びました。「カトマイは、我慢強いわけじゃないんだ」。ヒグが指摘します。「彼はただ幸せなんだよ」。

木と川を見ているだけの時間、岩とベリーの茂みで時間を過ごすこと、ツンドラとウサギがつくった道で遊ぶことが、カトマイにどんな影響をおよぼすか私にはわかりません。多分、彼はアウトドアが好きに育つ……それくらいしか言えません。でも、彼からその結果を聞くにはあまりにも年齢が若すぎますし、今判断することでもありません。そもそも、カトマイへの影響を考えること自体が間違った質問かもしれません。一つ言えることは、彼は冒険と共にある人生を過ごす家族の一員になったため、変わらず冒険に参加し、その環境に彼が順応していくということです。世界中の生まれてきた子どもがそうであるように。

今回の旅は一週間に満たないものでしたが、日常に戻るとまた夢が膨らむものです。私たちは決めました。今後はベビーシッターの心配はしません。子どもが大きくなるまで待つこともしません。子どもたちと一緒に冒険へいくことが可能だと感じています。これからが楽しみです。


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(英語の原文は次ページに掲載しています)

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WRITER
Erin Mckittrick

Erin Mckittrick

アラスカ南部に位置する人口約250人の町「セルドビア」に住むライターかつ冒険家、そして科学者。『A Long Trek Home: 4,000 Miles by Boot Raft and Ski』『Small Feet』『Big Land: Adventure, Home and Family on the Edge of Alaska』の著者でもある。活動内容は、アラスカのNGO団体であるGround Truth(http://trekking.org)で見ることができる。

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