パックラフト・アディクト | #11 ロシアのパックラフトの旅 <前編>冒険のはじまり
(English follows after this page.)
文・写真:コンスタンティン・グリドネフスキー 訳:井上華 構成:TRAILS
TRAILSのあらたなアンバサダーになってもらったHIKE VENTRESのコンスタンティンから、最新のトリップ・レポートが届いた(前回の記事はコチラ)。世界中の川を旅しまくっているコンスタンティン。今回、彼が向かったのは、ロシア。
ある日、コンスタンティンからTRAILSのメンバー宛てに「今度、ロシアに行ってくるよ!」、とメッセージが届いた。え?ロシアでパックラフト?正直、僕たちは全然、想像ができない。でも、コンスタンティンのテンションからも、なんかヤバい旅になる予感がぷんぷんした。だから僕たちも、このレポートが届くのをずっと心待ちにしていたのだ。
今回の旅は、コンスタンティンを含む7人のグループでの旅。写真を見ているだけでも、キャラが強そうな面々だ。彼らのホームタウンの駅を出発してから、ロシアのカレリアに向かう、29時間以上の長い長い列車の旅からはじまる。
今回は「ロシアの旅」の連載記事の前編。旅のはじまりについて綴ったレポートになっています。愉快なハプニングやらアクシデントやら、旅のスパイスたっぷりの、痛快なトリップ・レポートを、お楽しみください。
今回の旅の目的地は、ロシア北西部のカレリア。このカレリアまでは、コンスタンティンたちのホームタウンである、オリョールの町からから列車で29時間。パックラフティングのスタート地点エンゴゼロ駅を目指して、長い旅がはじまります。
ロシアのカレリア地方をゆく、11日間のパックラフティング・トリップ
7月31日の深夜0時になる少し前、私たちはホームタウンのOrel(オリョール)の駅で、待ち合わせをしました。駅には、これから旅に出る人がたくさんいました。
今回、一緒に旅をするメンバーは、全部で7人です。イルマール、ドブルシャ、イル、ヴァディム、それにレフとシャシュク。最初に名前を挙げた4人は、以前に一緒に舟を漕いだことがあるメンバーです(昨年、モンテネグロのタラ・リバーを一緒に旅したメンバーもいます)。あとの2人は、今回の旅の少し前に、旅の食料を分担したときに初めて会ったメンバーでした。
あともう1人はニックという友だちです。そのときはまだ私は会ったことがありませんでしたが、他のメンバーはよく知っている友だちです。ニックはモスクワから列車に乗って、合流する予定になっていました。(モスクワからだと南に行ってまた北に戻る、ということになってしまうので)。
私たちの旅のプランはシンプルです。旅の行き先は、ロシアの北西にあるKarelia(カレリア)です。このエリアにあるたくさんの湖、Vonga川(リカ・ヴォニガ)、そして白海(はっかい)の一部を漕ぐ旅です。
このインディペンデントな旅は、(川・湖を)漕ぐ日が10日間、それに休息日が1日の計画で、総距離は約140kmです。仮に休む日がもっと欲しくなったら、1日平均14km以上漕ぐ必要があります。どうですか?とっても素敵でシンプルなプランでしょう?
地元から29時間の、長い長い列車の旅
ただ1つ問題なのは、私たちのホームタウンのオリョールが、スタート地点のEngozero(エンゴゼロ)村から2,000km以上も離れていることです。そんなわけで、私たちは2つの電車を乗り継ぎ、29時間以上もかけてスタート地点へと向かいました。最初の電車を降りたのは真夜中過ぎで、その時点で自分たちの家を出てから9時間が経っていました。
私が心配していたのは、非常に寝心地が悪そうな、列車のベッドです。私たちはお金を節約するために、エコノミークラスの車両を予約することにしたのです。3番目くらいに安いクラスで、(ドアのない)オープンスタイルのコンパートメントの車両です。そこにベッドが4つ(二段ベッドが2つ)ありました。1つは通路側、もう1つがその反対側にある配置です。
最悪だったのは、私の身長が192cmあるのに、ベッドがそれよりもかなり小さかったことですね。私は足を柵から突き出すしかありませんでした。
車両の入り口と反対側にある私たちのベッドに行くのも、大変でした。突き出た足だらけの迷宮の通路を、通り抜けなければならないのです。大きいバックパックを運ばなければいけない私たちにとって、これは骨が折れることでした。上にある棚に荷物を積みこんだら、すぐベッドに横になりました。
こんな感じで、私たちの長い旅がはじまりました。
列車のなかでの膨大なひまつぶしの時間
このような長時間の列車の旅では、何かやることを見つける必要があります。私たちは、寝て、おしゃべりをして、親がつくってくれたパンケーキとポークステーキを食べて、あとはカードゲームで遊んだりしていました。あとは車内にいる人たちや、車窓から見える自然をじっと眺めていました。
犬と旅をする人を見ているのも、いいひまつぶしでした。私たちの隣のコンパートメントに、フレンチブルドッグを連れている女の子がいました。犬は彼女に寄り添って寝ていました。女の子が寝ているあいだ、その犬は私たちからずっと目を離しません。まるで犬に「あなたたちを見ているからね」、と言われている気分でした。
フレンチブルドッグと一緒に寝る女の子。車内にいろんな旅人がいる。
このプライバシーのない空間で、人々がどんな工夫をしているかを観察するのも、面白かったです。私たちからそんなに離れていないところに、5歳の女の子を連れた若い母親がいました。彼女たちは、2段ベッドの下にいたのですが、スペアのベッドシートを使って、即席の壁を作っていました。それによって、この親子はドミトリーのような環境を、カプセルホテルのような環境に変えていました。
普通の休みを取っている人たちは南から(カレリアのある北部へ)帰るタイミングだったのですが、車内ではバックパックからパドルが突き出ている人たちを、見かけました。カレリアに旅するパドラーのグループもいました。カレリアは、水が豊かな場所として、ロシアでも有名なところなのです。
北へ進むにつれて、自然は「よりワイルド」になってきました。ロシアの中心部では広葉樹が広がっていますが、ここは松の木がたくさんあります。湿原や湖も多いエリアです。
列車のなかで、旅に必要な分の食料を持っていないことに気づき・・・
私たちの今回のプランに、穴がいくつかあることに気づきました。そのひとつとして、電車のなかで食べる分の食料をきちんと用意していなかった、ということがありました。イルマール、ドブルシャ、シャシュクは、きっかり11日分の食料を持っていました。しかし旅の日数がもう1日あったことを、なぜか忘れてしまっていましたのです。
そんなわけで、カレリアの首都Petrozavodsk(ペトロザヴォーツク)の駅に40分間の停車時間があった隙に、そこにあったKFC(ケンタッキーフライドチキン)の店に転がり込みました。そしてスパイシーで、めちゃくちゃうまいチキンウィング(手羽)が、ごっそり入った箱を持って列車に戻りました。
これはロシアの習慣なのですが、列車のなかで、紅茶をたくさん飲めるようになっているのは、なかなかよいです。乗客は湯沸かし器から、お湯を無料で使えるようになっているのです。お湯は、乗務員室の隣にあります。乗務員から紅茶を買うことができるので、持参のカップを使って、紅茶だけ買うのが安上がりです。カップがない場合は、カップを買うこともできて、それを旅のあいだ、くり返し使うことができます。
列車のなかでは、無料のお湯をつかって、紅茶を飲んでいた。これはロシアの習慣。
記録的な乾燥で、大規模な森林火災も発生
29時間という時間も、着いてみればあっという間に感じるものです。旅のスタート地点であるエンゴゼロに到着する1時間前に、私たちは乗務員に起こされました。朝4:30、ほとんどの乗客はまだ眠っていましたが、すでにあたりは明るくなっていました。(もし一週間早く旅をしていたら、太陽はもっと高く昇っていたでしょう。)
それからしばらくもたたないうちに、電車はKuzema(クゼマ)の駅に止まりました。クゼマはパドリング・トリップのゴール地点です。数分後に、電車はVonga川の上を走る鉄橋を通過しました。その鉄橋がある場所は、「鉄道の瀬」と呼ばれています。
そのとき私たちは、水位がかなり低いことが気にかかりましたが、これは想定の範囲内です。カレリアは、猛暑により記録的な乾燥となっていました。それにより沼地が、川の水を吸い上げてしまっていました。またカレリアでは、森林火災が昨年の15倍もの被害を出していました。
29時間以上かけて、ようやくスタート地点のエンゴゼロに到着。
電車の旅の最後。私たちはデッキですべての荷物を無理やり詰め込んでいました。そしてエンゴゼロ駅での2分の停車時間のうちに、できるだけすばやく電車から「ジャンプ」して降りる準備をしていました。
パックラフティング・トリップのスタート地点に到着
列車を降りて、大きなバックパックを背負って、エンゴゼロの村のなかを歩いていく。
エンゴゼロは、500人程度の比較的小さな集落です。しかし、そこはMurmansk(ムルマンスク)線の重要な駅になっているところでした。高いところに携帯電話の電波のアンテナ塔があるからです。私たちがこの次に向かったエンゴゼロ湖でも、たしかに携帯電話の受信とインターネットの利用も完璧で、問題ありませんでした。
エンゴゼロの村は、古い木造の家が並び、村の中には広い未舗装の道路が通っています。その村のなかを少し歩いていくと、湖の岸辺に着きました。そこにあったボートハウスの脇に、パックラフトを膨らますのによさそうな、小さな草むらを見つけました。
パドリング・トリップのスタート地点、エンゴゼロの湖に向かって、歩いていく。
そこで自分たちのものより大きいバックパックを背負った、3人の男性と一緒になりました。彼らも、同じ列車に乗っていたようです。彼らが持っていたのは、パックラフトではなく、フルサイズのイフレータブル・カヤックでした。
「どのくらいの重さなんですか?」と私は訊きました。「12kgちょっとかな」と、そのなかの1人が答えてくれました。「あなたたちのは、パックラフトですよね?」と訊かれたので、「はいそうです。」と、自分たちのカラフルなボートを見やりながら、自慢げに答えました。
私たちが持っていたのは、Kokopelli(ココペリ)の黄色とグレーのRogue(ローグ)、黄色のAlpackaraft(アルパカラフト)のGnarwhal(ナーワル)とDenali Llama(デナリ・リャマ)。そしてNortik(ノルティック)が4艇あって、色はオレンジが2艇、グリーンが1艇、黒&オレンジが艇でした。最後に挙げた舟は、新しい内側の積載の設計をテストしてレビューするために、この旅のためにメーカーから受け取ったプロトタイプの舟です)。
「君たちもVonga川を下るの?」と訊いてみると、「いや、僕たちはKalga(カルガ)川を白海に向かって漕いでいくんだよ。3日間で到着できるはずだから、残りの時間は釣りもできるんじゃないかと思ってるよ」と、彼らは言っていました。そして彼らも私たちと同じ8月12日の帰りの切符を買っていることがわかりました。「じゃあ、また帰りの電車で!」と言って、彼らとは別れました。
焚き火にはくれぐれも注意するように
私たちが出会った唯一の地元の人は、2人のフォレスト・レンジャーでした。私たちがパックラフトで出発する準備をしているところに、その2人のレンジャーは、近づいてきました(10分くらいの間をあけて、1人ずつやって来ました)。
最初に来たレンジャーは、細身の小柄な男性で、仕事に真面目な人でした(そして彼は憤りをもちながら仕事をしていました。)
「終わったんですか?それともこれから始めようとしているのですか?」
「始めようとしています。」
「では、聞いてください。焚き火をしないでくださいね。みんな口を揃えて、正しい焚き火の方法を知っていると言うのですが、私は森林火災を消すためにいつも呼び出されています。体調も悪くなって、火事の対応でくたくたですよ。」
そう言って、彼はチラシを私たちに渡して、去って行きました。そのチラシを見ると、「自然に入るためのパスポート:カレリア共和国の森で過ごすためのルール」と書いてあります。そのチラシには、どうやって安全かつ責任ある方法で自然を楽しむかという、ルールとTIPSが載っていました。そして特に焚き火は注意するように、と書かれてありました。
これから漕ぎ出す準備をしているときに、レンジャーに声をかけられる。
1人目のレンジャーが去ってからすぐに、古いソビエトの水陸両用車が、私たちの方に向かってやってきました。これが2人目のレンジャーです。同じく小柄でしたが、少しぽっちゃりしていて、とてもフレンドリーな人でした。
彼もさっきと同じチラシを持っていました。「やあ、君たち。もうこのチラシをもらったかい?」「もらいました。」「じゃあ、これももらってよ。たくさんもらっておいた方がいいでしょ?」と言って、彼はチラシの山を私たちに渡しました(その後で、私たちの中では、彼らは会った人に配布するノルマがあるのではないか、という話になりました)。「くれぐれも焚き火には気をつけてくれよ。今年の夏は、すごく乾燥しているんだよ。今は雨が来ているから、すこし気が楽になるかもしれないけど、それでも気を付けてくれよ。」
向かい風の天気予報に不吉な予感
たしかに天気予報は、今朝は暑さと乾燥のピークだと伝えていました。しかしここ数週間ずっと30℃半ばだった気温は大幅に下がり、午後には雨が降るだろうという予報でした。最近はずっと天気予報をチェックしていたので、このことはすでに知っていました。
私たちがとてもがっかりしたのは、風向きが東から西に変わったことです。これは、追い風ではなく向かい風のなか、パックラフトを漕がなければならないことを意味します。経験したことがある人ならば、これがとても大変なことだとわかるでしょう。
出発してすぐ、私たちはおだやかな小さな入り江を離れて、湖のひらけたところを横断しなければならないことになりました。湖は北東から南西にかけて38km以上の長さに広がっています。湖のなかには大小さまざまな島があります。
その日の目的地に到達するためには、このだだっ広い湖を漕いで渡らなければならないのです。しかもその湖を漕ぎはじめてすぐに、みんな静水でのパドリング経験がないことがわかりました。
静水を漕ぐのを慣れていないメンバーは、最初は四苦八苦していた。
向かい風のなかを漕ぐ辛さを知っていますか?
私は長くオランダに住んで、(川や湖を)漕ぐ経験をしていたので、こういった状況にも慣れていました。けれど今回の何人かのメンバーは、少し苦労しているようでした。特にヴァディムとニックは大変そうでした。パドリングの技術の差なのか、ただ経験不足なのかはわかりませんが、いずれにせよ彼らはすぐに慣れてきました。私は先頭の方を漕いでいて、サシュックとイルがぴったりと後ろに続いて進んでいきました。
向かい風のときには、つねにパドルを漕ぎ続けることが重要です。パドリングを止めると、風でぐーっと押し戻されて、がんばって漕いだ距離が無駄になってしまうのです。もっとも、ちゃんと漕いでいたとしても、同じ距離を進むのにも、いつもよりもかなり時間がかかってしまいます。
私がこのことを身をもって学んだのは、初めてパックラフトで、スウェーデンのSarek(サーレク)国立公園に行ったときのことでした。そのとき、小さな池を横切るのに、2時間以上漕いだのです。徒歩だったら、池の周りを30分以内で歩けるようなところです。そのとき私はできるだけがんばってパドルを漕ぎ続け、休むのは風がない場所(島の裏側や岸辺)にしていました。
(スウェーデンのときと同じように今回も、)岸にたどり着くまでできるだけがんばって漕ぎ続けてから、岸辺でゆっくり休憩をとるようにしました。みんなも同じようにしていました。
あるとき私が舟から降りる岸が、少しみんなから外れてしまいました。それであとから合流しに行ったら、みんなはすでに泳ぎに行ってしまっていたり、紅茶を飲むためにケリーケトルでお湯を沸かしたりしている、なんていうこともありました。
1日目のゴールをどこにするか、悩みはじめる
この日、どこまで進むべきか悩みました。何人かのメンバーは少し疲れていて、その日は少し早めに休みたがっていました。一方で、できるかぎり先に進んで、これから先の日にしっかりと休息日をつくりたいと思っているメンバーもいました。
その日は、雨が降って寒くなるという天気予報だったので、私たちは結局その日はOleny(オレニ)島(鹿の島という意味)まで漕いで、そこでおわりにすることにしました。そこは、エンゴゼロを出てから近道して行こうとしていた場所の近くでした。今回の旅の準備をしているときに、いくつかのトリップ・レポートに、いいキャンプ場所が何箇所かある、と書いてあった島です。
それを心に留めて、私たちは再び漕ぎはじめました。何人かのメンバーが、また遅れをとりはじめました。私たちは、3回の休憩を入れました。最初の2回は、小さな島で短い休憩をとりました。小さな島といっても、ただ水面から顔を出している岩に、少し木が生えただけのようなところです。
3回目はしっかりした島で、この後は行動食で過ごすことにして、この島でランチ休憩として、ちゃんとした食事をとることにしました。そして火を使いはじめたところで、天気が変わりだしました。突風が吹いて、地べたにそのまま置いていたパックラフトが、茂みのなかへ吹き飛ばされてしまいました。それからすぐに雨が降りはじめました。ぽつんぽつんと雨粒が落ちてきて、私たちがレインジャケットを着る前に、本降りになりはじめました。
旅のグループに、波乱万丈のはじまり
ランチの後、その場所を離れようとしたとき、ヴァディムが「先に出発するよ」と言いました。彼は自分がいつも後ろの方にいることを、悪く思っているようでした。まだ私たちが出発の準備をしている間に、彼はパックラフトに乗り込んで、漕ぎはじめました。ヴァディムと仲のいいメンバーのレフは、彼と一緒に行くことにしました。
私たちは、「ねえ、行き先はちゃんとわかってる?」とヴァディムと確認すると、「大丈夫!GPSを持ってるから。」と答えて、彼らは先に島に向かって舟を漕いでいきました。
この日のゴールまであと少しというところで、グループの隊列が乱れ始める・・・。
しかし、どうやら進む方角を、まちがっているように見えます。南に向かわなければいけないのに、北へ向かって漕いでいるようです。ちょうど湖の対岸の遠くから出ている、森林火災の煙の方に向かっていってしまっています。
彼らが間違った方向に行ってしまっているのを注意するために、サシュックと私は彼らに追いつこうとしました。しかし風が強く吹いていて、なかなか追いつけません。大声で叫んでも、私たちの声はすぐに風に吹き飛ばされてしまいます。
そして、後ろにいた4人も見えなくなってしまいました。「あいつらはどこに行ったんだろう?」と、私たちは考え、「たぶん他のところで休んでいるんだろう」と推測しました。私たちはOleny島に戻って、そこで彼らを待つことにしました。携帯電話で「どこにいる?」とメッセージを送ってみましたが、返答は届きません。
11日間の旅の、最初の1日がおわる
だんだんあたりが暗くなりはじめ、長い1日がおわろうとしています。夕日の明かりが、波打つ水面の上に、黄金色の一本の線となって映っています。すると遠くの方にヴァディムとレフが、向こう岸に向かって漕いでいる姿が見えました。
突然、彼らは方向を変えました。そして私たちのいる方向に漕ぎはじめました。私たちはパックラフトに飛び乗り、ようやく彼らと合流することができました。「何があったの?」と声をかけると、「聞かないでくれよ」と、レフがため息とともに答えました。
どうやらヴァディムは、私たちの方が、ちがう島に向かっていると思い込んでいたようです。彼はそれについては、話したがりませんでした。
私たちは、彼らに他のメンバーもいなくなってしまったことを伝えました。「ヴァディムさ、トランシーバーを持ってなかったっけ?あいつらに連絡をとらないと。」
そうしたら、幸運なことに、残りの4人はこの島の反対側にいることがわかりました。
「こっちまで来てくれないか?いいキャンプ場所を見つけたんだよ。簡単な焚き火もできそうだし、眺めも最高だよ。」
「でも、こっち側で合流するように決めていなかったっけ?」と私たちは言いました。
「うーん…。でも、自分らはもうここにいるわけだし…。それにさ、この先に向かう湖の出口は、こっち側にあるんだよ。ねえ、こっちに来てくれない?みんなのための焚き火も、準備しておくからさ。」
そんなことで、私たち4人は最後の時間を使って、島の反対側まで漕いでいきました。そこでは、すでに焚き火が私たちを待っていてくれました。
到着してすぐにテントを張って、ちゃんとした夕食をつくりました。とても長く、とても疲れた1日でした。そうしているうちに、日が沈みました。しかしまだ太陽の存在を感じることができます。この年のこの時間が、決して消えないと同じような感じです。太陽は地平線の下に沈んで、ゆっくりと反対側にまわって、また次の日の朝に登ってきます。太陽による明かりは、真夜中過ぎまで見えているのです。
こうして、11日間の旅の、最初の1日がおわりました。困惑やフラストレーションもあり、汗を流し、きついパドリングもたくさんありました。その一方で、すばらしいスペクタクルに、輝く太陽、そして冒険に満ちた1日でした。こんな日が、あと10日間も過ごせるのかと、私は興奮していました。
(English follows after this page)
(英語の原文は次ページに掲載しています)
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