LONG DISTANCE HIKER #09 二宮勇太郎 | PCTのスルーハイキングで気づいた本当の自分
話・写真:二宮勇太郎 取材・構成:TRAILS
What’s LONG DISTANCE HIKER? | 世の中には「ロング・ディスタンス・ハイカー」という人種が存在する。そんなロング・ディスタンス・ハイカーの実像に迫る連載企画。
何百km、何千kmものロング・ディスタンス・トレイルを、衣食住を詰めこんだバックパックひとつで歩きとおす旅人たち。自然のなかでの野営を繰りかえし、途中の補給地の町をつなぎながら、長い旅をつづけていく。
そんな旅のスタイルにヤラれた人を、自らもPCT (約4,200km) を歩いたロング・ディスタンス・ハイカーであるTRAILS編集部crewの根津がインタビューをし、それぞれのパーソナルな物語を紐解いていく。
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第9回目に紹介するロング・ディスタンス・ハイカーは、二宮勇太郎 (にのみや ゆうたろう) a.k.a. NINO (ニノ) さん。
ニノは、2012年にパシフィック・クレスト・トレイル (PCT ※1) をスルーハイクし、帰国後は、UL (ウルトラライト) ハイキングをテーマとしたショップ『Hiker’s Depot (ハイカーズデポ)』にジョインした。
TRAILSとHiker’s Depot共催の『LONG DISTANCE HIKERS DAY』にも毎年登壇。カウボーイキャンプ (シェルターを用いずに宿泊するスタイル) や焚き火について熱く語る姿が印象的だ。
そんなニノのロング・ディスタンス・ハイキングの原点は、アメリカのPCTである。彼がなぜPCTを志し、どう歩き、そしてカウボーイキャンプと焚き火になぜハマったのか。彼の原体験を振り返りながら、ロング・ディスタンス・ハイカーたるゆえんを探ってみた。
※1 PCT:Pacific Crest Trail (パシフィック・クレスト・トレイル)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
PCTでのカウボーイキャンプ。スルーハイクの150日間のなかで100日はこのスタイルだった。
一度、社会とも、人とも、距離を置いてみたかった。
—— 根津:それまで海外にすら行ったことがなかったニノが、PCTをスルーハイキングしようと思ったきっかけを教えてください。
二宮:「当時29歳、社会人7年目くらいの頃でした。もともと仕事に就いたら一定の年数はちゃんとやろうと思ってたんです。でも実際6年やってみて、なんか違うなと。
世の中の当たり前とされていることに納得できてなかったんです。仕事も含めていろんな面で、なんでダメなの? ということがたくさんあって。この世の中の価値観がしっくりこなかった。人間社会というか、資本主義経済というか。
もちろんそれを否定するわけではなくて、いったん冷静になって考えてみたいと思ったんですよね」
社会とも、人とも距離を置くことができると考えたのが、このPCTの地だった。
—— 根津:そういうタイミングでよく選ぶのは、転職とか、無職になるとか、海外放浪とかだけど、ニノはその手段がロングトレイルだったと。
二宮:「そのとき大事だったのは、いろいろなものから物理的に距離を置くことだったんですよね。だから転職は違うし、バックパッカーで世界を旅するっていうのも、国は違っても、お金や人との繋がりからは逃れられないじゃないですか。
変な言い方かもしれないですけど、人の薄い環境に身を置きたかったんです。それでいろいろ探していたら、たまたまPCTを見つけて、これはしっくりきそうだなと思ったんです」
人生初海外ということもあり、期待と不安でいっぱいのなかスタートを切った。
—— 根津:実際行ってみたら、どうだった?
二宮:「人は多いし、日本人も多いし、なんかイメージしてたのとぜんぜん違うわーってガッカリしましたよ (笑)」
日本人ハイカーもたくさんいたことに驚いた。中央がニノ、左が友人ハイカーのカンジ。
—— 根津:なるほど。マインド的には、『イントゥ・ザ・ワイルド』(※2) って感じだろうからね。
二宮:「でも、トレイル上で出会った仲間には、本当に助けてもらいました。特にしばらくトレイルで一緒に過ごしたカンジには。想像していた世界とは違っていたけど、初めての海外ってこともあって、わからないことだらけで毎日必死でしたしね。考える余裕はなかったですよ」
※2 イントゥ・ザ・ワイルド:ジョン・クラカワーのノンフィクションであり、映画化もされた作品 (邦題は「荒野へ」)。裕福な家庭に生まれ育った主人公の青年が、すべてを捨ててアラスカに旅に出かけ、さまざまな困難に立ち向かっていく実話。
さえぎる必要がないからタープを張らないし、寒いから焚火をする。ただそれだけ。
—— 根津:最初はみんなトラブルがあったり、苦労するのは、スルーハイキングあるあるだよね。でも、徐々にみんな自分のペースやスタイルを確立していく。ニノはどうだった?
二宮:「僕の場合、歩くことに関してはぜんぜん受け入れられなくて、わざわざ日本からこんなところまで来て、お金も時間もかけてオレ何やってんだろう? とずーっと思っていて。
受け入れることができたのは、スタートしてから3,000kmくらい歩いた、オレゴンの途中あたりですね。もう否定的になるのはいい加減やめよう! と思えるまでは、そのくらい時間も距離もかかりました。それから、ようやく歩くことが楽しめるようになったんです」
最高だったシエラでのカウボーイキャンプ。
—— 根津:ニノと言えば、カウボーイキャンプ (シェルターを用いずに宿泊するスタイル) と焚き火が印象に残っているんだよね。ニノはシェルターとしてタープを持って行っていたけど、たしかスルーハイクにかかった150日のなかで100日はカウボーイキャンプだった。
二宮:「だって、必要ないんですもん。シェルターを使うっていうのは、自然環境だったり、人目だったり、何かをさえぎる必要があるからじゃないですか。僕はPCTではそれを感じなかっただけなんです」
—— 根津:カウボーイキャンプフリークというか、それが好きだから意図的にやっているとばかり思ってたよ。
二宮:「スルーハイキングをしていて一番良かったのは、自分が生きる上で必要なもの、逆に自分にとってどうでもいいことを、ちゃんと理解できたことなんですよ」
—— 根津:それは、たとえばどういうこと?
二宮:たとえば、自分が臭くたっていいわけです。だってトレイル上であれば、誰の迷惑にもならないじゃないですか。お風呂に毎日入る必要だってない。
臭かろうが、汚かろうが、服がボロボロだろうが、べつに死にはしないし、気にする必要すらない。それをわかっていたように感じていただけで、本当の意味での理解はできていなかったんです。ここまで自覚することができたことって、これまでの人生ではありませんでした。社会生活では得られないことです」
スルーハイカーは、臭かろうが、汚かろうがお構いなし。人に迷惑をかけなければOKだ。
—— 根津:じゃあ、焚き火も必要だったからやっていたと。
二宮:「寒かったからです。あとは寂しいからかな。人から距離を置きたいって言ってますけど、実際にやってみると寂しさに気づくんです。
シエラを歩いていたとき、半径10kmくらいに誰もいない、と感じる場所があったんです。それはすごく幸せな気持ちになる反面、本当の孤独も感じました。でもそんなときに、焚火があると、暖かいし、心が落ち着くし、孤独感も薄れました。それが焚き火をやる本当の理由ですね」
焚き火のおかげで、心が安らいだ。
誰も不幸にしない “わがまま” がしたい。
—— 根津:必要だからやる、必要がないからやらない。すごくシンプルだし、本質的でもあるし、スルーハイキングをしているとそういう感覚ってのはみんな持つものだよね。でもニノは、たんにその結果としてカウボーイキャンプや焚き火をしただけじゃなく、その行為自体を人一倍楽しんでいた感じがするんだよね。嬉々としてやっていたというか。
二宮:「もともと僕は人の目の気にしちゃう人間なんですよ。揉めごとも嫌いだし、無駄だと感じるようなケンカをするくらいなら相手に譲るタイプだし。日本での生活はその繰り返しでした。
PCTで楽しんでいるように見えたのは、それは、人目を気にせず好き勝手やれていたからだと思います。
こうしなきゃいけないってこともないですし。お前がそうしたいならそうしなよ、みたいな、ハイカー同士、同じ価値観を共有している感じが、すごく心地よかったし、心の平穏にもつながっていましたね」
時には支え合い、時には距離を置く。それぞれの価値観をわかりあえるハイカーたち。
—— 根津:これまで周りのことをいろいろ考えて気をつかって生きてきたニノが、ロング・ディスタンス・ハイキングを通じて、ついに自分の素をさらけ出せたわけだ。
二宮:「ただ、僕がもっとも影響を受けたハイカーがひとりいるんです。彼のことは今でも鮮明に覚えていますし、衝撃を受けました。
ポートレイトっていうハイカーです。彼はULマニアで、自作のギアで身を固めたカリッカリのULハイカーで。でも、トレイルネームのとおり写真が好きなもんだから、カメラだけはごっつくてヘビーでした。まず、その道具のアンバランスな感じが面白くて興味を持ったんです。
ULハイカーのポートレイト。
見た目もユニークだったんですが、彼の何がすごいって、食料は『チートス』 (チーズ味のスナック菓子) だけだったんですよ! 火器も持っていなくて、本当にチートスオンリー。最初は、ULマニアゆえの軽量化なんだろうと思っていたんです。それが、町に降りたときに彼と会ったら、町でもチートス食べてニコニコしているんですよ」
—— 根津:チートスオンリーのハイカーから、自分の価値観をつらぬくスタンスを学んだ?(笑)
二宮:「そうなんです。僕も含めてほとんどのハイカーは、町に降りた途端、普段トレイル上では食べられない美味しいものを食べたいって思うはずなんです。それなのに君はなんでチートス食ってんの? って聞いたら、『僕はこれが好きなんだよ。これを食べていれば幸せなんだ!』って。
すごいなと。彼の価値観は揺るぎないし、誰の目も気にしていない。僕は、そんなポートレイトから、誰も不幸にしないわがままっていうのがあることを教えてもらった気がしたんです」
ポートレイトは自作の白いバックパックがトレードマーク。
—— 根津:その “わがまま” を実践しに、またどこかに歩きにいったりするの?
二宮:「僕がPCTに求めていたことは確認できたので、同じものを求めてどこかに歩きに行くことはないですね。
社会の中においては、わがままって悪いことのように捉えられているじゃないですか。協調性が是みたいな。でも本当は、わがままやったって幸せになれるやり方ってあると思うんです。
だから今の僕にとっては、それを今いる環境でどういう形で実現させていくのかが面白い時期なのかもしれませんね。いかにうまく “わがまま” ができるかを」
PCTのスタート地点から1500mile (2400km) 地点にあった印。
This is LONG DISTANCE HIKER.
『 自分にとって、必要なものと
必要ではないものを知る』
ニノは、PCTの5カ月間にわたるスルーハイキングを経て、自分にとって本当に必要なものと、必要でないものを知ったと言う。それはひと言でいえば『足るを知る』ことでもある。これはULにも通底するマインドでもあり、ニノがその後、Hiker’s Depotにジョインしたのは必然なのかもしれない。
いまロングトレイルを歩いている人だけが、ロング・ディスタンス・ハイカーというわけではない。彼は、PCTをとおしてロング・ディスタンス・ハイキングにおける大切な精神性やマインドを手に入れた。そしてそれを、今の社会生活で実践しようとしている。
それはすなわち、歩くという行為ではなく、自分の生き方を通じて、ロング・ディスタンス・ハイカーであることを体現していくことに他ならない。
根津貴央
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