HIKING FELLOW

私的ロング・ディスタンス・ハイキング考 | #04 はじめてのトレイルタウン

2025.08.20
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文・写真:根津貴央 構成:TRAILS

TRAILS – HIKING FELLOWの根津貴央による連載。根津がアメリカのPCT (※1) をきっかけに傾倒したロング・ディスタンス・ハイキング。その後、アメリカの他のロングトレイルも歩き、さらにGHT (グレート・ヒマラヤ・トレイル※2) をきっかけにライフワークとなるネパールのロング・ディスタンス・ハイキングを志向するようになる。

その根津の私的なロング・ディスタンス・ハイキングについての、考え方の遍歴と今を綴っていく連載。

今回の第4回目は、PCTで訪れたローカルのトレイルタウン「ジュリアン」での話。

アップルパイで有名な町だが、根津さんはそれが目的で訪れたわけではない。「そこに町があるから行ってみる」というのが根津さんのスタンス。

むしろ目的がなく訪れた町に、ロング・ディスタンス・ハイキングにしかないものがあるというエピソード。

そんなトレイルタウンに関連する話から、根津さんのロング・ディスタンス・ハイキングに対する私的な考えの一端を語る。

※1 PCT:Pacific Crest Trail (パシフィック・クレスト・トレイル)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。

※2 GHT (グレート・ヒマラヤ・トレイル):ヒマラヤ山脈を貫くロングトレイルで、アッパー・ルート(山岳ルート)とロワー・ルート(丘陵ルート)の2本で構成。全長は、前者が約1,700km(標高3,000〜6,000m超)、後者が約1,500km(標高1,000〜4,000m超)。


 

アップルパイで有名なジュリアン。



PCT沿いには、いくつもの町がある。それはただの「町」ではない。ハイカーにとっての特別な場所——通称トレイルタウンだ。
ヒッチハイクをして町に降り、モーテルに泊まり、シャワーを浴び、洗濯機を回し、食料やギアを整える。慌ただしくもありがたい、いわばオアシスのような場所。しかも多くの町は「ハイカーフレンドリー」で、毎年やってくるたくさんのハイカーに慣れている。ヒッチハイクの成功率も高い。モーテルには「ハイカーレート」なんていう割引があったりして、なかなか居心地がいい。ハイカーにやさしい町というのは、じつにありがたいものだ。

僕がPCTを歩いていて、最初に立ち寄った町は「ジュリアン」だった。ジュリアンは、ハイカー界隈ではまあまあ知られている。アップルパイの町としても有名である。でも2012年当時、立ち寄る人はそう多くはなかった。なぜかというと、立ち寄る理由がないのだ。南端からノースバウンド (北向き) で歩いてきた者からすれば、前の町から次の町まで一気に行けてしまう距離感。わざわざヒッチハイクして降りるまでもない。



実際、僕のまわりにいたハイカーは、ひとり残らずスルーしていた。じゃあ、なんで僕はそんなジュリアンに行ったのか? というと、それがよくわからない。ほんとうに、なんとなく、なのである。

正確には、歩きはじめる前に、ジュリアンの郵便局に局留めで食料を送ってしまっていた。ということは、しっかり行く気ではいたのだ。けれど、「ハイカーはアップルパイが無料でもらえる」という特典に心惹かれていたかというと、僕はべつにアップルパイが好物というわけでもない。むしろ、日本のしっとりした和菓子のほうが好みだったりする。そもそもそこまでして寄りたい町だったかといえば……そんなこともない。

はじめて訪れた町は、懐かしい町だった。



僕は、ジュリアンの最寄りのトレイルヘッドでヒッチハイクをはじめた。けっこうクルマは通るが、なかなか停まらない。たまたまほかのハイカーも居合わせたので、一緒になってトライ。10分経ち、15分経ち、そして20分くらいして、親切そうなおじさんがピックアップしてくれた。乾いた風のなかを揺られること20分。ジュリアンに着くと、そこは見事なまでの西部の田舎町だった。

もちろん、はじめて訪れる町だ。なのに、なぜか既視感があった。懐かしいような、夢のなかで見たような、あるいはずっと昔に置き忘れたような光景。それもそのはず、僕の頭のなかには、かつて見た広告の景色がこびりついていたのだ。



僕がコピーライターだった頃、何度も目にした「キユーピーマヨネーズ・アメリカン」の広告。
「10年後ここで会おう、と言った。」
「ジュークボックスにS&Gの曲が目につくと、北だ。」
「ハンバーガーを焼くのを卒業して、アメリカンジゴロになった。」

そんな秋山晶のキャッチコピーが、僕の脳みそに焼きついていた。ジュリアンの町は、その広告の世界観にとてもよく似ていたのだ。

たぶん、ジュリアンがその舞台になったことなど一度もないだろう。でも、似ていた。というか、僕のなかでは完全に一致していた。「あぁ、秋山晶の広告のなかに来ちゃったな」と思った。そんなわけで、心躍らせながらモーテルを見つけてチェックインし、郵便局に寄って荷物を受け取り、レストランでなんでもない夕飯を食べて一日が終わった。

ハイカーはアップルパイが無料!


翌朝、Mom’s Pieというアップルパイ屋に行ってみた。
見事なまでに甘い。でも、これがアメリカなんだな、と思うと不思議と嫌な感じはしない。甘さと一緒に押し寄せる体験している感が、それを上回るのだ。

そして、そのアップルパイと一緒に飲んだのが、うすいコーヒー。これが意外にも相性抜群だった。うすいのに、まずくない。むしろちょうどいい。

アメリカのダイナーでは、コーヒーはだいたいリフィル無料で、何杯注いでもらっても店員は文句を言わない。日本にいるときは、いくらコーヒー好きでもおかわりなんてしないのに、こっちでは、なぜだかついつい何杯も飲んでしまう。濃い味付けの料理と、やたら甘いスイーツ。そのどちらにも、このうっすいコーヒーが妙に合うのだ。よくできている。よくわからないけど、よくできている。


店内には、明らかにハイカー然とした2人組がいた。話しかけてみると、スルーハイカーのCuctus (カクタス) とWaren (ワレン) だった。3人でパイを頬ばりながら、「マムズパイ、最高だな!」なんて盛り上がって、どうでもいい話をたくさんした。


そこに町があるから行ってみる。



午後、名残惜しくも町を出ることにした。ヒッチハイクで再びトレイルヘッドまで戻り、また歩きはじめる。
だが僕の頭のなかは、まだジュリアンでいっぱいだった。ゴールドラッシュ時代はどんな町だったのだろう。どうしてアップルパイが名物になったのだろう。リンゴの食べ方ってパイ以外にどんなものがあるんだろう。歴史的建造物のつくり、そこに暮らす人たちの気持ち、空気感……。まだまだ知りたいことは、山ほどあった。もう1泊、いや、できればもう2泊したかった。

こうして、僕のはじめてのトレイルタウンは終わった。あとになって振り返ってみると、このジュリアンという町での体験が、僕にとっての「トレイルタウン」の原型をつくったように思う。

補給が必要だから訪れるんじゃない。便利だから泊まるんじゃない。名所があるから目指すんじゃない。ただ、行きたいから行く。そこに町があるから、行ってみる。それだけのことだ。でも、それだけのことが、とても大事な気がしている。


 


Editor’s Note
  
ハイカーでさえもわざわざ立ち寄る理由も特段見当たらないような町に、ロング・ディスタンス・ハイキングでは立ち寄ることがある。
 
なんとなくの偶然でしか出会うことはないであろう、シンプルで飾り映えしない素のままの姿にこそ、むしろその小さな町にしかない魅力が醸し出される。
 
ロング・ディスタンス・ハイキングの途上で、そのような町やそこに住まう人々の雰囲気に触れることで、旅をする前までは聞いたこともなければ関心もなかった町が、ハイカーそれぞれにとってのかけがえのない特別なものへと変わる。
 
ロング・ディスタンス・ハイカーは、誰もがトレイルタウンでのひと時を懐かしむが、根津さんはたまたま寄った土地への興味や、その暮らしの奥にあるものへの想像力がきっとより豊かなのだ。そして、その土地が好きになってしまう、のを楽しんでいる。
  

TRAILS編集長 佐井 聡

 

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根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年、TRAILSに正式加入。2024年よりTRAILSのHIKING FELLOWに就任。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS) がある。

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