TRAILS REPORT

北アルプスに残されたラストフロンティア #01 |伊藤新道という伝説の道 〜伊藤正一の衝動と情熱〜

2021.11.29
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文・構成:TRAILS 写真:三俣山荘事務所、雲ノ平山荘事務所、TRAILS

What’s “北アルプスに残されたラストフロンティア” | 僕たちTRAILSは、熱狂の対象と向き合っているのかもしれない。かの北アルプスで、理屈をよせつけない美しさと稀有な存在感を放つ憧憬 (しょうけい) の地。それは、最後の秘境「雲ノ平」と、そこに至る伝説の道「伊藤新道」。そして、それぞれに己の人生を賭す強烈な2つの個性「伊藤圭」と「伊藤二朗」。

ピークハントやアルピニズムと縁遠いTRAILSが、なぜ北アルプスの伊藤新道に惹きつけられたのか。同時代性を感じずにはいられない、2人の眼差しの先にあるものへの共感。それは、TRAILSが固執する “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードとのシンクロに他ならない。まずはエピソード1 (全5記事) を通して、僕たちが目にし一瞬で熱狂の世界へと誘われた、ラストフロンティアとしての伊藤新道に迫る。

* * *

第1回目は、伊藤新道の伝説たるゆえんを紐解いていく。

そもそも伊藤新道とはなんなのか? いつどこでどのようにして誕生したのか? いかにして伝説となったのか?

そこには、ひとりの男の美意識とクレイジーなまでの熱量、そして “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードが満ちあふれていた。

そしていま、この過去の伝説となっていた道が復活へと向け動きはじめている。


黒部源流域にある雲ノ平と雲ノ平山荘。この最後の秘境に、伊藤新道がつながっている。


戦後復興期、ひとりの男がつくった、北アルプス最奥の地に直結する伝説の道「伊藤新道」。



黒部源流域の三俣まで、従来のルート (烏帽子方面と上高地方面) だと2日かかるが、伊藤新道であれば1日で行くことができる。

伊藤新道は、いち民間人である伊藤正一氏 (1923-2016) がつくった道だ。伊藤正一氏は、黒部源流域の「ケモノ」との生活を描いた名著『黒部の山賊』の著者である。『黒部の山賊』といえば、畦地梅太郎のイラストが表紙になった本として、お馴染みのハイカーも多いだろう。

彼は、戦後に北アルプス最奥の地、黒部源流域を開拓した人物だ。三俣山荘、水晶小屋、雲ノ平山荘の経営も手がけた。

伊藤新道が開通したのは1956年 (昭和31年) だが、伊藤正一氏が着想を得たのは終戦翌年の1946年 (昭和21年) のこと。そこから10年という長い歳月をかけて道をつくりあげた。

「(山小屋の) 輸送事情を解決するためにも、また雲ノ平を世に紹介するためにも、町から一日で三俣まで到達できる道、伊藤新道の開拓は不可欠だった」

と後年、伊藤正一氏は伊藤新道が必要だった理由を述懐している。


雲ノ平で景色を眺める、伊藤正一氏。

課題であった輸送事情というのは、具体的にはこうだ。

北アルプス最奥の地に位置していた三俣山荘にアプローチするには、上高地もしくは烏帽子から2日かけていくルートしか存在しなかった。往復すれば4日もかかってしまう。歩荷にかかる賃金等、小屋の建築コストを現実的なものにするためには、町から1日でたどり着くルートが必要だったのだ。


北アルプス最後の秘境・雲ノ平への憧れが、正一氏に道をつくらせた。



1950年代後期、雲ノ平のアルプス庭園。

今回、関係者への取材などを通じてわかったのは、伊藤正一氏の初期衝動は雲ノ平への強烈な憧憬だったことだ。

現在では日本最後の秘境とも称される雲ノ平に、1940年代に初めて訪れた伊藤正一氏は、雲ノ平の桃源郷のような美しさに衝撃を受けた。

伊藤新道の誕生背景において、山小屋の物資輸送問題はひとつの重要なファクターであるのは事実である。しかし、それは一側面でしかなかった。


正面奥に見える雲ノ平山荘に向かう登山者たち。

アルピニズム全盛だった時代に、彼はその対極にある高原地帯に強く惹かれた。伊藤正一氏は、自分の個人的な価値観を強烈に信じた。雲ノ平に感じた、自分の感性をゆさぶる圧倒的な美しさが、彼を行動へとかりたてたのだ。

そして、最後の秘境・雲ノ平をより多くの人に見せたいと切望し、その実現のために、ここに直結する最短ルートを開拓しようと考えたのである。


湯俣から黒部源流域をつなぐ大渓谷に、莫大な私財を注ぎ込み道をつくる。



伊藤新道を通って、三俣へと建築資材を運ぶ歩荷たち。

伊藤正一氏が、ルート選定を開始したのは、戦後1年目の1946年 (昭和21年) のことだった。道をつけようとした湯俣川沿いは、岩壁が屹立した渓谷であり、岩盤も非常にもろかった。そのため、ルートを決める調査だけでも7年を要した。私財を注ぎ込み孤軍奮闘し、結果10年がかりで開通へとこぎつける。

実際の着工は1953年 (昭和28年) のこと。岩壁をダイナマイトで壊して道をつけ、3年後の1956年 (昭和31年) に完成した。工事のためにかかった費用は、すべて伊藤正一氏の私財から。その額は、当時で600~700万円。現在であれば2億円を超えるほどだ。


伊藤新道の赤沢付近にあるゴルジュ (岩壁に挟まれた峡谷)。赤褐色の岩肌が特徴的。

しかも、戦後の政治、経済、生活すべてが不安定だった混乱期において、道づくりにこれほどまでに注力することは並大抵ではない。自分の価値観を信じる情熱がなければ、成し遂げられないことだ。


終戦後の登山ブームの熱狂のなか、1日に1,000人以上の登山者が歩く道となる。



伊藤新道が開通した後の第2吊橋付近の景色。

伊藤新道は登山者の人気を集め、最盛期は1日に1,000人以上の登山者が利用し、道が渋滞することもあった。

伊藤新道ができる前は、北アルプス最奥の地、黒部源流域に行くために要する日数は、片道で2日、往復で4日間。これがたった1日で行けるようになったのは、大きなエポックだった。


登山者で賑わう信濃大町駅前 (1980年)。 写真提供:信濃大町山岳博物館

1956年 (昭和31年) といえば、日本登山隊が世界8位の高峰であるヒマラヤのマナスル (標高8,163m) に初登頂した年。多くの人々の心が、山に向かっていた時代。これが第一次登山ブームのうねりとなっていく。

最盛期には、麓にある信濃大町も登山客であふれ、宿に泊まれず通りで雑魚寝をしている人もたくさん見受けられたそうだ。


1983年以降は一般登山道の役目を終え、秘境の渓谷に潜む道として存在していた。



第1吊橋の補修風景 (1991年頃)。

しかし、あることをきっかけに、伊藤新道は通行困難な道になっていく。開通から14年目の1969年 (昭和44年)。湯俣への玄関口である高瀬で、ダム建設が始まった。それにより、信濃大町からの定期バスの運行が廃止され、結果、登山者は激減することになる。

1979年 (昭和54年) の高瀬ダム完成後は、付近の地下水面が下がったことで、周辺の地盤がゆるみ崩れやすくなった。それにより、伊藤新道の至るところが崩壊してしまう。

さらに湯俣川周辺で発生している亜硫酸ガスによって吊り橋のワイヤーが腐食し、架けられていた5つの吊り橋は全て崩落。

開通から27年後の1983年 (昭和58年)、伊藤新道は通行困難な状態になってしまった。ただし通行禁止になったわけではなく、現在も北アルプスの中でも特異で稀有な景観に惹かれ、渡渉を繰り返しながら歩く人がいる。

伊藤新道は、今もなお憧れの対象として存在感を放っている。実はこの伊藤新道がいま、復活に向け動き出しているのだ。


アメリカのトレイルに原風景を持つTRAILSが熱狂した、伊藤新道というラストフロンティア。



渡渉をする、山荘スタッフたち。

僕たちは、湯俣〜黒部源流域をつなぐ現在の伊藤新道を訪れた。切り立った崖からなる大渓谷、白く光る石灰岩、赤褐色の巨岩、硫黄の匂いを放つ火山ガス……その自然の驚異と奇怪な雰囲気、日本離れしたスケールの大きさ、日常から隔絶された世界観に、僕たちは圧倒された。

渓谷に、道らしきものは一切存在しなく、渡渉を繰り返しながら岩壁に囲まれた谷底を彷徨い歩く。

日本にこんなところがあったとは。まるで僕たちのロング・ディスタンス・ハイキングの原点でもある、アメリカのウィルダネス (大自然) を歩いているかのようだった。

そう、ここはまさしくラストフロンティアと呼べる場所だった。


伊藤新道の開通記念のひとコマ。

このラストフロンティアを、戦後復興期の狂騒の時代に切り拓いたのが、伊藤正一氏であった。時代の流れに汲みせずに、自分の個人的な価値観を強烈に信じて、自分が圧倒的に美しいと思う景色、そしてその情熱だけに突き動かされてつくられた伝説の道、それが伊藤新道である。

そこに存在しているのは、TRAILSが固執する “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードであり、僕たちは伊藤正一氏と伊藤新道に強烈なシンパシーを感じた。

しかし、一度は伊藤新道という形で開拓されたこのエリアも、たび重なる崖崩れにより、ふたたび原始の姿、ラストフロンティアに戻ってしまったのだった。

※ 伊藤新道:湯俣 (長野県大町市平湯俣) を起点に、湯俣川、鷲羽岳南斜面を貫く伝説の道で、北アルプス最後の秘境「雲ノ平」への最短ルートとして1956年に完成。切り立った崖と深い谷、赤褐色の岩場、原生林など、北アルプスのなかでも異彩を放つ特異な自然が広がり、登山者の憧れの場所でもある。しかし、渓谷の岩盤の相次ぐ崩落により1983年からは、通行困難になっている。

※ 伊藤正一:1923年 (大正12年)、長野県松本市生まれ。1946年に、三俣蓮華小屋 (現、三俣山荘)、水晶小屋の経営権を譲り受ける。その後、湯俣山荘、雲ノ平山荘を建設。1956年には、最後の秘境「雲ノ平」への最短ルートである伊藤新道を完成させる。1964年には、黒部源流域での自らの体験をつづった『黒部の山賊』を上梓。ベストセラーとなる。2016年6月、永眠。

※ 黒部の山賊:戦後の混乱期における未開の黒部源流域にて、伊藤正一氏と山賊と称される仲間たちによって紡がれる、驚天動地のエピソードをまとめた本。初版は、1964年に実業之日本社から刊行。その後、2014年に『定本 黒部の山賊』として山と溪谷社から刊行された。

※ 三俣山荘:北アルプス裏銀座、鷲羽岳と三俣蓮華岳の鞍部に位置する山小屋。現在は、伊藤正一氏の長男である圭氏がオーナー。

※ 雲ノ平山荘:北アルプス最奥部、最後の秘境と称される雲ノ平に位置する山小屋。現在は、伊藤正一氏の次男である二朗氏がオーナー。


雲ノ平山荘が建設される以前の、雲ノ平ギリシャ庭園 (1955年)。

今回の「北アルプスに残されたラストフロンティア #01 」では、伊藤新道の歴史をおさらいしながら、TRAILSが魅せられた背景を紹介した。この記事で、伊藤新道の概要を理解していただけたと思う。

次回は「伊藤新道の再興」がテーマである。伊藤新道の復活を牽引する、伊藤正一さんの長男である伊藤圭さんを中心に、関係者のインタビューを通じて、復活への軌跡と今後のみちすじを明らかにしていく。

<北アルプスに残されたラストフロンティア>

#01 伊藤新道という伝説の道 〜伊藤正一の衝動と情熱〜

#02 伊藤新道の再興前夜 〜伊藤圭と伊藤二朗〜

#03 伊藤新道、再興のはじまり 〜第1吊り橋の復活〜

#04 伊藤新道を旅する(前編) 湯俣〜三俣山荘

#05 伊藤新道を旅する(後編) 三俣山荘〜雲ノ平山荘〜裏銀座〜七倉山荘

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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