アパラチアン・トレイル (AT) | #11 トリップ編 その8 DAY115~DAY130 by Daylight(class of 2022)

文・写真:Daylight 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
2022年にアパラチアン・トレイル (AT) のスルーハイキングにトライした、トレイルネーム (※1) Daylightによるレポート。
全8回でレポートするトリップ編の最終回。今回は、ATのDAY115からDAY130までの旅の内容をレポートする。
※1 トレイルネーム:トレイル上のニックネーム。特にアメリカのトレイルでは、このトレイルネームで呼び合うことが多い。自分でつける場合と、周りの人につけられる場合の2通りある。
アパラチアン・トレイル (AT: Appalachian Trail)。アメリカ東部、ジョージア州のスプリンガー山からメイン州のカタディン山にかけての14州をまたぐ、2,180mile (3,500km) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。今回は、中間地点のハーパーズフェリーがスタート地点。北端まで歩いた後、公共交通機関等でスタート地点に戻り、南端を目指す。
マカフィーノブでの撮影。膝の痛みが始まる。 (DAY115〜DAY116)
この日も雨が降ってはいないものの霧が深く、遠景は見えなかった。
マカフィーノブは ATを代表する撮影ポイントである。是非とも写真に残したかったので、雨が上がるのを待つために直前のシェルターでゼロデイを取った。こんな天気の中、観光で来ている若者がいたので撮影をお願いした。
天気の回復を待つ。誰もいないシェルターでゼロデイ。
この日の予定は、テント泊だったが、シャワーが浴びたくなったので同じ距離にあるトレイル近くのホステルに変更した。
宿までのラスト1時間で両膝が痛くなった。特に今まで大丈夫だった左膝が強く痛んだのが気になった。ハイカーに膝痛の話をすると、ストレッチのやり方や歩き方を教えてくれた。ATでは皆膝痛に悩まされるのだろう。
ドネーションで泊まれるホステル。ピザの食べられる食料品店まで送迎してくれる。
あと700マイル (約1,100km)まできた。(DAY117〜DAY120)
700マイル地点表示の石文字。実は正確な位置ではない。
翌日朝、まだ痛みが残っているものの前日ゼロデイを取ったばかりなので、つい、先を急いでしまった。痛みがあることで急に余裕がなくなってしまった。歩きながらスタートしたことを後悔した。
左膝にサポーターを2枚巻いて、痛み止めを飲む時間を考えて、休みながら歩いた。休むとまた歩き出しが痛い。そのため、休むのは痛みに対しては逆効果だった。
ドラゴントゥース(龍の歯)という名の名所。
トレイルに戻って1時間ぐらいでトレイルからちょっと離れた場所にあるドラゴントゥースという名所に立ち寄った。このエリアではマカフィーノブと並ぶ名所だというので来てみた。
休憩した後、帰り始めてから、ひょっとして登れるかなと思い、ネットで調べると登頂している写真が上がっていた。ボルダリングを趣味としているので、登れるなら登りたいと思ったが、痛みのため戻って登る気にはならなかった。
カンボジアの僧侶のハイカー。facebookで僧侶姿も見せてもらった。
昼過ぎに700マイルの石文字の場所で、カンボジアの僧侶だというハイカーに出遭い、しばらくおしゃべりをした。
神戸の小学校で国際理解教育の教師をしていたことがあるそうだ。膝の痛みが和らいだので、仏様の功徳を頂いたと思った。
そこからしばらく歩くと本物の700マイル地点を通過した。午後6時まで歩いてもこの日は14マイル。予定のシェルターまでは2マイル手前のテント場で宿泊。
小ぶりのりんご。味は普通に美味しい。
この後の3日間は、膝痛をコントロールできている感じだった。痛くないわけではないが、鎮痛剤を飲みながら、15マイル前後歩くことができた。
途中にりんごが多く実っている木を見つけ、地面に落ちているリンゴをいくつか食べ、明日用にもいくつかポケットに入れた。
膝の痛みが強くなり、鍼治療をうける。(DAY121〜DAY122)
パールズバーグのホステル。この建物は受付。
10時頃、パールズバーグへのトレイルヘッドに着いた。1マイル程度の距離で歩いても行けるが、膝痛なので車で向かいたい。そのぐらい痛かったのだ。
車が通らないような道だったが、運良く駐車場から出て行く車があったので、お願いしたら快く引き受けてくれた。
この宿のオーナーはなんと鍼治療とカイロプラクティックの施術者だった。ハイカーに鍼治療のことを聞くと意外と知っている人が多かった。最低限1日は歩かないで休むように指示され、ゼロデイを取ることとした。
「チクッとする。」を “spicy(スパイシー)“と言っていた。
リサプライ、次の宿泊場所へのメールドロップ、航空会社への連絡 (コロナで便が飛ばなくなり変更の要請がメールであった)、携帯電話のクレジット支払いのためショップに行くなど、やることはいっぱいあった。食事はいつものように自炊中心である。
あっけない決断。ハイキングの中止。 (DAY123〜DAY125)
最終野営地。雑貨店の裏地だが、綺麗なシャワー、トイレもある。
翌日は10マイル先のシェルターまで歩いた。なんとか問題なく歩けたので、鍼治療は凄いと思った。
次の日は順調にスタートしたが、昼前に痛みが再発した。それでも17マイル歩けたので、自分でも感心した。記録には『ギリ』とだけ書かれていた。
これが最後に利用したシェルター (Dog‘s Knob Shelter) となった。
夜の12時頃にテントからトイレに向かう時、膝が痛くて大変だったので、ハイキング中止を決断した。
「これ以上無理しても楽しくないから」が最大の理由だ。迷うこともなく、悔しい気持ちも起きなかった。いつものように、次に何をするかを考えていた。
帰国までのたくさんのハードル。 (DAY126〜DAY130)
グレイハウンドバスは長距離移動の強い味方。
まず、パールズバーグのホステルに戻ることにした。このホステルはスラックパックの送迎をしていて、この場所の名前も受付に書いてあったのを思い出した。やることはたくさんあった。
まず、アトランタまでの移動手段を考えた。最寄りのグレイハウンドのバス停を探し、アトランタ行きの時刻を確認した。そこまで送ってもらうようにホステルに送迎の手配をした。
他にホテルの予約、PCT検査をしてもらうクリニックの予約、航空チケットの予約変更などだ。ある程度事前に準備していたものの結構時間がかかった。
空港近くのホテル。翌朝4時半に送ってもらった。
アトランタまでのバスは乗り換えがあり、乗り換えるバスが、大幅に遅れているとのこと。アナウンスが頼りなので乗り遅れるのではないかと不安な時間を過ごした。
夜9時過ぎに宿につき、翌日はクリニックに向かう。無事検査は終了したものの、バスの乗り換えに失敗して、丸1日費やした。ミスは続き、帰りの航空機のチェックインが間に合わず、翌日の便を手配した。
帰国後、膝痛は1ヶ月続き、元に戻るまでに4か月かかった。ハイキング中止は適切だった。その4か月は旅行記をnoteに書いていた。写真、FarOut、行動記録のメモを擦り合わせることで、不思議なほど細かいことまで思い出すことができた。ペンネームはハイキング中に考えた、美国(=米国)俳句(=ハイク)だ。
このようにして、私はアパラチアントレイル2,194マイル中1,584マイル (2,535km)、71.28%を歩き切った。楽しかった。
“Congrats, Daylight!(デイライトおめでとう)”

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