TRIP REPORT

北アルプスに残されたラストフロンティア #05 | 伊藤新道を旅する(後編) 三俣山荘〜雲ノ平山荘〜裏銀座〜七倉山荘)

2021.12.10
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文・構成・写真:TRAILS

What’s “北アルプスに残されたラストフロンティア” | 僕たちTRAILSは、熱狂の対象と向き合っているのかもしれない。かの北アルプスで、理屈をよせつけない美しさと稀有な存在感を放つ憧憬 (しょうけい) の地。それは、最後の秘境「雲ノ平」と、そこに至る伝説の道「伊藤新道」。そして、それぞれに己の人生を賭す強烈な2つの個性「伊藤圭」と「伊藤二朗」。

ピークハントやアルピニズムと縁遠いTRAILSが、なぜ北アルプスの伊藤新道に惹きつけられたのか。同時代性を感じずにはいられない、2人の眼差しの先にあるものへの共感。それは、TRAILSが固執する “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードとのシンクロに他ならない。まずはエピソード1 (全5記事) を通して、僕たちが目にし一瞬で熱狂の世界へと誘われた、ラストフロンティアとしての伊藤新道に迫る。

* * *

伊藤新道の特集記事、第5回目は、「伊藤新道の旅」の後編。

#01でも紹介したように、もともと伊藤新道は、創設者である伊藤正一氏が「最後の秘境・雲ノ平に直結する最短ルート」として作ったものである。アメリカの景色のような断崖絶壁からなる大渓谷を抜けて、三俣山荘までたどり着いた僕たちは、次なる目的地、雲ノ平を目指すことにした。


伊藤新道の大渓谷でのカウボーイキャンプ (シェルターを張らない野営)。

伊藤新道は、まさにラストフロンティアだった。これを越えた先にどんな世界が待っているのか、そしてどんな旅のストーリーが展開されていくのか。


歩いたルートとトレイルタウン大町 (信濃大町)。今回の記事は、三俣山荘を出発してからのトリップレポートだ。

雲ノ平を訪れるのは今回が初めてではない。でも、伊藤新道を経由することに意味があるし、そうしてたどり着く雲ノ平にロマンを感じた。さらに雲ノ平からは真砂岳、野口五郎岳、三ツ岳と連なる裏銀座 (※1) に入り、ブナ立尾根から下山し、また大町 (信濃大町) へと戻る。

伊藤新道と裏銀座をつなげて旅するこの周遊ルートは、これまでメディアで紹介されたことはほぼない。そんな、北アルプスにおける新たなルートの魅力を紹介したい。

※1 裏銀座:北アルプスを代表する縦走路「裏銀座縦走コース」のこと。北から烏帽子岳、三ツ岳、野口五郎岳、真砂岳、鷲羽岳、双六岳、西鎌尾根を経て槍ヶ岳へと至る。


伊藤新道の終盤。三俣山荘に向けて急登をのぼっていく。


伊藤新道の終着地、最後の秘境・雲ノ平へ。



ハイマツや池塘などが点在する、最後の秘境・雲ノ平。

先の見通せない荒々しい世界を抜けて、眼前に広がっていたのは、なだらかな高原地帯だった。

昨日まで、深くえぐられた谷底を彷徨い歩いていたのに、今は、標高2,600mの天空を悠々と闊歩している。地獄から急転して天国に来たというか、すべて自分たちがリアルに経験してきたにもかかわらず、にわかに信じられない感じがした。

たった2日のうちに、アメリカのトレイルから、急にニュージーランドのトレイルに来たような錯覚すらおぼえる。


遠くに見えるのは、桃源郷のような雲ノ平の自然と調和した雲ノ平山荘。

ここが、伊藤正一氏 (※2) が初めて見たときに衝撃を受け、憧れを抱き、多く人に見せたいと切望した場所なのだ。

僕たちも、過去に雲ノ平を訪れたことがあった。にもかかわらず、今回はこれまで感じたことのなかった真新しさを、雲ノ平に抱いた。それは、伊藤新道を通ってたどり着いた雲ノ平だからだ。

※2 伊藤正一:1923年 (大正12年)、長野県松本市生まれ。1946年に、三俣蓮華小屋 (現、三俣山荘)、水晶小屋の経営権を譲り受ける。その後、湯俣山荘、雲ノ平山荘を建設。1956年には、最後の秘境「雲ノ平」への最短ルートである伊藤新道を完成させる。1964年には、黒部源流域での自らの体験をつづった『黒部の山賊』を上梓。ベストセラーとなる。2016年6月、永眠。


雲ノ平山荘は、西洋風の外観でありながら、構造は日本の伝統構法。柱も梁 (はり) も太く、木の温かみが感じられる。


雲ノ平からは、祖父岳 (じいだけ)、真砂岳、野口五郎岳と、北アルプスに連なる峰々を越えていく。


北アルプスの最奥の地で、ここならではの自然に囲まれながら野営を楽しむ。



雲ノ平キャンプ場で張ったシェルターは『GoLite / Cave1』(ゴーライト / ケイブ1)。天候は安定していたが万が一を考え、できる限り低めに張り、いつも以上にしっかりペグダウンして耐候性を高めた。

正直なところ、雲ノ平山荘で宿泊したいと思った。名物の石狩鍋、オーナー伊藤二朗氏の自作スピーカーから流れる音楽、選りすぐりの木材による木造建築ならではの居心地の良さ……すべてが魅力的だった。100年以上持たせることを考えてつくられた山小屋は、見ているだけでも飽きることがない。

でも外を見やると、テント泊をするには十分おだやかな天候だった。そして、夕日を浴びて赤く染まっていく景色を見て、この雲ノ平の大地の上に寝そべり、自然のなかで眠りにつきたい! というハイカーとしての欲求が抑えられなくなってしまった。


夜が明けてしばらくはガスっていたが、徐々に晴れ間が見えてきた。僕たちもシェルターから外に出て、顔を出しはじめた北アルプスの山々を眺めた。

テント場に着くと、僕たち二人はいつになく饒舌だった。伊藤新道を歩いてきた興奮がさめやらぬといった感じだった。これまで歩いてきた道のりについて、それぞれの思いのたけを語り合った。

でも振り返ってみると、具体的になにを話したかは覚えていない。ただただ感情に任せて言葉を発していたのだろう。それだけ、感情を揺さぶる道だったということだ。


スイス庭園は、まるで天国かと思うくらい心地よい場所だった。

翌朝、僕たちはテント場から少し離れたところにある、スイス庭園に寄り道した。黒部源流域の厳しい自然環境であることを忘れてしまうほど、そこは優しさにあふれ、そして静寂につつまれていた。


天空の稜線を歩きつづける。



裏銀座縦走コースならではの稜線風景。

雲ノ平をあとにして、僕たちは北アルプスの裏銀座へと向かった。遠くまで果てしなく延びているかのような稜線を、気持ち良く歩いていく。


極上の休憩スポットで、ダラダラする二人。

途中の鞍部で、休憩をとることにした。南斜面の下のほうに目を向けると、僕たちが歩いてきた伊藤新道があるであろう大渓谷の上部が見えた。あの底からこの天空まで来たことを思うと、グッと込み上げてくるものがあった。

この旅が終わってしまうのがもったいない。終わってほしくない。そう思った。


花崗岩が広がり、点在するハイマツとのコントラストがとにかく美しい。


晴天からの強風、雨、そして雪。自然環境に翻弄されながらフィナーレへ向かう。



野口五郎小屋。強風に備えて、トタン屋根の上にたくさんの石が置かれている。

野口五郎岳 (標高2,924m) までは、順調そのものだった。風はそれなりに吹いてはいたが、この北アルプスの稜線では想定内だった。

しかし、野口五郎岳を過ぎると風がさらに強まった。ときおり強い風が吹き、立ち止まって両足で踏ん張ってやり過ごすこともあった。僕たちは、まあ無理せずゆっくり行こうと話した。

野口五郎小屋を越え、稜線をゆっくり歩いているときのことだった。ごうごうと音を立てて吹いてくる風を受け、これはやばいと二人してしゃがみ込み、両手を地面につけた。お互いを見あって話かけるも、風の音が大き過ぎて声が聞こえない。

しばらくすればおさまるだろうと、その場にとどまる。でも、なにひとつ変わらない。山肌にある石や岩が飛んでくるんじゃないかと思うほどの風は、じっとしているだけでも怖かった。


冬季登山者向けに、一部だけ開放している野口五郎小屋。

とりあえず、山小屋に入って策を考えようと、野口五郎小屋に戻ることにした。野口五郎小屋はすでに小屋締めをしていたが、冬季登山者のために小屋の一部を避難場所として開放してくれていた。ハイカーにとって山小屋は、宿泊や休憩の場所でもあるが、いざというときに避難できる場所でもある。あらためて山小屋の存在意義を実感した。

小屋に入り、中にあったイスに腰を下ろす。お互い安堵の表情を浮かべた。さて、どうしたものか。天気予報をチェックすると、明け方まで風はおさまりそうになかった。しかも夜は雨予報。

僕たちはここで一夜を明かすという決断をした。


風は弱まったものの、雪が降りはじめた。

翌朝、風はずいぶんとおさまっていた。小雨がぱらついてはいたものの、歩くには支障がないと判断し、急いでパッキングをして出発した。

ほどなくして雨はみぞれに変わった。僕たちは歩くスピードを上げた。出発から1時間たったあたりだろうか、気づけばみぞれは雪に変わっていた。積もる前にブナ立尾根から下山しはじめなければ。そう思い、さらにスピードを上げた。


烏帽子小屋について、ほっとした二人。雪景色を楽しむ余裕も出てきた。

ブナ立尾根の手前にある、烏帽子小屋についたとき、僕たちはようやく緊張感から開放された。あとは下山するだけということもあり、ここでしばらく休憩を取ることにした。


左が、根津が使用した『GoLite / Gust』(ゴーライト / ガスト)、右が、タクミが使用した『Zpacks / Blast』(ジーパックス / ブラスト)。

3泊4日の行程ではあったが、4日間とは思えないほどディープでバリエーションに富んだ旅だった。ここはまぎれもなく北アルプスではあるのだが、まるで北アルプスではないどこかを旅してきたような、そんな心地がした。


烏帽子小屋からブナ立尾根を経由して、高瀬ダム近くに無事下山。笑顔がこぼれる。


TRAILSが旅した、北アルプスに残されたラストフロンティア伊藤新道。



伊藤新道の大渓谷を流れる湯俣川の上流部。

今回僕たちは、伊藤新道から北アルプスに入るという、新しいアプローチで3泊4日の旅をしてきた。さいごに、今回の伊藤新道の旅の全容を、簡単に振り返ってみたい。

1日目は、伊藤新道の大渓谷のなかを、彷徨うようにして歩いていった。アメリカのウィルダネスをこんなに感じさせるような景色が北アルプスにあったのかと、心が震えた。


岩壁が屹立する大渓谷を歩いていく。

2日目は、最後の秘境・雲ノ平へと向かう。伊藤新道の深い大渓谷を遡った先に広がる、穏やかな山上の平原。この渓谷から平原への大きなコントラストに、今回のルートの核心を見たような気がした。


伊藤新道の荒々しさとは対照的な雲ノ平。

3日目〜4日目は、裏銀座縦走コースの北アルプスらしいセクション。僕たちは雲ノ平からつづく北アルプスの稜線上で、天上の散歩の余韻にひたりながら、トレイルタウンの信濃大町に向かって最後のチルタイムを楽しんだ。


稜線がつづく裏銀座縦走コース。

振り返ってみれば、伊藤新道のスタート地点である湯俣は、異世界へのゲートウェイであった。

歩きはじめた瞬間、その特異な自然環境を目の前にしたときから、自分のなかの北アルプスという既成概念が吹き飛んで消えた。

このゲートウェイをくぐると、雲ノ平もまた今までとは異なり、「天井の庭」という感覚が信じられないほどブーストされたことに驚いた。

「人生において、いまだ見ぬ景色」というラストフロンティアなフィーリングをこれほどに感じられるルートは、なかなかない。


下山直後に目にする、高瀬ダム。

『北アルプスに残されたラストフロンティア』と題して、伊藤新道を全5回の連載でお届けした。過去から現在、そして未来まで、さまざまな視点から徹底解剖することができたと思う。

#01では、伊藤正一氏を核に伊藤新道の伝説たるゆえんを紐解き、#02では、伊藤新道とその目的地である雲ノ平の当事者である伊藤圭氏と伊藤二郎氏のインタビューを通じて、伊藤新道の再興の歩みを紹介した。#03では、TRAILS編集部crewがハイカーとして吊り橋復活を手伝ってきた模様をレポートし、#04と#05では、伊藤新道を経由する北アルプスの新しい歩き方を、TRAILSらしい旅のスタイルでお届けした。

伊藤新道は、決して過去の道ではない。今もなお進化しつづけている。そして伊藤新道をきっかけに、湯俣や大町といった周辺エリアもこれからさらに盛り上がっていくことが期待されている。

TRAILSも、これからも長く関わりつづけ、“MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” のアティテュードで、この北アルプスに残されたラストフロンティアを楽しんでいきたい。

<北アルプスに残されたラストフロンティア>

#01 伊藤新道という伝説の道 〜伊藤正一の衝動と情熱〜

#02 伊藤新道の再興前夜 〜伊藤圭と伊藤二朗〜

#03 伊藤新道、再興のはじまり 〜第1吊り橋の復活〜

#04 伊藤新道を旅する(前編) 湯俣〜三俣山荘

#05 伊藤新道を旅する(後編) 三俣山荘〜雲ノ平山荘〜裏銀座〜七倉山荘

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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