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北アルプスに残されたラストフロンティア #02 |伊藤新道の再興前夜 〜伊藤圭と伊藤二朗〜

2021.12.01
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文・構成:TRAILS 写真:伊藤圭、伊藤二朗、TRAILS

What’s “北アルプスに残されたラストフロンティア” | 僕たちTRAILSは、熱狂の対象と向き合っているのかもしれない。かの北アルプスで、理屈をよせつけない美しさと稀有な存在感を放つ憧憬 (しょうけい) の地。それは、最後の秘境「雲ノ平」と、そこに至る伝説の道「伊藤新道」。そして、それぞれに己の人生を賭す強烈な2つの個性「伊藤圭」と「伊藤二朗」。

ピークハントやアルピニズムと縁遠いTRAILSが、なぜ北アルプスの伊藤新道に惹きつけられたのか。同時代性を感じずにはいられない、2人の眼差しの先にあるものへの共感。それは、TRAILSが固執する “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードとのシンクロに他ならない。まずはエピソード1 (全5記事) を通して、僕たちが目にし一瞬で熱狂の世界へと誘われた、ラストフロンティアとしての伊藤新道に迫る。

* * *

伊藤新道の特集記事、第2回目は「伊藤新道の再興」をテーマに、その歩みをたどっていく。

前回の記事で、1956年に開通した伊藤新道が、岩盤崩落などにより1983年に一般登山道としての役目を終えたことを伝えた。

厳密にいうと、廃道にはなっておらず、伊藤新道を熟知している人や、ガイド同伴であれば通行は可能である。ただ、ルートが不明瞭で危険箇所も多く、いわゆる一般登山道の感覚で歩くことはできない。

しかし、そんな状況ながら、伊藤新道には夢しかないと断言する伊藤圭氏 (三俣山荘・水晶小屋オーナー) は再興に情熱を注ぎ、伊藤新道の目的地である雲ノ平では自らの日常の景色を守るべく奔走する伊藤二朗氏 (雲ノ平山荘オーナー) がいる。この2人が存在したからこそ、このエリアは魅力ある場所として生きつづけているのである。

そこで今回、この2人にインタビューを行ない、それぞれの視点や思いを通じて、伊藤新道の再興の軌跡に迫った。


伊藤圭と伊藤新道



 
伊藤圭 (いとう けい)。三俣山荘・水晶小屋オーナー。1977年に伊藤正一氏の長男として、東京は新宿区四谷で生を受ける。中学時代はJ-POP少年、高校に入るとパンクに目覚め、サブカルチャーにどっぷり浸かる日々。そんな圭氏だが、唯一、伊藤新道に関しては、初めて歩いた高校時代から魅力を感じつづけていたと言う。伊藤新道再興を牽引する伊藤圭氏の思いとは。


幼少期の伊藤圭氏。三俣山荘周辺にて。

—— もともと、山や山小屋にはまったく興味がなかったそうですね。
夏場は三俣山荘で暮らしていましたが、祖父母の家に行くみたいなノリでした。行ったら行ったで、両親は山小屋の仕事で忙しいし、子どもはヒマなんですよ。チャンバラごっこしたり、プラモデルを作ったり、ヘリコプターの絵を描いたりしていましたね。

—— そうなんですね。山から降りてくると、なおさら山との接点はなくなりそうですね。
音楽ばかり聴いていましたね。高校に入ってから友だちきっかけでパンクにハマって、パンク少年でした。ニルヴァーナとかも聴きまくっていて、自分も27歳で死ぬもんだと本気で思っていましたから (笑)。でも、山に関して言うと、当時からひとつだけ面白いと思っていたものがあって、それが『黒部の山賊』(※1) でした。

—— パンク少年の圭さんが、『黒部の山賊』に興味を持っていたとは驚きです。
本なんてまったく読まない人間だったんですけど、不思議とこれだけは読んだんですよね。三俣山荘の売店で売っていて、中学の時に読んでハマったんです。それで、同級生に勧めまくっていました。山賊の話やエピソードも含めて、なんかパンクと同じ文脈で読めたっていうのはあるかもしれないですね。

※1 黒部の山賊:伊藤新道をつくった伊藤正一氏による山の本。戦後の混乱期における未開の黒部源流域にて、伊藤正一氏と山賊と称される仲間たちによって紡がれる、驚天動地のエピソードがまとめられている。初版は、1964年に実業之日本社から刊行。その後、2014年に『定本 黒部の山賊』として山と溪谷社から刊行された。


三俣山荘と鷲羽岳。

—— パンク少年が山小屋の主人に……。一見、大きな隔たりがあるように思えますが、考えてみれば、伊藤新道も北アルプスの登山道のなかではかなりパンキッシュですよね。ある意味、圭さんは変わっていない気もします。
伊藤新道なんて、夢しかないですからね。

—— 夢しかいない、ですか。そう言わしめる理由を教えてほしいのですが、そもそも初めて歩いたのはいつなんですか?
初めて歩いたのは高一のときかな。1992年です。

—— そのとき、どんな印象を抱きましたか?
とにかくワイルドでしたね。実は、人生で初のキャンプでもあったんです。

藪のなかを歩いて行って、たどり着いたテン場では、一緒に行った先輩2人が山荘から持ってきた肉を焼きまくっていて。それが当時の僕には本当に新鮮で、これは面白い! って思ったのが伊藤新道への初期衝動ですね。

ちなみに、一緒に行ったのは三俣山荘のスタッフで、2つ上のパンクスのお兄さんと、もうちょい上の季節労働者のお兄さんでした。


伊藤新道、第5吊り橋跡周辺。

—— その初期衝動がきっかけで、伊藤新道復活の歩みが始まっていると思いますが、いつまでに復活させるといった具体的なプランはあったのですか。
正直、もともとは復活できるだなんて思っていなかったんです。道のつけ方や架橋、多額の資金の調達、その後の回収問題など、課題が山積みすぎて、まわりの人も現実味はなかったと思います。ただ僕だけが、やらなきゃいけないんだと強迫観念みたいな感じで、やっていました。

そしたら2010年頃にアウトドアライターの高橋庄太郎さんが、伊藤新道の取材をしたいと言ってきて、雑誌で大きな特集を組んでくれたんです。それがひとつのきっかけではありました。伊藤新道が久しぶりにバーンと世に出たんです。

それで、ここまで出たらやるしかない! となって、意図的にメディアへの露出を増やしていきました。見る人が増えれば、興味を持ってくれる人も増えて、なにかしら復活への道筋が見えてくるだろうと思っていました。


鷲羽岳の南面をトラバースする伊藤新道。

—— 復活に関しては、伊藤正一さんの息子としての使命ですか? それとも、圭さん自身の興味からですか?
オヤジから言われたからとかじゃなくて、自分が伊藤新道を好きだからというのが、圧倒的に上回っていますね。山の仕事ってほんと大変だけど、伊藤新道だけは面白いってずっと思っていて。だから、自分がやれるのは伊藤新道の復活だろうというのは、高校卒業したあたりからぼんやり思っていたんです。

—— どこに一番惹かれているんですか。
やっぱり冒険ができるっていうところです。ただ歩くだけではなく、遊べるんです。高一のときの、先輩2人と行った1泊2日の体験が大きかったと思います。これはすげー!っていうのが忘れられないんです。今でも、いつ行っても伊藤新道だけは、楽しいですね。


毎年小屋締め後に、三俣山荘のスタッフと一緒に伊藤新道で下山する。

—— その気持ちは僕たちもすごくわかります。伊藤新道ならではの特別感というか異世界感というか。僕たちも歩いてみて、まさにラストフロンティアという感じがしました。ここ数年、そのラストフロンティアの復活への動きが加速しています。
きっかけはコロナですね。コロナによって、山小屋の存続をより真剣に考えないといけなくなったんです。どうやって続けていくかと考えた時に、町とつながることが重要だなと。その中心的な役割が、湯俣と伊藤新道です。

これまでの登山の楽しみ方、たとえば山に登ってピークに行くだけというのは、行き詰まりにきていて、新しい遊び方が必要だとずっと思ってきました。

いま必要なのは、環境問題も含めて自然を知ることだと思うんです。そういうことが体験できる場を作りたいんです。伊藤新道の成り立ちを知ることもそうですよね。スポーツとしての登山から、カルチャーとしての登山に転換していけたらいいですし、それが持続可能なことにつながっていくと思っています。


伊藤新道の起点、湯俣から湯俣川を少し遡上したところにある噴湯丘 (ふんとうきゅう) のエリア。噴湯丘は、噴出した温泉の成分が結晶して成長したものだ。

—— なるほど、今後の山小屋のあり方、登山のあり方を考えたときに、伊藤新道はあらたな価値を持ってくるはずだ、ということですね。圭さんは、山小屋についても、持続可能性などをテーマにアップデートしていますよね。
僕は、山小屋というのは必要最低限で、十分な機能を持ったものであるべきだと考えていて。ひと言でいえば、質実剛健。

たとえば水晶小屋であれば、基本的に水晶岳を目指す人が立ち寄るだけなのでミニマムでいいんです。すでにバイオトイレも設置しましたし、小屋の運営に必要な電源の90%を再生可能エネルギーでまかなえるところまできました。完全に実験施設という感じですね。

一方、三俣山荘は環境的にものんびりできるから、ハイカーがオフグリッドのライフスタイルなどを体験して学べるといいなと思っています。人が集う場所でもあるから、登山者やハイカーの交差点、という感じですね。


三俣山荘と三俣蓮華岳。

—— 伊藤新道は、お父様の頃と今とでは異なる価値を持ってくると思います。圭さんが今回復活にあたって実現したいことはなんですか?
行程を楽しめる道にしたいですね。だって歩くことって途中が楽しいじゃないですか。伊藤新道も、ビバークがオッケーな道にできたらいいなと思っているんです。泊まれたら絶対楽しいんですよ。いろんな体験をしながら道を楽しむという。

当時のオヤジは、資材を三俣山荘まで運ぶとか、雲ノ平まで行くとか、点と点だったと思うんです。でも自分の場合、大事にしてるのは点ではなく線なのかなと思っています。

ちなみに、1つのモデルプランがあって、それは伊藤新道から裏銀座を経由してブナ立尾根から下山する周遊コース。さらにそこから最寄りのトレイルタウンである大町で飲み歩いてもらうっていうプランです。

これは、要はひとつの経済圏をこのエリアに作るということでもあります。

—— かなり壮大なプランですよね。圭さんにとってのライフワークとも言えそうですね。
今は、登山や山小屋が次のステージ行くための過渡期だと思っています。できるかどうかはわからないですけど、やるしかないですし、僕はやりつづけますよ。


現在の三俣山荘。左上に位置しているのが展望食堂で、この食堂からは槍ヶ岳を望むことができる。


伊藤二朗と伊藤新道



 
伊藤二朗 (いとう じろう)。雲ノ平山荘オーナー。1981年に伊藤正一氏の次男として生まれる。10代後半から放浪の旅に出るようになり、長らくヨーロッパを彷徨う。芸術や表現のほうに魂の居場所を見出していた二朗氏だったが、帰国後は自分の慣れ親しんだ日常を守るべく雲ノ平山荘を引き継ぐ。そんな伊藤二朗氏が思う、伊藤新道と雲ノ平とは。

—— 伊藤新道を知ったのは、いくつくらいの頃ですか?
僕にとっては夏の生活圏が三俣山荘でした。鷲羽もお散歩コースでしたし。三俣山荘から鷲羽岳のほうに歩いていくと、途中に谷が開けている場所があるんです。そこから伊藤新道の道筋が見えるわけです。その景色が、僕にとっての伊藤新道というものでした。

なかなか踏み入ることはないけれど開拓時代に重要な役割を果たしたらしい、という話は、物心つく前から聞いていました。ちゃんと理解したのは、小学〜中学くらいですかね。『黒部の山賊』を読んだあたりで、主体的に理解しました。


幼少期の伊藤二朗氏。両親と鬼サ (右端) と一緒に。

—— やはり『黒部の山賊』は読んでいたのですね。初めて読んだときは、どんな印象を抱きましたか?
いつ読んだかは覚えていませんが、ワクワクハラハラしながら読んだことだけは覚えています。
ただ、読む前から黒部の山賊に描かれている話を、オヤジや鬼サ (※2) から直接聞いてはいました。当時の山小屋では、昔話とか遭難事件の話とか怪談とかを、オヤジと当時の支配人と鬼サたちで、おもしろおかしく話して聞かせるみたいなのがあったんです。

ですから、本を読む前から、そういう日常を通して黒部の山賊のストーリーは蓄積されていましたね。

※2 鬼サ:鬼窪善一郎 (おにくぼ ぜんいちろう)。『黒部の山賊』に登場する山賊のひとり。小柄だが足が速く、常人の3〜4倍の距離を平気で歩き、数km先にいる熊をよく発見した。

—— 伊藤新道は、登山者を雲ノ平へといざなう道でもありました。現在、二朗さんは雲ノ平山荘のオーナーですが、そこに関してどう捉えていますか。
やっぱりそれは歴史の必然性だし、父の先見の明だったと思います。

雲ノ平の魅力、山の深さ、穏やかな山岳景観、秘境としてのポテンシャルを評価する視点というもの自体が、当時は珍しいことでした。深山幽谷を冒険するアルピニズムの時代でしたから。

人里離れた、楽園みたいな雲ノ平が、父にとっては大きな発見だったでしょうし、ピンときたのでしょうね。エデンの園というか桃源郷として開拓したいと強く思ったのでしょう。

その開拓のために新しい道が必要だったというのは、とても必然的な結論です。


高山植物が咲き乱れる雲ノ平。

—— 二朗さんにとっては、伊藤新道はどんな存在ですか?
当時の伊藤新道は、歴史の1ページとしての合理的な判断だったし、不可欠な条件でした。僕にとって伊藤新道の道としての価値はそういうものです。

それとは切り離して、あそこの森や渓谷の魅力は素晴らしいです。その2つが合わさった魅力が伊藤新道ですね。

特に後者の魅力は、現在においても、当時からまったく揺るがないものとして存在しています。伊藤新道の歴史や経緯、物語を知らなくても、誰にとっても魅力的であり得る点としては、渓谷の特異な自然景観や、鷲羽の山麓から垣間見れる槍ヶ岳や硫黄岳の壮観な景色です。


虹がかかる雲ノ平。

—— その道の先に、正一さんが愛してやまなかった雲ノ平があります。幼い頃から二朗さんもその山域に興味を抱いていたのですか?
そういう客観性はなくて、あくまで暮らしている場所の一部で、生活圏でした。

そもそも僕は孤独者で、個人主義者だったんです。都会ではぐれ者になって居場所もないまま、路上にはみ出されて……。しかも、それがトレイルとかロマンチックなところじゃなくて、まさにオンザストリートですよ。居場所もないままヨーロッパを彷徨ったものの、なにも見つからない。

それこそパンクロックや暗黒文学の洗礼を受けながら、生きるってなんなのか? を考えていて。ただ、くだらない欺瞞に満ちた世界には関わりたくない、とは強く思っていて、芸術や表現のほうに魂の居場所を見出していました。

ですから、僕自身の中に自然というテーマはあまり存在していなかったんです。言ってみれば、山小屋を引き継ぐまではそんな視点すらなかったと思います。


父・正一氏とともに、黒部源流碑の前にて。

—— 二朗さんは2001年に雲ノ平山荘のオーナーを引き継ぐわけですが、オンザストリートだった二朗さんになにか大きな転機があったのですか?
強いて言えば、成り行きですね。そこにいることになった、としか言いようがない感じで。たとえば、恋愛のドサクサがあったり、人に出会ったり、自分の能力を試される機会が訪れて失敗してムキになったり、そういう出来事が自然と積み上がって、結果として居つづけることになる。そういうことってありますよね。要は、それほど日常だったということなんです。

幼少期、自宅は新宿にあって、夏の間だけ山小屋での生活。振り返ってみると、新宿通りと黒部源流のコントラストはすごいんです。そのなかで自分の価値観も醸成されていったのだと思います。

自然のなかで野生児として育っても、この日本社会において自然の価値がどうだっていう視点は生まれません。僕の場合、たまたま自然を外部化するというか、客観化することができたんです。

ですから当時、山小屋や周りの自然環境を仕事として見たことはまるでないです。仕事として見ていたらやらなかったでしょう。日常生活だったからこそ、日常の景色を守るみたいな意識が芽生えたのです。僕にとっては、すごい個人的なことから目の前にある景色と向き合いはじめるようになって、今に至っています。


東京農業大学と共同で実施した、雲ノ平の植生復元プロジェクト。

—— 自分の日常だからこそ、自分の個人的な思いが根っこあるからこそ、途中で手放すことなくやり続けられるというのはありますよね。
人間にとって一番捨てられないものはなにか? それは日常なんですよ。僕が山小屋の経営者になったのも、そこが居場所だったということだし、日常の延長線上のことです。

でも、結果的に選び取ったからには、自分の美意識や常識に照らし合わせて、最善の関わり方をするということを心がけています。

僕の一番の関心は、この雲ノ平をどれだけ面白くできるのか、ここのポテンシャルを今までなかった形でどう引き上げることができるのか、です。やるからには執念を持ってやろうと思っています。


最後の秘境「雲ノ平」のまるで一部のような佇まいの雲ノ平山荘。


自らが思い描く景色を信じ、ラストフロンティアの地を担う伊藤圭氏と伊藤二朗氏。



伊藤新道の途中から、南方の硫黄尾根を望む。

伊藤正一氏のご子息である伊藤圭氏と伊藤二朗氏。2人とも父親が残したものをリスペクトしつつ、自らのなかにある価値観を強烈に信じて、それぞれの持ち場である伊藤新道、雲ノ平の未来を見つめている。

その2人の眼差しに、僕たちTRAILSは、#01でも書いた “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードを感じ、強く共感した。

僕たちの目からは、伊藤圭氏には冒険心が、伊藤二朗氏には美意識が、とりわけ強く輝いて見える。それらは、父・伊藤正一氏のなかにも、あったものなのかもしれない。

伊藤圭氏は、少年時代に体験した冒険の場所としての伊藤新道、という初期衝動にいまも突き動かされつづけている。そして、伊藤新道を目的地へとつなぐ道としてではなく、「行程」自体を目的として楽しめる場所であると捉えたのは、伊藤圭氏ならではの着眼点だ。まさに自らの初期衝動の実現であり、またこれからの山の体験のあり方も見据えた道の再興である。

一方、伊藤二朗氏は、自分の日常である雲ノ平の美しい景色を、自らの美意識をもとに守りつづけている。今までの山小屋や自然保護における「あたりまえ」に頼らず、自分がいなくなっても残る、持続可能で普遍的な仕組みを、自らの考えと価値観でつくりかえていこうとする試みを行なっている。

アメリカのハイキングに原風景をもつTRAILSは、雲ノ平へとつづく伊藤新道が有する自然の驚異と奇怪な雰囲気、日本離れしたスケールの大きさ、日常から隔絶された世界観に、ラストフロンティアとしての憧れを抱いた。そしてこのラストフロンティアを、今もラストフロンティアたらしめているのは、この2人、伊藤圭氏と伊藤二朗氏の存在あってこそであると確信した。


伊藤新道は、この大渓谷のなかを通り、雲ノ平までつづいている。

今回の「伊藤新道 #02」では、伊藤新道とその目的地である雲ノ平の当事者である2人のインタビューを通じて、伊藤新道の再興の歩みを紹介した。伊藤新道という道だけではなく、それを取り巻く周辺環境も含めて、このエリアの可能性や将来性を見て取れたと思う。

次回は「伊藤新道の吊り橋の復活」がテーマである。すべての吊り橋が崩落して久しい伊藤新道に、あらためて吊り橋がかかることになった。再興への第一歩となる、歴史的瞬間に密着取材してきた。

<北アルプスに残されたラストフロンティア>

#01 伊藤新道という伝説の道 〜伊藤正一の衝動と情熱〜

#02 伊藤新道の再興前夜 〜伊藤圭と伊藤二朗〜

#03 伊藤新道、再興のはじまり 〜第1吊り橋の復活〜

#04 伊藤新道を旅する(前編) 湯俣〜三俣山荘

#05 伊藤新道を旅する(後編) 三俣山荘〜雲ノ平山荘〜裏銀座〜七倉山荘

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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