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北アルプスに残されたラストフロンティア #03 | 伊藤新道、再興のはじまり 〜第1吊り橋の復活〜

2021.12.03
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文・構成:TRAILS 写真:高橋庄太郎、TRAILS

What’s “北アルプスに残されたラストフロンティア” | 僕たちTRAILSは、熱狂の対象と向き合っているのかもしれない。かの北アルプスで、理屈をよせつけない美しさと稀有な存在感を放つ憧憬 (しょうけい) の地。それは、最後の秘境「雲ノ平」と、そこに至る伝説の道「伊藤新道」。そして、それぞれに己の人生を賭す強烈な2つの個性「伊藤圭」と「伊藤二朗」。

ピークハントやアルピニズムと縁遠いTRAILSが、なぜ北アルプスの伊藤新道に惹きつけられたのか。同時代性を感じずにはいられない、2人の眼差しの先にあるものへの共感。それは、TRAILSが固執する “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードとのシンクロに他ならない。まずはエピソード1 (全5記事) を通して、僕たちが目にし一瞬で熱狂の世界へと誘われた、ラストフロンティアとしての伊藤新道に迫る。

* * *

伊藤新道の特集記事、第3回目は、「吊り橋の復活」がテーマである。

伊藤新道は、1983年に通行困難になってしまったが、その大きな理由のひとつは、5つあった吊り橋がすべて崩壊してしまったことである。橋がないということは、その架かっていた場所を渡渉しなければならず、一般登山者やハイカーが歩ける道ではなくなってしまった。

しかし2021年の今年、少なくとも38年ぶり (※1) に第1吊り橋が復活することが決定した。10月に架設作業が実施されると聞き、TRAILS編集部crewも、ハイカーとして参加することにしたのだ。

「自分たちの遊び場を自分たちで作り、守っていく」。

このスタンスを、僕たちはロング・ディスタンス・ハイキングを通じて学び、信越トレイルのトレイル整備などで実践しつづけてきた。また “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” というアティテュードにおいても、トレイルづくりから関与することを大事にしてきた。

それは、伊藤新道においても変わることはない。そこで今回、僕たちが手伝ってきた吊り橋復活の模様をレポートする。ただその前に、前回インタビューをした伊藤圭氏、伊藤二朗氏にくわえて、この伊藤新道の再興を大きく加速させた人物を紹介したい。

※1 第1吊り橋の崩壊時期は定かではないため、伊藤新道が通行困難になった1983年を基準に算出。


もともと伊藤新道には5つの吊り橋があった。今回、そのなかのひとつ、第1吊り橋が復活を遂げる。


北アルプスを知り尽くす高橋庄太郎氏が抱く、伊藤新道のポテンシャル。



北アルプス全域を歩き、そのなかでも伊藤新道に強い関心を寄せているアウトドアライターの高橋庄太郎氏。

前回の#02の記事 (詳しくはコチラ) で触れたが、実は伊藤圭氏が、伊藤新道の再興に向けて一気にドライブがかかったきっかけは、高橋庄太郎氏とのやりとりだった。

高橋庄太郎氏は、北アルプス全域を歩いており、一般の登山者はもちろんアウトドア業界内でも、北アルプスを知り尽くしているアウトドアライターとして有名だ。そんな彼は2010年、いち早く伊藤新道に注目し、雑誌で特集を組んだ際に取材とライティングを担当した。以来、伊藤新道を追いつづけている。

もともと伊藤新道に興味を持ったきかっけのひとつは『黒部の山賊』(※2) だったそうだ。山の本を何百冊と読んできたなかで、ナンバーワンで面白かった本が『黒部の山賊』なのだという。

※2 黒部の山賊:伊藤新道をつくった伊藤正一氏による山の本。戦後の混乱期における未開の黒部源流域にて、伊藤正一氏と山賊と称される仲間たちによって紡がれる、驚天動地のエピソードがまとめられている。初版は、1964年に実業之日本社から刊行。その後、2014年に『定本 黒部の山賊』として山と溪谷社から刊行された。


愛読する『黒部の山賊』。左が1964年刊行 (実業之日本社) で、右が2014年刊行 (山と溪谷社)。この2014年の復刊に尽力したのが高橋庄太郎氏であり、巻末の解説も手がけている。

当時、1964年に実業之日本社から刊行されたものは、入手困難でネットでも高値が付く状態。しかし、三俣山荘では定価で販売しているのを見つけた彼は、「まわりの友だちに三俣山荘を通るなら絶対買っていったほうがいいよ! とオススメしまくっていました」という。

また、探検や縦走など旅としての山歩きを好む高橋庄太郎氏は、大の廃村・廃道好きでもある。その観点から、廃道 (休道) としての伊藤新道にも関心を持ちつづけてきた。ちなみに彼は、伊藤新道という名の「古道」と捉えているそうだ。


高橋庄太郎氏いわく「切断された橋のケーブルをはじめ、当時の痕跡を探しながら歩くのが、伊藤新道でのおすすめの歩き方」とのこと。

念願叶って伊藤新道を歩いたとき、彼は、ここには北アルプスの中でも他にはない特別な景色があると、興味のボルテージが上がったようだ。

「初めて歩いた時は感動しましたね。僕は北アルプス全域をほとんど歩いているんだけど、こんな珍しい自然環境は見たことがありません。あの赤茶けた岩や土に囲まれた渓谷の景色はここだけ。北アルプスの中でも特別な場所です。硫黄尾根のあたりは火山活動が活発なので、キノコ雲がバーンと出ることがあるらしいのも面白いですしね」


高橋庄太郎氏一番のおすすめポイントが、この温泉成分が混ざった水が流れる滝だ。伊藤新道から少し外れた、湯俣川の上流部にある。

そして実際に歩いてみて、伊藤新道は「アドベンチャー要素を残した道として復活させるのがいいと思った」という。沢登りや渡渉の要素があり、過去に滑落や川に流されて亡くなった人もいるため、安全対策は欠かせない。しかし、難易度が極端に高いわけではないことに、復活の可能性を感じたのだという。

高橋庄太郎氏は、歩きながら気づいたルートのつくり方や目印となるポイントなどを、この時に同行した伊藤圭氏に訥々 (とつとつ) と語ったのだそうだ。そして伊藤圭氏は、彼との交流や伊藤新道のメディアでの紹介が契機となり、道の復活への動きを大きく加速した。


伊藤圭氏 (右) とは、何度も一緒に伊藤新道を歩いている。

また高橋庄太郎氏は、伊藤新道の起点である湯俣 (ゆまた) が、今までとは異なる北アルプスの歩き方、楽しみ方をもたらす、広大なポテンシャルを秘めている場所であることを語ってくれた。

「昔は、湯俣から槍ヶ岳につづく天上沢と千丈沢にも道があったんです。さらに反対側の燕岳 (つばくろだけ) にもつづく道が存在していた。昔の地図にはそれらがちゃんと描かれているんです。

そういうことを踏まえると、伊藤新道はもちろん、万が一他の道も全部復活するなんてことになれば、湯俣は槍ヶ岳や燕岳にもアプローチできる山中の一大拠点になるんです。

もしそうなったとすれば、今とはまったく異なる北アルプスの歩き方、楽しみ方ができるようになる。個人的には、そうなることを期待しています」

TRAILS編集部crewが伊藤新道を訪れ、目の当たりにしたアメリカのような赤茶けた大渓谷の景色。これは、北アルプスを知り尽くす高橋庄太郎氏をもってしても、他にはない景色だという。僕たちは、ラストフロンティアとしての伊藤新道のポテンシャルをより強く感じずにはいられなかった。

この後につづくレポートは、TRAILSがその現場に立ち会った、伊藤新道の再興に向けた第一歩、第1吊り橋の復活の一部始終である。


すべての橋が崩壊したままだった伊藤新道に、あらたに橋が架けられる。



橋がひとつもない伊藤新道は、渡渉をしながら歩かざるを得ない。

伊藤新道の再興は、伊藤新道の生みの親である伊藤正一氏の長男・伊藤圭氏が、先頭に立って進めている。伊藤圭氏は、自身が少年時代に体験した「冒険の場所としての伊藤新道」という初期衝動に、いまも突き動かされつづけている (詳しくは#02の記事を参照)。

今回の伊藤新道の再興においても、目的地へとつなぐ道というだけでなく、「行程」自体を目的として楽しめる場所となることを目指している。これは、伊藤圭氏ならではの着眼点だ。

他にはない赤茶けた巨岩の渓谷景色を楽しんだり、温泉が湧き出るここならではの自然環境を深く知ったり。さらには、渡渉やビバークなど冒険的な要素を残した道にできないかなど、アイディアを出しながらプランを練り上げている最中だ。

この伊藤新道の新たな幕開けとして、第1吊り橋が復活した。この、あらたに橋を架けるというメモリアルな場に、TRAILS編集部crewもハイカーとして参加して、橋づくりを手伝ってきた。ちなみに、第1吊り橋の場所は下図のとおり、湯俣にもっとも近い場所である。


湯俣〜三俣山荘までの伊藤新道のルート、および5つの吊り橋跡。今回、湯俣にもっとも近い第1吊り橋を復活させることになった。


ハイカーとして、吊り橋の復活プロジェクトにジョイン。



吊り橋の足場となるアルミの板を運ぶ。

TRAILSが固執する “MAKE YOUR OWN TRIP = 自分の旅をハンドメイドする” では、自分のスタイルで旅をすること、自分で旅のテーマを深堀りすること、自分ならではのルートを描くことなど、自分らしさの純度が高い旅を自らつくりあげていくことを目指している。

“MAKE YOUR OWN TRIP” においては、これらの要素に加え、「自分たちの遊び場を自分たちで作り、守っていく」ことも非常に重要な要素として捉えている。


吊り橋復活を担う、山小屋関係者、職人、山岳ガイド、ハイカー。

今回の伊藤新道の再興は、山小屋関係者、職人、山岳ガイドだけではなく、道を歩く当事者であるハイカーも含めて、トレイルに関与するさまざまな人のチカラを結集して進めている。この、分け隔てなくトレイルに関わる人みんなでやるというアティテュードに、TRAILS編集部crewも、自分たちのスタンスとのシンクロを感じずにはいられなかったのだ。

1日目のミッションは、資材運搬とアンカーの施工、ワイヤーの設置である。まずは、現場までみんなで資材を運ぶ。ハイカーである僕たちは、比較的軽量なアルミの板の運搬を任された。

今回参加したハイカーは、TRAILS編集部crewの根津とタクミ。タクミは、11月にTRAILSにジョインしたロング・ディスタンス・ハイカーで、アメリカのJMT (ジョン・ミューア・トレイル)、PCT (パシフィック・クレスト・トレイル)、CDT (コンチネンタル・ディバイド・トレイル) をスルーハイクしている。


「自分たちの遊び場を自分たちで作り、守っていく」ために、今回参加したTRAILS編集部crewの根津 (右) とタクミ。

今回の宿泊地は、湯俣川と水俣川の合流地点に位置している「湯俣温泉 晴嵐荘 (せいらんそう)」(※3) だ。ここは、創業者の竹村多門治 (たけむら たもんじ) が 1927年 (昭和2年) に開業 (当時は仙人閣) し、現在は歩いてしかいけない温泉小屋としても有名だ。

ただ僕たちは、小屋泊ではなく目の前のテントサイトをベースキャンプ地にして野営することにした。というのも、晴嵐荘は野営地としても素晴らしく、しかも天気も良かったので星空を眺めながら眠りたかったのだ。

※3 湯俣温泉 晴嵐荘:高瀬川の上流、湯俣川と水俣川の合流地点にある山小屋で、標高は1,534m。竹村多門治 (たけむら たもんじ) が1927年 (昭和2年) に開業 (当時は仙人閣) した。源泉かけ流しの温泉が特徴のひとつ。


今回のベースキャンプ地。根津が使用したシェルター (右) は『GoLite / Cave1』(ゴーライト / ケイブ1)、タクミが使用したシェルターは『Zpacks / Hexamid Solo』(ジーパックス / ヘキサミッドソロ)。


持続可能な道にするため、職人さんがいなくとも自分たちでメンテナンスできる工法を選択。



アンカーを打つために、ドリルで巨岩に穴を開ける職人さん。

実際の架設においては、職人さんたちが、アンカーの場所を慎重に見定めながら打ち込み、さらにワイヤーを張って、テンションを調整。このワイヤーの張り具合で、歩きやすさが大きく左右されるそうだ。


自重を利用して、ワイヤーの張り具合を入念にチェック。

1日目に基礎となる部分はほとんど完成したこともあり、2日目は足場となるアルミ板を敷き詰め、仕上げをするという工程のみ。これはその道のプロである職人さんしかできないため、僕たちも見守るだけとなった。


吊り橋にアルミの板を固定すれば、吊り橋が完成する。

でも、この見るというプロセスが重要であることが、その後の職人さんの話でわかった。職人さんはこう話してくれた。

「補助金や助成金みたいなお金がないと修理や整備ができないのなら、続かないんだよね。いかに自分たちがつくったものを自分たちでやれるかが大事なわけで。ボランティアを募って、整備できるようにならないとね。大丈夫、僕たちがそのやり方を伝授するから」


今回の伊藤新道の吊り橋の復活において、設計、施工を担い、現場で指揮をとっていたのが、若林武雄氏。長野県須坂市にある河東工業の代表だ。

この職人さんの言葉には、心底グッときた。商売を考えれば、メンテナンスのやり方など教えずに、橋が壊れたらその都度オーダーしてもらったほうがいいに決まっている。でも、自分たちの利益ではなく、この伊藤新道がつづくことを最優先に考えてくれていた。トレイルをはじめとした僕たちの遊び場は、こういう人たちによって支えられているのだ。

そしてついに、第1吊り橋が完成! 伊藤新道の再興における、歴史的瞬間が訪れた。

こうして、少なくとも38年ぶりに橋が架けられ、伊藤新道の再興へ向けた一歩が刻まれた。これを足がかりに、今後、伊藤新道の理屈をよせつけない美しさと稀有な存在感は、より多くの人に開かれていくはずだ。


ついに、第1吊り橋が復活。感慨深そうな表情でこの橋を歩く伊藤圭氏。

戦後、雲ノ平および三俣山荘へと最短でつなぐ道としてつくられた伊藤新道。その後、ダム開発などの影響もあり、道は崩れ、橋も落ちてしまった。それから38年、現在、また当時とは異なる価値をもったラストフロンティアとして、再興の機運が高まっている。

次回の記事では、いま現在の伊藤新道を、TRAILS編集部crewが歩いたトリップレポートをお届けしたい。湯俣から伊藤新道をとおって、三俣、雲ノ平へ。さらに裏銀座を経由して、七倉へと戻るTRAILS編集部が描いた理想のルートだ。また次回をお楽しみに。

<北アルプスに残されたラストフロンティア>

#01 伊藤新道という伝説の道 〜伊藤正一の衝動と情熱〜

#02 伊藤新道の再興前夜 〜伊藤圭と伊藤二朗〜

#03 伊藤新道、再興のはじまり 〜第1吊り橋の復活〜

#04 伊藤新道を旅する(前編) 湯俣〜三俣山荘

#05 伊藤新道を旅する(後編) 三俣山荘〜雲ノ平山荘〜裏銀座〜七倉山荘

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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