パシフィック・クレスト・トレイル (PCT) | #11 トリップ編 その8 DAY141~DAY168 by Teenage Dream(class of 2022)

文・写真:Teenage Dream 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
2022年にパシフィック・クレスト・トレイル (PCT) をスルーハイキングした、トレイルネーム (※1) Teenage Dreamによるレポート。
全8回でレポートするトリップ編の最終回。今回は、PCTスルーハイキングのDAY141からDAY168までの旅の内容をレポートする。
※1 トレイルネーム:トレイル上のニックネーム。特にアメリカのトレイルでは、このトレイルネームで呼び合うことが多い。自分でつける場合と、周りの人につけられる場合の2通りある。
パシフィック・クレスト・トレイル (PCT:Pacific Crest Trail)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
タニーくんが追いついてきた。 (DAY141〜DAY144)
PCTの旅もいよいよ後半。脚の痛みのなか歩き続ける。
ヨセミテから一緒に歩いてきたラッキーは帰国してしまった。先へ向けて、板谷さんと一緒に歩き出した。板谷さんにとっては、ラッキーはスタートからずっと一緒だった分、喪失感は大きいはずだ。
でもPCTは自分の旅だし、自分がはじめた旅だ。自分は自分だ。
次のセクションは道路が封鎖されているらしく、どうなるかわからないが行ってみようと板谷さんと話した。
ラッキーと別れて、その先を歩き続ける。
道は霧雨で数メートル先も見えない。でも歩き続ける。火事で国境も封鎖されてしまったが、行くしかないし、他に道はない。
トレイルにはナキウサギの鳴き声がそこら中から聞こえる。英名はPikaといい、ピカチュウの原案でもある。
ここでタニーくんという九州からきたハイカーに追いつかれた。この後、彼はアメリカの3大トレイルを歩いて、トリプルクラウナーとなってしまったが、この時のPCTは一本目。
タニーはスタスタと歩いて行ってしまうほど健脚だった。僕は一歩一歩に激痛が走り、とてもじゃないが1日15マイルが限界だった。
トレイルで出会ったタニー君。
3人のなかで、朝一番に僕が出発して、夜は一番最後にヘッドランプを照らしながらみんなに追いつく、という日々が続いた。
道路が封鎖された峠は、トレイルエンジェルがピックアップトラックで、毎日ハイカーを輸送してくれていた。片道1時間以上もかかるルートを走ってくれるんだからありがたい。もちろんドネーションを払って、他のハイカーの輸送も継続してくれるようにお礼を伝えた。
ゴールの国境付近が火事で封鎖。唐突にPCTが終わり放心状態に。 (DAY145〜DAY153)
この先で、火事によりトレイルは封鎖。
いつものように歩いていたら、最後の峠にたどり着いた。
最後というのは、この先は山火事で封鎖されていて、これ以上は歩くことができなかったから (厳密に言えば数十kmだけ歩ける)。突然、この道路でPCTは終わってしまった。
山のブルーベリーが紅葉し、本当に美しいトレイルが続いていた。
山火事は山火事だし、どうしようもない。この先を歩いて、もし誰かに見つかるとアメリカ全土から永久追放をされて2度と入国ができなくなる恐れがある。
この先へ行きたいが行くことはできない。ヒッチハイクをして降りるしかない。板谷さんと無言で山を降りて、トレイルエンジェルが用意してくれた小屋で、他のハイカーとこれからどうしたらいいのかを話し合いながらも、とりあえずみんなでPCTの最後を祝福した。
トレイルエンジェルが用意してくれた場所で、この先について話す。
この先は、とあるハイカーは法律を無視して歩き続け、とあるハイカーはハンター用のトレイルを進み、とあるハイカーはここで母国へ帰って行った。
半年間も歩き続けて目指してきたPCTのゴール地点を見失った僕たちは、放心状態でどうしたらいいのかが全くわからなかった。
強行突破してきたハイカーの話では、すぐそこまで火事が迫ってきていたそうだ。レンジャーも見周りをしているようだった。
僕と板谷さんとタニーくんは、勝手に道路をつないでロードでもいいからカナダ国境までを歩くことにした。
勝手に作ったトレイルでカナダ国境へ行くことに。 (DAY154〜DAY161)
ロードを歩きながら国境を目指す。
ガイアGPSというマップアプリをインストールして、自分たちで勝手にルートをつないで、ゴールをカナダ国境の検問所へ設定をして歩き続けた。
道路を歩き、ダートロードを歩き、ハイカーとは誰ともすれ違うことはなかった。
山脈を降りて歩いているからか、砂漠のような景色が続く。田舎道をつないで歩くトレイルで、ゴルフ場を横切ったり、街のパブで食事をしたり、道路に転がっているリンゴを食べながら歩いた。
ゴルフ場などを横切りながらカナダ国境を目指す。
僕の足はロード歩きでついに限界を迎えた。一歩ずつが激痛で誰よりも歩くのが遅く、夜中にテント場に到着するように歩く日が続いた。道路が近いのでどうしてもキャンプ場まで歩かないと、野宿ができないのが少し辛かった。
なんとかして辿り着いたカナダ国境では、警察に止められてパスポートの写真を撮られて「絶対にワイヤーの外へ行くなよ」と念を押されながら、お菓子などをいただいた。
写真も撮ったが、PCTが終わったような気もしない。
ヒッチハイクをして、街まで降りて、小さなレストランで飲んだビールは、今までのビールで一番美味しかった。達成感とかではなく、グラスに塩がついてキンキンに冷えたメキシカンビールはうまい。
カスケード山脈の終わりまで。 (DAY161〜DAY168)
カヤックでカナダ国境を目指すことに。
ヒッチハイクとバスで1日かけてトレイルエンジェルの家へ戻った。
板谷さんは完全に通行止めになるまで歩いてみるらしい。タニーくんはこれで帰国するとのこと。
僕はカスケード山脈をどうしても最後まで行きたくて、通行止めになっている横にあるダム湖のロスレイクを、カヤックで縦断してカナダ国境を目指すことにした。
ロスレイクは南北に40km続くダム湖だ。つまり往復で80kmも流れのない湖を、カヤックでひたすらと漕ぐ。1日20km漕いで4日間で戻る計画だった。
湖は透き通って本当に綺麗だった。しかし、山火事は深刻で2km先は何も見えない状況だった。風も無く、ひとりぼっち。こんなに孤独を味わったのは人生で初めてかもしれない。
右側の山は燃えて灰が空から降ってくる。水面は灰混じりの焼け落ちた木の枝や、鳥の死体が流れてきた。調子良く漕ぎ続けて30kmほどを漕いだあたりで、着岸をしてテントを張って野宿をした。
対岸に山が燃えているのがよく見えた。
次の日にはカナダ国境に到着した。ダム湖なので埋没林があり、数キロ手前に着岸をして歩いて向かった。山火事だからか人は誰もいなかった。
最後はカヤックの旅。
帰り道の序盤は順調だったが、昨晩キャンプをしたあたりから突然嵐のような突風が吹き、波が立つようになってしまった。山火事に引き寄せられるような風で、全く進まないどころか山火事に突っ込みそうになる。
昨日キャンプした場所は対岸にある。といってもその対岸まで1.8kmほどある。とてもじゃないが1m以上もある大きな波を横にかぶるように漕いだら沈没してしまいそうだった。同じ岸でも山火事は風上にはこないため、体力の続く限り波と風に逆らって先に向かった。
なんとかキャンプができそうな場所を見つけたが、山火事の場所まで2kmしかない、風向きが変わったら危ない場所だった。
遠くから木が倒れる音が聞こえ、灰が降ってきた。日没まで風が止むのを待ったが、全く風が止まなかった。波も相変わらずだった。
もし近くまで火事がきても、木が届かないぐらいの距離を取るために、岸のギリギリにテントを張ってキャンプをした。しかし、全く寝れない一晩となった。ガーミンのSOSボタンの押し方を確認したほどだ。
次の日には風は嘘のようになくなり、水面は鏡のようにビタッと止まっていた。煙もなくなり、カヤックは思うように進んだ。カヤックを返却すると「あの風の中を戻ってきたのか!やべーな!」と言われた。
あれからPCTは終わった気もしないし、カナダ国境へ到着した嬉しさも湧いてこない。仕事をやめて起業をして、PCTのモニュメントを目指して歩いた僕はどこへ何を目指して歩くのか。
突然とPCTが終わり、家へ帰っても居場所は感じられなかった。電車ではみんながマスクをして、SNSには誰かが隠し撮りで晒されて炎上しているし、何もかもがうんざりした。
カナダ国境にて。
TAGS: