パシフィック・クレスト・トレイル (PCT) | #10 トリップ編 その7 DAY117~DAY140 by Teenage Dream(class of 2022)

文・写真:Teenage Dream 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
2022年にパシフィック・クレスト・トレイル (PCT) をスルーハイキングした、トレイルネーム (※1) Teenage Dreamによるレポート。
全8回でレポートするトリップ編のその7。今回は、PCTスルーハイキングのDAY117からDAY140までの旅の内容をレポートする。
※1 トレイルネーム:トレイル上のニックネーム。特にアメリカのトレイルでは、このトレイルネームで呼び合うことが多い。自分でつける場合と、周りの人につけられる場合の2通りある。
パシフィック・クレスト・トレイル (PCT:Pacific Crest Trail)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
PCT DAYSが終わり、再びトレイルへ。(DAY117〜DAY121)
PCT DAYSが終わり、再びとえり流へ戻る。
PCT DAYSを楽しみ、トレイルへ復帰した。山火事と足の影響でマウントフットから歩き直すことに。
竹井さんの愛車のBMWのM3を運転させてもらいながら、トレイルヘッドへ。
左ハンドルでしかもMT (マニュアル車)。初めての左ハンドルMTは危なかったが、帰国したらMT車を買おうと決めた瞬間だった。ちなみに自分の家族はみんなMT。
トレイルへ復帰して歩き始めると早速、足裏の筋膜炎が復活した。ほとんど歩けない。一歩ずつ激痛が走るようになってしまった。
いきなりマウントフットは厳しかったかもしれない。丸一日かけて10mileを歩き、次の日は2mileしか歩けないほどに。足をなるべく労わりながらもカスケードロックまで進んだ。
カスケードロックで板谷さん、ラッキーと再会。
PCT DAYSで休んでもこんなにも足が辛いなんて‥。今後のセクションが絶望的だ。
カスケードロックに到着すると、お別れした板谷さんとラッキーとまた偶然会うことができた。
トブリッジ・オブ・ザ・ゴッドを渡り、ワシントン州に入る。(DAY122〜DAY127)
ブリッジ・オブ・ザ・ゴッド。この先がワシントン州。
ついに憧れのブリッジ・オブ・ザ・ゴッドを渡る。
この橋を渡ると最後のワシントン州だ。火山セクションのオレゴンが終わり、次は氷河地形と火山が入り混じる、アップダウンの激しいセクション。
森が一気に深くなった。道にはブルーベリーが生い茂っていて、それを獲りながら進んでいった。足は川を見つけたら冷やしながら‥。
途中、PCTの古い道標も見つけた。
木に埋め込まれた、昔のPCTの道標。
再び3人で歩いているが、足がもう限界で、自分が一番歩くのが遅い。とにかく足が痛い。
激痛。 (DAY128〜DAY134)
ゴートロックへ向かう道。
ワシントン州のハイライトでもある、ゴートロックというセクションに入った。PCTを歩いたハイカーはここが一番綺麗だった、というハイカーも多い。
足は相変わらずの激痛。一歩ずつが痛い。
ゴートロックの湧き水や雪で足を冷やしながら、絶景を楽しんだ。ここには大きな火山が3つある。レーニア、アダムス、セイントへレンズと、それらの雄大な山を見ながら歩く稜線歩きは、まるで南アルプスのようだった。
足がとにかく痛い。変な石を踏めば激痛が走る。下山後、リサプライをして、モーテルでみんなでピザを見ながら映画を見て、装備を補修したりして、明日の出発に備えた。
スマートフォンで地図をみると、この先は火事がひどくなりつつありました。ゴートロックも山火事が発生して今にも封鎖されそうだ。
北のモニュメントへ封トレイル封鎖で行けず。ラッキーは帰国。 (DAY135〜DAY140)
ゴールの国境付近はトレイル閉鎖され、この先を悩む。
スノークオロミーという場所へ到着し、不安だった山火事情報をみると、つごのセクションは山火事が酷く、国道は封鎖されたそうだ。つまりヒッチハイクができない。とにかく行ってみないとわからない状況だ。
全く情報がないまま突き進んでも、食料がない。そうしたら、道路を辿って町へ向かうか、Uberを呼ぶかだ。先が全くわからない状況だ。
さらにカナダ国境も山火事が発生し、これから向かうハイカーは全員PCTのモニュメントまで辿り着けないことになった。
目標を突然奪われたハイカーがスノークオロミーを漂い、タップルームでヤケ酒をして、ワシントン・アルパインクラブという超雰囲気のいい山小屋に引きこもっていた。
さらに、ノロウィルスも山小屋で蔓延してしまい、この先のセクションのハイカーも、ノロウィルスで戻って来るハイカーが多くいるそうだ。不安材料が錯綜して、半分以上のハイカーは続々と歩くのをやめて帰っていく。
板谷さん、ラッキーと常に相談をしていたが、ラッキーが一足先に帰国を決めて帰ってしまうことになった。
ラッキーとのお別れ。
板谷さんと僕は「行けるところまで行こう」という言葉を胸に刻んで、どんなに足が痛くても歩き続けることにした。
実際に歩き続けると煙は少なかったり、そんなに不快なトレイルでもなかった。スマートフォンの多すぎる情報は、安全マージンを取りすぎたり、不安材料が誇張されてしまったりしているように感じた。
スマートフォンなんて‥とも思ったが、便利すぎてもう手放すことは不可能だ。
ほとんど雨が降らなかったPCTだが、このセクションを歩き始めてほぼ初めての雨となった。
旅の終盤。最後までどうなるかわからない旅。
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