ジョン・ミューア・トレイル | #05 トリップ編 その2 DAY4〜DAY6 by NOBU(class of 2022)

文・写真:NOBU 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
今回は2022年にジョン・ミューア・トレイル (JMT) をスルーハイキングした、TRAILS crewのトレイルネーム (※1) NOBUによるレポート。
全6回でレポートするトリップ編のその2。今回は、JMTスルーハイキングのDAY4からDAY6までの旅の内容をレポートする。
※1 トレイルネーム:トレイル上のニックネーム。特にアメリカのトレイルでは、このトレイルネームで呼び合うことが多い。自分でつける場合と、周りの人につけられる場合の2通りある。
John Muir Trail (ジョン・ミューア・トレイル):アメリカ西部のヨセミテ渓谷から米国本土最高峰のホイットニー山まで、シエラネバダ山脈を南北に貫く211mile (340㎞) のロングトレイル。ハイカー憧れのトレイルで、「自然保護の父」として名高いジョン・ミューアが名前の由来。この旅では、JMTの本ルートより南のコットンウッドレイクのトレイルヘッドからスタートし、NOBO (北向き) でヨセミテを目指した。
雷鳴に囲まれる。初めて本気で怖さを感じる。 (DAY4)
目覚めの風景。外はあられで白くなっていた。
9月10日、午前5時。アラームと同時に、タープにぶつかる雨の音で目が覚めた。気温8度。「まずいな」と思った。想定よりも激しそうだ。
6時。雷。目の前が光り、すぐさま耳を突き刺すような轟音がした。
ダウンジャケットと寝袋はすぐにパックライナーに詰めた。守らなければならない命綱だ。
風向きが変わり、西からの風がタープの内側に雨を吹き込んでくる。やばい、と感じた次の瞬間、突風が吹いた。ペグが3本、同時に抜けて、タープが浮いて、宙を舞った。
現実感がないのに、身体だけがやたらと動いた。荷物をかき集めて、大木の下へ逃げ込む。「このままじゃダメだ」と、スクワットで無理やり体を温める。
タープが吹き飛ばされた直後。
とにかく進もう。そう決めて、レンジャーステーションまでの約1.5kmを走った。地図上の距離が、身体の中でカウントダウンになる。「あと1km。」「あと800m。」ただ、走った。
レンジャーステーションに着くと、また凄まじい勢いであられが降ってきた。間一髪だった。
ロブというレンジャーが、何も聞かずにストーブの前に座らせてくれた。あの暖かさは、体だけじゃなく、自分の判断を受け止めてくれたような感覚だった。
「今日はやめた方がいい。でも決めるのは君自身だ。僕にできるのはアドバイスだけ。 (I can only advise you, can’t decide.)」
その瞬間、ハッとした。僕は、自分の旅のハンドルを他人に渡しかけていたのだ。判断することの重さから逃げそうになっていた。
決めるべきは自分だった。自然は、抗う相手じゃない。読み、受け止め、動く。ロブの言葉で、自分の旅に対するアティテュードがアップデートされた。
レンジャーステーションで出会ったロブ。
レンジャーステーション近くにタープを張り直し、この日はパス (峠) 超えをせずにこの場に静かに留まることにした。
何もかも完璧じゃなかった。タープはあられで破れ、MYOG (※MAKE YOUR OWN GEAR、ギアの自作) した縫い目からはシーリング (防水のための目止め) を超えてぽたぽたと水が落ちてきた。
タープの外は相変わらず雨。「なんでこんな事してるんだろう。」そんな思いが、ほんの一瞬、自分のどこかを通り過ぎた。
雨の中、タープの中の景色を見てただ耐え凌ぐ時間。
寒さは体だけではなく、思考も感情も冷やした。この旅で初めてネガティブになり、しばらく寝袋のなかで丸まっていた。
けれど、しばらくして何かを口にしたいと思った。バックパックの中から食料を取り出し、ゆっくりと口に運ぶ。そして雨音の合間を縫って、濡れた服を干した。身体を動かして、体温を上げた。破れたタープを補修して、もう一度、場所を微調整して張り直した。
雷を避け、林の中で静かに過ごす。
ただの「対応」じゃなかった。これは、自分の旅を「繋ぎなおす行動」だった。決して合理的とは言えない行動の連続。けれど、その不器用さこそが、自分の人間らしさだった。
町にいたときは、効率と予定で満たされた毎日だった。でも、自然の中ではすべてがズレて、読みきれなくて、それでも動こうとしている自分がいた。
どんな状況でも「Enjoy your trip!」と声をかけるハイカー。(DAY5)
雨上がりの澄んだ空に朝日が差し込む。心から喜びを感じた。
9月11日、朝6時、気温4℃。目覚めると空は抜けるように青かった。高揚感に満たされた。外に出た途端、寒さで手の感覚が消える。濡れた装備を太陽に向けて干しながら、「今日が勝負の日だな」と思った。
目指すのはフォレスター・パス。標高と距離、そして天気。昨晩、地図と雲の動きと気温の推移を見ながらプランを立てた。登りきるまで3時間。11時までに越える。それが僕の読みだった。
パスが近づくほど、空にうっすらと暗い膜がかかっていく。「いけるか・・?」と自問する。すれ違うハイカーの表情や言葉に、少しずつ焦りが混じっていく。それでも足は止まらない。
フォレスターパス手前。初めてのパス越えは、暗雲に向かって歩いていくようだった。
そんなとき、2日目にすれ違った、ふたり組のハイカーと再会した。あの嵐の中、同じ山にいた彼女らは、きっとあの雷雨を体感しているはず。でも、彼女たちの表情には曇りひとつなかった。開口一番、「Enjoy your trip!」そう言って、笑っていた。
一瞬、時間が止まったように感じた。「この人は、楽しんでるんだ」と思った。恐怖も、寒さも、きっとあっただろう。それでも、あの言葉が出てくる人が、ここにいた。
その笑顔で、僕は思い出した。そうだ、僕は楽しみに来たんだった。
一歩、また一歩、足が自然に前へ出ていく。暗雲が残っていた空が、少しだけ割れた。雨上がりの森の匂いが、ふわっと鼻に届く。
パスの頂点で雲の影から見えた青空と日差し。
土の匂い。木々の皮。苔。草。さっきまで眠っていた五感が、一気に開いた。その瞬間、全身の細胞がみなぎるのを感じた。「ああ、生きてるな」って、思った。
フォレスター・パスの上から振り返ると、山々が静かにそこにあった。予定どおりでも、奇跡でもない。これは、読み、迷い、決めて、歩いてきた必然の結果だった。
自らの試行錯誤で窮地を脱せた喜びを噛み締め、この日の夜を迎える。
ローンパインまでリサプライ (補給) に下りる。 (DAY6)
翌朝は透き通った快晴でスタート。
9月12日、5:30起床、気温4℃。まだ暗いうちに準備を終えて、歩き出す。疲れがあった。脚の芯が重い。今日は補給のために、一度、町に下りる。
キラサージュ・パスを越え、オニオンバレーのトレイルヘッドまで下りてきた。まだ午前中だった。この時間は、山から町に下りる車がほとんどない。それでも、やって来た最初の車が止まり、「乗っていきなよ」と声をかけてくれた。
順調に歩き進め、オニオンバレーへと坂を下っていく。
ハンドルを握っていたのは、物腰の柔らかいおじさんだった。インディペンデンスに行こうか、ローンパインに行こうか迷っていることを伝えると、「それがいいよ。インディペンデンスの店は、この時間はほとんど閉まってるからね」と背中を押してくれた。
即座にルートを変更した。事前にどちらの選択にも対応できるよう、計画を組んでいた。
オニオンバレーからローンパインは車で1時間ほど。
ローンパインに到着。ホステルにチェックインして、ランドリーをまわして、装備を広げる。どれも馴染みのあるルーティンなのに、山でやっていたのとは、どこか違う感触。町はあまりにも優しく、何もかもが与えられていた。
正直、ほっとしていた。山に戻るのは、少し怖かった。またあの雷が来たら?タープが飛ばされたら?冷えて眠れなかった夜が、頭をよぎる。
でも、装備をひとつずつ見直して、ベア缶に食料を詰め直しているうちに、少しずつ感覚が変わっていった。タープを折りたたむ手に、地図を見つめる目に、自分がまた「山の時間」に戻りはじめているのがわかった。
夕食は同じくJMTハイカーのダニエルと。互いに山での嵐の経験を語りあった。
この6日間で、僕はいろんなことを経験した。
DAY0〜3では、初めてのロングディスタンスハイキングに高揚しっぱなしだった。目に入るものすべてが新鮮で、無邪気に楽しんでいた。でもDAY4、雷と突風の夜。自然の圧倒的な力を前に、はじめて「本気で怖い」と思った。レンジャーステーションのロブが言った「決めるのは君自身だ」という言葉が、自分の判断の軸を突き直してくれた。
DAY5では、あのハイカーの笑顔にハッとさせられた。「楽しんでるんだ」って気づかせてくれたのは、あの一言だった。
怖さもある。でも、それを上回るだけのものを、もう手にしている。明日から、次のセクションが始まる。またひとつ、新しい自分として、あの道を楽しんでみたいと思っている。
荷物は整った。あとは、静かに、一歩目を出すだけだ。
大自然の中の非力な人間。その不自由さゆえの豊かさに、気づき始めた。
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