私的ロング・ディスタンス・ハイキング考 | #01 ロング・ディスタンス・ハイキングのきっかけ
文・写真:根津貴央 構成:TRAILS
TRAILS – HIKING FELLOWの根津貴央による新連載。根津がアメリカのPCT (※1) をきっかけに傾倒したロング・ディスタンス・ハイキング。その後、アメリカの他のロングトレイルも歩き、さらにGHT (グレート・ヒマラヤ・トレイル※2) をきっかけにライフワークとなるネパールのロング・ディスタンス・ハイキングを志向するようになる。
その根津の私的なロング・ディスタンス・ハイキングについての、考え方の遍歴と今を綴っていく連載。
第1回目の今回は、根津がどんなきっかけでロング・ディスタンス・ハイキングをはじめ、そしてどんなプロセスで傾倒していったのかを語ってもらう。
人生初のハイキングがロング・ディスタンス・ハイキングという人はいないはずだ。根津もそうである。会社員時代に週末登山をしていた根津は、なぜまた登山からロング・ディスタンス・ハイキングへと移行していったのだろうか。
山では目標や達成から距離を置きたかった。
僕は、もともと登山が趣味だった。とはいっても遅咲きで、始めたのは30歳の頃。もはや最初に登った山すら覚えていないが、2006年か2007年くらいだったと思う。
当時の僕は、コピーライターとして広告系の会社に勤めていた。月〜金の週5勤務で、朝から夜遅くまで働く毎日を過ごしていた。勤務先は東京は西新宿、まさに大都会のコンクリートジャングル。そんな場所で日々過ごしていたこともあり、いま思えば週末くらい自然に還りたかったのかもしれない。
最初は、そこまで自然に対しては自覚的ではなかった。登山を始めたのも、これといった大きなきっかけがあったわけではなく、ひとりでできるアクティビティを探していて、なんとなく良さそうだと思ったのが登山だったのだ。
そんな経緯で始めたこともあって、山への憧れは薄かった。北アルプスに登りたい欲もなく、いつかはこの山へみたいな目標もない。行き先といえば、丹沢や奥多摩など、近郊の山々がメインだった。
「好きだからやる」という何の生産性もないことをしたい。
山に登っているうちに指向が変わってきても良さそうなものだが、相変わらずだった。山や自然はどんどん好きになっていくものの目標みたいなものはまったく芽生えない。
でも、それは当然のことなのだ。というのも、僕はそういうことから離れたかったのだから。具体的には、目標、達成、成果、成長、挑戦といった類のことから距離を置きたかった。
そのすべてを、僕は平日の仕事で朝から晩までさんざんやっている。もうそれで十分だった。プライベートでも何かを目指すことをしたくなかったし、好きなことを好きなようにする時間を大切にしたかった。
意外とそういう時間は、プライベートでも持つことは難しかったりする。生活のこと、家族のことをはじめ、やらなければいけないミッションはたくさんある。でも、純粋に「好きだからやる」という機会が少しでもあれば、それは人生の潤いにもなるし、人間らしいのではないだろうか。
たとえば、僕が大好きなビールを、なぜ飲むのか? と言われたら、好きだからとしか答えようがない。もし、自分がやるすべての行為に対して「好き」以外の理由が存在していたとしたら、僕はちょっと気持ち悪いと思ってしまう。だって、すべて損得勘定で動いているみたいじゃないか。何かしらメリットがないと (やる理由がないと) それをしないというのか。
もちろん、仕事も含めて人生における多くの行為には理由が伴うことのほうが多い。だからこそ、人間らしくあるために、プライベートで少しだけでもいいから「好きだからやる」という何の生産性もないことをしたい、と僕は思う。それが僕にとっては登山だったのだ。
「登山の何が楽しいの?」という質問に窮する。
当時は、まわりに登山をする友だちや同僚もおらず、基本的にソロで山に行っていた。共感してくれる人も稀で、「登山の何が楽しいの?」「なんでわざわざ山なんか登るの?」と聞かれることが多かった。
いつも僕は答えに窮していた。明確な答えを持っていなかったからだ。たいてい「山はいいんだよ」「なんか自然がねぇ」「とにかく気持ちが良くて……」みたいな、答えにもなっていないようなことを口にしていた。
窮していたと言ったが、実際のところは困っていたわけではなく適当な回答でその場をやりすごしていた。回答はウソじゃなく本心ではあるし、好きでやってるだけだから自分だって理由なんてわからないのだ。
でも、時が経っても同じ質問は投げかけられる。次第に自分も「オレって何で山に登ってるんだろう?」と考えはじめるようになった。
それでまず思ったのは、登山とはいえ、山に登っている感覚はないなと。もちろん実際は登っているのだが、それは結果論でしかなく、登りに行っているわけではない。登頂欲もない。
自分は、自然の中を歩いたり、自然の中で野営したり……と、とにかく自然の中に身を置くことが楽しいんだなと。それをしに山に行っているのだと。結果的には登山をしているのだが、自分の感覚としては登山というよりは歩山だった。
「明るく陽気に、楽しくそしてさわやかに、おおらかに歩く。」
自分が山に行く理由を自覚するようになった頃、たまたま雑誌で目にしたのが「ロングトレイル」だった。気になっていろいろ調べてみると、登山ではなくまさに僕が好きな山歩きだった。
登るのではなくひたすら歩く。ロングトレイルを歩くという行為は、ゴールを目指すというよりは途上を楽しむ印象を強く受けた。「これこそが、自分が求めていたものだ!」と思った。
加藤則芳氏の著書にも影響を受けた。中でも、『ジョン・ミュ-ア・トレイルを行く – バックパッキング340キロ』(平凡社) の一節には、共感と憧れを抱いた。
「これは、冒険でも探検でもない。そんな大げさなものではない。単なるバックパッキングの究極のイベントにすぎないのだ。そもそもバックパッキングに冒険や探検は似合わない。明るく陽気に、楽しくそしてさわやかに、おおらかに歩く。これがバックパッキングの真髄である」
こうして僕は、いつの日かアメリカのロングトレイルを歩きたいと思うようになった。そう、すぐにではなく、あくまで「いつの日か」だった。というのも、当時は会社員かつ有給休暇も取りづらい会社に属していたこともあり、時間を捻出することは不可能だった。職業にも仕事内容にもやりがいを感じていたし、休職や退職をしてまで行くつもりはなかったのだ。
会社を辞めて独立。PCTを歩くことにする。
そこから数年経ち、僕は会社を辞めて独立することになった。当時36歳。ロングトレイルを歩くなら、このタイミングしかないなと思った。
このとき頭に浮かんでいたのは、アメリカ三大トレイルのAT (アパラチアン・トレイル)、PCT (パシフィック・クレスト・トレイル)、CDT (コンチネンタル・ディバイド・トレイル) だった。このいずれかにしようと。
ただ、さすがにCDTは当時スルーハイキングしている人は数十人くらいしかおらず (日本人スルーハイカーも2人しかいなかった)、さすがに敷居が高いと感じた。ATかPCTか。
たまたま身近にPCTの日本人スルーハイカーがいたこともあり、おのずとPCTの話を聞く機会が多かった。PCTには、自然環境はもちろん歩くハイカーも含めて、アメリカ西海岸らしい開放的で自由な感じがある印象を強く受けた。
自分はなにかに挑戦したいわけでもなにかを成し遂げたいわけでもない。ただただ自由気ままに楽しく歩きたいのだ。そう考えたら、もうPCTしか見えなくなっていた。こうして僕は、PCTをスルーハイキングすることになったのだった。
Editor’s Note
昨年根津さんと2人で出演させていただいたPatagonia Radioの中で、「ロング・ディスタンス・ハイキング」についてお互いの ” 極めて個人的な考え ” を深掘り、語り合い、クロスオーバーさせていくという機会に恵まれた。そのときの “極めて個人的な考え ”は、実に新鮮で「こういうもんだよね」という妙な納得感に包まれた。
トレイルカルチャーを発信するメディアとして実に10年以上、「ロング・ディスタンス・ハイキングとは何なのか」というテーマについて、メディアの中の人として、根津さんとともに向き合い、多大な思考の総量を費やしてきた。
今回の記事にも登場する、歩いたり、野営したりしながら、「とにかく自然の中に身を置くことが楽しいんだな」という部分等は、まさにTRAILS編集部のなかで日常的に語り合っていたことだ。
一方「目標・達成」という概念からできるだけ離れて「途上を楽しむ」というスタンスが人一倍強いのは、根津さんらしいスタンスだ。
今回からはじまった私的論考という連載が、それぞれのハイカーのうちに宿っている「HIKE YOUR OWN HIKE」を見つけるきっかけになればと思う。
TRAILS編集長 佐井 聡
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