HIMALAYA MOUNTAIN LIFE | GHT project 2022(計画編)
文・写真:根津 貴央 構成:TRAILS
ヒマラヤのロングトレイル『グレート・ヒマラヤ・トレイル (GHT ※1)』を踏査するプロジェクト『GHT project』(※2)。
今年は4年ぶりにGHT projectの活動を再開できることになった。なぜ4年ものブランクがあるかというと、そもそも2018年にGHTの最難関エリアに向かったものの悪天候により撤退し、2020年の春にリベンジしようとしていた。それがコロナによって行けなくなってしまい、今に至るというわけだ。
今年の出発は10月。そこで今回の記事では、まずはこれまでのGHT projectの軌跡を振り返り、その後に今年のプランの発表したい。
2014年に立ち上げたこのプロジェクトは、毎年秋 (ネパールは6〜9月が雨季、10月から乾季に入り天候が安定する)に約1カ月ほどGHTを歩き、数年がかりで全線を踏査することを目指している。
これまで踏査したのは、全線1,700kmのうち約1,000km。今年を入れてあと3〜4回で全線踏査の完了を見込んでいる。
コンセプトは、『ヒマラヤは世界最大の里山だ』。
僕たちが、なぜヒマラヤへと足を運びつづけるのか。その理由のひとつは、まだまだ未知の部分が多いグレート・ヒマラヤ・トレイル (GHT) を踏査したいからだ。
ただ、その大前提にあるのは、このプロジェクトのコンセプト『ヒマラヤは世界最大の里山だ』である。
8,000m峰が連なる世界の屋根ヒマラヤ山脈は、そのスケールの大きさから、挑戦の対象として語られることが多い。でも、標高4,000mを超えるエリアにも集落があり、人々の営みがある。
ヒマラヤは、単なる登山の対象として存在しているのではなく、ネパールで生きるさまざまな民族が今なお住みつづけている里山なのだ。そこにある「ヒマラヤ・マウンテン・ライフ」のなかを歩いていくのが、GHTである。
そんなGHTを通じて、里山としてのヒマラヤの魅力を伝えたい。これこそが、僕たちの初期衝動である。
2014〜2018年までの旅の軌跡。
■2014年 GHTの東端よりスタート。8,000m峰を目の当たりにする。 (カンチェンジュンガ〜マカルー:33日間)
GHT projectの初年度は、まずはGHTの最東端、中国とネパール国境付近にある地点を目指した。
カトマンズからGHTにアプローチするのも困難で、バスとジープを乗り継ぐこと2日、さらにそこから5日間ほど歩いて、ようやくたどり着く。
世界第3位の高峰カンチェンジュンガ (8,586m) や、世界5位のマカルー (8,481m) の麓をつなぎながら、辺境の集落を訪ね歩いた。間近で見るヒマラヤの高峰は、まさに異世界で、ただただ圧倒されるばかりだった。
■2015年 ネパール大地震で被災した村々をめぐる。 (ヘランブ〜ガネッシュ〜ツムバレー:25日間)
ネパール大地震が発生した年。旅をするかどうか悩んだものの、現地のネパール人とも相談し、こんなタイミングだからこそあえて足を運び、自分たちができることを模索する旅にしようと決めた。
カトマンズから歩きはじめ、ガネッシュ山群の麓にあるタマン族の文化圏や、チベット文化が色濃いツムバレーにも寄り道。歩くのは整備されたトレイルではなく生活道。棚田が広がるエリアや、点在する集落、放牧地など、まさに里山としてのヒマラヤが広がっていた。
ヒマラヤの暮らしや文化はもちろん、大地震に屈することなく前向きに生きるネパール人の強さを体感した。
■2016年 GHTを離れて旧ムスタン王国へ。僕らなりのルートを描く。 (マナスル〜アンナプルナ〜ムスタン:32日間)
マナスルとアンナプルナの山麓をつないで歩き、さらにムスタンへと足を延ばした。
このムスタンはGHTからは外れるものの、2008年までネパール領の自治王国として認められいた特殊な場所。ヒマラヤの魅力のひとつとして行くべきだと判断した。
ムスタンでは、よりチベット色が強い北部のアッパー・ムスタンに行き、城塞都市ローマンタンや、さまざまな寺院を訪れた。さらに、標高3,000mを超えるところに点在する村々にも立ち寄った。荒寥とした大地と山々が広がる、この茶褐色の隔絶されたエリアに暮らす人々がいる。その驚きとともに、そんな地元の人からの優しさに触れる旅でもあった。
■2017年 奥ヒマラヤの数々の峠を越えながら、ランタンへ。(クンブー〜ロールワリン〜ランタン:31日間)
エベレストがあるクンブーを起点に、大地震の爪痕がいまだ残るランタンへ。
途中、氷雪が積もるタシラプツァ (標高5,755m) とティルマンパス (標高5,308m) を越え、牧歌的な雰囲気漂うランタン東部を巡る旅。特にロールワリンからランタンに向かうエリアは、トレッカーもほとんどいないようなマイナーなエリア。
とある村でミカンやグァバをもらったり、ロキシーという地酒をご馳走になったり、さらには民泊させてもらったり。この土地ならではの風土を存分に味わうことができた。
■2018年 アッパールートを外れて、ロワールートの暮らしに触れる。 (マカルー〜クンブー:28日間
GHTアッパールート、最大の難所があるエリア。2014年のゴール地点からのスタートとなり、当時お世話になった家族と4年ぶりの対面となった。
例年になく、序盤から悪天候がつづき、思うように進まない日々。マカルー直下までたどり着いたものの、これ以上は危険と判断し、引き返すことに。
プランを変更して、旅の後半はロワールートの村々をつなぎながら、ソルクンブーへと向かった。標高が低いロワールートは肥沃な大地が広がり、食材も豊富。お米はもちろん魚や鶏など、ヒマラヤの食を堪能した。
2022年に旅するのは、「ヒマラヤ最奥の聖地」と称されるドルポ。
4年ぶり、6回目の旅となるGHT project。
今回の行き先はというと、ネパール西部にあるドルポである。
GHT projectでは西のドルポ〜ファーウエストのエリアが未踏査のセクションとして残っている。今年はプロジェクト再開の第一歩として、ドルポエリア入口のカグベニを起点に、西のエリアを進んでいく。今年はこのセクションの約200kmを約30日間かけて歩いていくプラン。
「ヒマラヤ最奥の聖地」とも称されるドルポは、1900年に僧侶で探検家でもある河口慧海 (かわぐち えかい) が日本人で初めて訪れたことでも有名だ。また、2020年にテレビ朝日の特番でナスDが旅したこともあって、その番組で知った人もいるだろう。
このドルポは、長らく外国人が立ち入ることができないエリアだったが、1992年に解禁。まだまだ謎に包まれた部分も多い、チベット文化圏の地域でもある。
とはいえ、秘境だなんだと勝手に解釈をしているのはよそ者の僕たちであって、ドルポに住んでいる人々は、至って普通に生活しているはずだ。
僕たちも色眼鏡で見ることなく、GHTの旅を通じて、そんなドルポの日常に触れてきたいと思うし、ありのままのドルポを伝えることができればと思っている。
最後に、GHT projectの初年度、2014年のトリップ・ムービーを紹介したい。GHTらしさ、そして里山としてのヒマラヤを少しでも感じてもらえたら嬉しい。
[MOVIE]
実に4年ぶりとなる今年のGHT projectは、10月半ばの出国を予定。
2016年のゴール地点であるカグベニ (標高2,807m) からのスタートとなる。
一体、どんな景色と出会いが待っているのか、楽しみで仕方がない。
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