FISHING ESSAY

フライフィッシング雑記 田中啓一 #13 源流にて

2025.02.07
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文・写真・イラスト:田中啓一

What’s 『フライフィッシング雑記』 | フライフィッシャーであり、ハイカーであり、ファッションデザイナーである田中啓一さんによる、フライフィッシングにまつわるエッセイ。フライフィッシングは美しく、格調高く、ワイルドで、創意工夫の奥深さがあり、TRAILS読者とは親和性の高い個性あふれる遊びだと思う。釣り人はもちろん、釣りをしたことがない人も、田中さんが綴る魅惑的な言葉に運ばれて、フライフィッシングの深淵なる世界へ旅だっていただきたい。

源流にて

某年某月某日、とある川の源流域に釣りに行った。メンバーは、私を含め4名。
一泊分の食料、着替え、キャンプ道具、釣具を詰め込んだバックパックは、通常の山行に比べ、釣具と渡渉用の靴の分だけ重くなった。こればかりはウルトラライトというわけにはいかない。
峠道の脇の駐車スペースに車を停め、我々は荷物を担ぎ、目的の川の支流にあたる小沢に沿った林道を歩き出した。往路は下りなので楽だ。途中、苔が長く垂れ下がった大木を見た。外国の映画やアニメで不気味な森の象徴としてよく見るアレだ。調べてみるとサルオガセという地衣類らしい。

道は所々湧き水で侵食され、いささか歩きにくい。そして真っ白な石がいくつも転がっている。石英 (せきえい) だろうか。美しい。手頃なものを拾ってポケットに入れた。つぶさに探せば水晶も見つかるかもしれないと思ったが、もちろんそんな暇はない。先を急ぐ。
30分ほど歩くと、木々の向こうに川が見えてきた。このあたりにキャンプするのかと思いきや、もっと上流にいい場所があるという。ここから上流の川沿いに道は無い。我々はバックパックからロッドとリールとウエーディングシューズ (※1) とゲーターを取り出し、荷物を背負ったまま釣りを始めた。

川は深い森に囲まれてはいるが、頭上はわりかし開けていてフライを投げやすい。そして岩、落ち込み、瀬、淵などポイントが適度に続く良い渓だった。とは言え4人が一度に釣り上がれるほどの川幅は無い。1人が釣れたら先頭交代をする形で釣り上がることにした。
入れ食いと言うほどではないが、ポツポツと飽きない程度にイワナが釣れた。しばらく釣り上がりそろそろキャンプ地に着く頃だとのことだったが、なんと件の平地が見つからない。ここだったか、あそこだったかと辺りを探し回るが、キャンプに適しているか微妙な場所ばかりで、目的の場所はとうとう見つからなかった。

仕方なく、適当な場所にタープを張り重いバックパックだけそこにデポして身軽になった我々はさらに上流を目指した。
上流でそこそこの釣果をあげた我々は、デポしたバックパックを回収し、支流との合流点まで戻り、適当な平地を見つけ、そこをキャンプ地に決めた。荷物を下ろし、タープを設営し、グランドシートを敷き、濡れたウエーディングシューズシューズとゲーターを脱ぎ、ホッと一息つく頃には、辺りはすでに暗くなり始めていた。
火を起こして飯を炊く。他愛もない話をし、笑いあい、そしてビビィの中のシュラフに潜り込む。夜の森の闇はどこまでも深く、いま我々4人は完全に世間から隔絶されている。
この感覚が味わえるのが野営の魅力だ。管理されたキャンプ場では絶対に味わえない精神の自由がそこにはある。

明朝、我々はキャンプ地から下流を目指した。川沿いに伸びる草に覆われた林道跡を10分ほど歩くと小広い場所に出た。地面にはに大きな穴が開き、辺りにはすっかり錆び付き苔むした機械がそこかしこに放置されている。明治、大正、昭和、どの時代のものかもわからない。何かの採掘坑のようにも見える。酒瓶も何本か転がっていた。ここで一体誰が何をしていたのだろうか。
人里から遠く離れた深い森の中で、図らずもこのような人々の営みの跡に出会い、人間の業の深さというか、悲哀というか、そんなものが妙に生々しく心に迫って来た。

我々はそこから川に降りた。ここも魚の反応は良好だった。14番 (※2) のドライフライ (※3)にイワナが元気よく飛び出してくる。
しばらく釣り上がると大きな滝に出た。そこから先ほど下ってきた道まで見当をつけながら森の斜面を登った。釣りを終えた我々は、キャンプ地に戻り、タープをたたみ、焚火跡をきれいにならし、なるべく痕跡を残さずに、荷物をまとめて支流脇の林道を歩き始めた。

この細い流れにもイワナは居るには居るらしいのだが、川幅が極端に狭く、木々の枝がトンネルのように覆っている。いわゆる藪沢というやつだった。
それでも、もう帰るだけなので急ぐ理由もない我々は、持ち前の釣り師の性で、その小さな沢に魚の影を探しながらゆっくりと歩いて行った。
「あれ?今魚が走ったな」誰かが言った。
そこからはもう辛抱たまらなくなり、せっかくしまったロッドを取り出し、上流と下流に別れて入渓した。沢には容易に降りられるのだが、とにかく張り出す枝が邪魔でまともに竿が振れない。それでも何とかロールキャストなどを駆使しながら釣り上がって行った。案の定、何度も枝にフライをとられて難儀した。
期待に反して、魚の反応は渋く、釣れてもサイズは格段に小さかった。我々はいったん林道に戻り、竿を持ったまま、また川を覗き込みながら歩き始めた。

「あ!あれちょっとデカくないか!」
その声に全員が反応し、そうっと川を見下ろすと、大きな岩から魚の頭だけが覗いていた。頭のサイズから察するに尺は超えているように見えた。そのポイントは上流側は大岩で塞がれ、下流側は小瀧のような落ち込みになっていた。そんな猫の額のようなスペースにその大イワナは岩の陰から少し出たり入ったりしながら淡々と泳いでいた。
ひとりがドライフライを流す。フライはすぐに流れ去り、イワナは見向きもしなかった。今度は別のメンバーがニンフを流し込む。一瞬フッとフライの方を向くが完全に見切ったのか、イワナはフライを咥えることはなかった。その後も、手を替え品を替え、大きいの小さいの、浮くの沈むの、様々なフライを試した。チョンチョンとアクションを加え誘ったりもしたが、ついにそいつはフライに食いつくことはなかった。

それにしても、あの大イワナは、前にも後ろにもほとんど動けないようなあの岩の陰でこれからもずっと暮らしていくのだろうか。餌は充分に摂れるのだろうか。孤独ではないのか。まるで岩屋に閉じ込められた井伏鱒二の山椒魚のようではないか。

ついに我々は諦め
「あいつはこの沢の主かもしれないね。そっとしておこう」
と負け惜しみを言いつつ、また林道を登りはじめた。



※1 ウェーディングシューズ:渓流など水辺を歩くためのブーツ (シューズ)。濡れた岩や苔が生えた岩の上でも滑りづらく、また水はけのよい設計になっている。ソールはフェルトとラバーの主に2種類。フェルトソールは、濡れた岩だけでなく、苔が生えたむ岩でも滑りにくいのが特徴。一方、ラバーと比べて摩耗しやすく、定期的な張り替えが必要。ラバーソールは、岩でのグリップ力が強いのが特徴。登山道でも使いやすく、また摩耗にも強い。一方、苔が生えた岩ではフェルトよりも滑りやすい。

※2 14番:フライ (毛鉤) のサイズ。サイズ表記の数字が大きくなるほど、フライの大きさは小さくなる。日本の渓流では14番は、標準となるサイズ。

※3 ドライフライ (dry fly):水面に浮かせて使うフライ。カゲロウ、トビケラ、カワゲラ、ユスリカなどの水生昆虫の成虫および亜成虫を模したものやアブ、ブヨ、ハエ、バッタ、コオロギ、甲虫類、毛虫、クモ、セミなどの、水に落ちて流れる陸生昆虫を模したものなどがある。また、特に何に似せたわけでもないファンシーフライもある。

※4 ニンフフライ (nimph fly):カゲロウ、トビケラ、カワゲラ、ユスリカなどの水生昆虫の幼虫を、模したフライ。主に水面下に沈めて使うが、より沈下を促進するためにボディーにウエイトを巻き込んだ、ウエイテッドニンフ、ヘッドに金属ビーズを、あしらって、沈下効果およびアピール力を付加したビーズヘッドニンフ、フライの一部を水面に浮かせるフローティングニンフなどのバリエーションがある。

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田中啓一

田中啓一

東京生まれ。ファッションデザイナー、大学非常勤講師。入間川や相模川のオイカワ釣りで釣りに目覚め、10代後半でルアーフィッシングと出会い、ほどなくフライフィッシングにはまる。日光の湯川をはじめ、国内の渓流や湖にヤマメ、イワナ、各種鱒 (トラウト) を追い求める。ニュージーランド、パタゴニアなど、海外での釣行の旅もしている。シーバス、タナゴ、マブナ、クロダイ、ハゼなど、幅広く釣りを楽しむ。2000年代よりULギアに関心を持ち、MYOGで釣り用のシャツやパンツ、アルコールストーブ、ペグケースなどの自作も嗜む。ULギアは、主に釣り泊の道具として使用している。

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