フライフィッシング雑記 田中啓一 #12 なぜ竿釣りか
文・写真・イラスト:田中啓一
What’s 『フライフィッシング雑記』 | フライフィッシャーであり、ハイカーであり、ファッションデザイナーである田中啓一さんによる、フライフィッシングにまつわるエッセイ。フライフィッシングは美しく、格調高く、ワイルドで、創意工夫の奥深さがあり、TRAILS読者とは親和性の高い個性あふれる遊びだと思う。釣り人はもちろん、釣りをしたことがない人も、田中さんが綴る魅惑的な言葉に運ばれて、フライフィッシングの深淵なる世界へ旅だっていただきたい。
なぜ竿釣りか
先日、友人たちと釣りに行った際に、各々のフライロッドを振り比べた。その時にふと頭に浮かんだことがある。
「なぜ我々は竿釣りが好きなのだろうか」と言う疑問である。
そもそも釣りを始めた時から釣竿を使うのは当たり前。何の疑問も持たずに、釣竿を片手に釣りを楽しんできた。
そもそも魚を獲る目的だけなら、手に直接釣り糸を持ってでもできるし、投網や刺し網を使ったり、銛やヤスで突いて獲ることもできる。もちろんそれらの漁法にも楽しみはあるのだろうが、竿釣りが圧倒的多数派だ。
釣竿の機能を考えてみる。
まず第一に自分から離れた場所に餌や毛鉤を投げ入れられる。これは、広範囲を探れるのと同時に魚に警戒心を与えづらいと言う利点もある。これは大きなアドバンテージだ。
長さがあるので、竿を上げ下げするだけで餌のピックアップと再投入が容易にできる。それにガイド (糸通し) とリールが付いた投げ竿なら、探れる範囲は格段と広くなり、また魚とのやり取りもそうとう有利になる。
次に、釣竿には弾力があるので魚の強烈な引きでも細い糸を切られにくい。魚にしてみればいくら引っ張ってもじんわりと抵抗が増し、知らず知らずのうちにに引き戻され、さぞかしイライラすることだろう。
これが全く曲がらない長い棒だとしたらどうだろう。釣り人自身が魚の抵抗に応じてかなり頻繁に引いたり緩めたりを繰り返さないと、釣り糸を相当太くしない限り容易に切られてしまうだろう。
ましてや全く曲がらない竿は重い。
釣竿は手元が太く先端が細いので、長さの割に軽く作れる。まる1日手に持っていても苦にならないものが多い。
釣り竿は細く軽く強い。
改めて考察してみると、釣竿は人類が発明したものの中でも相当にシンプルかつ高機能な道具ではないだろうか、、、と思ったこともある。
しかしそれは間違いで、なにも人類が「発明」したわけではなくて、自然に生えている木や竹を刈り取って使ってみたら魚を釣るのにかなり適していることを「発見」したに過ぎない。昭和時代でさえ、釣り堀の貸竿は、短い竹を乾燥させただけの竿と決まっていた。釣り堀ならそれで充分用が足りたのだ。
時代を経るにつれ、さまざまな対象魚に対応できるよう、使い易さ、耐久性、携帯性などを付与するために、それらの材料を加工して人工的な「釣り竿」が出来上がってきたわけだ。従って釣り竿とは、人が素材そのままだったものをブラッシュアップしていった優れたツールだと言える。
やがてそれらの一部は工芸品としての美しさも獲得して行く。
フライロッドを例に挙げると、最初期は木製だった。グリーンハート (greenheart) という強い木材が使われた。次に、より軽く反発力に優れた竹材が見出され、スプリットケーン (split cane) のフライロッドが完成した。フライの世界でバンブーロッドと呼ばれるのがこの竿だ。竹を繊維に沿って縦に割り、表面近くの強靭な繊維が密に詰まった部分を使い、テーパーのついた正三角柱を作る。それを張り合わせ、六角形のブランクにする。なので竹竿ではあるが自然の竹のように中空ではない (後に軽量化のために中心部分に空洞を設けた竿、hollow building rodも作られた)。それにコルク製などのグリップを付け、ガイドを取付け、最後に樹脂で上塗りをして完成する。ちなみにバンブーロッドにはトンキンケーンという中国産の肉厚の太い竹が多く使われる。
グリーンハート製にしろ竹製にしろ、それらのフライロッドは過度な装飾は無く簡素ではあるが、大変美しく丁寧に仕上げられ、気品が高く、工芸品としても充分鑑賞に耐えうるものだ。
和竿は、材料の竹の中空の構造をそのまま使う。炭や電熱器で熱を加え、タメ木という道具で竹を真っ直ぐに矯正し、節のあたりを綺麗にするために若干手を入れ、内部の柔らかい繊維を削り落とす。継口の割れを防ぐために絹糸を巻いて補強し、それを呂色 (黒) や朱の漆で固める。この部分が和竿の良いアクセントになる。焼印で竿師の銘を入れる。最後に透明感のある漆を薄く何度も塗り重ねて、柔らかい光沢感のある竿が出来上がる。丁寧に作られた和竿は西洋の竿とはまた違った凛とした美しさを放つ。江戸和竿は東京の伝統工芸品の一つに指定されている。
1940年代に、アメリカのシェークスピア社が、より軽い中空のグラスファイバー製の竿を開発。自然素材の竿はメインストリームから外れた。グラスファイバーロッドの時代はしばらく続いた。1970年代に、日本の東レがカーボン素材の商業製品化に成功し、より軽く、より高反発のカーボンロッドが登場した。これが瞬く間に世界の釣竿のメイン素材となり現在に至る。
完全に工業製品となった釣り竿も美しく仕上げられてはいるが、自然素材の竿の美しさは何者にも変えがたい魅力を持っている。
メインストリームから外れたとはいえ、いまだにバンブーロッドや竹の和竿が市場から消えないのはこのためである。
また、グラスロッドもグラスでしか味わえないスローなアクションが見直され、近年特にフライロッドの分野で復活した。新たに開発された現在のグラスロッドは、概して以前のものより優れたアクションを有している。そして以前より高価だ。
そこで最初の疑問に立ち返ってみる。
「なぜ我々は竿釣りが好きなのだろうか」
これまで述べてきたように、釣り竿が有する優れた性能の数々、飽きずに眺められる美しい佇まい。それらも釣り竿の魅力としては充分なのだが、私はそれだけではないと思っている。
実は一番大切な事柄が抜けている。
それは、竿釣りだけが持つ釣り味である。
魚がかかった際に手元に感じる抵抗と振動だ。
一口に抵抗と振動と言っても、その強さと振幅は千差万別で、一円玉ほどの小さなタナゴからトローリングで仕留める巨大なカジキマグロまで、対象魚ごとに釣り味は違ってくる。
その違いは魚種だけではなく、同一魚種でも大きさや育った環境、止水か流水か、掛かった水深、はたまた使う竿によっても、同じ魚かと思うくらい違う。
カジキマグロは釣ったことはないが、例えばニジマス。芦ノ湖の60cmを優に超える魚は、グングングンとかなり重く遅いリズムを竿を通して伝えてきた。私はその瞬間、ああ、これはデカいなと身構えた。パタゴニアの湖のニジマスのアタリはいきなりゴン!とひったくるようなものだった。
ニュージーランドの川でドライフライ (※1) に出たニジマスは、掛かった瞬間走り出し、鉤を外そうと何度も大きくジャンプした。
それらひとつひとつの抵抗と振動が竿を通して手や腕に伝わり、釣り師にとってはこの上ない快感となるのだ。
また、魚の警戒心を避けるために細い糸を使う場合がある。例えば4~50cmにもなるクロダイを釣るのに、私はたいてい1号の鉤素 (はりす ※2) を使う。最初はまず間違いなく走られる。それをラインが切れるかもしれないギリギリでタイコリール (※3) の回転を止めていた親指を緩めラインを出す。しかし障害物に潜り込もうと抵抗するクロダイは止めなければならない。走らせると根ズレ (※4) で1号の鉤素は簡単に斬られる。竿の弾力に加え腕全体を使い魚をいなす。獲れるか逃げられるか、この攻防のヒリヒリとした感覚は癖になる。
なにも大きな魚だけではない。細く短い竿を使って釣るタナゴやハゼなど小魚のプルプルとした引き味は、大魚を釣るときに感じるヒリヒリ感とは対極の安心感にも似たような感覚がある。今時の言葉で言えばほっこりか?
とにかく竿釣りはキモチイイのだ。
TAGS: