私的ロング・ディスタンス・ハイキング考 | #05 パンケーキチャレンジ
文・写真:根津貴央 構成:TRAILS
TRAILS – HIKING FELLOWの根津貴央による連載。根津がアメリカのPCT (※1) をきっかけに傾倒したロング・ディスタンス・ハイキング。その後、アメリカの他のロングトレイルも歩き、さらにGHT (グレート・ヒマラヤ・トレイル※2) をきっかけにライフワークとなるネパールのロング・ディスタンス・ハイキングを志向するようになる。
その根津の私的なロング・ディスタンス・ハイキングについての、考え方の遍歴と今を綴っていく連載。
今回の第5回目は、PCTで訪れたローカルのトレイルタウン「セイアドバレー」での話。
多くのハイカーが何気なく通り過ぎてしまうこの小さな町で、記憶の痕跡を残すためなのか、ただの興味本意なのか、根津は「パンケーキチャレンジ」という、大食いチャレンジをすることにした。
このある種、滑稽な出来事が、ひとつの小さな町を、記憶の中にとどまる確かに残る町に変えていく。
そんなトレイルタウンに関連する話から、根津さんのロング・ディスタンス・ハイキングに対する私的な考えの一端を語る。
※1 PCT:Pacific Crest Trail (パシフィック・クレスト・トレイル)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
※2 GHT (グレート・ヒマラヤ・トレイル):ヒマラヤ山脈を貫くロングトレイルで、アッパー・ルート(山岳ルート)とロワー・ルート(丘陵ルート)の2本で構成。全長は、前者が約1,700km(標高3,000〜6,000m超)、後者が約1,500km(標高1,000〜4,000m超)。

セイアドバレーという小さなトレイルタウン。

北カリフォルニアの山あいに、セイアドバレーという小さな集落がある。人口は数百人。町というよりは、道ばたにぽつんと点在する家々をなんとか線でつないだだけのような場所だ。郵便局と小さなグロサリーストアとカフェ、それにRVパークを兼ねたキャンプ場があるくらい。地図で見てもほとんど点でしかない。

だが、この町をパシフィック・クレスト・トレイル (PCT) が貫いている。ヒッチハイクをしなくても、PCTを歩いているとそのまま町の真ん中に突っ込んでいく、そんなめずらしい場所だ。ノースバウンド (北向き) のハイカーにとっては、長いカリフォルニア区間の最後の補給地点でもある。オレゴン州境まで、あとたったの30km。つまり、ここで一息つけば、いよいよ次の州に足を踏み入れることになる。
午後に町へ着いた僕は、グロサリーストアで食料を補給し、そのまま歩き出そうかと一瞬考えた。ただ急ぐ理由はなにもなかった。RVパークにはキャンプサイトもある。ここで一泊していってもいいじゃないかと、そう思ったとき、ふとひとつの名物が頭に浮かんだ。セイアドカフェのパンケーキチャレンジである。
記憶に残るなにかをこの町でつくりたい。

合計5パウンド (約2.3kg) の巨大パンケーキ。制限時間は2時間。完食できれば料金は無料。シンプルで、いかにもアメリカ的な大食い企画。それがパンケーキチャレンジである。
僕は別に大食いが得意なわけでもなければ、パンケーキが大好物というわけでもない。これまで挑戦したこともない。でも、このときばかりは妙に自信があった。というのも、すでに4カ月ほど歩き続けてきて (ここ最近は毎日30km以上)、食欲のリミッターが完全に壊れていたのだ。ピザのLサイズならひとりでぺろり。よく見るタッパーのアイスクリーム (約1.42L) だっていけそうな気がする。胃袋が怪物化していた。だからこそ思った。「あれ? オレ、いけるんじゃないか?」
トレイル上でハイカーと出会って話すことのトップ5に入るであろうネタのひとつは、「好きなトレイルタウンは?」である。セイアドバレーと答えた人はこれまで聞いたことがない。
この町についてハイカー仲間が語るのは、せいぜい「いい感じの田舎町だったよね」とか「あのカフェの飯が美味かった」くらいだ。特別な思い出を残す町ではない。だからこそ僕は、この町をただ通り過ぎるのが惜しくなった。記憶に残るなにかをここでつくりたい。よし、パンケーキチャレンジだ。

ただ、意気込みというほどではなかった。本気で勝負するというより、どうせ食べられるだろうという軽い気持ちだった。ところが午後2時を過ぎてカフェに入ると、「チャレンジは2時までだよ」と店のレディに告げられた。なんと、挑戦資格すら得られなかったのだ。仕方がない。今日はのんびりキャンプ場に泊まり、翌朝オープンと同時に挑戦することにしよう。
直径30cm、重量2.3kgのおばけパンケーキ。

翌朝。開店したばかりのカフェに意気揚々と乗り込むと、偶然にも顔なじみのハイカー仲間が同じテーブルに集まった。日本人スルーハイカーの筧さん、Pacemaker (ペースメイカー)、そしてStonewall (ストーンウォール)。
みんな普通の朝食を頼んでいる。僕だけが「パンケーキチャレンジ!」と堂々とオーダーした。てっきり全員ノリでやるものかと思っていたが、どうやら僕ひとりが孤独な挑戦者らしい。

オープンキッチンの鉄板でパンケーキが焼かれている。普通サイズと並んで、やけにでかい円盤がジュウジュウと音を立てていた。あれが僕の相手か。期待と緊張がないまぜになり、なんだかわくわくしてくる。何カ月も続いたトレイル生活の中で、これほど食に胸が高鳴ることはなかった。
やがて運ばれてきた皿を見て、思わず笑ってしまった。直径30cmくらいのどでかいパンケーキが5枚、こんもりと積み上がっている。横にはバターの塊とメープルシロップ。ベーコンも卵もフルーツもない。純粋なパンケーキの山。じつに潔い。

作戦はあった。十字に切って四等分し、ひと塊を30分で片づければ2時間で完食できるはずだ。まずは一角からナイフを入れる。味は、まあ普通にうまい。トレイルの途中で食べるカフェ飯は大抵うまいのだ。1/4をたいらげた時点でまだ30分も経っていなかった。
小さな集落が、僕にとって特別な町になった。

これは余裕か? そう思った矢先、急に満腹感が腹の底からせり上がってきた。
「え、なぜ……?」
さっきまで余裕だったのに、いきなり手が止まる。喉が拒絶し、フォークが進まない。残り時間はたっぷりあるのに、腹だけが膨張していく。水を飲んでも状況は変わらない。30分休んでも、40分休んでも、腹は一向に軽くならない。
気力で押し切ろうとしたが、やがてその気力すら霧散した。見守る仲間の前で、僕はギブアップを宣言した。無念。パンケーキチャレンジの敗北者となった。

店を出ると、仲間たちは満足そうな顔でバックパックを背負い、出発の準備をしていた。筧さんに「TAKAはどうするの?」と聞かれ、「僕は少し休んでから行きます」と答えた。実際には、腹が膨れすぎて動けなかったのだ。彼らを見送り、僕はカフェ脇のベンチに腰を下ろした。
1時間ほど、そこで座っていただろうか。店からはパンケーキを焼く甘い匂いが漂ってくる。自分の吐く息までパンケーキの匂いがした。こんなにもパンケーキに包まれた世界は、ここ以外にないだろう。もう一口も食べられないけれど、甘い匂いは嫌いじゃなかった。

セイアドバレーは、通り過ぎれば何も記憶に残らないような町だ。けれど僕には、忘れられない思い出ができた。パンケーキとの真っ向勝負に敗れた記憶が、旅の1ページとして鮮やかに焼き付いている。この小さな集落は僕にとって特別な町になったのだ。
オレゴン州境までの30kmを歩きながら、パンケーキの重さをまだ腹の奥に抱えていた。それでも足取りは軽かった。

Editor’s Note
ウィルダネスのなかを歩き、野営をし、そして町に降りて補給をして、また再びウィルダネスのなかへ戻り、歩き、野営し、また歩く。これがロング・ディスタンス・ハイキングの旅のスタイルだ。
その旅のなかで、ハイカーたちはロング・ディスタンス・ハイキングでしか行かないような町を楽しむ。
根津さんにとって、これがロング・ディスタンス・ハイキングという旅特有の楽しみのひとつであると知ったのは、大きな気づきであったという。
PCTの旅でも、とにかく聞いたことのない小さな村や町に寄ったという。ただ通りすぎることもできそうな町にこそ、根津さんは立ち止まるのだ。
アメリカの田舎町でパンケーキの大食いチャレンジをしたという思い出は、滑稽で、極めて個人的なエピソードだ。
しかしそこに「ゴールや達成よりも過程が好き」と繰り返す、根津さんらしいロング・ディスタンス・ハイキングのスタンスが表れている。
TRAILS編集長 佐井 聡
TAGS:
ULギアを自作するための生地、プラパーツ、ジッパー…
ZimmerBuilt | TailWater P…
ZimmerBuilt | PocketWater…
ZimmerBuilt | DeadDrift P…
ZimmerBuilt | Arrowood Ch…
ZimmerBuilt | SplitShot C…
ZimmerBuilt | Darter Pack…
ZimmerBuilt | QuickDraw (…
ZimmerBuilt | Micro Pack …




