TRAIL TALK

#003 Yasuaki Funada / 舟田靖章(前編)

2014.09.12
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取材・写真・文/三田正明 写真提供/舟田靖章

日本を代表するハイカーは誰だろう?
もちろんハイカーはアスリートではないし、ハイキングは誰かと競うものでもない。だから、そんなのまったくナンセンスな問いかけであることは重々承知だけれど、あえてこの問から話を始めさせてもらいたい。日本のロングトレイルカルチャーの伝道師であった故・加藤則芳氏や、日本のハイキングカルチャーの確立に尽力するハイカーズデポの土屋智哉氏、2013年に日本人二人目のトリプルクラウンを達成した斉藤正史氏など、様々な意見はあるだろう。だがTRAILSとしては、やはり「日本初のトリプルクラウン」舟田靖章氏の名前を挙げておきたい。本人は否定するし、嫌がるだろうけれど。

トリプルクラウンとは、それぞれ踏破に数ヶ月を擁するアメリカの三本の超長距離自然歩道(メキシコ国境からカナダ国境まで南北に縦断するパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)東部のアパラチアン山脈に沿って伸びるアパラチアン・トレイル(AT))と、それらをすべて踏破したハイカーに贈られる称号で、舟田氏は2009年にPCTを、2010年にCDTを、そして2011年にはATを踏破して、前述のとおり日本人で始めてトリプルクラウンを達成したハイカーとなった。

ともあれ、僕らは彼が「日本初のトリプルクラウン」だから日本を代表するハイカーだと考えているわけではない。実際に会ってみればわかるけれど、彼は実直で純粋な普通の青年であり、偉業を成し遂げた冒険家でもなければ、超人的な体力を持ったスーパーアスリートでもない。ましてやこれから始まるインタビューの後編を読んでもらえればわかるけれど、現在の彼は歩くことをほとんどやめている。けれど、あえてこのナンセンスな問いの答えに僕たちは舟田靖章の名を挙げておきたいのだ。そしてこの長い長いインタビューは、その理由を解き明かしていくものでもある。

このトリプルクラウン•ハイカーの全貌に触れるべく、今回は特別に2本のインタビューを用意した。1本目は彼がトリプルクラウンを達成したAT(及び国境を超えてカナダへと続くインターナショナル・アパラチアン・トレイル)のスルーハイクを達成して帰国した直後の2011年の10月に筆者(三田)が行いながら、諸般の事情によりお蔵入りになっていたもの。もう3年前の証言だけど彼のハイカーとしての歩みがここまで詳細に語られた機会はないし、手前味噌ながらアメリカのロングトレイルやスルーハイクの実情を知るには最適な記事だと今でも思う。

そしてもう1本は、2014年2月に現在の彼が生活の拠点とする茨城県にある農場へ訪れて収録したもの。ロングトレイルやそこを歩くことについては様々な人が様々なことを語っているけれど、「ロングトレイルを歩いたその後」についてのインタビューはこれまでなかったはずなので、こちらも興味深い内容になっていると思う。

それではこの希代のハイカーの話に耳を傾けてみよう。ハイキングとは何か、ハイカーとはどんな存在か、そんなことをより深く考えるヒントになれば幸いである。



メリノウールのシャツにナイキのランニングパンツ。自作のバックパックにトレイルランニング・シューズ。ハイカーのスタイルで東京近郊の私鉄沿線の駅前に現れた青年は、数日前まで南アルプスを一週間縦走していたようには思えないほどピカピカとしていた。それどころか、サラサラの髪の毛とツルツルの肌をした彼は、とても今年(2011年時)29歳になるようにも見えない。失礼ながら、駅前で所在なげに佇む姿はどう見ても部活帰りの高校生だ。だが何を隠そう、彼こそは日本で始めてトリプルクラウンを達成したスーパーハイカーなのだ。

それにしても、目の前に現れた舟田靖章さんの颯颯としたたた佇まいと威圧感の無さ、若々しさは驚愕的でさえある。いったい、彼はこの数年で何千マイルを歩いてきたというのか? そんな経験をすれば肌も日焼けでガサガサになり、筋骨隆々として目がギラギラと光っているような、只者でないオーラを発散するものではないのか? なのに、目の前にいるのは痩せっぼちの、まだ幼ささえ感じるような青年なのだ。

 その個性が彼本来の持つものなのか、この三年間トレイルを歩き続けたことによる効果なのか出会ったばかりの僕にはわからなかったけれど、その感想を本人に伝えると「ああ、よく言われます。なんだか歩けば歩くほど軽くなる感じなんですよね」と言って、スルーハイク中も多くのハイカーたちを油断させたであろう、その人懐っこい笑顔を見せてくれた。


 ■運命を変えた事故

――まずはスルーハイキングに旅立つ以前の、舟田さんとアウトドアやハイキング・カルチャーとの出会いからお話をお聞きしたいのですが。

舟田:僕の場合は、最初は自転車キャンピング旅行ですね。大学生の頃から自転車で北海道をまわったりしていました。

――自転車旅行をする以前から、冒険や放浪のようなものへの憧れはあったんですか?

舟田:漠然とした「どこか遠くに行きたい」という感覚はずっとあったんだと思います。それで大学の後半頃から、なんとなく自転車キャンピング旅行というのが自分の旅のスタイルとして出てきたというか。でも、それをやって気づいたことが、自転車だと道路のあるところにしか行けないということで(笑)。自転車の良さももちろんあるし、今でも自転車は大好きですけれど、それだと自分の行ける場所が限定されちゃう場合がある。「もっと自由に旅をしたいな」と思ったときに、山歩きが視野に入ってきたんですね。

――「もっと自由に旅をしたい」というのは、「舗装された道のその先に行ってみたい」ということなんでしょうか?

舟田:そうですね。もっと自由な旅のあり方が、そっちに見えたというか。だから、もともと僕はいわゆる「ヤマヤ(山男を指す日本登山界の伝統的なスラング)」みたいなものとは求めているものが違くて、『遊歩大全』(1968年にアメリカで出版された伝説的バックパッキング入門書)みたいなバックパッキング・カルチャーの本の方が感覚が合ったんですね。「あの山の上に行きたい」じゃなくて、「あの山の向こうに行きたい」っていう感覚で最初から歩いていて。だから、僕はまだまだ経験も浅くて登山歴何十年とかじゃ全然ないんですよ。

――それは意外ですね。

舟田:そんなふうに大学卒業してすぐの頃から歩き始めたんですけど、やっぱり最初は僕も大きいバックパックがかっこいいと思っていて、80リッター位のを背負っていましたね。大きければ大きいほどいいと思っていたんで(笑)



――そこから徐々にスルーハイキングの世界に傾倒していったきっかけは何かあったんですか?

舟田:最初にPCTのことを知ったのは、2003年に日本人で日色健人さんという方や石部政和さん明子さん夫妻という方々がPCTを歩いているんですけど、その人たちのホームページですね。それと同時にJMT(シェラネバダを縦断するジョン・ミューア・トレイル。PCTのトレイルの一部でもある)の情報も加藤則芳さん(2012年に逝去された日本のロングトレイル文化に多大な貢献をしたバックパッカー/作家)経由で入ってきて、アメリカにはそういう超長距離のトレイルがあるということがわかってきた。でも、その時の僕は単純に「ああ、すごい人がいるんだなあ」という感じで、彼らが超人にしか見えなかったですけれど(笑)。

――それが実際に『行こう!』と決意する過程には何があったんでしょうか?

舟田:僕は大学を卒業して製本屋に……と言っても大きな印刷所とかでなく、普通の町工場の製本屋さんに勤めていたんですけど、そこで機械のオペレーターをやっていて、入社一年くらいしたときに、指を四本落とす(切断する)という事故をやってしまって。

――え!? (左手を見て)あ、本当だ…。全然気がつきませんでしたけど…。

舟田:左手の掌ごと中指・薬指・小指の三本と、あと右手の親指も落としたんですね。結果的には手術で親指と小指は着いて、もう生活にはほとんど困らないんですけど。そういう経験もあって、「いつかは行きたいと思っていても、いつまでもチャンスがあるとは限らないんだぞ」と思うようになったというか。

――へえ、興味深いですね。変な話、それで運命が変わったのかもしれない。

舟田:たしかに、これが背中を押してくれたひとつの要因でもありますね。だから、事故のことはぜんぜん悪いようには考えていないです。その頃レイ・ジャーディンの“Beyond Backpacking”(ULハイカーのバイブルとも言えるULハイキング入門書で、レイ・ジャーディンはULのゴッドファーザー的存在)なんかを読んで、ウルトラライト・スタイルの歩き方を自分でもやってみて、荷物が軽ければ一日20マイル歩くということが可能なんだということがわかってきて、そこで初めて「行けるかも」と思い始めたんです。だから、もしもウルトラライト・ハイキングと出会わずにあのまま荷物が重いままだったら、行ってなかったかもしれないですね。20キロの荷物を背負って一日20マイルを五ヶ月も歩くなんて超人としか思えなかったですから(笑)。



 ■はじめてのスルーハイキング

――そうやって徐々に準備をされて…

舟田:そうですね。でも会社を「やめる」って言ったことが、僕にとってはいちばん大きな一歩だったかもしれない。そのあとビザを取ったりだとか、情報集めとかは決めちゃったらもうやるだけで。簡単に後戻りしないために自分のホームページ(舟田氏自身のトレイルログの他、ロングトレイルにまつわる様々な情報も網羅された『逍遥遊』という名のホームページ。アメリカのトレイルを目指すハイカーならば必読な内容です)も立ち上げて。あれは、最初は自分を鼓舞するために作ったんです(笑)。だから仕事の最後の半年は、なんだかんだと転がるように過ぎていきました。僕の場合は海外へ行くのも初めてだったんで。

――それも意外ですね。でも見るものすべてが新鮮で面白かったでしょう?

舟田:カルチャー・ショックはたくさん受けました。高校卒業までの英語力しかありませんでしたけど、なんとかなると信じてて。で、行ってみたら、やっぱりみんなが助けてくれて(笑)。スルーハイカー同士はひとつの共通言語を持っているようなものなので、一日のうちになにをやりたいのか、街に降りたら何が必要なのか、お互いわかっている仲ですから。だから、最初から英語の苦労はさほど感じなかったですね。いろんな人から優しくされて、ロクに英語も喋れないのにみんな食事に誘ってくれたりして、微妙に日本語喋れる人がまた他の人に紹介してくれたりもして、もう、いたれりつくせりというか(笑)。だから、歩くのはもちろん自分なんですけど、「自分ひとりの力で歩く」なんてことは、歩いた後では言えなくなりましたね。

――2010年にPCTをスルーハイクされた三鷹のハイカーズデポの長谷川晋さんも「PCTは自然はもちろんだけど、出会った人のインパクトがより大きかった」とおっしゃってました。

舟田:それはわかります。僕も最初は自分一人で全部できる準備をしていったつもりで、人に頼らないでやっていこうと考えていたんですけど、でも、行ってみるともっと適当になったというか、肩の力が抜けちゃったというか(笑)。



――ホームページでも、『歩き始めて一ヶ月くらいでやっとPCTの歩き方がわかってきた』と書かれていましたね。

舟田:歩き方のリズムとか、ハイキングのモチベーションとか、スルーハイカー同士の関係やあり方とか、そういうのが一ヶ月くらいするとわかってくるんですね。ハイカー同士、抜かしたり抜かされたりするなかで、時には一緒にキャンプしてご飯食べたり、あるいはいっしょにヒッチハイクして街に泊まることもあったりして。そういうなかで、どこまでハイカー同士が協力しあうのか、どこまで独立しているのか、そういうことも歩き始めてひと月くらいで見えてくるんです。スルーハイカーって、基本的には自分一人でも歩ける人たちなんですよ。だから固定されたパーティは作らなくて、たまたま会ったから一緒に歩くし、休憩するなら「じゃあ俺は先に行くよ」って別れたりして、そういうかんじで一緒に歩いたり離れたりしているんですね。「頼るところは頼ってもいいし、でも無理して一緒にいることもない」っていう、ハイカー同士の関係がわかってきて。

――そこには自分ひとりだけで歩いているんじゃなく、「大きな人の流れの中に身を置いている快感」みたいなものがあるんでしょうか? 僕は昔パーティ・トラベラーをしてて、レイブ・パーティを求めて世界中を旅したんですけど、いくつかパーティを追いかけていると同じ奴にまた会ったり、そこで出会った奴と次のパーティに行ったり、「こうして旅しているのは自分だけじゃない」と思えることがすごく魅力だったんです。たとえばグレイトフル・デッド(ヒッピーカルチャーの代表的存在のアメリカン・ジャムバンド。1995年にリーダーのジェリー・ガルシアが死去したことにより活動停止)のツアーを追いかけて旅するデッドヘッズの世界なんかでも同じだと思うんですけど。

舟田:それはすごくわかります。だから、そこはロングディスタンス・トレイルじゃなきゃいけない部分というか、ロングディスタンスだからこそ生まれる関係ですよね。別れてもどこかでまた会うし、ひとりぼっちで歩いていても前後には誰かがいて、「あの人もこの道を歩いたんだろうな」と思ったりして。ロングディスタンスを歩く上でのモチベーションとしても、「あいつらも歩いているんだ」というのはすごく大きいと思います。



 ■ロングトレイルは「生活の実験」である

舟田:それで、スルーハイクっていうと「ウィルダネスにどっぷり浸かる」ってイメージがあると思うんですけれど、歩いているハイカーの現実は、実は常に文明に支えられているんですね。僕も最初のPCTのときは5日歩いたら1日休むかんじで、(スルーハイクにかかった)4ヶ月半のうち「ゼロ・デイ」っていう歩かない日が25日もあった。スルーハイカーといっても、実はそれだけ街で過ごしているんですよ。でも、そうやってたとえば5日間ごとに街で補給しながら歩くとすると、いつのまにかただ単に次の街に着くことが目的になっているハイカーって、すごく多くて。それで街へ降りたらもう食べて食べて飲んで……初めての人は、大抵そうなるんですけど(笑)。

――たしかにそうなるでしょうね(笑)。

舟田:街に降りたら寝る場所の心配はないし、ベッドは快適だし、食べ物はいつでも手に入る。まあ、それはそれで「文明の価値を見直す」というか、ひとつの真実ではあると思うんですけど。でも、たとえばレイ・ジャーディンは「それも違うんじゃない?」って言って、その先に行っているんですよ。

――その先?

舟田:最初は僕も、彼はエクストリームに体を酷使して、めちゃめちゃストイックに歩いていると思っていたんですけど、歩いているうちに、僕にもだんだん彼の歩き方が見えてきた。実際にレイ・ジャーディンがPCTを歩いた日程を見ると、よくわかるんですよ。彼は街で全然時間を過ごしていないんですけれど、それは単にスピードや記録を求めてそうしているんじゃなくて、いったん常識を排除してもっとトレイルに浸かって、そこで本当に必要なもののエッセンスだけを取り出して、「生活そのものをトレイルの上で組み立てる」というか…。彼のスタイルがただ単に装備を軽くしたというわけでなく、そういうことをやった結果だってのはすごく感じましたね。

――それはまさにロングディスタンス•トレイルを実際に歩いた人でないとわからない感想ですね。

舟田:なんていうか「トレイルを軸にした生活」。それも一時的ではなく、「トレイル上での持続可能な生活」というか。僕も、たとえば一週間のハイキングならなんでもいいやって思うんですけど、ロングディスタンスの場合は、もっとトレイルの上で何ヶ月も続けられるような生活のサイクルを作らないといけないんですね。そこに毎日なにか特別なエキサイティングなことがあるわけじゃないけれど、その暮らしそのものが楽しみになるような。そういうサイクルが、トレイルでの生活をシンプルにしていくほどに見えてくるんですよ。それこそソロー(19世紀アメリカの作家・思想家。人里離れた湖畔にひとり自給自足で暮らした日々を綴った『ウォールデン;森の生活』はナチュラリストのバイブルとしてあまりにも有名)じゃないんですけど、「生活そのものを生きる」というか。



――確かにソローも苦行として「森の生活」をしたわけじゃなく、きっとあの暮らしそのものを楽しんでいたはずですよね。

舟田:ハイカーズ・デポの土屋智哉さんも今年(2011年)長いトレイル(アメリカ・コロラド州にある471マイルに及ぶコロラド・トレイル)を歩いたんですけど、「トレイルが単調だった」って言うんですよ。でも、逆に「だからこそスルーハイキングがわかった」と。毎日特別ドラマチックな何かが起こるわけじゃないんですけど、シンプルな生活のサイクルがあって、逆にそこに楽しみを見いだすというか。だからスルーハイクを数回繰り返している人は、たいてい街で過ごす期間が短くなってくるんですけれど。

――ずっと歩いていると歩く時間も長くなってくるんですか?

舟田:一日十時間以上は歩くようになりますね。それで持続的に歩き続けるためには、ワンセクションごとに完全燃焼して街に飛び込むんじゃなくて、毎日十時間以上歩くけど、次の日に疲れを残さないような生活のリズムもだんだんできてきたりして。トレイルの上での洗練された生活が見えてくる。最初PCTに行ったときは、僕にとっては大冒険だったんですよ。「自分の力で歩ききってやるぞ!」っていう気持ちがあったんですけれど、それが歩き始めて、言い方は悪いですけど、ちょっと拍子抜けしたというか(笑)。一ヶ月くらいたつと肩の力が抜けて、スルーハイキングがそういうものじゃないんだっていうのがわかってきた。日本を発つ前に僕が求めていたものとは違うものだったんですが、もっといいものを見つけたというか。「あ、これは居心地がいいな」と思ったんですね。スルーハイキングはタフでハードなものというイメージは僕からしたら全然違くて、もっと気楽に、”Take it easy~♪”みたいなかんじで口笛吹きながらどこまでも歩いていけるような、そんなイメージなんですけど(笑)。

――ロングトレイルは冒険ではないと(笑)

舟田:僕の人生にとってはたしかに一種の冒険だったんでしょうけど。でも「冒険」というよりは「旅」と言った方がいいですし、もっと言えば「実験」ですかね。「生活の実験」。人跡未踏のピークを登るようなチャレンジとは根本的に違いますよね。



 ■ハイカートラッシュ!

――そういった、いま現在ロングディスタンス・トレイルに集っている人たちを何と呼ぶかといったら、やはりアメリカでも「バックパッカー」というより「ハイカー」という感じなんでしょうか?

舟田:「バックパッカー」てのとは、ちょっと違う感じですね。「ハイカー」はもっと肩の力が抜けてるというか。正直、いまの僕には「バックパッキング」というとマッチョイズムというかナルチシズムというか、ちょっと肩肘張っているイメージがあるんですね。それに対して「ハイキング」っていうのは気楽に、純粋に、歩くことそのものを楽しんでいるというか。バックパッキングは重い荷物を背負うことにある種の意味を見いだす部分があると思うんですけど、僕からすれば、ハイキングの方がもっと純度の高いやり方な気がしますね。何も「ウルトラライトなスタイルじゃなくちゃダメ」というわけじゃないんですけれど。本物のスルーハイカーって、実は道具にこだわりがないですし。

――確かに長く旅を続けていたらそうなるかもしれませんね。

舟田:道具が目の前にちらついちゃうのって、目標が見えてないからだと思うんですよ。目標がちゃんと見えてて、道具が必要最低限の機能さえ果たしていれば、道具って視界に入ってこなくなると思うんですね。でもベテランのスルーハイカーたちはこだわりがないから、たとえば写真を撮っても絵にならない(笑)。ほんとにゴミ袋を駆使してたりとか(笑)。アメリカだと口のところに紐のついたゴミ袋があって、その底を抜いてスカートみたいにして履くと、膝上から腰まで濡れないですむんですね。換気もそこそこで蒸れないんで、スルーハイカーの間では定番テクなんですけど。「これ絵にならねーな」って、僕も写真撮りながら思います。「きれいな山をバックにしてゴミ袋かよ」みたいな(笑)。

――(笑)。

舟田:だから、ハイカーのなかでは自分たちのことを「ハイカートラッシュ」って、誇りを込めていう言い方があるんですよ。それこそ、体に入墨ででっかくHIKER TRASHって入れている人もいますし、体中(入墨で)自分で歩いたトレイルの地図やエンブレムだらけなんて人もいるんですけど(笑)。ハイカートラッシュの TRASHって「ゴミ」とか「乞食」っていう意味で使う言葉で、ほんとに汚いし臭うかもしれないんですけれど、僕らからしてみたらそれが一番かっこいいんですよ(笑)。だから装備も最高の性能のものを揃えるというよりも「ひとまずこれで済んでるからこれでいい」という感覚なんです。歩き続けて街に降りて、そこにたまたまあったものを着ているという感じで。



――たしかにロングトレイルを実際に歩いていたらそうならざるをえないでしょうね。

舟田:結局、やりたいことのためにはそれで済んじゃうんですよね。そういう人たちがハイカートラッシュなんです。

――そういう話は向こうのメディアでは紹介されているんですか?

舟田:まず出ないですよね。

――たしかにBackpacker MagazineやOutside(アメリカでの山と渓谷やBE-PALのようなアウトドア雑誌)がハードコアなハイカーの世界をフューチャーできるのかと言われたら、日本と同じくできるわけがないですよね。向こうのアウトドア雑誌だってアウトドア業界からの広告収入で成り立っているわけで、「特集ハイカートラッシュ」じゃ、広告入るわけがない(笑)。そうした現在のアメリカのハイキング・カルチャーというものは、やっぱりロングディスタンス•トレイルをスルーハイクする人たちの間で生まれてきたものなんでしょうか?

舟田:僕はやっぱりロングディスタンスが本場だと思います。もちろん数日単位のハイキングも楽しさはあると思うんですけれど、やっぱりロングディスタンスじゃなきゃ駄目な部分てのもあるですね。だからこそロングディスタンスを歩く人がいるわけですし。

――PCTを歩いているハイカーはどんな人が多かったですか?

舟田:大学卒業して仕事に着く間のタイミングで来ている人が多いですね。それか仕事について三~四年やってからやめて来たとか。あと世代的には50代以上のすでにリタイアした人も多いです。向こうではスルーハイクは、たぶん3000ドルくらいあればできるんですね。なかには、500ドルくらいで全部歩く人もいますけど(笑)。「ダンプスター・ダイビング」って言葉知ってますか? ダンプスターってアメリカの会社や企業が使っている巨大なゴミ箱なんですけど、そこに飛び込むっていう意味で、それで食料を調達したりして(笑)。あと「ハイカーボックス」っていうスルーハイカーが不要になった食料や道具を置いていく箱が、たとえばトレイル上の郵便局の前だとかハイカーの集まる場所に置いてあって、それでやりくりする人も多いですね。僕が会った中でも、四ヶ月間でシャワーを一回しか浴びていないという人いましたし。それでもやっていける、なんとかできるんだっていうのが僕からしてみれば衝撃で。僕も今年のATは、シャワー浴びるのは月イチって決めてたんですよ。宿に泊まるのも月イチで(笑)。だから、いろんな可能性が本当はあるんですよね。そういう人たちの中で、すごく面白いことをやっている人たちもいます。

――「面白い」っていうのは、「自分のハイキング・スタイルを確立している」ということですか?

舟田:スタイルもありますし、お金じゃない部分……「生活って、こんなやり方でもなんとかやっていけるんだな」というか。普段の生活からダンプスター・ダイビングやっている人たちもいますし。夫婦で家持っていて、パッと見すごくいい生活しているのにダンプスター・ダイビングで生きている人なんかもいますし(笑)。だから、生活のいろんな可能性が見えてくるというか。



――僕も以前ポートランド(現在全米で最も急進的でリベラルな街だと言われるオレゴン州の州都)を訪れた時、お洒落な家に住んでいるのに食料はほとんどスーパーの廃棄品で暮らしているアーティストのカップルに会いました(笑)。ロング・トレイルを歩く人は、だんだん価値観も”TRASH”になって行くんでしょうかね。

舟田:そういう部分はありますね。お金のことにしても、だんだんお金を持っている持っていないってのが見えなくなってくるというか。街にいるといろいろあるわけじゃないですか。身につけている物が違うとか、レストランに行っても注文するものが違うとか。

――社会のなかのクラス(=階級)というのは、どこに行ってもありますよね。

舟田:トレイルではそういうのがすごく薄くなるとは思います。それでみんなハイカートラッシュの一語でくくれるような人たちになっていく(笑)。

――ハイカーのあるべき姿を追求していくと、ハイカートラッシュになっていく(笑)

舟田:もちろん、そうじゃない人たちもいますけど。たとえば、加藤則芳さんなんかは、求めているものが違うんだと思うんですね。加藤さんはたぶん「ハイカー」じゃなくて「バックパッカー」というか……僕はそう思っていますけど。長い距離歩いた後でも、そういう感覚の人ももちろんいます。でもロングディスタンスを何度か歩いた人は、限りなくハイカートラッシュに近づいていく(笑)。トリプルクラウンなんてアメリカにはいっぱいいますし、Wトリプルクラウンって言って、全部二回歩いている人もいっぱいいいるんですけど、そういう人たちのスタイルは大抵みんなハイカートラッシュですね(笑)。

――アメリカでそういう文化が生まれてきたのはいつごろなんですかね?

舟田:やっぱり2000年入ってからだと思いますけど。レイ・ジャーディンの最初の本(“Beyond Backpacking”の底本となった“PCT Thru-Hiker Handbook”)が出たのが96年とかだったんじゃないですか。

――やっぱりアメリカにおいても“Beyond Backpacking”はひとつのエポックだったわけですよね。

舟田:だったと思いますけど。でもあれが出た当時は、あのやり方でできるとは誰も信じなかったみたいですけどね(笑)。2003年に行った日本人の方々のホームページを見ると、その人たちのスタイルはまだスタンダードなやり方に近いんですけど、まわりの人たちはウルトラライトが多いというのはわかります。だから昔とは、スルーハイキングも根本的に違いがあるみたいですね。レイ・ジャーディンも最初は重たいスタイルで行ってたみたいですし。だから2000年代の後半くらいからじゃないですかね、すごく盛り上がってきたのは。

――とはいえ、まだまだハイカートラッシュみたいな世界はなかなか紹介されないわけで……

舟田:ハイカートラッシュは、大きくはならないんだと思いますけどね。大きくなったらお金とかが絡んできて、ハイカートラッシュじゃなくなっちゃうし。



WRITER
三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
masaakimita.web.fc2.com

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