AMBASSADOR'S

土屋智哉のMeet The Hikers! ♯3(前編) – ゲスト:寺澤英明さん

2015.05.29
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■アルコールストーブ狂時代

土屋 あとあの当時何が熱かったかって、ローカスギアの吉田丈太郎さんが出てくるまでは日本のULといえばアルコールストーブだったんだよね。

寺澤 MYOG(=Make Your Own Gear=ギア自作のこと)というとね。

現ローカスギアの吉田丈太郎さんがタイベック製の自作シェルター(現Appolloの原型)をBPLのMYOGフォーラムに投稿し大きな話題を呼ぶまでは、日本のMYOGといえばアルコールストーブが中心だった。写真は2009年、多摩川河川敷で行われたアルコールストーブ・マニアの同好会(通称アル中会)での丈太郎さん自作シェルターのお披露目の模様。このときすでに丈太郎さん、現フリーライトの高橋淳一さん、 T’s Stoveの塚越利尚さんなど、後の日本のコテージ・マニュファクチャラー・シーンに名を連ねる人が顔を揃えていた。(『山より道具』より)

土屋 その当時ストーブといえばガスとかガソリンって時代に、「え、アルコール・ストーブってアリ?」ってのがあったんですよ。それまでは幕に関してはタープを使うようになってもサワヤさん(沢登り)はブルーシートをタープ代わりに使ってたり、シュラフカバー一個で寝てたし、ザックにしてもクライマーはシンプルなザックだったし、靴もアプローチではシンプルなランニングシューズ履いたりしていたから、そこってある意味「そんなの前からやってたよ」っていわれかねない。でもアルコールストーブって選択肢は彼らにもなかったときだから。だから「アルコールストーブでいいんだ」っていうのは日本でULを紹介していくときの大きなポイントだった。マスプロではトランギアと、あとODボックスでは大阪にあったパイトーチって会社のを扱っていて、そのふたつしかない時代だったんだけど、そのときにミニブル(Minibull Design Cult)っていうアルミ缶ストーブをODのとき海外から入れたの。

寺澤 入れてたの、ミニブル!? へー!

土屋 あとトレイルデザインのカルデラコーン(*1)とかね。でもトレイルデザインのアルコールストーブってシンプルだからさ。あの時代、アルコールストーブをどれだけ火力が上げられるんだっていう研究がすごく行われていて、それが日本のULシーンの核だった。あの当時って山に出ようというよりも、まずはこのアルコールストーブがどれだけ性能を上げられるんだっていうことが誰にもあったと思う。

同じく「アル中会」の模様から。(『山より道具』より)

寺澤 山に行かなくてもアルコールストーブで遊べるじゃん。燃費であったり、沸騰まで何分かとか。シンプルなんだけどやりようによって数字が変わるから面白かったよね。毎日仕事もしないで空き缶ばっか切ってましたけど(笑)。あと、アルコールストーブを使うことでスタイルが一変するじゃないですか。いきなり詫び寂び感が出てきて、ULになっちゃう。だからやっぱり最初のひとつの象徴的なアイテムではあったよね。アルコールストーブを中心にした生活を組み立てたいがためにそれに似合うようなものを揃えて、キャンプで飯炊いて食ってみたいから山に行く、みたいなね。ガスストーブじゃULじゃないでしょ(笑)。

土屋 でもさ、俺はいまでこそ「デザインなんて関係ない」みたいなことをいうこともあるけど、やっぱりアメリカのカルチャーに憧れた世代じゃない。だからたとえばタイベックを買うときもカタカナじゃ嫌なんだよ、英語がいいんだよ(*2)、とかあってさ(笑)。

寺澤 俺もそうだったよ。

土屋 だからアルミ缶ストーブでもやっぱり元になってる缶はアメリカのコーラとかバドワイザーとか海外のがいいんだよって思ってた(笑)

寺澤 もともとPepsi can stoveっていわれてたんですよ。最初は西海岸の学生とかがこれ作って遊んでたって話があって。

ーーでもアルミ缶ストーブって捨てられるはずのものを再利用して作れて、さらにマスプロのものよりも軽くて、本当にULマインドの象徴的な存在ですよね。さらにそれを売り物にしちゃっているのとかも衝撃的で。

寺澤 でもミニブルのおやじは最初にそれをやってBPLのフォーラムでは結構叩かれてたんだ。「俺らのカルチャーの中でだんだん進歩してきたものを売り物にしやがって!」みたいな感じで。

ーーでもあれが店頭に並んでいるのを見たときの衝撃は結構ありましたね。「え、これが売り物!?」って。でも一周回ってそれが逆にカッコいい、みたいな。

寺澤 確かに象徴してるよね。

寺澤さん自作のアルコールスト―ブ。寺澤さんの著作『ウルトラライトハイキングギア』(実は構成を担当している三田がカラーページの撮影を担当)で使用されなかったカットから。

土屋 これ毎回対談のときにいっているけれど、やっぱりULのスピリットとか思想を突き詰めちゃえば、レイ・ジャーディンのいうようにそれで経済活動をすることには否定的にならざるえない。「自分でできるよ、作れるよ」ってとこから始まったものだから。でも、やっぱりそれが買えるようになったっていうのは、そこにハードルを感じる人に対してハードルを一気に下げてくれたよね。それは原理主義的な人には「そんな雑音入れやがって、濁しやがって」になるだろうけれど。でも、そういうことがあるからこそカルチャーが広がっていくこともあるから。

寺澤 いまの話をすると、ULの道具って危ういじゃないですか。強度がなかったり適用範囲が狭かったりするわけですよ。だから自分が何担いで何やってるのかってことを知らずにULをするのはやっぱり危険だなって思うわけですよ。昔は作らなくちゃならなかったからそれはなかったんだけど。作るってことはその限界を知るということで、どういう目的でデザインされているかを自分で認識しないと作れないからね。そこがいまは買えちゃうから誰でもULで山に行くことはできるけど、道具に対する理解がないULはちょっと危ないよね。そのへんをMYOG通じて知ってもらわないと。

土屋 だから俺とか、いまインディペンデントでメーカー始めてる人とかはその片棒を担いでいるんだよね。俺なんかは日本でその最初をやっちゃった人だからさ。これあるメーカーさんから聞いたんだけど、たまにそこのシェルターを自分が立てられなかったから「この商品はきちんと作られていないんじゃないか」っていうクレームが来るんだって。たぶんそのユーザーさんも悪気はないんだろうけれど、そういうことも起こりうる。ULの道具って基本的に何もしてくれないじゃないですか。道具を使う主体は自分にあって、道具の性能を100%引き出すのは自分だし、火を着けられないのも自分だしっていう。「これがあれば大丈夫」っていうようにいろんな商品のコマーシャルが行われているなかでULってかなり特殊事例だから、やっぱり売る側も使う側もそれをきちんと認識したうえで売ったり使ったりしていかなきゃならない。でも、それって俺は消費社会でもすごく健全な形になりうるんじゃないかなって思うんだ。ようは買い物する側が上なんじゃなくて、買う側も作る側も売る側もみんながイーブンな関係に立って、「この道具をきちんと使って山に行こうよ、楽しもうよ」っていう、そういう文化をひょっとしたらULとかハイキングっていうカルチャーは作れるんじゃないかって。

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2012年奥秩父主稜縦走時の寺澤さんの装備(『山より道具』より)

■土屋×寺澤の冷戦時代

寺澤 それで、俺のブログなんて道具のちょっとしたレビューなんだけど、コメント寄せてくれる人がだんだん増えてきたのね。当時SNSがない時代だから、結局リアルタイムのやり取りがブログのコメント欄だったんですよ。そこにいろんな人が寄ってきて、比較的早くからきたのがべぇさん(“Meet The Hikers!”第2回に登場した勝俣隆さん)だよね。あとSgt.Mっていう名前で『ハードコア・ハイカー』っていうブログをやっていた軍曹っていわれている友達もけっこうすごい勢いでコメントくれて。こういうの好きな人が他にもいるのがわかったのも嬉しかったし、読んで反応してくれる人がいるとまたブログ熱に拍車がかかってさ、じゃあ今度はまた新しいものを仕入れてみようとか違うとこで使ってみようとか思うようになって。

土屋 実は俺は山より道具にコメントするまでにかなり時間がかかってるんだ。川崎さんとは早くから連絡を取り合うようになっていたんだけど、当時ODボックスに勤務する身で、こういうムーブメントがあるからそれを売っていこうって思ってたときに、いまでこそ「個人輸入するならどうぞご自由に」って思うようになったけど、その当時って俺もまだ若かったし、いろんな意味でとんがってたんだろうね。だから「ブログで個人輸入のこと書くだ!? 素人が手を出すもんじゃねえんだよ!」って(笑)。正直、「『山より道具』!? 道具より山だろコラ!」くらい思ってた。

一同 (笑)

土屋 ようはやっかみなんだよね。単純にこっちは会社の金とはいえ海外まで行ってこういう新しいものを探してきて日本に紹介しようと思ってやってるのに、「ネットで調べてポチッと買ってるだ!?」ってさ(笑)。

寺澤 あんとき俺にとってヌラさんは悪の帝国のボスだったんだよ(笑)。「1ドル360円ってどういうことだコノヤロー!」ってね(笑)。

ーーーお互い打倒すべき相手だったと(笑)。

土屋 そう。「ここは潰さなきゃ」って。

寺澤 だからヘックス3なんて当時海外ですごく安い値段で売ってるとこがあったの。だからまとめて買ってヤフオクで捌いたりして。それを売るためにはどういうものか知ってもらわなきゃならないから、それでブログがんばっちゃったりしてね(笑)。たぶんヘックス3だけで10張以上は売ってるよ。

ーー寺澤さんはお金に困ってたわけじゃないと思うんですけど、そこまでしてヘックスを売りたいモチベーションはどこだったんですか?

寺澤 「ODぶっ潰せ」だよね(笑)。だから俺もヌラさんには会いにいってないの。

土屋 お互い知ってはいたけど「このクソが!」って思っていた時期が結構長かったと思うよね。

ーーーじゃあ店員さんとお客さんっていう関係では会ってないんですね。

土屋 ないない。寺澤さんはたぶん「ODで買えるものなんて買わない」ってずっと思ってただろうしね。だから当時俺の中では川崎さんは善の人、テラさんは悪の人、みたいな(笑)。

寺澤 だから店行ったのはだいぶ後だよね。

土屋 当時テラさんも「ODはなんでこういう値付けなわけ?」って思っていただろうし、俺は俺で「なんでこういうこと書いちゃうわけ?」って思ってたし。しかもそこにすっげえいっぱいコメントついててさ。でも、俺も毎日のように見てたんだけどね(笑)。だから「僕もこういうのやっています。よろしくお願いします!」なんてコメント書けるわけないっていうか、もう、バチバチの緊張感ですよね。コメント欄で「これODでも売ってますよね。でもあそこで買うと高いし」なんて書かれてると「このクソ野郎!」とか思っただとか(笑)。

寺澤 そういう時代あったよね。まあそれもね、お店で売ると高くなる理由もあとでヌラさんと話してね、ちゃんとメーカーからお店に卸して売らないとちゃんと需要があったときに出せないし、それが命に関わるギアだったら大変だし、ストックもしなくちゃならないし、アフターケアも必要だからコストがかかるんだって説明を受けて、なるほどねと。それで「許す!」ってなった(笑)。

『山より道具』より。

2008年硫黄岳の寺澤さん(『山より道具』より)

土屋 そういう関係が変わる契機になったのは、この連載でも毎回話しているけれど、俺が奥多摩奥秩父歩いたことだったんだよね。それまでも奥秩父主稜縦走路をセクションではちょくちょく歩いてたんだけど、それをULの装備で全部通しで歩いて、それをODのブログで書いたときに、テラさんとかそのまわりの人たちが「本当にULの装備である程度の時間と距離を歩く人がいるんだ」ってなって、それを見てテラさんが初めてお店に会いにきてくれて。でも、そのときのテラさんの第一声が「俺は買わないけどね」だったんだけど(笑)。

寺澤 「俺が買うもんなんか売ってねえだろ」みたいな感じでね。

ーーでもそのときはまず自己紹介されたんですか?

土屋 どうだろ? こういう商売やっているとお客さんが来たときになんかこういう商売やっている人かな、とかは判るんですよ。テラさんはクライマー体型でもなんでもないけど、熱量が多い人ってなんとなくわかるんだよね。でも、たぶんテラさんが「『山より道具』ってブログをやってるものですけど」って名乗ってくれたんだと思う。ああいうブログがあったからどういう人か見に来たっていう話で。そしたら俺も「ありがとうございます」っていって、そこからは大人の対応ですよね。お互いに子供じゃないんで(笑)。

寺澤 それからODにも回数は多くないけど行くようにはなったよね。行ったら何か買ったし。そうだ、あれ買ったよ、スノーピークのチタン450マグ(*3)の蓋。裏からこそっと出してくれて。

土屋 あのときODのアネックス(*4)でよくやってたのが、いろんなものをメーカーからパーツで取ってくるの。たとえばスノーピークの450のマグカップのフタとしてスノーピークのミルクフォーマーとかカフェプレスのフタ部分のパーツがぱっかりはまるんですよ。だからそれだけ仕入れて「450のマグに合いますよ」っていって売ってたり」。どこの個人店だよっていう(笑)。それはハイカーズデポになってからもやってたんだけど、ある時期から「もうそういうことはやりません」っていわれて、残念、みたいな。あの頃はいくつもそういうのやってたから、アネックスの三階にはホーボー・ジュンさんなんかがわざわざ自分のクッカーのスタッキングがいかに美しいかを自慢するために来るんですよ。閉店時間とかに店の前で待ってて道の上でクッカー広げて「ツッチー、これ見て!これがこうなってさ」とかって(笑)。

寺澤 それでお店に行ってちゃんとULやってる人なんだってことがわかって、悪の帝国ではないことがわかって、それからよく行くようになった。

土屋 ダースベーダーにも真心はあったと(笑)。

寺澤 それでさっきも話にでたカルデラコーンが出たときに買ったら、BPLでコメントとかやりとりしてたヤツを通じて「カルデラコーンを日本で売らないか」っていう話があって、彼が仕事で日本に来たときに彼を連れてODに行ったの。

土屋 閉店後に店の中で火をつけて「時間計ろうぜ」とかいってね。それでODでカルデラコーンを扱うようになったんだよね。

寺澤 そのときの写真がトレイルデザインのギャラリーに載ってますよ。俺がやってるようなゲリラ的なことじゃなく、ヌラさんはちゃんと販路に乗せてやってくれる人だなと認知をしたので、そういう話が来たときに「じゃあこれをODボックスに持ちこもう」と。

土屋 あれは嬉しかったよね。

トレイルデザインのウェブサイトより。(http://www.traildesigns.com/about/gallery07)

■ULはパンクだ

寺澤 そんななかでも決定に距離が縮まったのが「かぶと」の夜だよね。当時べぇさんがサンフランシスコに住んでいるってのがわかって、日本で買えないものを彼に買ってもらっていたのね。べぇさんは物流関係の会社に務めてたんで、買ったものを彼の便で送ってもらってたの。

土屋 べぇさんはほんとトレイル・エンジェルだよね(笑)。

寺澤 そしたらべぇさんが日本に一時帰国することになって、会うことになったの。彼の実家がウチと近くてさ。ヌラさんも杉並だっていうんで、「じゃ会いましょう」ってことでべぇさんちの近くの「かぶと」って居酒屋なんですけど、そこで3人で痛飲し、そこでヌラさんは「俺は日本でULを売る人になるんだ」と。俺は当時ブログで文章書くのが楽しくなってたんで「俺は書き物を頑張るよ」と。で、べぇさんは「俺はトリプルクラウンを目指すよ」と。そんなことがあって、その後ヌラさんはお店をやったし、俺もまあブログを頑張って本も出すことができたし、べぇさんは仕事忙しかったからなかなか歩きに出れなかったけれど去年アパラチアン・トレイル(以下AT  *5)をスルーハイクして「これで約束を果たせました」と。そのために仕事をやめるほど彼もバカじゃないと思うけど。

土屋 前回のべぇさんとの対談でもその頃のことを「厨ニ病」って言葉を使ったんだよね。よくも悪くもあのときって熱病に駆られたような感じで。

寺澤 「俺がやらなきゃだれがやる」くらいの勝手な使命感みたいなものがあって、「俺たちがこの新しい方法論を世に広めないとダメなんじゃないの?」って話によくなってたよね、あのころ。

土屋 まあULが結果としてある程度の広まりは見せたっていうのは、自分の中ではやっぱり『山より道具』のフォロワーの力ってすごくでかかったと思うんですよ。その当時ってSNSもまだ今ほどじゃなかったから、『山より道具』のコメント欄が日本でのBPLのフォーラム(*6)みたいな形になっていった。そのなかで神戸のスカイハイ・マウンテンワークスの古株のお客さんの吉富さん(吉富由純さん。TRAILSでは”What’s MC2T!?”に登場しているので参照のこと)のやってた『Beyondx』ってブログとかも、あのときは山より道具と同じエキサイトブログだから、一部に関東組とか「テラさんのパクリじゃねえかよ」みたいなこといってる人もいたけど(笑)、すごいセンスのある写真とか文章でULの実は誰もに開かれている部分を見せてくれたりして、そういう人たちがある意味テラさんフォロワーって形でどんどん各地に出てきていた時代だった。今から見ると広がりは薄かったかもしれないけれど、あのときに芽生えたものがいま広がって残っている。やっぱりあのときの『山より道具』ってブログが持っていたパワーは一極集中だっただけに凄かったと思うんだよね。いまみたいにSNSの繋がりじゃないから、「自分なんかがここにコメントして大丈夫なんだろうか」とかさ、なかにはコメントを書いて、消して、書いて、消して、書いて、やっぱりポチっとできない人もいたと思うし。

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2008年の寺澤さんと土屋さん、奥に勝俣隆さん、手前が川崎一さん、黒い帽子が “FIELDモノMANIAC”というブログをされていたRwalkerさん。

寺澤 俺もその気持ちわかるよ(笑)。

土屋 あと、あの頃はULが2ちゃんねるとかで叩かれることも多かったんだけど、そのときにテラさんは矢面に立って寺澤英明っていう本名で戦いを挑んでいたからね。俺は立場的に2ちゃんに行って発言するとかできなかったんだけど、「まさか2ちゃんで本名で戦うの、この人!?」って思ったから(笑)。

寺澤 あの時は俺と軍曹で戦ったんだ。俺はブログでもポリシーで顔出ししていたからね。顔にモザイクかけた写真って絵として汚らしいでしょ。

土屋 あともうひとりいたよ。いまはワンダーラスト・イクイップメントていうメーカーを立ち上げている粟津創く君。彼なんかも2ちゃんで急先鋒になっていた。

寺澤 そうだね。彼はよく弁護してくれていた。

土屋 粟津君もあの時はかなりパンクだったと思うんだ。

寺澤 あの男も昔ほど無茶はしなくなったと思うけど、昔は山でもほとんど遭難みたいなこと何度かやってたもんね。

土屋 さっきから何度か名前が出てきている『ハードコアハイカー』ってブログをやっていた軍曹って友達も、「ULはパンクだろ」って。考え方としては俺はULは「ポップ」でいいと思っているんだけど、でもそれって表現の仕方だけであって、本質にある精神性はパンクなんだっていう気持ちがすごくあって、それをその当時行為として体現をしていたのは俺のなかでテラさんと軍曹と粟津君。彼らはULをパンクな感じで表現していたっていたから、リスペクトもすごくある。

寺澤 俺はパンクは縁のないオヤジだったんだけど、軍曹は「いやテラさんはロックしてるよ」っていってくれてたね(笑)。あと、俺が決めていたのが自分で買ったものについてしか書かないこと。あっちこちから情報集めただけで書くのは俺はできないと。あともうひとつのポリシーが、どこで買ったかはいわないこと。なぜかというと、そうすると興味のある人は探すじゃないですか。あの頃海外からモノを買うには検索技術とか必要だったんで、どこで買うかをいわないがために検索しまくった人がたぶん多かったと思うんだ。そうするとどんどんハマって行くからね。最初からそういう目論みがあった。たぶんそれにまんまと引っかかってくれたのがビヨ(Beyodxの吉富さん)とかだと思うんだけど(笑)

土屋 俺がハイカーズデポがオープンする前にジョン・ミューア・トレイル(以下JMT *7)を歩いたときに、山より道具でも速報的に何回かにわけて報告してくれたんだけど、歩き終わったあとに俺、そこに「自分で買ったものだけしかかかないという信条を破ってまでこういう報告をしてくれたテラさんに感謝をします」ってコメント書いたんだよね(笑)。

寺澤 青いね~(笑)。

土屋 廚二感あるよね(笑)。今ってJMTもハイカーズデポで情報取らなくても歩けるようになってきて、さらに歩く子もたくさんいるくらいで、時代が変わったなっていうのがあるんだけど、あのときは「本当にULでJMT歩けるのかな?」って気分で歩いてた。それがさっきテラさんのブログ見返したらばーっと蘇ってきてさ、すごく懐かしかったね。

(*1)トレイルデザインのカルデラコーン:ゴトクを兼ねたチタン製の円錐型の風防と専用のアルコールストーブ(固形燃料も使用可能)が一体になったストーブ・システム。「アルコールストーブのジェットボイル」とも呼ばれるULの定番的存在。

(*2)タイベックを買うときもカタカナじゃ嫌なんだよ、英語がいいんだよ:グラウンドシートとして定番的な存在のデュポン社の不織布タイベックには米国で流通する英字ロゴと主に日本の建設業界で流通するカタカナ・ロゴのものがあり、英字ロゴが欲しければ輸入に頼るしかなかったが、土屋さんはODボックス時代にトレイルデザインがグラウンドシートに適当な大きさで切り売りしていた英字ロゴのタイベック・シートを取り寄せて販売していた。

(*3)スノーピークのチタン450マグのフタ:本来はマグカップであるチタン450マグをひとり用の超軽量クッカーとして使うことは今ほど400〜500ccクラスの軽量クッカーが出回っていなかった時代のULの定番スタイルだったが、そもそもがマグカップなのでフタが付属しないため、その代用には様々なアイデアが考えられた。ハイカーズデポでは現在T’s Stove製のチタン450マグ専用フタを販売している。

(*4)ODのアネックス:土屋さんが長らく勤務していたODボックス上野アネックス店のこと。土屋さんはマニアックな道具の揃う三階のギア・フロアにいて、当時から名物店員として名を馳せていた。ODボックス上野アネックス店は現在は本店と共に上野松坂屋に移転してしまったため消滅。

 ( *5)アパラチアン・トレイル:アメリカ東部アパラチアン山脈に沿って約3,500kmに渡って伸びるアパラチアン・トレイルのこと。トリプルクラウンと呼ばれるアメリカ3大ロングトレイルのひとつ。毎年2,000人以上もの人々がスルーハイクを試みる。通称AT。

(*6)BPLのフォーラム:BackpackingLight.comのコミュニティ・ページには数多くのトピックのフォーラム(掲示板)が立ち、闊達な議論が行われている。

(*7)ジョン・ミューア・トレイル:カリフォルニア州シェラネヴァダ山脈に伸びる全長340kmのロングトレイル。通称JMT。

【後編はこちら】

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土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京は三鷹にあるウルトラライト・ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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