AMBASSADOR'S

土屋智哉のMeet The Hikers! ♯3(前編) – ゲスト:寺澤英明さん

2015.05.29
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取材:TRAILS 写真/構成:三田正明 写真提供:寺澤英明

アナタは寺澤英明という名前と、『山より道具』というブログを知っているだろうか。ハイキング・カルチャーに、ウルトラライト・ハイキングに興味があるならば、知らないまま過ごしてしまうのは勿体ない。

ここ数年は釣竿片手に渓流を彷徨い、骨酒をあおり、野宿するのに忙しく、ブログも開店休業を決め込んでいる。だが、当然今も野山を歩き続けているだけに、いいたいことがないわけではないだろう。わたし自身、彼とじっくり話をするのは久しぶりだったが、貫禄の巨体と溢れんばかりの熱量はもちろん健在だった。

『ウルトラライトハイキングギア』の著者であり、日本におけるウルトラライト・ハイキングのランドマークだったブログの主でもある彼が当時何を考えていたのか、いま何を考えているのか、その言葉をきちんと読み解き、記録しておきたい。そして彼の口を滑らかにするためには、ひとつ簡単な方法がある。

というわけで、今回の”Meet the Hikers!”は酒場漫談スタイルでお送りします。(土屋智哉)

対談はおふたりの地元・西荻窪のいきつけの沖縄料理屋さんで行われました。

■山登りじゃなく旅がしたかった

土屋 テラさんとアウトドアとの出会いはそもそもどこだったの?

寺澤 出会いは俺もヌラさん(土屋さんのこと。「ぬらりひょん」という土屋さんのかつてのハンドルネームより)と一緒だよ。芦沢一洋さんの「バックパッキング入門」(*1)。それに高校時代に出会ったんだよ。でも、その前の中学生のとき、家に雑誌の『メンズクラブ』がずらっとあるお洒落な友達がいて、そいつんちに行っては読み漁ってたの。そしたらだんだん『メンクラ』の風潮がアイビーからヘビーデューティ・アイビー(*2)に変わってきて…。

ーー芦沢一洋さんとか小林泰彦(*3)さんが『メンズクラブ』や『ポパイ』の誌上で精力的にアメリカのアウトドア文化を紹介されていた頃ですね。

寺澤 そうそう。小林さんとかが出てきて、その頃『遊歩大全』(*4)なんかも出版されたのかな? 俺は買わなかったんだけど友達が買って、「このスベア123(*5)いいよな~」みたいな話してさ。

土屋 スベアがいいって思ったのって、モノ目線? それともその背後にあるバックパッキングのカルチャーに興味があったの?

寺澤 それ見てバックパッキングがやりたくなっちゃったんだよ。急に。

――当時の中学生や高校生にとってもバックパッキングが山登りとは違うかっこいいカルチャーとして見えてたってことですか?

寺澤 そうそう。それで当時バックパッキングの靴はワークブーツだったんだけど、ワークブーツ履いて遠くまで歩きたいっていう気持ちがそこで芽生えて。

土屋 それまで山とかボーイスカウトの経験はあったの?

寺澤 やってなかった。中学では吹奏楽部でトロンボーン吹いてたし高校では空手部だったもん。で、中学生のときに芽生えたその気持ちで高校のときひと夏バイトして道具揃えて、三陸のリアス式海岸を歩いたり野宿したりヒッチハイクして旅したんだ。

土屋 テラさん出身は青森のどこでしたっけ?

寺澤 三沢。だから久慈のあたりまで電車で行って、そこから歩いたんだ。

土屋 八甲田の山じゃなく海を行ったんだね。

寺澤 そうそう。でも、あのリアス式の海岸って結構アップダウンが激しいんだよね。結局半分以上はヒッチハイクした(笑)。当時は重たい荷物をフレームザックで背負ってナンボみたいな風潮だったから、ハリケーンランプとか家にあるものをなんでも突っ込んできたわけ。さすがにストーブは友達から借りたスベアだったけど。幕はタープに親父が仕事で使っていたエジプト綿のぶ厚い防水布を黙って借りて持っていったんだけど、すっげー重かった。で、めげちゃって。最後は盛岡城公園で野宿したんだけどゲイに襲われそうになって(笑)。とりあえず高校時代はそれでおしまい。

土屋 前回の話でも出たんだけど、バックパッキングって言葉を知った当時に、それを現実にやってみようと思ってもどこでやったらいいのかわからないってのはあったよね。いまだったら「バックパッキングやハイキングに行く=山に行く」で一致していると思うし、むしろ山じゃないとこへ行くって考え方をしている人の方が少ないと思うけど。テラさんと俺って何歳違うんだっけ?

寺澤 俺は52だよ。

土屋 だから8歳違うんだ。俺がバックパッキングって言葉を知ったのはテラさんの10年後くらいだけど、その当時ですらバックパッキングするなら山じゃなくて水平移動で何かしたいっていうのが強かった気がする。

寺澤 そうだよね。

土屋 山登りじゃなく旅がしたかったんだよね。歩いて旅がしたかった。

寺澤 そうそう。『メンズクラブ』なんかで紹介されていたスタイルも登山じゃなかったからね。だからそういう気分は当時の雑誌なんかから刷り込まれていたんだと思う。

土屋 だからあの当時の雑誌もバックパッキングを伝えようってときに、意図的に既存の登山っていう枠組みとは違うんだっていうことを強調していたんじゃないかな。

寺澤 それが新鮮だったからね。

土屋 それは明確に意識されていたし、そういう言葉が使われていたはずなんですよ。

寺澤 「ウィルダネス」っていう言葉が当時はよく使われていて、それは荒野であってマウンテンではない。だから俺がいくところは山頂じゃないなっていうのは当時からあったよね。

ーー寺澤さんが芦沢さんや小林さんが主導していた第一次バックパッキング・ブームをリアルタイムで経験したいちばん下の世代くらいなんですかね。

寺澤 そうだと思いますね。でも山は普段から親が山菜採りに行くのに連れて行かれたりしてて、どちらかというと嫌いだったんですよ。まあそんなんで一回歩いてみてある程度満足して。

土屋 よくその一回で満足できたね。

寺澤 いや辛かったんだよ。すっげえ重かったんだもん(笑)。でもとにかく一回やりかったの。フレームザック背負って短パンでワークブーツ履いて黙々と歩くのがカッコいいと思っちゃったんだもん。そんなこんなで大学に入ってもふたたびバックパッキングをやることもなく、就職もし、それからけっこうすぐに結婚して子供もできたんでそんなことずっとやっていなかったんだけど。

■仕事をほっぽり出してULにはまる

寺澤 それで40歳になったときに中学校の同窓会があって、当時SNSがなかったんでメーリングリストで連絡を取っていたんだけど、その中で同級生の子が「輝ける40代にしましょう」みたいなことを書いていたの。それ見て「そうだな。でもどうやったら輝けるんだろう?」って思って、そういえばむかし山に行きたかったことを思い出したんだよね。コンピューターの仕事で座ってばっかりだったからすごい太っちゃって、ギックリ腰にもなったんで運動しなきゃと思ってたの。それで山に行き始めたんですよ。

ーー寺澤さんは本職は何をされているんですか?

寺澤 プログラマーです。有限会社の社長なんですけど、社員は俺しかいない。ていうのはそんな面白いこと人にやらせたくないから(笑)。全部俺が俺がでやりたい人だから。それで最初は高尾山とか近場から、だんだん北岳とか行くようになって。最初は昔みたいに重い道具で「よっしゃ体力つけてフレームザック担いで行くぞ!」って思ってたの。で、当時ヤフー・オークションでランタンを買ったらその人と文通が始まって、その人が「いまはいかに装備を軽くするかが流行りつつある」ってことを教えてくれて。その人はマットも軽いので行くために板間で寝ていると。俺もそれに感銘を受けてしばらく板間で寝る練習したりしてね(笑)。それでいろいろ調べていったらBPL (BackpackingLite.com*6)に出会って。

土屋 それって2002~3年でしょ。ちょうどBPLが始まったあたりだよね。俺がODボックス(土屋さんの前職で都内に数店舗を構える総合アウトドアショップ)でウルトラライト・ハイキング(以下UL)の道具をちらほら入れ始めたのが2001~2年くらいで。

ーーODでゴーライトを入れ始めたときですよね。

土屋 ゴーライトも入れてたけど、うちは直で入れていたのはグラナイト・ギア。俺、最初はアンチ・ゴーライト派だったから。あそこまで軽くするのはよくないと思ってた(笑)。

寺澤 それでだんだん軽いもの探し始めて。それでそうだ、BPLの前に川崎一さんのサイトにぶつかったんだ。

一同 あー!(川崎さんについては“Meet The Hikers!”第1回を参照のこと)

寺澤 それで川崎さんの影響受けてまずジェットボイルとゴーライトのヘックス3(*7)とヘネシー・ハンモックとか買って。

土屋 その三つは当時のUL三種の神器だよね(笑)。

寺澤 それで海外通販とかやったことなかったんだけど、まずジェットボイルとブラックダイアモンドのファーストライト(*8)を買ったの。BPLとかも最初は機械翻訳しながら読み漁ったよね。当時はもう仕事ほっぽりだしてやってましたから。

ーーどうしてそこまでULにのめり込んだんですかね?

寺澤 やっぱり海外通販。通販で買うのが面白くなってさ。

ーーさすが『山より道具』(笑)。

寺澤 買ったものを持っているのが日本でたぶん俺ひとりみたいな感じで。それで川崎さんがヘックス3の記事とか翻訳してブログに載せていたから、俺も日本にないものをわざわざ取り寄せているわけだから、それでブログを書いてみたいなって思い始めるわけ。

土屋 それでテラさんのブログをお店で見ながら「海外の道具なんて買わなくても日本の道具でもできるんだよ」ってヘソ曲げてたのが俺(笑)。

■『山より道具』というタイトルを思いついた瞬間、神が降りてきた

寺澤 、最初ファーストライト担いで北岳登ったのをブログに書いたんですよ。それはまだ『山より道具』じゃなくて別のブログだったんだけど。でもぜんぜん書けないんですよ。書いては消し書いては消しを繰り返して、ようやく一回アップはしたんだけど、当然誰も見ないじゃないですか。それで書かなくなっちゃったの。でも通販自体がだんだん面白くなって、たとえばヌラさんは当時ODにいたけど、そこでは1ドル=360円くらいで売っている訳ですよ(笑)。

土屋 だーってあのときドル高かったもん!

寺澤 まあその誤解はのちのち解けるんだけど(笑)。「こいつらこんなに高く売りやがって」とか思ってて。じゃあ海外通販で買ったらこんなに安いんだから、それを含めて紹介すれば国内価格の是正に繋がるんじゃないかって思って。それでどんどん買って紹介したくなっちゃったの。普通の山行記事は書けなかったんだけど、何か書きたい気持ちはどんどん湧いてきてたのね。それである日パソコンに向かっているときに、ふと「『花より団子』があるなら『山より道具』があってもいいじゃん」って思ったのね。だってさ、「俺のハイキング」とかにしたら行かなきゃ書けないけど、『山より道具』にしたら山に行かなくても道具の話書いてたら成立するじゃん(笑)。その瞬間に神様が下りてきたんだろうね。スラスラスラのササササーって書けるようになっちゃって(笑)。

土屋 (iPhoneで確認しながら)ちなみに山より道具の最初は2005年の7月だね。1回目のネタがゴーライトのヘックス3。でもこれ買ったのが2004年の11月って書いてある。このとき怒濤のように更新してるね(笑)。

寺澤 このときもう道具が溜まっていたんだよね。だから最初の頃は週2回くらいアップしたりだとか。「行かなくてもいいんだ」って思った瞬間にスイッチ入って、「買って使ってレビュー書くのが俺の使命だ」くらい思って。だから『山より道具』ってフレーズが下りてきた瞬間に俺が始まった、みたいな(笑)。

一同 (笑)

土屋 ちなみに最初の7月が14件。2日にいっぺん上げてるね、この人(笑)。このとき上げてるのいっておきましょうか? ゴーライト・ヘックス3、空き缶アルコールストーブ、ブラックダイアモンドのファーストライト、インテグラルデザインのシルシェルター、それからアルコールストーブがいくつか続いてヘネシーハンモックのウルトラライト・バックパッカー、ジェットボイル、ガーミンのEトレック、ゴーライトのインフィニティ、スイス・アーミーナイフ、それでまたアルコールストーブ。結構最初からアルコールストーブだったんだね。

寺澤  当時BPLのフォーラム(掲示板)でもアルコールストーブ熱が高かったんだよね。

土屋 『山より道具』をカテゴリー別に見ていくと「宿泊系」が74なんですよ。「燃える系」が71で「衣類系」が4。

寺澤 俺、服はなんでもいいんで。

土屋 そこからテラさんの興味のあり方が見えるよね。

(*1)『バックパッキング入門』:1976年に出版された日本初のバックパッキング入門書。著者の芦沢一洋氏は70年代~80年代にかけて米国のアウトドア・カルチャーを日本に紹介して絶大な人気を誇った。

(*2)ヘビーデューティ・アイビー:イラストレーター小林泰彦氏が雑誌『メンズクラブ』誌上で提案した、アウトドア・ウェアとアイビーをミックスしたスタイルで、当時一世を風靡した。その時代の雰囲気は2013年に山と渓谷社で文庫版で復刻された『ヘビーデューティーの本』に詳しい。

(*3)小林泰彦:イラストレーターとして平凡パンチ、ポパイ、メンズクラブ等の誌上で当時最新のアメリカ風俗を紹介。前述の『ヘビーデューティーの本』などでファッションリーダー的な人気も誇った。他にも著書多数。現在にいたるまで精力的な活動を続けている。

(*4)『遊歩大全』:1968年アメリカで出版された(日本では78年)伝説的バックパッキング入門書。長らく中古本市場で高値で取引されていたが、2012年に山と渓谷社から文庫版で復刻された。

(*5)スベア123:当時としては非常に軽量コンパクトな設計でバックパッキングの定番中の定番だったオプティマス社のガソリンストーブ。現在でも生産中。

(*6)BackpackingLite.com:ULハイキングの情報を発信する米国のウェブサイト。ハイカーが集う各種のフォーラム(掲示板)ページも充実している。

(*7)ゴーライトのヘックス:2〜3人で使えて本体重量が約800gという軽さで当時のULシーンでは大人気だったワンポール・シェルター。のちにシャングリラ3という名称に変更されリニューアルされた。

(*8)ブラックダイアモンドのファーストライト:こちらも初期ULシーンで大人気だったシングルウォール・テント。今となってはそれほど軽量とはいえないスペックだが、信頼性の高いオールシーズン・テントとして今だに現役。

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土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京は三鷹にあるウルトラライト・ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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