TRAILS REPORT

そこに山があったからだ。〜Because It’s There 〜♯03;山口貴史(ifyouhave)

2016.01.29
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TRAILSが出会った面白い人たちに「山の初期衝動」を聞いていくこの連載。半年ぶりの公開になってしまいましたが、今回のゲストは、2014年に超コンパクトなマルチフュエル・ストーブTiMNYでデビューした新進気鋭のコテージ・マニュファクチャラー、ifyouhaveの山口貴史さん。若干31歳という年齢は、日本のコテージ・シーンの中でも最年少オーナーではないでしょうか。しかも山口さんは、あのアメリカの思想家バックミンスター・フラーの提唱した「シナジェティクス」研究所の元研究員という変わり種。さらには菜食主義者で、高知の山間に構えたアトリエで家庭菜園を作りながら制作活動を行うシンプルライフの実践者であり、未来のタイニーハウス建築家でもあります。

そんな山口さんを昨年12月の高知へのアトリエ移転直前に東京でキャッチ、超ロングインタビューを敢行してきました。ゼロ年代後半のULカルチャー、シナジェティクス、コテージ・マニュファクチャラーの実際など、なかなか興味深い内容になっていますので、例によって1万字超えの長文ですが、ゆっくりと最後まで読んでいただけたら嬉しいです!

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■パーティ・ピープルだった大学時代

ーーいまお幾つなんですか?

「31歳です。」

ーーもともと山とは無縁の生活を送っていたんですよね?

「そうですね。大学は建築科だったんですけど、そんなに大学には行ってなくて、当時Raw LifeとかFlower of Lifeとか、音楽のパーティ・シーンが盛り上がっていた時期だったんで、そういうとこで遊んでばかりいました。キャンプっていったらフェスでキャンプするくらいで。」

ーーその時期から夏になると代々木公園とかで毎週のようにフリーパーティが開かれるようになって、日本も面白い国になってきたと思っていたんですけどね。でも、それから10年経ってみたらこの有様で、閉塞感だらけだけど(笑)。いま考えるとまだのんきな時代でしたよね。」

「のんきでしたね~。」

ーーそんな感じでパーティ三昧な大学生活を送られて、卒業してどうされたんですか?

「建築の設計事務所に就職して、そこで3年弱働きました。そのうちにクラブへ行くのもだんだん飽きてきたというか、あまり面白くなくなってきて、その反動かわからないんですけれど、会社の山好きのおじさんに日帰りで群馬の妙義山に連れてってもらったんです。それが2008年くらい。」

最初に登った妙義山。引率のおじさんと。ボトムはナイキのジャージで、靴もナイキACGでした(笑) 2008年。/山口

最初に登った妙義山。引率のおじさんと。ボトムはナイキのジャージで、靴もナイキACGでした(笑) 2008年。/山口



ーー妙義山に登ってみてどうでした?

「それまでは夜型だったんで、単純に早起きして1日山を歩くというのがすごく新鮮で楽しかったですね。あと、これはテント泊するようになってからのことですけど、家で寝ていると朝まで起きないけど、テントで寝てるとちょっとした天気の変化で起きたりするじゃないですか。普段使っていない自分の野生っぽい部分が山に行くことで感じられる面白さはあるなと思いました。それで最初はそのおじさんと一緒に山に行き始めたんですけど、そうなると道具も調べ始めるじゃないですか。テント泊もしてみたかったけど、あの装備の量と重さがネックになっていたんですね。『20kgなんてレコードバッグより重いじゃないか!』って(笑)。そんなときに、グルービジョンズの伊藤弘さんがhoneyee.comでやっているブログで、MLD(Mountain Laurel Designs)のペラペラのバックパックとか、ULのギアをアップしてたんですよ。それで最初にUL知ったんです。」

ーーじゃあ最初はULギアのルックに惹かれたって感じですか? 単純に伊藤さんの紹介しているモノがカッコいいなっていうか。

「カッコよくは思わなかった(笑)。やっぱり軽さじゃないですか。『こんなに軽いのあるんだ!』って。それでULに興味を持っていろいろ検索していくと、『山より道具』(『ウルトラライトギアハイキング(山と渓谷社)』著者の寺澤英明氏による超人気ブログ。寺澤氏はTRAILSでは『土屋智哉のMeet The Hikers#3』に登場。)とかヒットするじゃないですか。」

ーーじゃあ山を始めたと同時にUL化していったって感じだったんですね。

「円もいまほど安くなかったから、海外通販でいろいろ買っては試してました。それと平行して『山より道具』とかJSBさん(日本のアルコールストーブ界の草分け)のブログとか見て、アルコールストーブも作るようになり。実はTiMNEYの原型も、その時期にはできていたんです。素材はステンレスだったけど、一段でアルスト、二段でウッドストーブっていう形はもうあって。あと、当時はMLV Factoryって名義でいまはFREELIGHTをされてる高橋淳一さんのブログも読んでましたね。変な発明いっぱいしていて、あれも面白かった。」

ーーFREELIGHTはまさにあのブログから誕生したブランドですもんね。いまでも昔のエントリーは残っているから、当時を知らない人はぜひ読んで欲しいな。あの頃の雰囲気がすごくよくわかるから。

「最初は応援したい気持ちもあって、スタートしたばかりの時期のMLVとかローカスギアのものを買いましたね。

TiMNEYの原型となった自作ストーブ。ステンレス製で製品版より少し背が高い。2010年。/山口

TiMNEYの原型となった自作ストーブ。ステンレス製で製品版より少し背が高い。2010年。/山口



■山とシナジェティクス

ーー僕の場合は山に行き始めた頃って、癒しを求めて行くというよりは刺激を求めて行っていたんですね。それまでは僕も都会的な文化が大好きだったけどそれが全部色褪せて見えて、自然の世界の方が断然刺激的だし、面白いって思うようになって。まあいま思うとそれはそれで極端な考え方だなとも思うんですが(笑)。でも、そういう感覚って誰でも大なり小なり感じるものなんじゃないかと思うんですけど、山口さんはどうでしたか?

「僕も山に行き始めたときはちょうど都会的なものや人工的なものに飽きてきていた時期で、最初に北アルプスの稜線に出たとき『わっ!』てのがありましたね。『日本にもこんな場所あるんだ』って思ったし。」

ーー日本の良さを改めて発見するような感じがありますよね。日本のことわかってたようで、なんにもわかっていなかったなって。

「「最初はびっくりしますよね。僕は24歳のときにクラブへ行かなくなったのと山に行き始めたのと、マクロビを知って食生活を替え始めたのが、全部同時期だったんですよ。シナジェティクスもそうで、それまでもフェスでフラードームのテントがDJブースに使われていたりするのは知ってはいたんですけど、そこまで興味はなかった。でも2008年にノースフェイスの40周年イベントでフラードームも紹介されていて、その後師事することになるシナジェティクス研究所の梶川泰司さんがプロトタイプのカーボン製ドームを展示していたんですよ。構造もすごかったし、ちょうどULを知って重さが気になりだした時期だったんで、直径6.5mのドームがフレームだけにしても30kgってことにびっくりして。そこから本格的にシナジェティクスをやってみたいなと思いはじめたんです。それで、さっき三田さんの言った自然の凄さで他のものがどうでもよくなるみたいな感覚って、僕は山でもあったけどシナジェティクスでもすごくあって、シナジェティクスって自然の原理を解明するものなんですけど、それを知っちゃうと自分のこととかどうでもよくなってきて。」

ーーシナジェティクスとの出会いの前に山での体験があったからシナジェティクスにもすんなり興味を持てたのかもしれないですね。

「どうなんですかね? それはお互いあったんじゃないかな。」

ーーああそうか。シナジェティクスを知ったからこそ山とか自然の世界にもより興味が持てたり理解が深まると。

「そうですね。お互いに影響していたと思います。それと、ちょうどその頃建築の表面的なデザインに興味がなくなって、もうちょっと根源的な構造とかに興味が移っていた時期だったんです。会社でやっていたのが商業建築で、結婚式場とか、飲食店とか、本当に表面的なデザインばかりやっていたんで。

ーーそういう施設はやっぱり見栄えが大事ですもんね。

「まあクラブ行かなくなって、週末暇になったのが大きかったのかもしれません(笑)。」

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■シナジェティクス入門

ーーそれで建築事務所やめられて、シナジェティクス研究所で働きだしたと。

「そうですね。最初は研究所がやっているスカイプ講座を生徒として受講して、終了後に研究所のスタッフになりました。」

ーーその決断も結構思いきりましたよね。

「とにかく面白かったんですよ。シナジェティクスの本を何冊か読んだんですけど、それが本当にすごい衝撃で。最初に読んだシナジェティクスの本ということもありますが、梶川さんとフラーの共著である『宇宙エコロジー』(美術出版社)っていう本は今まで読んだ本の中でも一番衝撃を受けました。」

ーー目から鱗が落ちたというというか?

「目から鱗以上の衝撃でしたね(笑)。その時仕事を辞めた直後で、ヨーロッパに一ヶ月くらい旅行に行ったんです。ちなみにULの影響もあってデイパック一個だけで行きました。その時にその本を持っていったんですけど、ヨーロッパよりも本の方がすごくて(笑)。一ヶ月行って楽しかったけどその合間に読んだその本の方が衝撃が大きかったんですよ。」

ーーそれはすごい(笑)。研究は実際どういうことをやっていたんですか?

「研究内容については、シナジェティクス研究所のホームページに出ている範囲でしか公にはできないですが、ノースフェイスの40周年のイベントで発表したようなテンセグリティ・シェルターという、テンセグリティ構造でできているドーム型のシェルターなどの研究開発をしたりしてました。」

ーーシェルターはテントというよりもっと大きなものですか?

「直径6mくらいの大きなものですね。アウトドア用というよりはもっと長い期間住めるシェルターです。」

ーーそれはどこからか依頼を受けてやるんですか?

「それは依頼なくてやってました。依頼のない仕事の方が多かったですね(笑)。さっき話に出たノースフェイスの展示とかで依頼されてそういうのを出すとかはやってましたけど。」

ーーところで根本的な質問なんですけど、シナジェティクスとはどんなものなんでしょう。ここに来る前に調べてはみたけどぜんぜんわからなくて(笑)。「シナジー」って辞書だと相乗作用って意味で、ビジネス用語だと営業とか開発とか設備とかを連携して活用することによって生産性や利益があがることを指すと思うんですけど、フラーのいうシナジーっていうのはどういう意味なんですか?

「フラーはシナジーとは『部分からは予測できない全体の振る舞い』と定義しています。」

ーー???

「まあこの『テンセグリティ』のモデルを見てもらうのがいちばんわかりやすいと思いますけど。」

テンセグリティのモデル。30本の棒と糸でできている。

テンセグリティのモデル。30本の棒と糸でできている。



ーー「テンセグリティ」というのはどういう意味ですか?

「Tensional Integrity (張力による統合)という意味のフラーによる造語です。さっきいった『部分』というのはこのモデルにおける棒と紐で、『全体』というのがこのモデル自体を指すんです。棒と紐は誰でも知っているし触ったこともあるけれど、それをこのように組み合わせることでこんな構造になることは予測できない。

ーーこれは宇宙の仕組みを表したものでもあるんですよね?宇宙は棒と紐でできているってことですか?

「圧縮材(棒)が張力材(紐)によって統合されている構造であるテンセグリティ構造を、自然が採用しているのではないかと。僕もそう思っています。」

ーーたとえばコンクリートできたビルみたいな固い構造じゃなくて、弓みたいにある程度固くてしなる幹とそれにテンションをかける弦でできているということですか?

「このモデルのように常に振動している構造です。たとえば原子の構造もテンセグリティじゃないかと言われているんですよ。テンセグリティはまだよくわかっていない部分も多いんですよ、だからこそおもしろいんですけど。」

ーーシナジェティクスは基本的にはすべてをシンプルにしていくっていうような方向性なんですかね。

「シンプルというか、いらないものを取り払った状態といったほうがいいかもしれません。たとえば普通の家だと構造的にいらない柱があったりします。あと大黒柱って、それが折れると家も倒れちゃう柱のことをいいますよね。でも自然界だと大黒柱っていう構造はなくて、どこか一カ所が壊れても致命傷にはならない構造でできている。ようは自然がどういうシステムを使っているか、その原理を発見するのがシナジェティクスなんです。それをテンセグリティのようなモデルで表す。テンセグリティはデザインしたものではなく、もともと自然界にあるものを発見したものなんです。」

テンセグリティのモデルを組み立てる。

テンセグリティのモデルを組み立てる。




WRITER
三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
masaakimita.web.fc2.com

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