Crossing The Himalayas #6 / トラウマの大ヒマラヤ山脈横断♯6
写真/文 ジャスティン・リクター 訳/構成 三田正明
様々な苦難を乗り越えつつ、遂にネパール・ヒマラヤの横断に成功したトラウマは、いよいよ今回よりインドへと足を踏み入れます。ともあれ、例によって旅はトラブル続き。インド入国と共に税関で尋問され、行政機関ではたらい回しにされ、オートリキシャでデリーの街を走り回りやっと手に入れた地図はまったく使い物にならない代物……。ピザとチーズ・ナンで腹を満たしつつ、トラウマの旅はまだまだ続きます!
■インド入国
(Section 6 ; Darchura to Munsyari, 40km, 1day)
ネパールを歩き終えてインドとの国境線に辿り着いたものの、インドへ入国するために僕たちは飛行機でカトマンズに戻らなくてはならなかった。僻地の国境線は地元の人々は自由に行き来できるものの、そこを外国人が通ることは禁止されていたのだ。そんなわけで、また例の煩わしい移動が続いた。国境の向こう側へ行くにはカトマンズへと戻りふたたび飛行機でインドへと飛び、さらに陸路で国境線を目指さなくてはならなかった。ともあれ、47日間のハイキングでネパールを横断することのできた僕たちは意気揚々とカトマンズへ戻った。僕たちはささやかな祝杯を挙げ、アイスクリームを食べ、一日中くつろぎ、メールとインターネットをチェックして、旅の写真をネットにアップした。ところがペッパーは仕事に戻るため帰国しなくてはならなくなり、僕はひとりニュー・デリーへと飛んでインドでのハイキングの準備を始めた。
ネパールでのペッパーとの2ヶ月のハイキングの後にインドへ入国することは途方もなく大変だった。税関で足止めされ、何人もの職員が僕を取り囲み詳細に調査された。この旅で僕は家族との連絡や緊急時の通報のために衛星電話を持っていたのだけれど、インドに衛星電話やGPS機器を持ち込むことは違法だった。職員らは激しく僕を問いつめたけれど、最終的には無事税関を通過することができた。この後も何度か遭遇したこのようなインドの国土安全保障と許可制度についてのあれこれは、この旅の重要なパートを占めることになる。 ■すべてが間違っている地図空港から混雑した通りに出ると、タクシーの客引きが群がってきた。僕はニュー・デリーにホテルを見つけ、旅の準備に取りかかった。差し当たって地図と食料を手に入れ、入域制限区域の許可証を取らなければならなかった。官僚的な応対のためにすべての許可証を入手するには数日間かかったけれど、僕は僕で次の700~1,000マイルの旅のためには精神的な充電期間が必要だったので、まあ良しとしよう。2~3日の間、地図と許可証の情報を得るために街を歩き回った。時々、移動の効率をあげるために大量に走り回っていて運賃の安いオート・リキシャ(訳注:東南アジアでよく見かける三輪タクシーのこと。名前は日本の人力車から来ている)にも乗った。
ところがインドでは詳細な地形図はもちろん、一般的な地図を手に入れることすら難しかった。幸いあらかじめ地図をいくつか持参していたのでよかったものの、インドで唯一手に入れることのできた地図は恐ろしい代物だった。「地形図」と謳われたそれには等高線が入っていなかったのだ! 尾根筋がオレンジ色、川が青色の線で示され、点線がいくつかのトレイルと峠を示してはいたものの、すべてが間違っていた。けれどそれが僕が街中を探しまわって見つけた最高の地図だった。 許可証についても同じような経験をした。行政機関を訪ねてたくさんの人と話をしたけれど、話は空転するばかりで、誰も答えは教えてくれず、誰もが他の誰かに話を回した。結局、政府の高官に知り合いでもいない限り許可証は貰えないという結論に僕は達した。なので悲しいことに、ネパ―ルのグレート・ヒマラヤ・トレイルから繫ぐに最適で、おそらく素晴らしいトレイルであろうウンタ・デュラとコリンディ・コルのハイキングはできそうもなかった。 ネパールではお金さえ払えば許可証を手に入れることができる。ひとつかふたつの例外を除いて、場所によって値段は違うものの国のどこでもお金さえ払えば訪れることができるのだ。けれどインドでは入域許可証が必要な地域とは、すなわち立ち入り禁止地域ということらしい。僕は計画の変更を余儀なくされ、数カ所で道路を歩くことにした。不愉快だけれど、少なくとも悪くない時間でそのエリアのハイライトまでは行くことはできる。その間は機械的に歩く覚悟を決めた。 ■ドミノ・ピザとチーズ&ガーリック・ナン僕はハイキング前の「最後の晩餐」をしようと、高カロリーな食事をするには最適なドミノ・ピザへ行った。メニューにはパニールというブロック状のチーズ(訳注:宗教上ベジタリアンの多いインドで肉の代わりによく使われているカテージ・チーズの一種)を使った風変わりなピザもあったけれど、僕は迷わず何ヶ月も切望してやまなかった普通のピザを食べた。
翌朝僕は装備を詰め込み、ハイキングを再開する地点へいちばん近い街まで飛行機で飛んだ。そこから長距離バスでネパールとの国境へ向かい、再びハイキングを始めて西を目指した。幸いにもインドの食事はネパールよりおいしかったので、僕はすでに痩せこけてしまった体重をなんとか維持することができた。幸運にも僕はガーリック&チーズのナンが大好きで、ドミノ・ピザにも何度か遭遇することができたので、「ドカ食い」という伝統的な方法でカロリーを蓄えることができた。僕が平らげるナンとコカコーラの量にみんな驚いたものだ。それでも歩く距離と標高差は体重を少しも増やしてはくれなかったが体調はすごぶる良く、僕は順調に距離を稼いでいった。(♯7に続く。英語原文は次ページに掲載しています)
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