TRAILS REPORT

A Life after Thru-Hiking | 【前編】スルーハイク後にどう暮らす? 信越トレイルで働くATハイカーの話

2018.07.20
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話:鈴木栄治・佳乃 取材/構成:TRAILS

アパラチアントレイルを夫婦でスルーハイクした日本人ハイカーが、帰国後に信州の飯山(いいやま)に引っ越し、旦那さんの鈴木栄治さんは、信越トレイルのスタッフとして働いている。

スルーハイクからの帰国後、東京を出ることを考えていた二人が、次に住む場所として選んだのは、信越トレイルのトレイルタウンである飯山の町だった。栄治さんは、現在、信越トレイルのスタッフとして働き、夫婦で飯山の古民家を借りて暮らしている。

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ロング・ディスタンス・ハイキングのあの生活を経験したハイカーは、トレイルライフの要素を、その後の生活のなかにも探しているように感じる。日本人初のトリプルクラウンの舟田くんは、農場での暮らしを選び、あるいは他のハイカーはアウトドアショップで働くようになったり、トレイルや自然と直接的な関係がない仕事についたハイカーも、あのときの生活の感覚が、常に普段の生活のどこかにある。

鈴木夫妻は、『LONG DISTANCE HIKERS DAY』(今年のイベントレポートはコチラ)の第1回から参加してもらっているハイカーでもある。僕らの仲間のハイカーが、日本のトレイルで仕事をしているということは、僕らとしてもなんだか誇らしい気持ちになる。

信越トレイルと関わりながら、そのふもとでどのような暮らしをしているのか。信越トレイルでどんな仕事をしているのか。そんな鈴木夫妻の、現在のトレイルタウンでの暮らしを聞いてみた。



スルーハイク後は暗かったですね。ただなんとなく東京は出たいと思ってました。



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アメリカ東部を縦断する3500kmのアパラチアン・トレイル(AT)を、鈴木栄治さん・佳乃さんは夫婦でスルーハイクした。

ーー 最初に、アパラチアン・トレイルをスルーハイクして、帰ってきてからのことを教えてください。

栄治:2016年にアパラチアン・トレイル(AT)を夫婦でスルーハイクして、帰国したのがその10月でした。あの頃は、比較的暗かったですね。

ーー 暗かった?それは旅が終わってしまったさみしさ?

栄治:旅が終わってしまったのと、このさき何をするか決まってなかったのもあって、気持ち的には暗かったですね。

そんななか、『LONG DISTANCE HIKERS DAY』(※TRAILSとHighland Designs主催のイベント)での発表の依頼をもらって。イベントではATの話をしたのですが、その僕たちの話を、信越トレイルクラブのスタッフの方が聞いてくださっていて。そこで「信越トレイル開きのゲストとしてぜひ来てください!」というお話をいただきました。でもそのときは飯山(※信越トレイルのトレイルタウン)に住むとかは、まったく考えていませんでした。

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栄治さんのイラストによる、『LONG DISTANCE HIKER DAY』での発表資料。

ーー その頃って、栄治さんは手作りの木のスプーンに没頭してましたよね。

栄治:もともと木で何かを作りたいという欲求はあったんです。それでたまたま木製のスプーンの本を読みまして。「森と木とスプーン」(ジョシュア・ヴォーゲル著)という本なんですけど。木のスプーンって、基本的にただ木を削り続けるだけなんですよ。それはとてもシンプルな行為で、歩くのと一緒だなあと思ったんです。すごく共感できる部分が多く、これだ!って。それで、もうまっしぐらな感じで、日々スプーンを彫り続けてました。ずっと彫ってましたね。歩き続ける生活の後は、彫り続ける生活だ。もうこれしかない、という思いでしたね。

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栄治さんによる自作のスプーン(試作品)。

ーー 飯山に住むのを決める前、どこか東京以外に住むところを探している、という話もしてましたよね。

栄治:そう、ちょうど悩んでいたんですよ。夫婦とも前々から東京を出たいという思いがあって、地域おこし協力隊とかもけっこう探していたのですが、どうも違うなと。地域をアピールする仕事がしたいわけではなかったし、そういうのは自分に向いている気がしなかったですね。



ここにきたのはなりゆきです。心地いいなりゆきです。




飯山にある信越トレイルのふもとの集落。鈴木夫妻は、いまはそこの古民家を借りて暮らしている。

ーー 飯山に住むことに決めたのには、どんな経緯があったんすか?

栄治:6月の信越トレイル開きに参加したんです。そのときに、信越トレイルクラブの事務局長から「飯山に移住してみませんか?」と言われて。いい機会かもなと思ったんです。

ーー スプーン作りも続けながらですか?

栄治:スプーンはいまも彫り続けたいと思っているのですが、移住の提案をいただいたあと、ハイキングをしている時にケガをしてしまったんです。それで手もダメになっちゃって、ある程度治るまでそこから2カ月間スプーンをまったく彫れなくなってしまったんです。そのときに、「飯山に移住しよう」って決めてしまいました。それで信越トレイル、森の家のスタッフとして働くことにしました。

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信越トレイルのふもとのブナの森にて。いまは、栄治さんは、信越トレイル、森の家のスタッフとして働いている。

ーー そのときは、すぐに決めたんですか?

栄治:決断したというより、すべてはタイミングですね。なりゆき。

ーー なりゆき?

栄治:そう、なりゆきっていうのが一番大きかったなあ。心地いいなりゆきです。思い返してみればロングトレイルを歩くっていうことも、そうですよ。

よくロングトレイルの旅には、圧倒的な自由がある!とも言われますが、僕は思うに、ロングトレイルって一本の長い道がずーっとあるわけで、自分が主体的に何かを決めるというよりも、あれこれ考えずにそこに身をゆだね続ける要素のほうが大きい気がしていて。だって、目の前にある道をただただ歩いていくだけですから。そこに自分の意志はない。でもそれが心地いい。それって、なりゆきですよ。僕が信越トレイルで働くことになったのも、身をゆだねた、なりゆきなんです。



若い頃は自由を感じる旅が好きでした。今は決められた道を歩く心地よさがあります。



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ーー ロングトレイルは、自由に行く場所を決めて、どのルートをとるかを自分で選んで、という山行とは違いますね。そういう意味で、たしかになりゆきの旅なのかもしれないですね。

栄治:若い頃は、自由を感じながら歩く旅が好きでしたね。ずっと車道歩いたり、気が向けばヒッチハイクしたりするような気ままな旅をしてました。ただその後で、ただ歩くだけっていうハイキングみたいなアクティビティが心地よくなってきて。今は、ただ決められた道を歩く心地よさっていうのを感じています。ATを選んだ理由もそこなんです。ちゃんと管理されてて、歴史があって、ただただ歩くことだけに集中すればいいようなところ。若い頃の自分だったら、PCTを選んでいたと思いますね。

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アパラチアン・トレイルを歩くハイカーたちと。写真一番左が栄治さん、その隣が佳乃さん。



トレイルに関わることがしたいと思うのは、長く歩いた人に自然に起こる欲求ですね。



ーー 鈴木さんのご夫妻は、トレイルに関わることがしたい、という気持ちがあったんですか?

栄治:ある。

佳乃:言ってたよねぇ。

栄治:言ってた、言ってた。

佳乃:でも、仕事になんないよねぇって。整備とかってボランティアであって仕事じゃないし。

栄治:でもATでやった整備は楽しかった。階段を作ったんです。道を作るって行為は、ロングトレイルを歩いた人にとっては魅力的だと思います。

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現地で参加したATの整備の様子。ATでは、地域ごとに担当区間をもったボランティアのクルーが、トレイルを整備している。

ーー もともとボランティアに興味があった?

栄治:ないです。そういう精神が欠けてますね(苦笑)。だから、トレイル整備をやったのも、ボランティア精神とかではぜんぜんなくて。それは、トレイルを歩いた人に自然にわきあがってくる欲求かなと。

どこかで地震とか災害とかがあった際に手伝いに行かなきゃ、というのとはまったく異なる心の回路です。トレイルをずっと歩いてたら、自然とそのトレイルの整備をやってみたいと思うものなんじゃないかと。

信越トレイルの整備に関して言うと、海外のロングトレイルを歩いた人のほとんどが、一度はここに来るんです。それはもうTRAILSとハイカーズデポの影響ですよ。そこの影響力はでかいですね。

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信越トレイルの整備をしている栄治さん



ロングハイクでは、歩くことと食べることしか考えない。あんな生活が今もしたいです。



ーー ATを半年くらい歩いていた時の生活を、今もしたいという欲求はあったりするんですか。

栄治:ありますね。あんな生活したい。

佳乃:あるね。

栄治:なんか何もないというか、あんまり煩わしいものがない感じがよかったんじゃないですかね。

佳乃:歩くことと食べることしか考えてなかったし。余計なことを考えない。

栄治:まあでも、そういう感情は、トレイルを歩けば思い出せますからね。今であれば、ちょっと一日整備に入れば、その感覚がよみがえってくる。そういう意味で「あぁいい仕事だなぁ」とは思いますよ。

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アパラチアン・トレイルでは175日、ほとんどがテントでのシンプルな生活。

ーー 今は、トレイル整備で充分味わえていると。

栄治:そうですね。でも、ここの生活もハイキングみたいなもんですから。いろんな虫が出たり、雪と一緒に暮らしたり、春に一気に草が生い茂ってきたり。通勤ではブナ林も歩きますし。東京に住んでいた頃とは違って、自然の中で暮らしているという実感があるんです。自分が主体というよりは、まず先に自然があってそれに合わせながら生活する。言ってみれば、トレイル上でいい意味で自然に翻弄されていた時と同じことをやっているんですよ。

ーー 冬にお邪魔させてもらったとき、家のなかでテントを張ってましたよね(笑)。

佳乃:昔、作家でカヌーイストの野田知佑さんが自宅でテントを張っていているのを、本で見たことがあったんですよ。それにちょっと憧れがあったんですよね。

栄治:そうそう、野田さんやってた。テントの中のあの空間が好きなんです。すごい落ち着く。外界と遮断されるのがいいのかな。あと冬の雪の季節は、なんかその、ぜんぶ真っ白になって他の要素が消されるんです。虫もいない、草も生えてこない。シンプルな世界で生きられる感じが、わりとよかったんです。

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冬は雪に囲まれた飯山での冬の生活。家々は雪に埋もれ、雪かきの毎日。トレイルも冬のあいだはずっと雪の下で閉ざされている。

佳乃:そう意外とね。雪があると周りの家も、まったく見えなくなる。自分だけ、ここだけ、みたいな。あれはすごいなあと。

栄治:雪が溶けたら、もういろんなもんが見えちゃって、きたねえじゃんみたいな(笑)

佳乃:意外と冬のほうがよかった(笑)。もう雪だけでいいわ、みたいな。雪に閉ざされてみて思いました。

栄治:それは、ひょっとしたらテントの中で寝てる感覚と一緒かもしれないですね。


【後編は、栄治さんがハイカーとして信越トレイルをつくる日々。そして『Trail Experience Tour 2018 with ハイカーズデポ & TRAILS』をレポートします】


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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

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TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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