TRAIL TALK

#003 Yasuaki Funada / 舟田靖章(後編)

2014.09.19
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取材:TRAILS  文・写真:三田正明

(前編から続く)
トリプルクラウン・ハイカー舟田靖章氏へのインタビュー後編。今回はロングトレイルを歩き終えた舟田氏の「その後」に迫ります。

* * * * * * * *

前回のインタビュー後、舟田靖章さんがいくつかの農場を働きながら点々としているという話を聞いたとき、妙に納得したことを覚えている。トレイルから農場へと場所は変わっても、彼は今も「生活の実験」を続けているということなのだろう。なので、TRAIL TALKで舟田さんに登場してもらうならば、僕たちはどうしても彼の現在を知らなければならないと思った。トリプルクラウンの向こう側にいったいどんな風景が広がっているのか、それが知りたかった。

「いま舟田さんが生活している場所で話を聞きたい」とメールを送り、返信に記されていた現住所を見て少し驚いた。〈茨城県石岡市柿岡 organic farm 暮らしの実験室 やさと農場〉とある。〈暮らしの実験室〉なんて、まさに彼にうってつけの場所じゃないか…。

田園風景の広がる茨城県石岡市のそのまた外れ、かつては八郷村だったという里山に、現在舟田さんが暮らす〈やさと農場〉はあった。この農場は40年程前に現代の食料生産を取り巻く環境に危機感を持っていた都市住民と農業を志す青年たちによって設立され、オーナーや代表者はおらず、現在もそこで働く人と会員たちの合議によって運営されているのだという。運営費は会員からの会費で賄われ、作物は基本的に市場への流通はせず、月ごとに有機野菜や肉や卵を会員へ発送しているほか、農体験やファームステイなどワークショップも行っている。

丘の中腹にある農場内には居住棟や畑の他、豚舎や鶏舎もあり、さらには食品加工室や体験イベントで作られたというツリーハウスやかつてのスタッフによって作られたという竪穴式住居まであった。スタッフは研修生も含めて現在5人程で、基本的にはここで採れた作物によるほぼ自給自足の暮らしを送っているのだという。

カーナビの設定ミスのおかげで待ち合わせ時間に少し遅れて到着すると、舟田さんはチェーンソーで薪を切っている最中だった。例の人懐こい笑顔で僕たちを迎えてくれた彼は、心なしか以前よりもすこし逞しくなったように見えた。



■目の前に道があるうちは楽だった

――今回のインタビューではトレイルの話ではなく、トリプルクラウンを歩き終えた舟田さんの現在についてお話を伺っていきたいと思います。トリプルクラウンを達成した後、農業の道に進もうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

舟田:前のインタビューでも言ったかもしれないですけれど、トレイルを歩きながらずっと「生活の実験」ということを考えていて、やっぱり自分は食べ物のことがまったく未熟だと気づいたんですね。スニッカーズばっかり食べてて(笑)。これでは自分の力で生活しているとは言いきれないと思って。

――スルーハイク中はセルフエイドとはいえ、食料はお店で買うわけですからね。

舟田:そんなふうにして非日常の山での生活だけじゃなく、やっぱり日常からやらないとって思ったときに、野菜を売るための農業ではなく、「農的な生活」というか、そっちに目が向かったんです。その時に〈WWOOF〉というシステムを知って、それから農場をいろいろまわり始めました。

――WWOOFという仕組みを詳しく説明してくれますか?

舟田:お金のやり取りなしに、農場で働きたい人が農作業を手伝う代わりに農場から食べものや宿泊所を提供してもらう仕組みです。年会費を6000円くらい払うとWWOOFのウェブサイトでホストをしている農場のリストを見れるようになって、その中から自分で選んで連絡を取り合って、向こうからOKが出たらそこへ行くという感じです。それで僕も5~6軒はまわりました。基本的に関東の農家をまわって、ここの前は埼玉の〈皆農塾〉っていう場所に半年間はいたかな? そこももちろん楽しくて、羊を飼っていたんで手紬でセーターを作ったりして。いま着ている服も自分で飼った毛を自分で編んで作ったんですけど(笑)。その後ここ(やさと農場)に来たという感じですね。働き始めて二~三ヶ月たったときにちょうど人手が足りていなかったんで、そこからは正式にスタッフとして働いています。



――アメリカのトレイルを歩いているときからそういうことは考えていたんですか?

舟田:全然そんなことないです。終わったらどうするか何のビジョンもなかったですね。自分の前に道がある間は、基本的に何も考えなくてもいいんですよ。目の前のことだけ考えてたらいいんで、かえって楽なんです。でも、僕が最後に歩いたインターナショナル・アパラチアン・トレイル(アパラチアン・トレイル終点からカナダへと続くトレイル)って、まさに最後トレイルが海に着いて終わるんですよ。そこで「終わっちゃった~!」って感じで(笑)。7月に歩き終えて、その後1ヶ月くらいアメリカ各地を旅行してから帰国して、9月は南アルプスを全山縦走したり、日本の山を歩いていました。

――たぶん前にお話を聞かせていただいたのもその頃ですね。

舟田:あの頃が一番予定がなくてフラフラしてた時期でしたね(笑)。でも、別に農業をどうしてもやってみたいわけじゃなかったんです。ひとまず試しに行ってみたというか。行く当てもなかったんで。

――実際にそうしていろいろな農場や農家をまわってみてどうでしたか?

舟田:自分が何もできないということがよくわかりました(笑)。料理もできないし、野菜のことはもちろんわからないし、その他の生活技術ということでも、山で得た知識が役立つことも勿論あるんですけれど、むしろ未熟なことがよくわかりました。だからこそ、その辺のことをもっと知りたいなと思って。



■生きることは殺すこと

――やさと農場に来てからはどのくらいですか?

舟田:2年弱くらいです。それまでいろんな農場をまわってて思ったことなんですけど、野菜を売って生活するいわゆる「農業」だと、野菜の市場に振り回されるんですよ。季節ごと値段が上がる野菜があったりして。それに追われている人たちを見て、「これでは違うレースにまた巻き込まれるぞ」って思って。そんなときにここに来たら、なんか飛んでる、ちょっと面白い人たちがいて(笑)。もちろん生産もしているんですけれど、それだけじゃない自由さというか、遊びがあるというか。それで「いいな」って思って。

――いま1日のスケジュールはどんな感じですか?

舟田:今は冬なんでのんびりペースなんですけど、朝八時から豚の世話をして、餌をやって豚糞の掃除をして、その後畑仕事を草むしりとかやって、昼を12時半くらいに食べて、その後畑仕事をまた少しやって、4時くらいからまた豚の午後の世話を餌やったり水を変えたりして、それで終わりですかね。午後5時前には終わっちゃう。

――やることはおのずと季節によって決まってくるというか、自分で決めてやるという感じですか?

舟田:そうですね。今だったらビニールハウスが壊れたからハウスを立てなきゃだとか、そのときによって変わります。僕の場合は豚を出荷するという仕事があって、それが毎月第4週の土曜日にあるんです。その一週間前から僕は豚の屠殺場に行って、屠殺した豚肉をカットして梱包してっていう仕事をずっとやっています。



――今は主に豚舎を担当されているんですよね。そうやって自分で育てた豚を屠殺場に連れて行って、解体して出荷して、というのも、なんというか、それまでまったくなかった体験ですよね。

舟田:僕はまったく素人だったんで、まさか自分がこんな体験をするとは思いませんでしたけど。

――やっぱり初めは葛藤もあったと思うんですが。

舟田:やっぱり豚かわいいですからね。

――さっき豚舎も見せてもらいましたけれど、すごく手をかけて愛情注いで世話しているのを感じました。

舟田:「ここまでして肉を食べる必要はあるのか?」って思ったりもします。今でも答えは出てないですね。

――どうやって自分の気持ちを納得させてそういう作業をされているんですか?

舟田:でも、誰かがやらなきゃならない仕事ならやるしかないという感じですかね。「手を汚す」じゃないですけど、自分も肉を食べるからにはやるしかない。

――僕も「いのちの食べ方」(食べ物の大量生産の現場を追った2005年のドイツ映画。大規模農場や食肉工場の様子が淡々と描かれる)というドキュメンタリーを見たとき、始めはすごくショッキングだったんですけれど、だんだんああいった屠殺場で働いている人たちが、イエス・キリストみたいに思えてきたんですね。人類の原罪を背負ってくれている人たちのように感じて。

舟田:本当にそう思いますね。僕は土浦の屠殺場に行っているんですけれど、心臓を裂く職人さんは一日中ベルトコンベアで来た豚の心臓を裂いているんですよ。

――その光景をみるとやっぱり「げっ」って思うんですけれど、それを誰かがやってくれているから僕らも肉が食べられるわけで。肉を食べるなら本来は自分がそれをしなければ食べられないわけですからね。

舟田:逆に綺麗事は言えなくなりますよね。まあ、この葛藤は解決することはないと思いますけど。そう言ったら野菜だって命ですからね。(収穫の時に)悲鳴を上げないだけで。

――それを突き詰めていったら、野菜を育てるためにまわりの雑草を摘んだり害虫を殺すのだってどうなんだって話にもなりますよね。

舟田:だから、生きることは殺すことなんだろうなって思います。それは避けれないし、それ以上の答えは出ないんですよね。でも、それは知っておかないといけないことですよね。


■4000キロ歩いても悟りの境地へは行けない

――その前の3年間はずっと歩き続ける生活をしていて、この3年間は農業の現場に携わってきて、マインドの変化はありましたか? 

舟田:それはあるとは思いますね。僕の中で長距離(を歩くこと)は一段落している気持ちがあって、歩いているときに、ここからもうワンステップ先へ行きたいなら5千キロじゃだめで、10万キロ歩かないと次は見えないと思ったんです。でも「10万キロはひとまずないだろ」って思って(笑)。

――たとえばもう一度PCTを歩いてみたいという気持ちはありますか?

舟田:歩けたら歩きたいですけどね。純粋に歩くことを楽しめると思いますし。そうも思うんだけどなんか…

――今ではない?

舟田:いつかまた歩けたらなとは思いますけど、今やることではないかなっていう気がしています。

――舟田さんはトレイルを歩いているときから自分の生活をすべて自分の手でしたいという欲求を持たれていたと思うんですが、今こうした環境で自分が食べるものは自分で育ててという生活をされていて、生活を自分自身で作っている実感は以前より格段にあると思うんですが、それを実践されてみてどうですか?

舟田:歩いているときよりはいろいろ学んで、なんとかこなせるようにはなったとは思いますけど。だけど、アメリカ行く前も4000キロ歩いたらきっと悟りの境地に達しているだろうと思っていたんですね。でも実際に歩いてみたら毎日のことをやっていただけで、そんな感じじゃ全然なくて(笑)。だから今もそれと同じような感覚ではありますね。ここでこういう生活をやってきて、だからって別次元に行けたかって言ったら全然そんなことないですし。すべてを自分でやるっていうのも限界があるのも事実で、やっぱり人の社会で生きていくなら100%自分でやるっていうのも違うと思うんで。いまもたとえば畑で綿花を育てていて、その木綿を紡いで糸にしたり、いろいろやっているんですけど、その一方で「まだまだだな」ということもつくづく感じます。

やさと農場の食堂。農場では農体験や宿泊も行っているので興味ある人は是非訪れてほしい。

やさと農場の食堂。農場では農体験や宿泊も行っているので興味ある人は是非訪れてほしい。



――逆に自分のできないことや足りない部分を知るというか。

舟田:移動生活をしているとある意味責任がないというか、極端な話、土地を汚しても次の土地に移っちゃえばそれで済むわけで。でも留まると自分の出したゴミは自分で処理しなければならなかったり、いろいろ背負うものが生まれるというか。そんな中で自分がどこまでやって行けるのかって見てみたい気持ちもあります。歩いているとすごく軽くなるんですよ。責任もなくて、本当に自分が生きていることだけになってきて、気持ちの上でもウルトラライトになる(笑)。もちろんそれも快感なんです。縛られるもののなさとか。でも、それで自分の力だけで生きているって思っちゃうのもまた傲慢かなって、それは歩いているときから思っていました。

――普段この辺を歩いたりもしますか?

舟田:行けたら年一回くらいは行きたいなって感じですかね。こないだのお正月は奥秩父の山へ行って、ひとりで雪の中でキャンプしましたけど。もちろん今も山は山で、自由で楽しいですけどね。自分のことは全部自分でやるのとか。でも、やっぱり一カ所に留まることの方が難しいなって思います。この感覚が一般的かどうかはわからないですけど(笑)。ロングディスタンスを歩いていたときに得られた軽さって、それまで貯めたお金なりなんありがあったから飛べたわけで、長期的に見たら続かないんですよ。どこかに降りるしかない。でもスポンサーを見つけて歩くというのは、僕は考えられなくて。僕も(トリプルクラウンの)二本目のCDTの時からあるとこからスポンサードを受けて、靴や服を提供してもらっていたんですけど、ちょっとミスったなと思って。向こうも縛ってくるわけじゃないし、本当によくしてくれたんですけど、どこかでやっぱり純度が落ちるというか。「自分はそういうのはないな」と思って。

古い機械で糸を紡ぐ舟田氏

古い機械で糸を紡ぐ舟田氏



■苦労しなきゃならない人がいるならそっち側を見たい

――さっき言っていた「自分で木綿を紡いで~」というのは、どういう計画なんですか?

舟田:自分で機(はた)を織って、糸を紡ぐとこから服を作りたいなと思っているんです。「原始機」って言って、大きい機織り機じゃなくてもっと原始的なやり方があって、柱に縦糸を張って、もう一方の糸を腰にかけて織っていくやり方があるんですけど、それをやりたいなと思って調べたりしています。農場来てからもちょくちょく普段着を作っているんですけど、生地からやってみたいなと思って。

――とりあえずまず自分で全部やってみないと気が済まないんですね。

舟田:僕はもともと自己満足型というか、すべて自分でやりたいっていう気持ちが強いんです。メーカーよりいいものが作れるわけじゃないけれど、ひとまず自分でわかっておきたいというか、クリアにしておきたい。作った後は結局あるものを着ているんですけど。今着ているのもユニクロですし(笑)。でも、ひとまずは自分で作ってみて知りたいんですね。それがどういうふうにできているのか。そこにどういう苦労があってそれが出来上がっているのか。誰かがそれをやってくれているわけじゃないですか。その苦労を自分でも味わっておきたい。

――さっきからお話を伺っていると、何をするにせよ「あえて苦労したい」というような傾向が感じられるんですが(笑)。昔からそうだったんですか?

舟田:まあ前からですね。大学を卒業するときもあえて就活はしなくて、「搾取する側になるなら搾取される側がいい」と思って下町の製本工場に入ったんです。机の上の仕事じゃなくて、苦労しなきゃならない人たちがいるならそっち側を見たいというか。

舟田氏が糸から紡いで作ったセーター

舟田氏が糸から紡いで作ったセーター



――それはどこから影響を受けてそういう志向になったんでしょうか。ご両親がそうだったとか?

舟田:いや、親は普通のサラリーマンです。どこで植え付けられたのかはわかりません(笑)。

――とくに影響を受けた本があったとか?

舟田:それがどんな影響を与えているかは分らないけど衝撃的だった本はあって、もちろんソロー(ヘンリー・D・ソロー。19世紀アメリカの作家・思想家。人里離れた湖畔での自給自足の暮らしを綴った著書『ウォールデン・森の生活』はナチュラリストのバイブルとしてあまりに有名)もそうですし、あとは大学の哲学科で勉強した哲学書とかもそうだったのかな。僕はスピノザ(汎神論を唱えた15世紀オランダの哲学者。存命中は無神論者として批判を浴びたがその思想は後世の無神論や唯物論にも強い影響を与え、ドイツ観念論やフランス現代思想の礎になった。代表作『エチカ』)が好きだったんですけど。でも、説明はできないな。「大きな影響を受けたのはこれです」とは言えないですね。少しずついろんなものが影響しているんだとは思いますけど。ここに農体験に来る人たちを見て思うんですけれど、豚というだけで嫌悪する人もいるんですよ。単純に汚いとか、こういうのは底辺の仕事だとか。豚糞掃除するのとかもありえないだとか。でも、逆に何ら抵抗なくできる人たちもいて。そのへんの違いがどこで生まれてきてるのかなって考えたりはしますけれど。ただ自分のことを言えば、いまは頭じゃなく体で理解したいと思っているのかもしれない。僕は学生時代までは頭でっかちで、本ばっか読んでたんですね。処世術ってものを嫌悪していて、世渡り術とか自己啓発書も大嫌いで、図書館で働きたいと思っていたくらいなんですけれど(笑)。

――今はそうやって体を使って、少しづついろんなものを自分の手に取り戻している最中なんですね。

舟田:そうですね。もし自分が無人島とかでロビンソン・クルーソー的な状況に放り出されたとしたら、生き生きすんだろうなとは思うんですよ。でも、そういうことをやるよりも今はさっきの豚の話とか服作りの話みたいに、お金で買うことによってブラックボックスになっているものを、ひとつひとつクリアにしている段階というか。その中できっと社会やお金との折り合いもついていくんじゃないかと思っています。だから、今のテーマはむしろ社会とのバランスかな。最終的にはそこになる気がしています。

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ハイキングを長く続けていれば、当然現代社会への疑問は湧いてくる。山の中で必要最低限のものだけで過ごす自由と喜びを知れば自ずと普段の僕らがいかに不必要なものに囲まれて生活しているのかが見えてくるし、すべての環境破壊はそんな僕たちのライフスタイルが引き起こしていることだということもわかってくる。だから自分たちが愛する自然を汚すようなこととはなるべく関わらずに生きていきたいと思うけれど、この現代社会に生きている以上、なかなかそれも難しい。真っ当なハイカーならば、誰もが感じているジレンマだろう。

さて、ここでこの長いインタビューの冒頭に戻りたい。「日本を代表するハイカーは誰か?」という、あのナンセンスな問である。

ここまで読んでくれた人ならば、彼ほど真っ当に歩き、真っ当にジレンマと向き合い、真っ当にそれとどう折り合いをつけながら暮らしいくのかを模索している人はいないということがわかってくれたと思う。いま歩いているかどうかなんて関係ない。彼のような人こそがハイカーだ。

彼は今もトリプルクラウンから続く長い長い一本のトレイルを歩き続けながら、「生活の実験」を続けている。息を切らせるシェラネヴァダの高峰や延々と続くアパラチアの峠道のように、これからも困難はたくさん待ち受けているだろう。けれど、きっと乗り越えていけるはずだ。だってハイキングとはトレイルを歩く過程そのものを楽しむことだし、ハイカーとは「その瞬間瞬間に楽しみを見いだしている人たち」なのだから。

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WRITER
三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
masaakimita.web.fc2.com

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