TRAILS REPORT

日本人PCTハイカーのパイオニアたち / 日色氏・清水氏プレインタビュー

2017.01.20
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来たる1月末のLONG DISTANCE HIKERS DAY(イベント詳細・申込みはコチラ)にてMAIN TALKに登壇していただく日色健人氏、清水秀一氏、舟田靖章氏。先日、イベント初日の1/28(土)に登壇する日色氏と清水氏に、それぞれプレインタビューを編集部で行なってきた。その一部をイベントに先立ってお届けしたいと思う。

日色氏、清水氏、舟田氏のいずれも近年はメディアやトークセッションなどで、当時のロングトレイルの旅について語られることは極めて少ない。しかし、テレビ・雑誌や、ネット上の記事やSNSでも、ロングトレイルの情報にアクセスすることは容易になり、いま「ロングトレイル」はデコラティブな情報に彩られている。

そんないまだからこそ、まだロングトレイルというものがまだ何ものかもわからなかった時に、4000キロ以上もの歩き旅にでかけた先人の話に耳を傾けみたいと思った。そしてその旅のピュアなモチベーションやその実像に迫り、自分たちの明日からのハイキングや旅にもっていく大事な「何か」を見つけ直してみたいと思った。



日本人初のPCTスルーハイカー 日色健人



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日本人初のPCTスルーハイカーとなった日色氏(2003年)。当時24歳だった自分について「あの時の自分には、長い時間の旅が必要だった。僕は、その中で自分の足で歩いていくことに惹かれたし、自分の責任で生活を続けていくことに惹かれた。」と振り返る。

日本にロングトレイルというカルチャーを紹介した加藤則芳氏の『ジョン・ミューア・トレイルを行く ―バックパッキング340キロ』が、出版されたのが1999年。この年の前後に、実は日色氏も清水氏もジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしている。これだけでも大冒険であったはずだ。その10倍もの距離があるPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)なんて、まさに「超ロングトレイル」と映っていたに違いない。しかも当時はPCTについての情報は、日本ではほとんど得られない。そんな状況のなか、なんで4000キロにもおよぶ歩き旅をしてみようと思ったのだろうか。

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日本人初のPCTスルーハイカーが誕生したのが2003年。この年に日色氏、石部氏(夫妻)が日本人で初めてPCTをスルーハイクした。翌2004年に清水氏もスルーハイク。この市井のハイカーである先達3組が残してくれたブログが、日本におけるロングトレイルの情報の「原典」となった。後に日本人初のトリプルクラウンを達成する舟田氏も、この先達のブログをもとにトレイルの詳しい情報を知ることができた、と語る。舟田氏のブログにもこう紹介されている。

「上位三つのサイト(日色氏、清水氏、石部氏のサイト ※筆者注)がPCTをスルーハイクされた日本人ハイカーのページ。実際の経験に基づいた様々なデータや日記など、計画する上で大変参考になる。」
(舟田靖章HP「逍遥遊」より)
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大きい荷物を背負って1日20〜30kmを歩く。「2000年頃はウルトラライトのスタイルで歩くハイカーなんていなかった。JMTを歩いたときは、補給の方法も知らなくて13泊分の食料と燃料をかついで歩いてた。」

日色氏、清水氏の話を聞くときに、私たちは当時の状況を想像する必要がある。その想像力なくして、当時の旅のリアリティは浮かび上がってこないからだ。さて、ではここから直接お二人にインタビューした内容を楽しんでもらいたいと思う。

 *   *   *

ー interview with 日色 健人 (class 2003)
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最初に手にしたのは、メキシコからカナダまでのトレイルがのった1枚のリーフレットだけだった




—— そもそも、何がきっかけでアメリカのトレイルに興味を抱いたのですか?

日色:私は5歳からボーイスカウトをやっているんですが、その先輩が1996〜1997年頃に仕事でロサンゼルスに赴任することになって。アメリカにすげートレイルがいっぱいあるよ!って教えてくれたんです。

—— それで、いきなりPCTに行ったのですか?

日色:最初はシエラネバダです。1998〜2000年にかけて3回ほど。まずは夏休みに7泊8日くらいJMTやPCTの一部を歩いて、2000年にボーイスカウトの先輩たちと一緒にJMTをスルーハイクしました。

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—— PCTをスルーハイクした日本人がいなかった当時、日本にはPCTの情報は皆無でしたよね。

日色:JMTを歩いた際にビジターセンターに行ったんですが、そこに一枚のリーフレットがあって。メキシコからカナダまで続く道があることを初めて知ったんです。

ほんと手探りでしたね。まずはPCTA(※)のホームページを見て。今ほど情報は充実していませんでしたが、そこでガイドブックとタウンガイドを販売していたのでとりあえず購入して。最終的に手に入れることができたのは、ガイドブック2冊とタウンガイド、そして距離や標高、水場、キャンプ場などが記載されているデータブックの4冊くらい。もちろんぜんぶ英文です。

ビザの取得に関しては、まったく情報がありませんでした。それが一番苦労しましたね。留学する人のサイトとか、そういう人のための留学ガイド的な書籍を参考にして、試行錯誤しながら自分で文案を作り上げました。
※Pacific Crest Trail Association(PCTの管理団体)

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アメリカではこういう遊びや文化が確立している、というのを目の当たりにしてびっくりしました




—— 最初にアメリカのトレイルを歩いたときの印象はいかがでしたか。

日色:JMTを歩いたときに、トレイルを維持管理する仕組みがきちんとあって、こういう遊びが確立している、文化があるっていうのを、目の当たりにしてびっくりしました。山の雰囲気や植生が違うとか、そういうこともあるんですけど、ひとつの遊びとして根付いていることに驚きました。

—— JMTを歩いたら満足しそうですが、さらにPCTに。何が日色さんを衝き動かしたのでしょう。

日色:バックパッキングというのは、自然のなかで生活をする非常に自立性の高い遊びじゃないですか。当時の私は、自分の力では何もしていないという感覚、漠然とした不安を抱いていたんです。親がレールを敷いてくれて大学まで行かせてくれて卒業して……という。そんな時、目の前にPCTというフィールドがあったわけです。ストイックな登山ではなく、4,000キロという長い距離を長い時間をかけて自分のペース、自分の責任で歩いていく。そこにとても惹かれたんです。

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—— スルーハイクの経験は、日色さんの人生にどんな影響を及ぼしましたか。

日色:スルーハイクで手にしたスキルとか経験よりも、そういう人生を選んだこと、PCTを歩くという道を自分で選んだことが大きかったですね。それが私の人生のターニングポイントになりました。スルーハイキング、バックパッキングというのは、自分の自立性に基づいて、自分の責任において完結する物語です。それを、半年という期間をかけて完遂できたことは、その後の自分の人生の選択の仕方においても、決定的な影響力を持っている気がします。

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青年(当時24才)日色氏に続き、その翌年の2004年にPCTスルーハイクをしたのが清水秀一氏。当時38才で、約10年勤めていた会社を退社し、その後の数年間、旅をする人生を選ぶ。PCTのスルーハイクも「未知の日常」を楽しむ、という余裕に満ちた清水氏。行きあたりばったりの意外な出会いや出来事を喜び、不自由を楽しむことを謳歌した、興奮に満ちた人生初ロング・ディスタンス・ハイキングだった。

ー interview with 清水 秀一 (class 2004)
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ここからずっと北に歩いていけばカナダまで行くことができるんだ!




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—— PCTをスルーハイクするに至った経緯を教えてください。
清水:1991年頃から、年1回くらいのペースでアメリカ西部を旅行していたんです。現地で車を借りて、自分で運転しながら国立公園を巡る感じで。そのなかで、歩ける道があることを知りました。

それで2003年にJMTをスルーハイクして。PCTを知ったのはその時ですね。歩いている途中でたまたま若いハイカーと出会って話をしてみると、PCTを歩いているんだと。それを聞いて、ここからずっと北に歩いていけばカナダまで行くことができるんだ!と思って、なんだかPCTが身近に感じられたんです。

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—— 日色さんの翌年にPCTを歩かれたわけですが、まだまだ情報は少なかったですよね。
清水:そうですね。ただJMTを歩いた際に向こうでガイドブックの存在を知ったので、すぐ購入しました。あとはデータブックも買って。苦労したのは、ビザの取得ですね。旅行代理店に行ったんですが、観光ビザはたぶん取得できないですよ、と言われて。

でも、日色さんのブログに助けられました。彼が自身の文案を載せてくれていたので、そのまま流用させてもらって。本人にもコンタクトをとっていろいろ教えてもらいました。

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トレイル・エンジェルの存在も知らなかった。逆にそれが良かった。情報がないおかげですごく楽しかったんです




—— アメリカへの旅行経験が豊富で、しかもJMTを歩いた経験もある。現地ではさほど困ることはありませんでしたか?
清水:町に行けば食べるものくらいはあるだろう、という経験則はあったのでなるべく町には立ち寄ろうと思っていました。ただ、トレイル・エンジェル(※)をはじめ、どこに何がある、誰がいるといった現地の情報は極端に少なかったですね。でも、逆にそれが良かった。情報がないおかげですごく楽しかったんです
※スルーハイカーをサポートしてくれるボランティア

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—— 未知との遭遇というか、知らないがゆえの驚きや発見があったということですか。
清水:私自身、それまで海外旅行の際も、不自由を楽しむという感覚で行っていたんです。情報がありすぎるのは面白くないなと。行き当たりばったりで珍しいものに出会ったり、意外なものに遭遇したり。それが旅行の面白さだと思うのです。もちろんそれで損している部分もあるかも知れませんが、わからないなかで現地ではじめて出会って、文化の違いに気づいたり、驚いたり、それが楽しいんですよね。そういうタイプです。

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PCTのスルーハイクが他の旅と一番違うのは、歩いている生活自体が楽しいということ




—— アメリカの国立公園を車で巡っていた旅と、PCTのスルーハイクの違いは何ですか。
清水:レンタカーを借りて旅をしていた時は、今日はグランドキャニオン、明日はモニュメントバレー、次はどこどこという感じで、観て、写真撮って、おみやげ買って、の繰り返し。要はポイントポイントの楽しみなんです。

でもPCTはそうじゃなかった。PCTのスルーハイクが他の旅と一番違うのは、歩いている生活自体が楽しいということ。朝から晩まで24時間ずっと楽しめる。寝ることも、起きることも、朝食を作ってテントを畳むのも、そして歩き始めて最初はしんどいけどだんだん調子に乗ってくることも、とにかくぜんぶ楽しい。旅の性質が変わったのだと思います。

日々、未知の世界を歩いていて楽しい、未知の日常を過ごしているのが楽しい、という感覚がすごく強くて。“初めて”であることが大きかったですね。だから、もう1回PCTを歩いても、同じ喜びは絶対に味わえないと思います。

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 *   *   *

今回は、ここまで!もっと詳しくリアリティある話は、LONG DISTANCE HIKERS DAYで、直接ご本人たちから話をしてもらいます。

日本人PCTハイカーのパイオニアたちに会って直接話が聞ける、本当に貴重な機会です。少しでもあなたの旅の触手にひっかかるものを感じたら、是非イベントに遊びに来てください!



EVENT OVERVIEW




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上記画像をクリックすると、イベント詳細ページにリンクします。

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【参加費】
2日間両日参加 3,000円 (先着30名に達し次第、応募〆)
1日のみ参加  2,000円 (各日先着90名に達し次第、応募〆)
1月28日(土)、1月29日(日)のそれぞれの日で、内容が少し異なりますのでお間違いのないようお買い求めください。
※当日発行のチケットをお持ちであれば、何度でも再入場可能です。
※軽食、ドリンク以外のすべてのコンテンツが参加費に含まれています。
※会場内で軽食やドリンクなどをお買い求めいただけます。
※当日の混雑次第では、参加いただけないコンテンツもございますので、予めご了承ください。
※当日のプログラム、及びタイムテーブルは変更する場合がございますので、予めご了承ください。
※本イベントでは取材が入ります。撮影された写真や映像が雑誌やウェブなどに掲載されることがありますので、予めご了承ください。

【お問い合わせ】
TRAILS(トレイルズ)編集部 event@trails.co.jp


WRITER
根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。現在はアウトドア系のメディアを中心に執筆活動を行なう。著書に『ロングトレイルはじめました』(誠文堂新光社)がある。

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