パシフィック・クレスト・トレイル (PCT) | #09 トリップ編 その6 DAY107~DAY116 by Teenage Dream(class of 2022)

文・写真:Teenage Dream 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
2022年にパシフィック・クレスト・トレイル (PCT) をスルーハイキングした、トレイルネーム (※1) Teenage Dreamによるレポート。
全8回でレポートするトリップ編のその6。今回は、PCTスルーハイキングのDAY107からDAY116までの旅の内容をレポートする。
今週末の4月26日(土)、27日(日)は「LONG DISTANCE HIKERS DAY 2025」を開催される。(イベント詳細はコチラ)
今回のエピソードは、このイベントでも話がされる、近年の「山火事」の問題に対して、どのようにハイカーが対応するかということも書かれている。
その視点でも読んでみると、ハイカーとしてのヒントが得られかもしれない。
※1 トレイルネーム:トレイル上のニックネーム。特にアメリカのトレイルでは、このトレイルネームで呼び合うことが多い。自分でつける場合と、周りの人につけられる場合の2通りある。
パシフィック・クレスト・トレイル (PCT:Pacific Crest Trail)。メキシコ国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経てカナダ国境まで、アメリカ西海岸を縦断する2,650mile (4,265㎞) のロングトレイル。アメリカ3大トレイルのひとつ。
山火事で封鎖されるまで、歩いてみる。(DAY106〜DAY108)
行けるところまで行ってみようと街から歩き出す。
街へおりて燃料や食料の補給をした。
装備も色々とこの段階で変更をしたりもした。
特に意味もないがテントもアメリカの気になっていたタープテントのレインボーという製品に買い替えて、古いテントは日本へ送り返した。
この先の100mile先は火事で封鎖されていて歩くことができないため、大きな街に行きやすい今の場所で、次のセクションを目指すハイカーが大半だった。
ほとんどのハイカーはオレゴン州を飛ばしてワシントン州へスキップしていった。
ここにいるハイカーはみんなスキップをするが、僕たちは100mile先までとにかく行ってみよう、ということになった。
綺麗なトレイルの景色が続く。
トレイルはなぜ封鎖されているのかがわからないぐらいに綺麗だったが、たまに煙くさい。
やはりこの近くで燃えているっぽい。山の中も過去の山火事の痕跡が至る所にあった。
このような景色はこの先ないのかもしれない。
100mile先は通行止めだ。カリフォルニア最後のセクションを噛み締めるように歩いた。
トレイルマジックの手書きサイン。
先に下山したハイカーがまさかのトレイルマジック (※2) をトレイルに残してくれていた!
どうやら家族がここまで遊びにきて、車で先回りをしてお菓子やジュースを置いていってくれたみたいだ。
突然のサプライズで元気になれる。
休憩中に3人で記念撮影をした。
歩いていると見慣れたハイカーとすれ違った。前の街で別れたキュリオスマペットというハイカーだった。
どうやらこの区間を忘れられず、戻ってきたらしい。歩けるなら歩きたいと戻ってきて、エトナから逆向きに歩いているということだった。
この区間をもう一度歩きたいと戻ってきたキュリオスマペット。
あと、僕の足はかなりダメージが蓄積されていて、踵がとにかく痛い。画鋲を踏んでいるようにチクチクと激痛が走るようになっていた。
足底筋膜炎になっているようだった。何度も冷やしたり休ませているが、痛みは日に日に大きくなってきていた。
※2 トレイルマジック:主にロングトレイルにおいて、トレイルエンジェルと呼ばれるボランティアの人たちが、ハイカーのために提供してくれる食料や飲み物。
やはりトレイルは封鎖されていた。ここからどうするか。(DAY109〜DAY110)
100mile先まで歩いてみた。
トレイルは、案の定封鎖されていた。
先行して歩いたハイカーが残したのか、簡単なメッセージが残っていた。後から気が付いたが、この道路は封鎖されていてヒッチハイクが大変だった。3-4時間ヒッチハイクをしたが、30分に1台しか通りすぎない。
誰かが残してくれた、トレイル封鎖というメッセージ。
ダメ元で大型トラックへヒッチハイクをしてみると、まさかの2台も止まってくれて、エトナまで乗せていってくれた。
アメリカの大型トラックに乗ってみたかったのでよかった。このフレイトライナートラックはアメリカ最大手のトラックだ。次はケンワースに乗ってみたい。
ヒッチハイクで乗せてくれたトラック。
エトナをスキップするハイカーも多いが、エトナにはいろんなハイカーが集まってきていた。
日本人ハイカーの田安くんも追いついてきた。
日本人ハイカーの田安くん。
スキップする悩み。ここまで一緒に歩いたハイカーとの別れ (DAY111)
一緒に歩いてきたラッキー (写真中央) と板谷さん (写真左)。最後にみんなで写真を撮った。
僕たちはどうするか、のんびりとカフェに行ったり、アイスを食べに行ったりして考えた。
山火事は100km感覚で細かく発生しており、立ち入り禁止区間が多い。避けて歩くこともできなくはないが、ダブルトラックを歩くことになって面白みも少ない。
ヒッチハイクも100kmおきに繰り返すのもかなり負担が大きいし、ほとんどがヒッチハイクになってしまう。さらにはPCT DAYSの開催日も迫っていた。
僕はこのオレゴン州をスキップし、ワシントン州を歩き終わって火事が落ち着いてからオレゴンを歩くことにした。PCT DAYSの開催するカスケードロックへ向かうことに。
ラッキーと板谷さんは細かくヒッチハイクをしながら北上することに。
PCT DAYSの会場へ向けて夜行バスに乗る。(DAY112〜DAY116)
カスケードロックへ向けて乗った夜行バス。
ラッキーと板谷さんはトレイルへ、僕は深夜バスに乗ってオレゴン州のポートランドへ移動することに。移動はいろんな手段があるが、深夜バスが一番安かった。
アッシュランドという街まで行き、ヒッチハイクをしてバス停まで行った。
深夜バスは正直なところ乗るのが怖かった。深夜に人気のないバス停でひたすらとバスを待つ。
バス停で待っていると、ゴミ箱を破壊するホームレス、ジャンキーなどが集まって来る。警察も巡回しているが、横目に見るだけで通り過ぎていくだけだった。バスは3時間も遅れて到着した。
バスにはホームレスのような人が乗っており、臭いも含めて、異様な雰囲気だ。バスの運転手はアクリル板に囲まれて危害を加えられないようになっていた。
座席はパンパンで、日本では考えられないマナーの悪さだった。一睡もできないままポートランドまで走り続けた。
降りて判明したが、PCTハイカーが2人乗っていた。
治安の悪さを感じるポートランドの街。
一緒にカスケードロックへ移動することに。ポートランドはホームレスだらけで、また疲れた。アンモニアの臭いがする。
空き瓶を片手に持ったジャンキーに絡まれたり、ヒヤヒヤすることもあったが、なんとかしてカスケードロックへ到着した。
今まで歩いてきた田舎は圧倒的に治安がよかった。
PCT DAYSの会場。
PCT DAYSの前夜祭があるようで、すでに大量のハイカーが集合していた。
PCT DAYSはリペアチームが来ていたり、各メーカーの出展がある。日本のイベントも実はほとんど行ったことがないが、アメリカのこのようなイベントのお祭り感と自由な雰囲気はとてもよかった。
リペアサービスは全て無料で行われており、テントやバックパックなど専門機材が必要なものでも、機材を持ち込んで修理をしていた。
PCT DAYSのリペアサービスのブース。
日本からはパーゴワークスが出展しており、暇なタイミングでお手伝いをさせていただいた。
足の痛みも相変わらずなのでここでしっかり休んで、ワシントン州へ挑もうと思う。
PCT DAYSはカリフォルニア州で出会っていたハイカーと、久しぶりに会うことができ、まるで同窓会のようだった。
PCT DAYSでは多くのハイカーがここで歩くのをやめてしまう。満足して帰ってしまうことが多い。ここで最後に出会うことができて本当によかった。深夜バスで大変だったが、ここに来てよかったと心から思えた。
PCT DAYSの風景。
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