リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#10 / グレート・ディバイド・トレイル(その2)
文:リズ・トーマス 写真:リズ・トーマス、ナオミ・フデッツ 訳:大島竜也 構成:根津貴央
【前回までのあらすじ】
数々のロングトレイルを踏破してきたリズではあったが、実は、興味がありながらも長年にわたり挑戦を避けつづけてきたトレイルがあった。
それが、カナダのロッキー山脈を貫く『グレート・ディバイド・トレイル』(Great Divide Trail:総延長1,200㎞)だ。
2016年の8月、彼女は一念発起してGDTのスルーハイキングに挑むことにした。
友人のナオミと一緒に歩きはじめたリズだったが、季節外れの雪、落石、グリズリーとの遭遇など、序盤からハプニングばかり。しかし彼女たちはめげることなく、ポジティブな姿勢でチャレンジをつづけていた。
私の友人で探検家であり、TRAILSのアンバサダーでもあるジャスティン・リクター(a.k.a トラウマ)。彼のハイキングパートナー、ショーン・フォーリー(a.k.a ペッパー)は、私にこう言いました。「冒険の真の定義は、旅に出発する時に、無事に戻って来ることができるか確かでない、または少なくとも旅を中断または途中でケガをしないか確かでない旅のこと」だと。
人は自分の限界を超えることで最も成長し、それはトレイル上でも同じです。そんな旅に出ると、最終的に自分の限界というのは自分の認識よりハードルの高いものではないと示してくれますが、私にとっては、カナダのロッキー山脈のグレート・ディバイド・トレイル(GDT)を横断する旅が正しくそんな旅でした。
洪水や地滑りのあとの、一面の荒れ果て原野。普段のトレイルのありがたさを知る。
私が確立されたハイキングルートを今まで歩いてきて学んだことのひとつは、ルート の “発明家” がある理由に基づいてトレイルを設計するということです。その理由のひとつは、少なくともその地域にトレイルがあったからですが、時間と怠慢によって、植生が道を覆ってしまう可能性があります。するとハイキングルートは、まわりの森林や草原と区別できないほどになってしまいます。
私のハイキングパートナー・ナオミ、そして私は、絵に書いたような見事な高い牧草地の頂点のすぐ下を横切って広がるビーハイブ自然地帯で、消えては再び現れる信頼できない友人のようにに現れるトレイルを歩きました。
ロスト・クリークと呼ばれる道路網のようにクロスしている場所は、洪水や地滑りにより、木々や看板、さらには金属の橋までが流されてしまい、残されたのは、被害で荒れ果てた原野だけでした。私たちは死んだ木々や大洪水で動かされた岩の山を飛び跳ねて進み、水路から離れて行くと、整備され標識もある道が続いていました。
トレイル上の自然は厳しいものですが、これらの地域を歩き回ることで私たちには感謝の気持ちが芽生えました。なぜなら、あらゆるトレイルが、そこに来る人や馬に乗ってやってくる人が気にしてくれているお陰で成り立っていることがわかったからです。フォーディン・リバー・パスまでの美しいトレイルを進んだ後、案内板がなかったので1時間ほどウロウロして、ふたたび正しいルートに戻りました。その後、私たちは洪水で荒廃した別のエリアに着きました。そのコースそのものが川に飲み込まれていて、私たちは土手の上にとどまるために、水の上にぶら下がっている木の根を登って進みました。まだ川が流れる土砂の道を歩くと、その先には多くのATV(オフロードの四輪バイク)に乗った人たち、アラスカのプルドー・ベイからチリの最南端までサイクリングしていたニュージーランドから来たカップルと出会いました。
すべてが順調でした。激しい雨が降って数時間放置されるまでは……。
ロッキー山脈の上に隆起した5億年前の海底地層とサンゴの化石
1年前、私の友人はGDTをハイキングし、その深い内陸の山岳地帯で化石化されたサンゴ礁の写真を掲載しました。これらの化石は、5億1500万年前のカンブリア紀より前の時代にこの地域に存在した浅瀬のサンゴ礁の遺物と言われています。
ロッキー山脈が5,500万年前に山としての形を地殻変動で成した際に、地層の下位に位置する古い海底に埋め込まれた古い化石を押し上げました。これらの写真はGDTに関する私の好奇心を呼び起こし、恐怖心を抱いていたにもかかわらず、この迂回ルートにある道をハイキングしたいと思わせてくれました。GDTで行きたい迂回ルートがあるとしたら、私はこのコーラル・パス(サンゴの道)と答えるでしょう。しかし、コーラル・パスにたどり着くには、エルク川の浅瀬を横断する必要がありました。当時は絶えず雨が降っていて、私たちは川の流れがとても速くなっていることを知っていました。さらに悪いことに、事前に収集した情報では、GDTを過去にハイキングした多くの人が、コーラル・パス上の岩や植物は雨で濡れている際に歩くには危険だとアドバイスをくれていました。
私たちは降りつづく雨で体が濡れ、指の感覚もなくなっていました。ナオミと私は旅で最も悲しい決断をしました。コーラル・パスは断念し、エルク・レイクス州立公園への最短ルートである舗装された道を選択することにしたのです。
つかのまのリラックスタイム。音楽を聴きながらの楽しいハイキング。
しかし、最短ルートを選択したことで小さなご褒美がありました。ここに来るまでは、私たちはすべての感覚をグリズリーベアの発するノイズをキャッチすることに向けるため、ヘッドホンで音楽を聴くことはしませんでした。しかし、舗装された安全な歩道では音楽を聴きながらハイキングを楽しむことができました。好みの曲やポッドキャストを聞くことで、次に待ち受けている寒くて湿った数時間に向けて、ちょっとした気休めになりました。
バックパッキングの道中でしばしやってしまうミスは、雨が降っている時に十分に食べないことです。私は体を動かすことで暖かさを保つので、足を止めて軽食をとったり、座って食べたりするのは、体が冷えてしまうのではないかと心配になるのです。
お腹が空き始めた時、恰幅の良い全身ラバーのレインスーツを来たATV(四輪オフロードバイク)に乗った男性がやってきて、私たちに話しかけてきました。彼の乗り物には屋根がなく、時速は歩く速度の目安となる5kmよりもっと速いので、雨のしぶきは歩くより激しく、まるでバケツに入った氷がつねに顔にあたるような感覚だと思います。自分の境遇より大変だと思うと彼に同情の念を持ちましたが、彼は話すのを喜んでいる様子で、私たちに地元住民しか知らないアドバイスをくれました。ちょうど4km先には、雨をしのいで休憩できるオープンキャビンがあるとのことでした。4kmの距離は、まるで果てしなくつづくようにも思えましたが、暗いキャビンが目の前に見えた時には天国に来た心地がしました。中に入るとすぐに、内部の温度は10℃上昇し、屋根のあるベランダでギアを乾燥させ、長距離サイクリストがキャビンの壁に書いたと思われるたくさんの落書きを見ながら、温かいラーメンを作りました。
落書きの一部にこんなコメントもありました。「親子のヘラジカを追いかけるグリズリーベアを、このキャビンの向こう側の草原で見ました」。どうやら、ヘッドフォンの時間はもう終わりのようです。
定められたキャンプサイトに泊まるのがGDTのルール。アメリカとの違いにストレスも。
つねに規則を遵守しようとする者として、GDTの最大のストレスのひとつは、法で定められたキャンプサイトに泊まることでした。GDTの多くの道は国立公園内に位置するので、ハイカーは国立公園が定めるキャンプ場に滞在する必要があり、それには事前に許可を得る必要があります。
このルールは 、米国内の国立公園で一般的に運用されているルールとは大きく異なります。国が保有する土地のほとんどでは、キャンプを張ること、およびそこに滞在する際に許可はまったく必要としません。
ナオミと私がエルク・レイクス州立公園に向かう途中、私たちはキャンプ場の許可を得ていなかったので、どこでキャンプすることができるのかわかりませんでした。また 私たちは、1日の終わりにキャンプエリアに到着するため、道路に沿ったすべてのキャンプ場がレジャーで利用するキャンパーで占められてしまうのではないかと心配していました。これら心配のすべてが旅でのストレスになっていたのです。
GDTの多くはかなり僻地にあるため、ハイキングを始める前に、ナオミと私は郵便物が届くポイントに近い拠点に食べ物が入った荷物を送りました。今回、私たちの食べ物はピーター・ライード州立公園のビジターセンターに無事届いていましたが、午後6時頃に登山口付近の道路に着いたとき、ビジターセンターまでは残り10kmあったので、センターの閉館前に到着するのが困難な状況でした。腹をくくった私たちは、親指を出してヒッチハイクを始めました。荷物のピックアップに間に合わなくても、せめてレストランや食料品店に行き、キャンプグラウンドの空きスペースを早く押さえようと考えたのです。そして奇跡的に、氷を買いにキャンプストアに向かうオタワから来たフレンドリーなカップルが私たちを乗せてくれました。さらに、彼らのキャンプ場の一部を使っていいと申し出てくれたのです。
キャンプ場に着くと、驚いたことにかなり空きがありました。私たちがいたキャンプサイトは警告サインのついた赤いテープで印を付けた道に一番近い場所にありました。目的地であるビジターセンターに通じる道を含め、このエリアのトレイルの多くは、まるで殺人事件の後、現場検証をする際に警戒線をはった後のようでした。
聞けば、その年はクマの出没によるトラブルが頻繁に発生していて、多くのビジターがキャンプや家族旅行をキャンセルしたとのこと。理由が何であれ、私たちは懸念していた定められたキャンプサイトで、無事に夜を過ごすことができて嬉しかったです。
ビジターセンターで味わった幸運と不運
翌朝、私たちはビジターセンターへ行きました。モダンな木造建築のロッジで、大きな窓からは景色が見え、窓からの光が入るベランダにはレザーソファが置かれていました。私は数多くのビジターセンターを訪れましたが、ここまで素敵な場所を見たことがないと思うほど。通常私たちハイカーが利用するビジターセンターとは まるで別世界でした。そんな様子にも関わらず、レンジャーたちは喜んで私たちに事前に郵送してあったパッケージを渡してくれ、高価なレザーソファに座って開けてください、とあたたかく薦めてくれました。
ビジターセンターは大自然の中にあるので、携帯電話の電波は受信できませんでしたが、Wifiが利用可能で、私たちは許可を得て先週のニュースをチェックするなどしていました。私が再梱包している一方で、ナオミは未読のボイスメールを読んで、誰かが彼女と夫のクレジットカード番号を盗んだことがわかりパニックになっていました。
ナオミは、夫(当時別のロングトレイルをハイク中でした)との電話などで、4時間を混乱の整理にあてました。途中で、レンジャーが私たちにグリズリーベアーがビジターセンターの裏にあるベリーの実を食べに来ていると言って、そこにいるすべての観光客が双眼鏡をつかんで見ようとしている間、ナオミは新しいクレジットカードを注文していました。
登山口に戻る際、2人の若い男性がクルマに乗せてくれました。ひとりは1年中スキートレーニングキャンプで近くのヘイグ・グレイシャーで働いていて、かつてはカナダでトップクラスのクロスカントリースキーヤーだったことがわかりました。彼らは私たちが直面している旅の難しさを理解していたらしく、道路でヒッチハイクをするのを見たとき、わざわざ私たちを拾うためにUターンをして来てくれたそうです。
私が世界中を訪れた中で最も美しい公園のひとつ。ピーター・ライード州立公園。
ピーター・ライード州立公園は、私が世界中で訪れた中でも最も美しい公園のひとつです。別のGDTのハイカーの言葉では、「州立公園でここまで素晴らしいのならば、国立公園は必要ないのでは?」と言うほどでした。
湖の周りを歩く5kmのループは、私が持っている世界中で最も素晴らしいデイハイクスポットのリストに入っています。私たちは、自然豊かな手付かずのトレイルを進み、その先には深い石灰岩の渓谷があり、100m下には小川が流れていて、それは私がバックカントリーで見た中で最も顕著な自然の様子のひとつでした。驚くべきことに、この素晴らしい様子を見るために、あえて(旅行者が写真を撮ったり、歩いて下に降りることを防ぐための)ガードレールやフェンスを設けてありませんでした。
もし他のトレイルだったら、ノース・カナナスキス・パスから見えるロッキーの景色は、その場にいる他のハイカーによって若干の邪魔があったかもしれませんが、その夜運良くそこには私たちだけで、青い湖とビーティー山の印象的な氷河を見つめました。空腹で胃がグゥグゥとなり、 冷たい風が容赦なく吹いていましたが、私はこのためにハイキングしているんだ!と思い出させてくれる、素晴らしく、そしてピースフルな場所でした。
グリズリーの生息エリア。最悪キャンプ場賞。
私たちが州境を通過してブリティッシュ・コロンビア州に到着して間もなく、トレイルの状態に変化を感じました。手入れが粗く、勾配も急になり、トレイルを草木が覆って、その存在に気づくことも難しい状態でした。頭上には崖があり、水が轟く音が耳に入ってきて、浅瀬を歩いて横断することに骨が折れると言われている川が近づいて来ていることがわかりました。ノース・カナナスキス・パスを下る際、とうとう経験豊富なナオミが岩につまづき、不安定な頁岩の上を下り、不気味な雰囲気がまわりに漂っていることに気づきました。
気づくと太陽が沈んでいました。私たちのまわりにはキャンプが出来そうな平坦な場所もありませんでした。他のハイカーからのメモでは、大きなグリズリーベアーがこの地域に住んでいると警告がありました。日没後の黄昏の中、私たちは森林限界より下まで降りましたが、辺りは暗い密林で、登山口を見つけることも困難なほど。強い風が吹き荒れるなか歩みを進め、必死にキャンプ場を探しました。しかし、見つけたのはキャンプ場ではなく、私たちが今まで見たことのないほど大きく、新しいと思われるグリズリーベアーの足跡でした。私たちはペースを速めました。
リーロイ・クリークに着くと、私たちはある決断を迫られました。辺りが暗い中で川を渡るのでなく、こちら側でキャンプをして夜を明かし、朝に川を渡るのか。あるいは川を渡り、反対側で暗闇の中でキャンプ場を見つけるのか?検討の結果、こちら側のキャンプ場は水平とはいえ岩が多くて凹凸だらけでしたが、川の水位は午前中に低くなるため、今日はここに泊まって明日の朝に川を渡ることにしました。
その夜を過ごしたキャンプ場は、もし『最悪キャンプ場賞』という賞が存在するのであれば、大賞を獲得していたかもしれないと思えるほど最悪でした。 そこにはたくさんの川の岩が転がり、テントのペグが不安定にならざるを得ない状況で寝ました。それは雨風で簡単にテントが倒れてしまうほどでした。私が持参した長いネオエアー(サーマレスト)のスリーピングマットは、岩の凸凹を吸収するのに十分な厚さでしたが、ナオミは胴体の長さのパッドのみで、寝るのが不快そうでした。
私たちはテントを張る際は、グリズリーベアーを引き付けないよう、通常は出没されると思われる場所から遠く離れてテントを張り、食べ物を食べたり、調理したりします。しかし今夜は、大きなグリズリーが近くにいることが十分に考えられるので、何も食べないことに決めました。
空腹と心配でいっぱいになりながら、寝るのが困難な岩の上で夜を過ごす私たち。川の向こうには何があるのか、私たちの判断は正しかったのか、今後の旅のチャレンジがどんなものなのか……そんなことを考えながら夜は更けていきました。
TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT, PCT, CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
(英語の原文は次ページに掲載しています)
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