AMBASSADOR'S

土屋智哉のMeet The Hikers! ♯1 – ゲスト:川崎一さん

2015.01.16
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取材:TRAILS   構成/写真(人物):三田正明

TRAILS読者ならば知らない人はいないであろう、日本のウルトラライト・ハイキングの伝道者にして三鷹ハイカーズデポ店主、土屋智哉さんによる対談シリーズ連載が今回からスタートします! 

記念すべき第一回目のゲストは川崎一さん。ゼロ年代の日本のウルトラライト・ハイキングの黎明期、『狩野川のほとりにて』というサイトを開設して(現在は閉鎖)海外のガレージメーカーの情報やご自身が歩かれたアメリカのトレイルの情報などをいちはやく日本に伝えてくれた先駆者で、現在は定番アイテム化したジェットボイルを最初に日本に紹介したのも実は川崎さんなのです。

「川崎さんから大きな影響を受けた」という土屋さんのたっての希望で決められたこの対談。まさにTRAILSでしか読めない「濃い」話の連続になりました。当時を知る人も知らない人も、ぜひ日本のウルトラライト・ハイキングの過去と現在と未来を巡る旅におつきあい下さい!

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 ■なんでこの人こんなに海外の情報に詳しいんだろう

――僕たちがウルトラライト・ハイキング(以下UL)に興味を持ち始めたのってたぶん2006年くらいだったと思うんですが、当時は雑誌にもほとんど情報がない状態で。それで「ウルトラライト バックパッキング」なんてキーワードで検索してみるんですが、そこでまずヒットするのが川崎さんのホームページだったんです。そこを覗くと当時の日本ではまったく紹介されていないマイナーな新興メーカーやガレージメーカーの製品の詳細な紹介記事やレビューの翻訳がたくさん掲載されていて、日本の雑誌とはまるで違う世界が広がっていて。そこで何かが起きていることを強く感じさせてくれたんです。日本では僕たちと同じような時期にULに興味を持ち始めた人って多いと思うのですが、当時はそのほとんどの人が川崎さんのページをチェックしていたんじゃないかな?


川崎
 そう思うと、あのホームページも開いた価値はあったんですね(笑)。

――むちゃくちゃありました!

土屋 俺が川崎さんを知ったのって2000年前後にレイ・ジャーディンの『Beyond Backpacking』(注1)が出版されてゴーライトが出てきて、いわゆるUL的なものがアメリカでも注目され始めたとき。その前後に川崎さんもホームページを立ち上げてたんですよね。俺もゴーライトが初めてORショー(注2)(アウトドア・リテーラー・ショー。米国ソルトレイクシティで年二回開催されるアウトドア関連の巨大展示会)に出店したときに居合わせて、当時さすがにゴーライトは軽量化に振り切り過ぎだなって思ったんだけど(笑)、それ以降グラナイト・ギアとか、インテグラル・デザインズのライトウェイトなものをお店(当時土屋氏が勤務していた総合アウトドアショップのODボックス)で売り始めたんです。でもまだSNSもない時代で、日本でULをしている人たちが本当にいるのか、正直わかんなかった。そんなとき川崎さんから店に問い合わせが来て。

川崎 たぶん靴のことだったと思うけど、問い合わせしたらたまたま土屋さんに繋がったんですよね。

土屋 当時、ODの本部にマニアックな質問が来ると俺のところにまわってくることがよくあって。それでメールのやりとりをしていくなかで話が広がっていって、川崎さんのページを見るようになった。

川崎 「こんな面白いのがあるんだけどODボックスで入れられませんか?」とか、そういう話ですよね。でも面白がってくれて。面白がってくれる人がいるってのは、ひとりULを孤独にやっている身としては嬉しいじゃないですか(笑)。

土屋 こっちもULに興味を持ってそういうの入れ始めたときだったんで、川崎さんのホームページ見るとゴーライトのHexっていう円錐型のシェルターの海外でのレビューとかが翻訳されてて「スゲー!」みたいな。当時俺は『Beyond Backpacking』を辞書引きながら時間かけながら読んでたときで、ほとんど絵を見るだけで満足してたんだけど(笑)。「この人全部読んでんだ!」みたいな。

川崎 僕も辞書引きながらだけどね。英語そんなに得意じゃないんで。

土屋 え!? 本当に辞書引きながら読んだんですか? 情報もすごく早いし、英語ができる人だと思ってましたよ。

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――てっきり当時アメリカ在住だったのかなとか思ってましたけど。

川崎 ぜんぜん違いますよ(笑)。

土屋 俺は今日までそう思ってましたけど(笑)。「なんでこの人こんなに海外の情報に詳しいんだろう」って思ってたもんね。いまの子たちからするとネットで海外の情報を知るのってあたり前かもしれないけど。

――当時は検索エンジンもそこまで精度がなかったですからね。

川崎 向こうのガレージメーカーのサイトなんかを見つけてそこに質問しているうちに、そいつが他のところを紹介してくれたりって感じでしたね。メールだからできたんですよ。喋っても聞き取れないけど書かれているから翻訳できるし、こっちの中学生くらいの英作文でも向こうに通じるし。向こうも興味持ってくれる人がいるのは嬉しいはずなんですよ。最初は奥秩父の雁峠でレイウェイのタープを貼って泊まったらえらい寒くて、「なんでこんなに寒いんだ!?」ってレイ・ジャーディンに直接メールで文句いいました(笑)。「日本は湿気がすごいんだよ」って話をしたら「バグネットを貼ったらどうだ」って。答えにならない答えでしたけどね。「ULはステップ・バイ・ステップじゃ!」って書かれてて(笑)。

――(笑)

川崎 「バグネットを貼れば湿気をすこしトラップするので、暖かいはずだ」っていうんですよ。でも「日本で霧のでない山はないから、おまえの本にはひとつも書いてないけど、フォグ(霧)やヴェイパー(結露)の対策はないのか?」って聞いたら、「こっちではあまり聞かない」って。その後JMT(ジョン・ミューア・トレイル)(注3)にいってみて、「たしかにここはタープだけでいいな」って思いましたけど。

土屋 JMTはね。でも東のアパラチアの方とかコロラド・トレイルなんかもフォグは出るんですよ。夏場は夕立がすごいから。だからその当時はさっきの「ステップ・バイ・ステップだ」じゃないけれど、みんな試行錯誤していましたよね。「これで大丈夫なのか?」って。

川崎 怖かったですもんね、やっぱ。

土屋 山でタープで寝るってのもそうだし、「アルコールストーブだけほんとに大丈夫なのか?」とかね。日本の山をULの装備で歩けるのか、最初は本当に半信半疑でしたよね。

川崎 山の上でどうにもならなくなったらシャレにならないと思いながら怖々使ってた。だから病院の裏山で夜一人で野宿して試してみたりとか。

土屋 だから俺が当時ULの装備で奥秩父の全山縦走をやったのをODボックスのブログであげた時、「本当に日本の山でやる人いるんだ!」っていう、すごい反応があったんだよね。そこで一気に広がっていったんですよ。UL関連のいろんな人とわって繋がって、お店に来てくれる人が増えて。それが2005年かな?

対談に出てきた全山縦走の2年後、2007年に再び土屋氏が行った奥多摩奥秩父全山縦走

(注1)Beyond Backpacking:ULの方法論を体系化した最初の書籍。現在は『Trail Life』と改題・改訂されている。著者の冒険家・レイ・ジャーディンは現在はRay=Way Productionsを主宰して自身が設計したバックパックやタープのキット販売も行っている。(注2)ORショー:アウトドア・リテーラー・ショー。米国ソルトレイクシティで年二回開催されるアウトドア関連の巨大展示会。(注3)ジョン・ミューア・トレイル:カリフォルニア州シェラ・ネヴァダ山脈にある全長340kmに渡って伸びるロングトレイル。通称JMT。

■『バックパッキング入門』の衝撃

土屋 川崎さんて、もともといつ山を始めたの?

川崎 僕は出身は東京なんですけど、高知の医大に行って、6年間医学部にいてから横浜市大の医局に入局したんですよ。でも、高知のときはアウトドアは嫌いで(笑)。

土屋 「アウトドアの人はきたない」って思ってませんでした? 俺、高校のときは汚いの苦手でそう思ってた。

川崎 東京育ちだから田舎が嫌でしょうがなかったんですよ。高知医大(現在は高知大学医学部)に入って最初は大学のすぐ近くに下宿したんですけど、そこが田舎ですごく嫌だった。だから高知市内に引っ越して、そこから大学までバイクで通うことにしたんです。川沿いをずっといくんですけど、四季の変化をもろに感じるんですよ。当時はノーヘルで良かった時代ですから(笑)。そうすると春に山を見ていても、秋の景色が想像できるでしょ。時間と共に自然が動いていくっていうのがわかってから、急に自然が好きになっちゃって。だから大学を卒業するとき高知に残るか横浜にいくか相当悩みました。仁淀川とか四万十川も当時はもっと自然そのもので、まあきれいで。でも横浜の医局に入って最初の数年は忙しくてとても他のことなんてやっていられない状態で、そこで研修医を2年こなしてから、沼津の病院に入ったんです。そこでも若手の頃は忙しくてなにもできなかったんですけど、中堅になってきたころ地元の喫茶店が行きつけになって、そこのマスターが山屋(山好きのこと)だったんです。それで一緒に山へいくようになったんですけど、最初はでかいカリマーのザック担いで、そこにクソ重いモス(注1)のテントを入れていた。

土屋 でも最初からモスだったんだ(笑)。

川崎 コンピューターもずっとアップルだったし、たぶんヒッピー文化に対する漠然とした憧れがあったんですね。そんなときに喫茶店の山屋のマスターに芦沢一洋さんの『バックパッキング入門』(注2)を教えてもらって、すごく衝撃を受けて。山屋の世界て山岳会とか、縦の序列が厳しいでしょ? ちょっとなにか変なことやると「山をなめるな」っていわれたり(笑)。「これじゃ体育会系の上下の序列と一緒じゃん」って思ってた。それがすごく嫌だったところにヒッピー文化がルーツにあるバックパッキングってのがあるってことを、芦沢さんの本で知ったんです。

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バックパッキング入門(芦沢一洋著/山と渓谷社刊1976年)

――最初の衝撃が『バックパッキング入門』って、土屋さんも同じですよね?

土屋 俺は浪人時代に出会ったんです。ちなみに川崎さんってお年はおいくつなんですか?

川崎 昭和35年生まれです。

土屋 じゃあ俺の一回り上ですね。俺は46年生まれなんで。俺が『バックパッキング入門』と出会ったのもほぼ同じ時期ですね。俺は19歳で浪人してた時だから、たぶん1989年~90年。

川崎 芦沢さんが亡くなる直前くらいですよね。それで芦沢さんの古い本を見つけては貪り読んでいたんですけど、芦沢さんがカタカナで「ウィルダネス」って書いていたんです。その響きにシビれて(笑)。

――わかります(笑)。

川崎 いわゆる「山」とは違うなって思ったんですよ。山って垂直指向だし、ヒエラルキーが厳しいけど、バックパッキングには水平指向を感じて。それで『BACKPACKER MAGAZINE』(注3)を向こうから取り寄せて定期購読することにしたんです。読んでみると日本の雑誌とぜんぜん違ってて、レビューは辛口だし、「スポンサーのことこんなに悪口かいていいのか」と(笑)。すごく自由な感じを受けたんです。まあ、実際は制約もあるんだろうとは思いますけど。そういう文化を見て水平文化というか、日本の山文化とは違うものがあるんだなと。そんなときに『Beyond Backpacking』という単語が眼に入ってきて。僕の大好きなバックパッキング文化を越える(=Beyond)ものっていう、ずいぶん大層なことを書く奴がいるなって思って。『BACKPACKER MAGAZINE』にBreeze(注4)の写真と一緒に『Beyond Backpacking』が紹介されたゴーライトの小さな広告が載っていたんですよ。レイ・ジャーディンに協力してもらって、その本のコンセプトを製品化したものだっていうふうに書いてあって。でも数年たったらレイウェイと袂を分つようにレイウェイとそうじゃないものをはっきり表記を別にして売り出したんで、「仲違いしたのかな?」って思ったんですけど。でもゴーライトの初年度の製品はレイウェイ一色で。それで興味を持って、バックパッキング文化論みたいな本だと思って買ってみたらそうじゃなくて、「これはひとつの手法で、でも先鋭的な方法論なんだ。でも歴史はすごく古くて、エマおばあちゃん(注5)の時代からある」って書いてある。さらに「市場で売られている道具はヘビーでタフすぎる。そんな強度も重さも必要ない」といっていて、変な髭面のおっさんが片方だけでザックを担いで、短パンとテニスシューズはいて二カッっとやって映っている写真があって、それで大変なショックを受けましたんです(笑)。

Ray Jardine “Beyond Backpacking” (Adventurelore Pr;1999)より

(注1)モス:MoMAにも所蔵された美しいドーム型テントで人気のあった米国のブランド。2001年にMSRに吸収されブランドは消滅したが、現在でも根強い人気がありコレクターが多い。(注2)バックパッキング入門:1976年に出版された日本初のバックパッキング入門書。著者の芦沢一洋氏は70年代~80年代にかけて米国のアウトドア•カルチャーを日本に紹介して絶大な人気を誇った。(注3)BACKPACKER MAGAZINE:1973年創刊の米国のアウトドア雑誌。年に一度、エディターやライターによるテストを経て選考し、その年の優れたギアに贈られるEditor’s Choiseが名物企画。(注4)Breeze:レイ・ジャーディンが設計協力したゴーライト初期の傑作バックパック。雨蓋とフレームのオミットや前面の大型メッシュポケットなど現在まで続くUL系バックパックの特徴がほぼすべて盛り込まれている。(注5)エマおばあちゃん:1954年、67歳で全長約3500kmのアパラチアン・トレイルを女性として初めて単独踏破したエマ・ゲイトウッドのこと。ケッズのスニーカーを履いてシャワーカーテンをテントにし、バックパックの代わりに手製の布袋を肩に担いで総重量を9キロ以下に抑えたそのスタイルはULの始祖としても名高い。

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■第二の衝撃『Beyond Backpacking』

土屋 川崎さんと俺は年齢差もありますけど、80年代後半、90年代最初の同じ時期に同じように芦沢さんの本に衝撃を受けてアウトドアを始めたっていうのは一緒で、でもそこから俺はケイビング(洞窟探検)に傾倒したりしたけど、川崎さんはバックパッキングからずっと浮気しなかったじゃないですか。それがあった上での『Beyond Backpacking』だったから、よりガツンと来たのかな?

川崎 うん。まずは題名でびっくりした。

土屋 たしかに衝撃的なタイトルですよね。

川崎 「こんなこといっていいの?」って思ったもんね。でもよく調べたらレイ・ジャーディンってクライマーとして昔から有名な人で、だからいいかげんな本じゃないって思って読み始めたら、最初はよくわからなかったけど、後半のほうで意識の持ち方とか、五感の研ぎすまされ方に言及されていて、そこは僕の精神科医という職業柄からもすごく興味を引かれたんです。ハイキングが三日を越えるとまず嗅覚が鋭くなる。一週間から一ヶ月を越えると聴覚が鋭くなる。もっと越えると…ってのがいろいろ書いてあって、これはロングハイクをやった人でないとわからないことだと思った。あと時間の感じ方も変わってくると。彼はタープ一枚で、テントみたいに囲まれた状態でない場所で寝ることの繰り返しのなかでそういうふうに感覚が変わってくると。

土屋 自分が辞書片手に読んでたときに衝撃的だったのが、ハイキングの方法論だけじゃなくそこに思想的な部分が入っているとこ。そもそも彼は物質文明とか現状のアウトドア・マーケットを完全に否定するところから入っているから。さらにモノの否定、経済の否定までいっちゃうから、ほんとすごくラジカルなんだけど、だからこそ精神的な部分であるとか、ハイキングがもたらす本来の歓びみたいなところに踏み込んでくれたのがすごく面白かった。俺なんかは正直「ものを売る」ってことを生業としているから、本当に今でもそれとの自己矛盾に悩みつつもあるんだけど。でもそういうものが片側にあるって気づかさせてくれたのは、すごく面白かったですよね。レイ・ジャーディンはULの方法論を突き詰めることによて「自然回帰」というか、「自然と一体化する」思想をプラスしたと俺は思うのね。「自然回帰」って、どちらかというと自然のなかにいって都市に戻ってくるようなイメージを自分は持っているんだけど、レイ・ジャーディンの場合はもっと自然と自分との同一化を計ろうとしている。

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川崎 インターネットが始まってすぐの頃、アメリカに”White Blaze”とか、バックパッカーの掲示板でいくつか有名だったのがあって、そういうところに出入りしてた時期があったんです。そこでも彼は「グル」って呼ばれてて、やっぱり変わり者扱いでしたね。いまでこそ“Classic Ray Jardine Style”とかって呼ばれてるくらいですけど、当時は先鋭的だけどかなり変わった人ってイメージで、アメリカのバックパッキング・コミュニティでもそうだった。

土屋 川崎さんはそれをリアルタイムで知れてるのが凄いよね。

川崎 僕がレイ・ジャーディンと蜜月だった頃のゴーライトでとくに面白いと思ったのはウインドシャツの上下で…

土屋 Barkですよね!

川崎 そうそう。シルモンドっていう、100%ポリエステルのツルツルした上下で、防水性はないし今からするとちょっと重いんですけど、着ててすごく気持ちよかったんです。色はほとんど真っ白で、それには理由があって、ダニがくっついたときに白ならすぐ見えるんですよ。『Beyond Backpacking』にも「ダニが媒介する感染症が多いから気をつけろ」という記述があって、なるべく白いものを着ろと。

ゴーライト“Bark”を着用する川崎さん

土屋 ライム病ですね。

川崎 当時いわゆるウインドシャツってなかったけど、これを山で着てみると、すごい体温調節しやすくて。「なんて革命的なんだろう!」って思ったのを憶えてますね。「レイはやっぱり信じていいんだ!」って(笑)。

土屋 Barkはその後年になるといろんな色が出てくるんだけど、基本的にはノンコーティングのポリエステルで、「ウインドシャツ」っていうカテゴリーが当時はすごく新鮮だった。その後パタゴニアのDragon Fly(現在のHoudini Jacketの前身)が出た頃くらいから、いわゆるウインドブレーカーのもっと軽量で透湿性重視のものってことであちこちのメーカーが出すようになっていったけれど。やっぱりあの当時のレイウェイのものって、シンプルだけど考えられていましたよね。

川崎 考え抜かれていたし、ひとつひとつが絶対必要なものだった。「そのどれかひとつでも欠けるとダメ」っていう、精密なシステムですよね。

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ヘネシー・ハンモックと川崎さん

■伝説の『狩野川のほとりにて』秘話

――川崎さんがホームページを立ち上げた経緯を教えていただけますか?

川崎 一番最初はヘネシー・ハンモック(注1)だった記憶がありますね。ハンモックに泊まるって発想がまったくなかったんで、初めて見たときはぶったまげた。それで、最初は自分のためにヘネシーのサイトの全部のページをこつこつ訳しだして、いろいろ写真も貼付けてマイクロソフトのワードのテキストファイルを作ったんです。そうしたらワードに「ウェブで公開」ってボタンがあって、それを押したら一発でそのままウェブにアップできる機能があるんです。せっかくだから公開できないかなと思って、ヘネシーにメールを出したら「翻訳したものがそちらの利益になるわけじゃないなら載せていいよ」っていってくれたんですよ。いまは厳しいのかもしれないけど当時はぜんぜん緩くて(笑)。

――じゃあワードで作ったテキストファイルをそのまま公開していたわけですね。

川崎 そうですそうです。ウェブ用のHTMLエディターなんて持ってないんで(笑)。ワードで書いて、写真もある程度ワード上でレイアウトして。プロバイダのOCNにワードのファイルをHTMLに自動的に変換してくれるサービスがあったんですよ。だからワード上ではきれいにレイアウトされているんだけど、HTMLにあがってブラウザでみるといろいろ変わっちゃってたりとか(笑)。当時はまだネット上の写真の著作権とかもあまりうるさくなくて、ネット上でそんなことをやる人も多くなかったんで、気軽な気持ちでやったんですよ。それで面白くなって、次にやって、ジェットボイルの新製品出たときには向こうの動画つきのサイトを真っ先に借りてきたりして。それからキファル(注2)、ラグジュアリー・ライト(注3)とか、いろいろ足していったんですけど。当時、ガレージメーカーは宝の山だと思ってた。面白いことやっているとこがいっぱいあるじゃないかって。

『狩野川のほとりにて』よりLuxuaryLite Stack Packの紹介

土屋 自分が川崎さんと出会ったのもそれがきっかけですもんね。でも普段は主に道具の話とかだったりして、お互いどんな道を歩んできたかなんて話しないじゃないですか。今日初めて川崎さんがどういう経緯でバックパッキングにはまって、いろいろ歩きながら試行錯誤してきて、本当に「ビヨンド」バックパッキングになったんだってわかって、ちょっと衝撃ですよ。当時もうひとり大畑雅弘さんという方が「ウルトラライト・ハイキング」っていうそのものずばりのサイトをやっていて、その方はやっていること自体はライトウェイト・ハイキングで、従来のバックパッキングのスタイルをすこしづつライトウェイトにしていくっていいうスタイルなんだけど、ULがいまムーブメントとして起こっているんだということを書いていて、海外のガレージのサイトにもリンク貼って、自分が海外のトレイルを歩いたレポートもあって、けっこう読み応えのあるサイトだったんですよね。だから自分のなかではどちらかというと大畑さんのほうが「歩く人」というイメージがあった。川崎さんの方は、「狩野川のほとりにて」っていうサイトで。

川崎 当時ほんとに狩野川のほとりに住んでいたんですよ。病院の社宅が狩野川沿いにあって。

土屋 そのサイトを見たときに、川崎さんって「歩く人」っていうよりは道具の方でマニアックに見ている人なのかなって印象が最初は強かったんですね。ULギアの方向性のなかでものごとをどんどんシンプルしていく方向性と、テクノロジーをうまく使って、新素材とか新しいテクノロジーを利用してイノベーションを起こしていく方向っていう二系統あったときに、川崎さんはそのイノベーションを起こす方向にすごく興味を持って見られていたから、どちらかというと道具よりの方なのかなって思ってたんだけど、今日お会いしてやっぱり根っこは同じだったことがわかったんで、それが知れただけでも嬉しいですね。

(注1)ヘネシー・ハンモック:「ハンモックに泊まる」ことをコンセプトに作られたキャンピング・ハンモック。日本のUL界でも一時期ちょっとしたブームを巻き起こしたが、その火付け役が川崎さんだった。(注2)キファル:中央に薪ストーブを設置できる円錐型の1ポールシェルターが有名な米国のアウトドア•メーカー。(注3)ラグジュアリー・ライト:シリンダーを重ねたような独特の形状のカーボン・フレームザックなど、独創的なアイデアで知られる米国のガレージメーカー。なかでも超軽量コットはTherm-a-Restで有名なキャスケード・デザインに買収されマスプロダクト化されている。

JMTでの川崎さん

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土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京は三鷹にあるウルトラライト・ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト・ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョン・ミューア・トレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は、自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。 著書に 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)がある。

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