TRAIL TALK

TRAIL TALK #001 JUSTIN LICHTER A.K.A. TRAUMA / ジャスティン・リクター a.k.a. トラウマ

2014.01.31
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取材:TRAILS 文:三田正明 訳:大島竜也

ちょっとしたハイキング・マニアなら、いつもグラナイトギアのカタログに登場するひとりの青年の存在に気づいているかもしれない。時に犬連れで、世界中の様々なトレイルを行く優しげな顔立ちのその青年。何を隠そう彼こそが本稿の主役、スーパーハイカー「トラウマ」ことジャスティン・リクターである。

一体、彼の何が「スーパー」なのか?

現在33歳の彼は2002年以来、52,000km以上のトレイルを歩いてきた。トリプル・クラウンと呼ばれる、それぞれ踏破に数ヶ月を要するアメリカの超ロングトレイルはもちろん、2006年にはそのトリプルクラウンすべてを356日間で歩ききるという偉業を成し遂げた。彼の驚愕のハイキング・リストはまだまだ続くけれど、詳しくは彼のプロフィールを参照して欲しい。きっと呆れるはずだから。

グラナイトギアのパックテスター兼アドバイザーを勤め、同社の〈ニンバス・メリディアン〉が彼のトリプルクラウンを一年間で歩ききった15,000kmの旅のために開発されたことは有名な話。
また初の著書『TRAIL TESTED』(洋書のみ)は近年のハイキング系書籍の白眉として、チェックしているハイカーも多いはず。

けれど実際に話してみた(スカイプ越しですが)彼は、これまで地球を一周半以上歩いてきたタフガイとは思えないほどジェントルで、気づかい屋さんで、奢ったところのまったくないナイスガイだった。日本人初のトリプルクラウンを達成した舟田康章さんと印象がとても似ているのは、偶然なのか必然なのか? ともかく想像を絶するロング・ディスタンス・ハイキングが、人を謙虚にすることは間違いないようである。

そんなわけで、メキシコのコッパー・キャニオンでの一ヶ月に渡るハイキングからレイク・タホの自宅に帰ってきたばかりの彼をスカイプでキャッチした。本邦初となるスーパーハイカーのロングインタビューをお楽しみください!

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■普段からウルトラライト・ギアで暮らしている

——TRAILSに協力してくれてありがとう。僕たちはあなたの成し遂げてきた偉業はもちろんだけど、その人柄もとてもリスペクトできたのでこのような依頼をさせてもらいました。できるだけ多くの人にトラウマという人間とハイキングの魅力をダイレクトに伝えられたらと思うのでどうぞよろしく! コッパーキャニオンからはいつ帰ってきたの?

TRAUMA:500マイルのトレイルを一ヶ月で歩いて、10日前に帰宅したところ。次のトリップの先はまだ決まっていないけれど、おそらく春頃になると思うよ。

——今回はどうしてコッパーキャニオンに行こうと思ったの?

TRAUMA:コッパーキャニオンはグランドキャニオンよりも深い渓谷で、美しい場所と聞いていたので以前から興味があったんだ。急流の河を渡らなければならなかったり、深い渓谷を越えなければならなかったり、これまで体験のないチャレンジがあったから、それにも興味があった。見たことのない景色も待っていると思ったしね。それともうひとつ、最近ではコッパーキャニオン周辺でドラッグの取引が横行していると報じられて、観光客が減っていると聞いたんだ。でもメディアはかなり歪曲して伝えていると思っていたし、素晴らしい場所だということは知っていたから、僕が歩くことで少しでもそのイメージが払拭できたらなと思ってハイキング先として選択した。実際は危険なことはなかったよ。

——トリップ・レポートを楽しみにしているよ! 今は自宅にいると思うんだけど、どんな場所に住んでいるの?

TRAUMA:カリフォルニア州のサンフランシスコにほど近いレイク・タホから車で20分くらいの山の中に住んでいるよ。パシフィク・クレスト・トレイル(トリプルクラウンのひとつ)にも近いから好きな時にハイキングにも行ける場所で、ここに住んでもう8年になる。

——ちなみに家はどんな家なんだろう? スカイプの画面からはログハウス風の部屋が見えているけど……。

TRAUMA:1ベッドルームで暖炉付きの、このあたりでは一般的なログハウスだね。ピーク時は雪が8mも積もるので、雪の重みで家が潰れないように屋根が三角形の形をしている。国立公園がすぐ近いので、暖炉の薪は国立公園の許可を得て調達しているんだ。ここはサンフランシスコに住む人の別荘地で、近所には同じ様な家がいくつか建っているよ。少し山を下ると昔ながらの町並みが残っている小さな町があって、この町は西部開拓時代に来た人たちが雪で食料不足に陥ったとき、人肉を食べていたという逸話で有名なんだ(笑)。

——怖い話だね。そこにひとりで暮らしているの?

TRAUMA:ここには彼女と住んでいて、彼女は鍼灸院で働いている。ハイキングに出ている間は彼女は一人だけど、二人で楽しく暮らしているよ。

——普段はどんな生活をしているの?

TRAUMA:シンプルな生活が好きなんで、普段の生活からウルトラライト・ハイキング(UL)の方法論を取り入れている。そうすることによって持ち物がミニマムで済むからね。だから家でもトレイルでも、同じようなギアに囲まれて暮らしているよ(笑)。」

——下世話な質問で恐縮だけど、収入はどうやって得ているの?

TRAUMA:基本的に冬はスキーパトロールの仕事をしてお金を貯めて、暖かくなったらハイキング・トリップに出かけている。スキーパトロール以外にも時間が空いているときはレストランでウェイターをすることもあるし、環境団体へのコンサルティングやギアメーカーのアドバイザーをしたりもしているよ。基本的にミニマムな生活が好きだから生活のランニングコストを抑えることができるし、思いついたらすぐにハイキングに出かけることもできる。そんなところもシンプルなライフスタイルが好きな理由なんだ。

——日の中でリラックスできる瞬間はどんな時?

TRAUMA:スキーパトロールは高低差の激しい場所を一日30~40kmも移動しなければならないハードな仕事だから、仕事を終えて帰宅する時はリラックスする瞬間だね。でも、自然の中で働けていることには喜びを感じているし、普段の生活でもふとした瞬間に自然に囲まれて生活していることを実感出来る時は幸せを感じるよ。何事もバランスが大事だから、お金を稼ぐために働くことは受け入れている。

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■パーティ学生ではなかったよ

——それじゃあ生まれ育ちを聞いていきたいんだけど、出身もカリフォルニアなの?

TRAUMA:出身はニューヨーク州なんだけど、マンハッタンから北に車で一時間程の街で生まれた。小さい頃から外で過ごすのが好きで、父にもよくハイキングに連れて行ってもらっていたよ。

——スポーツは好きだった?

TRAUMA:高校までずっとサッカーをやっていた。(アメリカではシーズン毎に複数のスポーツを掛け持つ事も可能なので)他にも野球、テニス、バスケットボールもしていた。基本的に体を動かす事が好きなので、ハイキングにのめりこむのもその性格が幸いしていたと思う。

——学生時代はどんな学生だったの? 

TRAUMA:パーティ学生ではなかったよ(笑)。大学はカリフォルニア大学のサンタバーバラ校(かなりの優秀校)に進んで、地理学と経済学を専攻した。 普通の真面目な学生だったし授業は楽しかったけれど、たとえばオールAを取ることが自分にとってチャレンジングなことだとは思えなかった。だからチャレンジングな環境を求めて、外でサーフィンばかりやっていた。大学から海まで3キロしか離れていなかったからね。その方が僕にとっては楽しくて興味深くて、チャレンジングなことだったんだ。だから成績はオールB程度だったけど、サーフィンの方がやり甲斐があったから満足はしている。サンタバーバラ校の学生は基本的にパーティばかりしているんだけど、僕は夜になると海辺へ寝袋を持って行って寝て、日の出と共に目覚めてサーフィンをしてから授業に出るような生活をしていた。だからパーティとは無縁だったよ(笑)。今も夜9時には寝てしまうしね。

——ハイキングとはいつ出会ったんだろう?

TRAUMA:地理学を専攻していたんで、フィールド・トリップに出かけると単位を貰えたんだ。それで三年生の時にユタ州の南にあるキャニオン・カウンティ(モニュメントバレーやレイクパウエルがある景勝地)へ地質調査に訪れた。そしてその土地がとても好きになってしまったんだ。それで僕は決心して、翌年フィールド・トリップで出会った友人と一年間そこで暮らすことにした。それから本格的にハイキングにのめりこんでいったんだ。

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■季節の変化を見たいからスルーハイクをする

——大学卒業後、更にハイキングに傾倒していったようだけど、何がそうさせたんだろう?

TRAUMA:キャニオン・カウンティでの体験に大きなインパクトを受けて、アウトドアやハイキングを生活の一部にしていきたかったんだ。それに大学卒業後、無機質な四角い箱のようなオフィスで働きたいとはどうしても思えなかった。それならば冬はスキーパトロールのような季節労働で貯金をして、夏はずっと外にいて、アウトドアな生活を送っている方がよっぽど幸せだと思った。ハイキングの魅力は今まで見たことのない自然や景色を見て、出会ったことのないような人と出会えて、また今まで知らなかった視点や価値観に出会えること。そういう出会いは僕にとってかけがえのないものだから、もっとアウトドアの生活を続けたいと思ったんだ。

——ハイキング以外にもクライミングやトレイルランニングなど様々なアクティビティがあると思うんだけど、その中でなぜハイキングを選んだの?

TRAUMA:いくつかあって、とにかく僕は自然の様々な景色を見るのが好きなんだ。たとえばトリプル・クラウンのようなロングトレイルをスルーハイキングをするには、数ヶ月かかる。つまり歩いているうちに季節の変化を見ることになるんだけど、僕はそれを見たいんだ。普段からUL系のギアを使って暮らしているからトレイル上での生活は苦にならないし、数ヶ月間外で暮らすことは僕にとってタフじゃない。より多くの場所へ行き、より多くの景色に出会いたいから、結果的にスルーハイキングをしている。それに僕は背が高くて歩くペースも早いから、普通の人が休憩を入れながら走るペースとあまり変わらないんだ。トレイルランニングは膝や間接への負担が大きいから、重い荷物を背負って長距離を移動するのは難しいからね。だから必然的にこのスタイルになったとも言える。もうひとつは、自然の中で自給自足する時間を楽しみたいんだ。トレイルランニングは時間を競い合うため、走る人は走る事に専念して、彼らをエイドしたり荷物を運んだりしてくれる人の存在が欠かせない。個人的には自然の中でハイキングするのに、人に頼って過ごす事はしたくないんだ。自然の中で自給自足して、携帯電話やパソコンから離れた暮らしをするのがハイキングの醍醐味なのに、それをしたら街の暮らしとあまり変わらなくなってしまうと思う。

——歩いているときはどんなことを考えているの?

TRAUMA:どんなことを考えているんだろう? 整備されたトレイルを歩いているときは基本的にはハイキングプラン……今どこにいて、目的地まではどれ位距離があって、そのためにはどれ位の食糧が必要で……などを計算しながら歩いているよ。トレイルのないクロスカントリーを歩く場合は、今自分が地図上のどこにいて、正しい道を歩いているのか常に気にしていなければならないので、より慎重にならなければならないし、神経も使う。現在地を正確に把握するのはとても重要だからね。でもだいたいは仕事のこととか彼女のこととか、みんなと同じようなことを考えている。地元の野球チーム(NYメッツ)の成績のこととか、使っているギアの性能をチェックして、次の旅にはどんな改善点が必要かを考えたり。お腹が減りすぎて、ピザやチョコレートのことばかり考えていることもあるよ(笑)。

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■“トラウマ”の由来

——なんだか親近感湧いてきたよ。具体的にはどのようにロングトレイルをハイキングしているの?

TRAUMA:食料等を除いた重量が4.5kg程度のバックパックを担ぎ、だいたい時速5kmのペースをキープしながら歩いている。具体的には夜明け前に起きて準備をして、日の出と共にハイキングを始める。眺めを楽しみながら3時間に30分程度の休憩を挟みながら、日没まで歩く。夜になると景色が見えなくなるから、基本的には歩かない。夜9時頃には就寝し、翌朝夜明け間に起きるという生活だね。

——食料の補給はどのくらいのペースでしているの?

TRAUMA:トレイルの状況にもよるけど、基本的には4~5日に一回は食料を補給をしにヒッチハイクで町に降りるよ。状況次第では3日に一度程度の時もあるし、2週間くらい下山しない事もある。判断の基準は食糧の重さにあって、一日1~1.5kg程度の食糧が必要だから、その重量がどれだけハイキングをする上で障害にならないかを考えて配分を決めている。

——よく聞かれると思うけれど、「トラウマ」というトレイルネームの由来は?

TRAUMA:大学時代のキャニオン・カウンティでのフィ―ルドトリップの時に、いくつかトラウマ(心的外傷)的経験をしたんだ。ある日ひとりでトレイルを歩いていたら急にカラスの群れに襲われた。「これはヤバい!」と思って急いで友達がいる場所まで逃げたんだけど、他にも何人かいるのにやっぱり僕だけカラスに狙われた(笑)。これがトラウマ的経験その1。もうひとつは、12日間歩き続けた時に終盤で食料がつきてしまった。どうしようと思っていたら、立ち寄った手洗い場の脇にMRE(Meals Ready to Eatという米軍陸軍で支給される非常食が入った缶詰)が落ちていて、ラベルを見たら製造日が1960年だったんだけど、飢えには勝てずその缶詰に入っていたひどい状態のチーズ・ブレッドを食べてしまった。結局体は壊さなかったんだけど、帰ってきてそのことを友達に話したら、「おまえはたくさんトラウマな体験をしているから」という理由でトラウマと呼ばれるようになったんだ。

——歩き始めたときからULのスタイルだったの?

TRAUMA:以前からULハイキングの存在は知っていたけれど、大学時代のフィールドトリップの時はまだ重い荷物を背負っていた。当時はベースキャンプを張る必要もあったし、高山を登るわけでもなかったから、その必要性を感じていなかったんだ。でもスルーハイクを始めて、数日ごとに補給のために街に下る必要が出て来ると、なるべく装備を軽くした方がより多くの食料を積めて、補給のインターバルを長く取れることに気がついた。以前から生活そのものをよりシンプルにしたいという志向があったからそれにもマッチしていたし、装備が少ないと準備にも時間がそれほどかからないから、それも僕がULの方法論が好きな理由だね。

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■ハイキングに中毒してる

——なんでもともとシンプルなライフスタイルが好きだったんだろう?

TRAUMA:育った環境がそうだったんだ。ウォルマート(アメリカの巨大スーパーマーケット)でたいして必要でもないモノを買いまくるような「典型的な消費者」とは、父親も母親も違っていた。僕もあまりショッピングが好きじゃないし、必要のないものがタンスで眠っているようなことはしたくないと思う。そもそも「着るものはこれとこれ」「バックパックはこれ」って感じで、必要最低限なものしか持たないでそれを使い回していくようなライフスタイルが好きだったんで、ULギアはシンプルだし実用的だし軽いし、すごくフィットした。アメリカもリーマンショックの後すごく景気が悪くなったから、最近は僕の考え方に賛同してくれる人も増えてきたよ(笑)。

——ウルトラライト・ハイキングには哲学や思想的な側面もあるけれど、方法論だけでなくそういった部分にも影響を受けたのかな?

TRAUMA:影響を受けたと言えばそうなるけれど、必ずしも全ての考えに賛同している訳ではないよ。まず第一にウルトラライト・ギアで特筆すべき事は、価格が他のギアより安いこと。現在のマーケットのトレンドとして、ギアに常に新しい機能や技術を追加しようとするため、必然的に値段が高くなる。でも、必ずしも新しい機能や技術が必要でないこともよくあるし、前より性能が落ちる場合だってある。ウルトラライト・ギアは基本的にシンプルだから値段も安いし、場合によっては最低限の機能しかない方が自分がクリエイティブにカスタマイズする余地が残されているという点で、よい部分もある。でも、バックパックのヒップベルトは僕は必要だと思うな(笑)。重い荷物を背負った場合、ヒップベルトがなければ荷重が支えきれないからね。

——これまで35,000マイル以上を歩いてきて、何か変化はあった?

TRAUMA:歩けば歩くほど、ハイキングが好きになっていくよ。もう中毒と言ってもいいかもしれない(笑)。だからこそハイキングから帰ってきた後の日常生活もよりシンプルなライフスタイルになったし、お金も節約して、次の旅に備えるようになった。人生観が大きく変わったわけじゃないけれど、ハイキングの移動手段は車や列車ではなく自分の足だよね? 自分の足で道を切り開いていることを実感することはすごい喜びだし、何百マイルも歩くことにも、ものすごい達成感がある。

——最近はアメリカのトレイルを歩く日本人も日本のハイカーについてはどんな印象を持っている?

TRAUMA:PCTを歩くとよく日本人のハイカーも見かけるよ。勝手がわからない外国に来て言葉の不自由さもあるなかで、時に大胆な行動もするアグレッシブさはリスペクトしている。僕が今まで出会った人はいい人ばっかりだった。」

——それじゃあ最後の質問! あなたにとってハイキングを一言で表すとしたら、どんな言葉になるだろう?

TRAUMA:”Food and walking is a one of the way of the meditation” (ハイキングは瞑想である)だね。ハイキングは人間にとって根源的な行為だと思うし、歩くことによって、僕は自分自身でいられる気がするんだ。

——長い時間ありがとう。これからもよろしく!

TRAUMA:OK! Hope all is well.

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三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
masaakimita.web.fc2.com

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