TRAIL TALK

TRAIL TALK #007 Tomokazu Ihara / 井原 知一(前編)

2019.11.27
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What’s TRAIL TALK? | TRAILS編集部が刺激を受けた、トレイルカルチャーを体現している人物にコンタクトをとり、その人の生活やフィロソフィーなど、ひとりの人間の実像を通してトレイルカルチャーのコアに迫るインタビュー。

* * *

トモさんこと井原知一は、『生涯で100マイル(※1)を、100本完走』をスローガンに掲げる、現在の日本においてもっともエッジの立ったトレイルランナー(100マイラー)のひとりだ。

『生涯で100マイルを、100本完走』という目標を立てるなんて、普通の人からすればまったくもってオトナの悪ふざけでしかない。

では今回、なぜトモさんを取り上げるに至ったのか。

TRAILSでは、以前に連載記事『MOUNTAIN CITY LIFE』において、トモさんと高尾の仲間たち(※2)の『高尾 to 笠取山100mile』のチャレンジをレポートした。

正直、トモさんの素晴らしい実績や、100マイルのトレイルランニングに興味を抱いたわけではない。TRAILSのステートメントに「有名無名を問わず」「最前線でトレイルシーンをひっぱる」とあるように、つまりは、自分たちがかっこいいと思うかどうかがすべてだ。

そして、トレイルランナー井原知一ではなく、井原知一その人そのものに、ただならぬ魅力とカルチャーの匂いを感じ、その源泉に触れてみたくなった。

今回のTRAIL TALKでは、現在のトモさんが、どのように形成されていったのかを、トレイルランニングにハマった経緯にとどまらず、ルーツから紐解いていく。

なぜならば、トレイルランナーであることは氷山の一角でしかなく、そのほかのあまり表に出てこない膨大なバックグラウンドにこそ、彼の本質があるはずだから。トモさんの魅力を伝えるには、彼の性格や生き方、また育ってきた環境とあわせて語る必要があると感じていた。

そんなトモさんを徹底解剖すべく、ロングインタビューを試みた。

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TRAILSのオフィスで、インタビューを受けるトモさん。

前編では、トモさんの家庭環境から、幼少期のイギリス移住の経験、大学時代のアメリカ留学、目標のなかった20代前半、そしてトレイルランニングとの出会いまでを、掘り起こしていく。

緻密さと大胆さが共存し、大真面目に子どものように悪ふざけを楽しむトレイルランナー井原知一は、いったいどうやって生まれたのか。

※1 100マイル:100マイル(160キロ)という距離のことであると同時に、トレイルランニングレースのひとつのカテゴリーである。ことトレイルランニングにおいては、100マイルといえば100マイルレースのことを指し、多くのランナーの憧れ。100マイルを完走した人は100マイラーと呼ばれ、それはステイタスでもある。
※2 トモさんと高尾の仲間たち:走者がトモさんで、サポートクルーがJR田中さん(田中裕康)、ジャキさん(尾崎光輝)、コバくん(小林大允)、明さん(岡本明)。


厳格な父親のもとで育った幼少期。父親に勝てるものがないのがコンプレックスだった。


—— 長野県出身でしたよね。今の100マイラーとしてのトモさんが形成される上で、幼少期の家庭環境にきっかけがあったんじゃないかと。

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1977年、井原家の長男として生まれる。

「長野市生まれです。ごくごく一般的な家庭だったんじゃないかな。長野に三菱電機の工場があって、父親はそこでオペレーション関係の仕事をしていて。父親は体育会系で、運動もできて、何をやっても僕が負ける。父に勝てるものがないのがコンプレックスだった」

—— そのお父さんの影響で何か運動にハマるようになったとか。

「いや特別に何かをやってたってことはなくて。野球もイマイチだったし、地区での相撲大会でも女子に負けてたし。背も小さくて、中学時代ですら前から5番目くらい。

ちなみに、父はめちゃくちゃ厳しくて、反抗できないくらい絶対的な存在でした。すごく几帳面で、キレイ好きで、ホコリすらも気にする。

住んでいた地区で野球はやったりしてたけど、まあとにかく仕事一辺倒の人で。リーダーシップがあって、会社を辞めてからは地区を取りまとめる感じの立場にいますね。来年は区長をやると言ってましたよ」

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見るからに厳格そうな父。中央にいるのは仲良しの姉。


6〜11歳のイギリス在住時代は、サッカーが身近にある暮らしを送る。


—— その後、父親の転勤でイギリスにしばらく住んでました。

「6歳から11歳までイギリスでした。当時は、行くんだなーくらいしか思ってなかった」

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イギリス時代。仲間たちとはしゃぐトモさん。

—— まだ当時はイギリス在住のアジア人も珍しかったのでは。苦労したこともあったんじゃないですか?

「母親は、自分を学校まで見送って帰る際にしばらく遠目で見ていたらしくて。日本人だからってまわりの子どもたちはみんな逃げていったそうです。でも僕はそれを無邪気に追いかけて、でもまた逃げられてと。それを見て悲しく思ってはいたみたいですね。

まあでも僕はまだ小さかったし、活発だったからサッカーやら何やら一緒にやっているうちに、3カ月くらいで英語もしゃべれるようになって馴染んだみたい」

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走るのが速かったこともあって、まわりから一目置かれる存在に。

—— 当時から、何か屈しない性格というか、積極性みたいなのがあったんですかね。

「いや、実はめちゃくちゃシャイだったんです。人前に立ったりするのも恥ずかしいタイプで。ほら国語の授業とかでも、よく順番に文章を読ませたりするじゃないですか。あれですら恥ずかしかったくらい。

イギリスで、みんなに逃げられたりしたのは、自ら克服したわけじゃなくて単に気づいていなかっただけかなと。あとは、暴力とか振るわれると、お前やめろよ! と言ってくれるようなヒーローがかならず出てきた。それがブライアンってヤツなんだけど、彼とはすぐに仲良くなったね」

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トモさんのヒーロー、ブライアン! 彼にはずいぶん助けられたそうだ。

—— イギリス時代は、何か運動はやっていた?

「サッカー、空手、ラグビーといろいろやって、最終的にはサッカーに落ち着いた感じかな。休み時間とかになると、みんなサッカーやってたし。芝生があれば、脱いだ上着をゴールがわりにしてサッカーがはじまる。

ただ特別うまいわけでもなくて、リレーとかもメンバーには入るけど一番じゃない。父ほど突出してないのがコンプレックスでしたね」


ナンパはゲーム。とにかくおもしろいこと、楽しいことが好きだった。


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昔のことを振り返りながら、包み隠さず話してくれるトモさん。

—— 11歳(小学校6年生)で帰国して、中高は日本の学校、そしてアメリカ留学。中高時代はどんな日々を送ってたんですか?

「高校時代は、何も目標がなくてただ毎日が楽しければよかった。コウヘイとヒロキっていう友だちといつもつるんでいて。学校帰りにマクドナルドの2階にいるあの子をナンパしよう! って言って、ジャンケンで負けたヤツがいく。で、2人は遠くで見ていて、あぁーアイツぜってー断られたなーって(笑)」

—— ナンパに明け暮れてたとは(笑)。でも、ゲットしたい下心というよりは、友だちとのおふざけというか、遊びという感じですね。なんか結果はどうでも良さそう。

「相手が大学生だろうが高校生だろうが関係なくアタックしてて、罰ゲーム的なのがおもしろかった。ナンパ自体は恥ずかしいんだけど、見るのが楽しかったんだよね。成功確率は10%くらいかな」

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高校時代の親友、ヒロキとコウヘイ。とにかく、いつも一緒に遊んでいた。

—— アメリカ留学する感じがない。

「ヒロキは建築士になりたくて、コウヘイは親が不動産業を営んでいてそっちにいくと。だからこの大学に行きたいというのが明確だった。でも自分だけ何もなかった。高校もギリギリ卒業できるレベルだったし。

そしたら母親が、お前は英語ができるし、神戸にエドモンズ大学日本校があるから、そこに行ってみたら? って言われて、それで受けたら受かった。本来であれば2年目からシアトルのエドモンズ大学に行くんだけど、僕は英語ができたから1年目からシアトルに行くことになった」


アメリカ時代は、トラベル・ホテルビジネスを専攻するも、ナンパとサーフィンに明け暮れる。


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アメリカでは、海に限らず、仲間と一緒にいろんなところにも足を運んだ。

—— てっきり、学生時代から何かやりたいことや目標に向かって突き進むタイプかと思ってたけど、ぜんぜんそんなことないんですね。アメリカで何かをつかんだとか?

「大学に入ってもあいからわずナンパもしたりして遊んでばかりでしたが、ある時、仲間に誘われてサーフィンをするようになって。サーフィンは結果的にそこまで上達はできなかったんだけど、毎週のようにやってましたね。

ただ、シアトルに住んでるとはいっても、サーフィンができるところまで行こうとすると、クルマ片道3時間もかかるところで。それでも毎週ひとりで行くくらいハマっていて。当時から、いったんハマるとのめり込む性格だったんです」

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シアトル在住時は、サーフィンに明け暮れていた。

—— アメリカ時代も、日本にいる時とやっていることはあまり変わらないという(笑)。さすがに就職のタイミングで変わるのかな。

「帰国後、最初はキャビンアテンダントを目指していたんです」

—— えーっ、初耳です。またなぜ急にCAに。

「飛行機に乗る機会が多かったんですけど、なんかかっこいいなと。でも途中で本当にこれやりたいのかなぁと思うようになって。そんな感じで気持ちが入ってないもんだから、面接を受けてもことごとく落ちる」

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日本に帰国後も、しばらくサーフィンはつづけていた。


本当にやりたいと思うことが見つからず、家庭教師の営業、IT系のヘルプデスク、PCの営業などの仕事を転々とする。


—— CAに疑問を抱きはじめてから、他にやりたい仕事が見つかった?

「特になくて、面接も落ちるは歳もとるはで、母親がバイトでもしなさい! ってことでタートル先生(※)っていう家庭教師の会社を紹介してくれて。そこでしばらく営業のバイトをしてたんです。そこにかわいい子がテレフォンアポインターで働いていて、それが、さっちゃん(のちに奥さんとなる人)でした」

※ タートル先生:1983年に設立された家庭教師派遣事業を手がけるブランドで、「家庭教師のタートル先生」として知られている。2007年に学研に買収された。

—— どうしても女の子の話になっちゃう(笑)。タートル先生はあくまでつなぎのバイトって感じですよね。

「そうです。ただ仕事がなかなか見つからなくて。タートル先生のバイトを1年半くらいやった頃に、アメリカ時代の同窓会があって。そしたら、仲間にエクセルとワードできたら入社できるから! って言われて。ちょうどITバブルの時だったんです。

それで就職したのが、富士フイルムのヘルプデスク。工場で働く3,000〜4,000人がみんなPC持っていて、不具合があると連絡が来て、それに対応する」

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ヘルプデスク時代のエピソードを語る。特に20代前半は、人生の目標もなく、なんとなく日々を過ごしていたとのこと。

—— PC関連は詳しかった?

「いや全然。入ってから勉強するわけですけど、最初はわからなくて。たとえばIBMのシンクパッドっていうパソコンには、トラックポイントと呼ばれる赤ポチがあるじゃないですか。導入した際に、工場の人からこれなに? って聞かれたんですけど、これはデザインですね! って答えるくらいで」

—— よく言い切りますね(笑)

「液晶はTFTですか? って聞かれた時も、いや液晶ですねって答えるくらいのレベルからスタートして、やっと2年後くらいからできるようになりました。

その頃から、営業をやってみたくなってPCブランドのデルに転職したんです。でも、上司の人とあまり合わなかったりして、1年くらいで辞めて、アメアスポーツジャパン(※)に転職しました」

※ アメアスポーツジャパン:フィンランド・ヘルシンキに本社を置く、スポーツ用品・機器の総合企業「アメアスポーツ」の日本法人。正式名称は、アメアスポーツジャパン株式会社。取扱ブランドは、サロモン、ウイルソン、アトミック、プリコー、スントなど。

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暴飲暴食の日々。不摂生により体重は90キロ以上に。

—— アメアスポーツジャパンといえば、サロモンやスントをはじめスポーツブランドを扱う会社。ついにスポーツに興味を持ちはじめた?

「いやスポーツどうこうじゃなくて、IT系のヘルプデスクで探していてたまたまという感じで。本命じゃなかったんですが、行ってみたらいい感じだった。面接してくれた上司になる人が、たまたま自分と同じ誕生日で。じゃあキミ採用! みたいな(笑)」


悪ふざけでもなんでも即実行する性格は、母親ゆずりのもの。


—— なかなかこれだ! という仕事は見つからず、まだトレイルランニングにも出会っていない。当時、今につながるような、何かクレイジーな目標を立てて実行したみたいなことあります?

「ないですね。まあなかったからこそ、トレイルランニングに出会った時の衝撃がすごくて、ぶっ飛んだことを考えるようになったのかも。でもそれは、根っからのいたずら好きの一面は影響しているとは思います。

面白そうだと思ったことを、思うだけじゃなくやってみるのは昔から。みんな笑い話で終わることが、自分は実際にやってみるんですよね」

—— たしかに、ここまでの人生を見てきたなかでも、行動力はあった。親の影響?

「これは母親ですね。やんちゃっていうか、おもしろいことが好きな人で。母自身もおもしろかったですしね。

たとえば、スポーツジムに行ってバランスボールに乗ったら、割れるはずないのになぜか割れてしまい、それが恥ずかしくて破れたボールをかぶっちゃう、なんてこともあった」

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トモさんにお母さんについて聞くと、「お笑いも含めて、とにかくおもしろいことが好きな母です」とのこと。

—— 普通、破れてもかぶらないです(笑)。

「あと母は、僕が高校生だった時に印刷会社でパートしていて。若手のアルバイトと、ここからここまでジャンプしよう! っていう一番飛べる人競争をしたらしく。それでジャンプしたらアキレス腱を切っちゃった。

ただ本人はよくわかってなくて、でも足首が逆方向を向いちゃって、おかしいな、歩けないなと思って、自転車を片足でこいで家まで帰って来て。

僕はいなかったけど、おばあちゃんがそれ見て、かなりビックリしたっていう逸話もあります」

—— かなりの逸材です(笑)。トモさん、お母さんのDNAをかなり受け継いでますね。


不摂生で体重は90キロ超。会社のダイエット企画がきっかけで、トレイルランニングと出会う。


——— なかなか走りださないですね。

「アメアスポーツに入社した頃は、すでに体重は90キロくらいあって、不摂生もはじまってました。スポーツも、週末にサーフィンをやるくらい。かといってそのために走ったりするわけでもない。ただやってただけ。

でも、入社初年度に、トレッドミル(※)とスントの時計を使ってBMIを減らそうっていう企画があって。お前やれ! と言われてやることになった。3カ月間、毎日5キロ走るんです」

※ トレッドミル:屋内でランニングやウォーキングを行なうための器具。ルームランナー、ランニングマシンなどとも呼ばれる。アメアスポーツジャパンは、トレッドミルブランドのプリコーを扱っている。

——— 走ってない人からすれば、かなりハードですね。イヤじゃなかった?

「イヤでした(苦笑)」

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アメアスポーツジャパンの仲間たち。このトレッドミルで、のちに100マイルを走ることになろうとは、トモさん自身、思ってもいなかった。

——— 企画が終わり次第、すぐさまランから離れそうなのに。

「アメアスポーツって、スントとかアトミックとかサロモンのアスリートが仕事をする場所でもあって。仕事終わりに会社のジムで汗を流す彼らの姿を見て、かっこいいなー、ああなれたらなーという憧れはあったんです。

当時、自分は見た目の自信もなければ、夢もないし、パッションもない。

そんな時にこの企画があって、3カ月で7キロやせた。毎日写真撮って、鏡を見ていてもやせていく自分が目に見えてわかって。やせると自信も出てきて積極的になりはじめたんです。

それで3カ月が終わってから、先輩に次の目標ないっすかね? と聞いて」

——— ついに目標を欲しがりました。これは大きなターニングポイントですね。

「そしたら先輩が、お前これだよ! と。それが、社内の壁に貼ってあった、斑尾フォレストトレイルのトレイルランニングレースだったんです」

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トレイルランニングを始めて2年目に出場した、SFMT(信越五岳トレイルランニングレース)。詳しくは後編で。

コンプレックスを抱えて過ごした幼少期から、何の目標もなく、ただ毎日が楽しければ良かった高校・大学時代を経て、そのまま社会人へ。

まさかトモさんがそんな時代を通ってきていたとは……。正直、小さい頃から目標を定めて突き進んできたタイプだとばかり思っていた。

でも、アメアスポーツジャパンに入り、31歳にしてようやくトレイルランニングと出会うことになる。ここから、トモさんの人生はどう変わっていくのか。

トレイルランナーとしてのトモさんの人生は、次回の後編で詳しく紹介します。

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TRAIL TALK #007 Tomokazu Ihara / 井原 知一(後編)

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MOUNTAIN CITY LIFE | 高尾 #03 高尾 to 笠取山100mile 〜Thunder In The East〜(準備編)

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

[about TRAILS ]
TRAILS は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ情報を独自の切り口で発信していきます!

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