TRAIL TALK

TRAIL TALK #007 Tomokazu Ihara / 井原 知一(後編)

2019.11.29
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What’s TRAIL TALK? | TRAILS編集部が刺激を受けた、トレイルカルチャーを体現している人物にコンタクトをとり、その人の生活やフィロソフィーなど、ひとりの人間の実像を通してトレイルカルチャーのコアに迫るインタビュー。

* * *

トモさんこと井原知一は、『生涯で100マイルを、100本完走』をスローガンに掲げる、現在の日本のなかで、もっともエッジの立ったトレイルランナー(100マイラー)のひとりだ。

『生涯で100マイルを、100本完走』という目標を立てるなんて、普通の人からすればまったくもってオトナの悪ふざけでしかない。その生き方はどこから来ているのか?

前編では、おおやけには語られてこなかった、トモさんの生い立ちに迫った。今回の後編では、100マイラー井原知一の誕生を紐解いていく。

トモさん自身が「暗黒時代」と語る高校時代から20代の社会人生活を経て、31歳で人生初のトレイルランニングレース(斑尾フォレストトレイル)に出場する。

前編で語られた生来のいたずら好きの性格や、興味をもったことにすぐさまのめり込む実行力は、トレイルランとの出会いにより激しく開花する。

トレイルランナーという人種に惚れ、「とんでもないヤツ」がうじゃうじゃいる100マイルの世界にどっぷりとハマり、自分自身も常人からすればバカげた目標を思いつくようになる。そんなトモさんの100マイラーのモチベーションの源泉と今後の夢をじっくりと聞いてみた。

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トレイルランに出会ってから、トモさんの人生は一変したという。


はじめて陣馬山を走って、稲妻のような衝撃を受けた。


—— 斑尾フォレストトレイルに向けて、陣馬山に練習しに行ったと聞きました。

「社内に清水さんっていうトレイルランニングをやっている人がいて、陣馬山に連れていってもらったんです。相模湖駅スタートで与瀬神社からの急登をのぼって明王峠を経由して山頂へ。片道7.5キロの計15キロ」

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アメアスポーツジャパンの先輩、清水さんと景信山へ。清水さんにはかなりお世話になったそうだ。

—— 最初からけっこうキツイところに行きましたね。

「途中でやめたくなるくらい(苦笑)。でも、あの土の匂い、草木のゆらめき、そよ風の気持ちよさ、小鳥のさえずりとかを体感して、あれ? これすげー楽しいじゃん! って思った。森のなかに入って冒険してるような感覚でした。

山頂にはノートがあって、たぶん自分の名前が今でも残っているんじゃないかな。そこでおばちゃんが、サービスだよ! ってしょっぱい梅干しをくれて。うどんも美味しかった。

それで家に帰ってきて、あらためて、あぁほんとに楽しかったなぁって。高校時代からずっとブランクだったというか、暗黒時代だったというか、何も目標がなかったなかで、これだ! って思えた瞬間でした」

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森のなかを冒険している感覚は、今もなお変わることがない。現在は、住まいのある高尾の山を走りまわっている。

—— きっと、何もなくていいって諦めてたわけじゃなかったんでしょうね。ずっとやりたいと思えることを探しつづけていた。

「そうかもしれませんね。ずっとしっくりきてなかった。陣馬山に行った時は、ほんとにマンガのような稲妻が走りましたよ」


人生初のレースだけど、1位になりたいという思いが強かった。


—— 人生初のトレイルランレースだった斑尾フォレストトレイルはどうだったんですか?

「まあ結果は20位台でしたが、自分は1位になるつもりでいたんです。なんか優勝する人ってゼッケンがキレイにまっすぐ付いている、勝手な思い込みがあって。だから自分のゼッケンもまっすぐになるように、レースの前夜に2時間くらいずーっと整えてたりしました(笑)」

—— これまで自信を持てるような成功体験がないなかで、1位になる! と思えるメンタリティはどこからくるんですか?

「なりたいっていう思いが強かったんです。まあ唯一、昔から走るのは速いほうだったので、ちょっとだけ自信があったのかもしれませんね。

結局それは叶わなかったけど、レース後に表彰式をずっと見ていて。レースディレクターの石川弘樹さんが表彰していくんだけど、選手たちがすごくかっこよくて。ちなみに、50キロのカテゴリーで優勝したのが、アルトラアンバサダーの中辻悠貴くん。

話が飛ぶけど、のちに2014年のHURT100(※)に僕が出場した時、憧れの存在だった石川さんと中辻くんが、同じスタートラインに立っていて、あれはほんと震えましたよ」

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2014年1月に開催されたHURT100にて。なんと総合7位、日本人1位という好成績。

—— 実はそのHURT100の時のトモさんが、TRAILS的にはすごく印象に残っていて。Sky High Mountain Worksのタクさん(北野拓也さん)のブログで見たんです。ヒゲモジャでヒョウ柄みたいな派手な柄パン履いていて、なんだこの日本人離れした人は? ってすごく興味持った。今思えばそれが初期衝動だったと思う。

「そうなんですね。HURT100は、9本目の100マイルレースでした」

※ HURT100:The Hawaiian Ultra Running Team’s Trail 100-Mile Endurance Runが正式名称。ハワイの100マイルレースで、20マイルのループコースを5周する。制限時間36時間、累積標高7500m。

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HURT100おなじみの光景。ゴール後にこの白いボードにキスをすることになっている。ちなみにこのボードには、「このレースを簡単にしたくはなかった」と書かれている。


まわりの人からすればバカでしょ! と思うことをやって、びっくりさせたい。


—— 斑尾フォレストトレイル15キロを無事完走して、翌年に50キロにチャレンジするのはわかるんですが、OSJ(※)のシリーズ戦の全戦チャレンジだなんて、また一足飛びにいきますね。

「10戦走るよって言うと、まわりの人はみんな、バカでしょ! とか、まさか? って思うでしょ。でもそれをやりきってびっくりさせたいし、ギャフンと言わせたいっていうのはありましたね。

最初の陣馬山の時に、自分のなかに走った稲妻がすごかったんです。だからもうとにかく夢中で。斑尾の15キロを完走した直後に、もう翌年のOSJ全10戦を走るぞって決めました」

※ OSJ:アウトドア・スポーツ・ジャパンの略で、ここでは「OSJトレイルランニングレース」(有限会社パワースポーツ主催)のことを指す。トモさんが初参戦した2010年は全10戦だったが、現在は全12戦のシリーズ戦となっている。

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OSJ第10戦クロスマウンテンマラソン42kmを見事にフィニッシュし、全戦完走を果たす。

——— 2010年、SFMT(信越五岳トレイルランニングレース ※)の110キロに挑戦して見事8位になりました。

「当時、トレイルラン関連の雑誌を読みあさっていたんですけど、そこに載っている有名なランナーたちを、終盤の林道で抜いたんですよね。その時は、あれ? マジ? みたいな感じで。あぁみんな調子悪いんだなーって思っていたんですけど、終わってから、自分が強かったことに気づいて」

※ SFMT(Shinetsu Five Mountains Trail):信越五岳トレイルランニングレース。2009年に第1回目を開催した日本を代表する歴史あるトレイルランニングレース。トレイルランナー石川弘樹プロデュースのレースとしても有名。SFMこと信越五岳は、新潟・長野県境にある斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山、5つの独立峰の総称で、北信五岳とも呼ばれる。2017年からは100マイルのカテゴリーが新設された(ただし、2017年は悪天候により110キロの短縮レースになった)。

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走る距離を延ばしていくなかで、自分の適性に気づきはじめたとのこと。

——— トレイルランをはじめて3年目で8位って、凄すぎます。

「もうね、やるって決めたらやりたくなっちゃって」

——— でも、ようやく探していたものに出会えた感じですよね。これまで父親へのコンプレックスがあったり、目標を持って就職していった友人たちとの違いを感じたり、そういうのをずっと抱えていたじゃないですか。

「父親にも、しばらくは、またお前のおふざけだろみたいな感じで見られていたし、山ばっか走ってないで的なことを言われていて。でも、この信越の大会を初めて応援しに来てくれて、お前すげーな! って言われたのが、すごく嬉しかった」

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2019年のSFMT(信越五岳)100mileのゴール地点。今年も、両親が迎えてくれた。左端はペーサーのJR田中さん(田中裕康)。

——— ついに100キロ以上を走るようになって、しかも好成績をおさめて、ここからより長い距離へと向かっていくわけですね。

「この信越が、本当にターニングポイントでした。8位になって、100キロ以上のウルトラトレイルは楽しいなと思うようになって。練習仲間でもあった磯さん(磯村真介)が、HURT100に出るようになって、100マイルっていうのがあるのか? と興味を持つようになったんです」


自分は100マイラー! と言えるのが嬉しかった。トレイルランナーっていう人種が好きだから。


——— 最初に走った100マイルは?

「自分が企画したTDT(ツール・ド・トモ)です。当時は100マイルを走るための情報がぜんぜんなくて、海外サイトもたくさんチェックしました。ただ、100マイルレースに出るなら、まずは事前にその距離を走っておかないといけないかなと思っていて。普段走り慣れている多摩川沿いと、毎週行っていた青梅をつなげてみたらちょうど50マイル、往復したら100マイルだなと。それで1回目を2010年の11月に開催しました」

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TDTのスタート&ゴール地点、旧穴守稲荷神社の大鳥居。第1回目はたった3人での開催だったが、今では多くの人が参加している。

——— SFMTの2カ月後じゃないですか!

「そうそう(笑)」

——— ついに100マイラーに。「お前は何者なんだ?」って言われた時に自信を持って答えられるものが欲しいっていう欲求ってあったりしますよね。僕たちは、それがハイカーだったりするんですけど。

「100マイラーって呼ばれるようになったのは、すごく嬉しかったですね。アメリカでは40年くらい歴史があるから、100マイルやってる人ってたくさんいるじゃないですか。当時20歳だった100マイラーは今は60歳くらいになっているんだけど、その歳でも変わらずやんちゃでステキでかっこいいんですよ。

以前アメリカのレースに出場した時に、そんな人たちと話していたら、オレの友だちのロックを紹介するよ! って言われて。なんでロックか? それはコイツは心が絶対に折れないからロック(岩)なんだって。そういうカルチャーがあるのも、かっこいいじゃないですか。まあ、日本だったら岩男くんになるわけですけど(笑)」

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トモさん32本目の100マイル、IMTUF100(Idaho Mountain Trail Ultra Festival100)。ゴール後に仲間たちと一緒に撮った、思い出深い写真。(Photo:ジェフ・ペルティエ)

——— トレイルランナーはみんな仲間だろ! みたいな、カルチャーですよね。

「ある意味、トレイルランナーって人種なんだなと。どこいってもみんな同じ感覚を持っているというか。自分が走るようになって途中から気づいたのは、トレイルランはもちろんだけど、この人たちが好きなんだなと。走ることによって友だちの輪が広がっていくと、その中にとんでもないヤツがまた現れてくるんですよ。

自分自身とんでもないヤツだと思っていたけど、さらに上を行くヤツに会ったりして。そうすると心が踊って、じゃあオレはもっとやってやるぞ! となる。

たとえるなら、棒高跳びみたいに、お互いどんどんバーを上げてく感じというか。それがすごく楽しいんです」

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トレイルランナー同士、お互い高めっていくのがとにかく楽しい、と語る。


100マイルを100回で1万マイル。オレは1万マイラー! ってドヤ顔で言いたい(笑)


—— 『生涯で100マイルを、100本完走』は、どのタイミングで思いついた?

「はじめの頃は、100マイルを走るともう次はやらないって思う。過酷だし。途中、足にマメができたり、脚が痛くなったり、気持ち悪くなったりしますからね。でも、それを乗り越えた時の達成感はものすごいし、過酷だからこそ反動で嬉しさも倍増する。それで次にまた走ってしまう。

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100マイルを走っていると、さまざまなトラブルが起きる。でも、それを乗り越えた先におもしろさがある。

それで13本目か14本目くらいの時だったかな、100マイルってそんなに長くないなーって思うようになって楽しくなってきたんです。

ふと、100マイルを100回やれば1万マイルかと想像したんですよ。100マイル100本だなんて、ちょっとおもしろそうじゃないですか。これを話すと、まわりの人はみんな、エーーーッ! ってなるけど、それもまた嬉しいし。

100回やってオレは1万マイラー! ってドヤ顔で言ってみたいなと(笑)」

—— いたずら好きは健在ですね。

「とはいえ、100回はすぐには手に入らないわけで。これまで11年間やってきて52本ですから。あと8年で残り48本。すぐ終わらないし、長いからおもしろいっていうのもあります」

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100マイルを走りつづけられるのも、家族があってこそ。トモさんは、奥さんと娘さんに感謝しかないとのこと。時には、こうやってレースに連れていくこともあるそうだ。


目指すは90歳で100マイルを走ること。つねに、今の自分にとっていちばん過酷なことをやる。


—— それにしても、想像以上に順調にというかハイペースで100マイルを走りつづけてるなと。1本走るだけでも辛いのに。心が折れたりしないんですか?

「負けず嫌いというか、人に負けてもいいけど自分にだけは負けたくない。そこには、めちゃくちゃこだわりがあります」

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人に優しく自分に厳しい。トモさんには、そんな形容がしっくりくる。

—— 100マイル100本は、もう時間の問題です。トモさんにとっては通過点でしかない。その先に何を見ているかに、とても興味があります。

「100マイルのおもしろさっていうのは、かならず毎回何かしら宿題が出てくることなんです。52本走っても、その時ならではの楽しさや、気づきや、うまくいかないことがあって。100本目でも、ぜったい何か出てくるはずなんです。

ただ、8年後には達成するので、そのあとに何をやろうかなとは考えていて。200マイル200回を、50歳でスタートして40年かけてやるとかね」

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大好きな高尾の街を走るトモさん。

—— それはまたぶっ飛んでますね。

「とりあえずそれは置いておいて、やっぱり90歳になっても走っていたいっていうのは、いちばん長期的なプランとしてあって。90歳で100マイルを走るために、普段トレーニングしているようなものですよ」

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あらゆるデータを用いて自己管理しているのも、90歳で100マイルを完走したいからだ。

—— 90歳で100マイル。正直、想像もつきません。

「バークレー(※)のラズが言ってたことがあるんです。2017年、自分は初めてのバークレーで1周しかできなかった。もう選手はみんな帰っていて、ラズがひとりで後片づけをしていたのを手伝ったんですが、その時、彼はアメリカの東海岸から西海岸まで走るんだ! って言っていて。でもそんなのは、もともとすごいランナーだったラズにとっては、昔であればいとも簡単にできることなんです。

※ バークレー・マラソンズ:アメリカ・テネシー州のフローズンヘッド州立公園で毎年3月に開催されている耐久レース。「世界一過酷なレース」とも呼ばれている。1986年に第1回目が開催。以来、34年間で完走したのはたった15人。発案者は、ラズ(ゲイリー・カントレル)。総距離は100マイル以上、累積標高は2万メートル以上、制限時間60時間。エントリー方法も公開されておらず、謎の多いレースでもある。トモさんは、2017年、2018年に出場してDNF(Do Not Finish)。つい先日、2019年のレース参加も許可され、完走すべく準備を進めている。

でも彼は『今オレが、この歳で、この体型でやるから過酷なんだ! だから今までのなかでいちばん過酷なんだ!』って言うんですよ。

それって、すごくかっこいいなと。単純にタイムや順位や距離じゃなくて、その年齢その状況において過酷かどうか。その、つねにバーを上げていく姿がかっこいいなと思ったんです」

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インドで開催されたスポーツ展示会からのオファーで、トレッドミルを走るトモさん。そして、トモさん目当てに集まる大勢の人たち。まるで映画「フォレスト・ガンプ」のワンシーンのよう。2日間(1日7時間)で約140キロを走破。

—— それはむちゃくちゃシビれますね。90歳のトモさんを、この目で見てみたいです。

「つねに自分のバーをあげて、今の自分にとってのチャレンジをしたいですね。そして、90歳で100マイルを走って、その時の過酷さを共有したい。そこにおそらく、ウルトラランニングやエンデュランスの楽しさが詰まっていると思います」

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今回の前編・後編のインタビューを通して、『生涯で100マイルを、100本完走』という、オトナの悪ふざけのような目標を本気で掲げ、楽しんで実行しているトモさんの実像を、ようやくとらえることができた気がする。

そのモチベーションの源泉、100マイルというカルチャーにどう惚れ込んだのか、数々の人生のターニングポイントを聞いて、僕たち自身かなりグッときたし、トモさんにさらに興味を抱いた。

そしてこのたび、トモさんにTRAILSのアンバサダーに就任してもらい、連載記事をスタートすることになった。

なぜトモさんか?

現在の100マイル・シーンの最前線を走っている人物であることはもちろん、人生初のレースなのに1位を目指したり、その翌年に全10回のシリーズ戦に挑んだり、さらには100マイル100本完走を掲げたり。この馬鹿正直でまっすぐにコミットするがゆえの「過剰さ(クレイジーさ)」が、TRAILSのステートメント(※)に明記している「過剰さ」と強烈にシンクロしたからだ。

トモさんの連載を通じて、現在進行形のトレイルカルチャーにワクワクする人が増えるとしたら、それは最高なことである。

現在、TRAILS編集部とトモさんで連載のテーマづくりを進めているので、みなさんお楽しみに!

※ TRAILS (トレイルズ)は、トレイルで遊ぶことに魅せられた人々の集まりです。トレイルに通い詰めるハイカーやランナーたち、エキサイティングなアウトドアショップやギアメーカーたちなど、最前線でトレイルシーンをひっぱるTRAILSたちが執筆、参画する日本初のトレイルカルチャーウェブマガジンです。

企画と編集に過剰にこだわり、有名無名を問わず世界中のTRAILSたちと編集部がコンタクトをとり、旅のモチベーションとなるトリップレポートやヒントとなるギアレビューなど、本当におもしろくて役に立つ、ここにしかないリアルな情報を独自の切り口で発信していきます!

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佐井聡(1979生)/和沙(1977生)
学生時代にバックパッカーとして旅をしていた2人が、2008年にウルトラライトハイキングというスタイルに出会い、旅する場所をトレイルに移していく。そして、2010年にアメリカのジョン・ミューア・トレイル、2011年にタスマニア島のオーバーランド・トラックなど、海外トレイルでの旅を通してトレイルにまつわるカルチャーへの関心が高まっていく。2013年、トレイルカルチャーにフォーカスしたメディアがなかったことをきっかけに、世界中のトレイルカルチャーを発信するウェブマガジン「TRAILS」をスタートさせた。

小川竜太(1980生)
国内外のトレイルを夫婦二人で歩き、そのハイキングムービーをTRAIL MOVIE WORKSとして発信。それと同時にTRAILSでもフィルマーとしてMovie制作に携わっていた。2015年末のTRAILS CARAVAN(ニュージーランドのロング・トリップ)から、TRAILSの正式クルーとしてジョイン。これまで旅してきたトレイルは、スイス、ニュージーランド、香港などの海外トレイル。日本でも信越トレイル、北根室ランチウェイ、国東半島峯道ロングトレイルなどのロング・ディスタンス・トレイルを歩いてきた。

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