TRAILS REPORT

そこに山があったからだ。〜Because It’s There 〜♯02;豊嶋秀樹

2015.07.24
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取材/写真/文:三田正明

1923年、エベレスト初登頂を目指した三度目の(そして彼の最後の)遠征を控えた登山家ジョージ・マロリーは、ニューヨーク・タイムズ誌の記者の「どうしてあなたはそこまでしてエベレストに登ろうとするのですか?」という質問に答えて、こう言った。

“Because it’s there.(そこに山があるからだ)”

今回で第二回目となるインタビュー連載“そこに山があったからだ~Because It’s There~”。前回に引き続きジョージ・マロリーのあまりに有名な言葉からスタートしましたが、内容は前回も書いた通り、アルパイン・クライミングとも、エクスペディションとも、まったく関係ありません。僕やあなたのようなどこにでもいる普通の人間が、山でどんな体験をして、何を感じて、その結果としてどのように自分を変化させたのか? 「そこに山があったから」自分のなかの何かが変わった人たちに話を聞いていくインタビュー・シリーズです。

今回のゲストは現代美術を主なフィールドに、様々な活動を行っている豊嶋秀樹さん。クリエイター集団grafの創設メンバーであり(現在はgm projects所属)、美術家・奈良美智氏とgrafとの大規模な展覧会「Yoshitomo Nara + graf A to Z」では中心的な役割を務めたことでその名を知っている読者も多いかもしれません。

30代半ばまで「不摂生を全身で表現していた」生活を送っていたという豊嶋さんは、ひょんなことから山に登られるようになり、山と道の夏目彰さんと旧知の仲だったことから次第にウルトラライト・ハイキング(UL)に傾倒、現在ではハイキングの経験を映像とおしゃべりで綴った「ハイクローグ」を制作したり、山と道の《鎌倉ハイカーズミーティング》を始め様々なイベントでスライドショーやワークショップ(TRAILSでは「第四回鎌倉ハイカーズミーティング報告」で豊嶋さんの手作りエナジーバーのワークショップの模様が読めます)を行ったりもされています。

筆者・三田が豊嶋さんのことを知ったのも《鎌倉ハイカーズミーティング》なのですが、その打ち上げに参加した際、豊嶋さんがとても面白い話をしてくれました。それは、ライフスタイルのUL化。生活にかかるコストを減らせば、仕事量も減らすことができる。そうすればひとつひとつの仕事に丁寧に取り組むことができるし、プライベートな活動を充実させることができる。そして結果としては生活全体のクオリティをアップすることができる…。それを大上段に構えることなく、実に楽しそうに自然体で語り、実践している姿は、何を隠そうこのインタビュー・シリーズを始める大きなヒントになりました。早い話がもっと豊嶋さんの話を聞いてみたくなったのです。

ULにシリアスに傾倒した人ならば、誰もがハイキングだけでなく、生活もUL化したいと思うはず。けれどこの消費社会の荒波に揉まれ、日々の生活に追われ、物欲をコントロールすることすらままならない…そんな人は、是非これから始まる話に耳を傾けてみてください。

■事務職員に求められる才能を持ち合わせていなかった

僕が豊嶋さんを知ったのは2年前の鎌倉ハイカーズ・ミーティングで北アルプスを3週間かけて歩かれたのを「Jウォーク」と題したスライドショーをされていたときで、その手のスライドショーって結構真面目なものが多いなか、すごくテンポの良い楽しいプレゼンで、その時も「この人ただ者じゃないな」っていうのを感じてはいたんです。それでこの春に行われた鎌倉ハイカーズ・ミーティングでふたたびお会いして、その打ち上げでお話していただいた内容がまたとても興味深くて、ぜひTRAILSでも取材させていただきたいと思った次第です。豊嶋さんは現代美術のフィールドでご活躍されている方なんですが、TRAILS読者もそこまでその世界に詳しい人が多いわけではないと思うので、まず読者に自己紹介をしていただいてもよろしいですか?

じゃあざっくりいくと、僕は美大卒のアーティスト志望だったんですけれど、最初はなぜか茶碗屋になりたいと思って陶芸の学校に行って、そこからアメリカの美術大学に留学することになった。サンフランシスコ・アート・インスティチュートっていう学校に編入試験を受けて入ったんです。そこでファイン・アートとアメリカのカルチャーの洗礼をガーっと受けて、ピョコッっと来た日本人には刺激強すぎたんですけど、まあ若かったから自分もそれにすごくフィットして。卒業して日本に帰ってきて、アメリカの美大生活が楽しかったから、学校で働くのも楽しいかなって思ったんです。大阪出身なんで大阪の美術大学で仕事がないか聞きに行ったら「事務職なら募集してるよ」って言われて、「職種はなんでもいいか」と思って受けてみたら運良く通った。でもそれってスーツ着て朝9時に出勤する普通のサラリーマンの仕事なんですね。それでも美大っていう職場はアートってものに触れられるとこであるはずだったし、自分の制作活動は別でやればいいしって思って。でも実際に働いてみると、そこは自分がアメリカで体験したようなアートで溢れているような環境ではなかったんですね。

ーー自分も美大出身なんですけれど、やはり日本とアメリカの美大で結構違いがあるんですね。

アメリカだと学生の年齢もバラバラで多種多様。僕が行った学校はよその大学で経験を積んだ人が来るようなとこだったんで、同級生で60才の人がいたりとか。日本は美大とはいえ普通に四年で卒業する人が大半で、先生も作家というよりは先生業をしっかりやらないとっていう雰囲気もあるし。結局そこで5年弱働くことになったんですけれど、毎朝起きて仕事に行くのが普通に辛かったんです(笑)。ルーティンワークの中で定年まで務めること考えたらそこから人生の道が40年先まで見えちゃう気がした。良い意味では保証されているとも言えるけれど、悪く言うと他の可能性がないわけで、自分はその後者の受け止め方をするタイプだったんです。だんだんそれが心理的な圧迫感に繋がってきて、なんとなく眠れない日とかが出てきて、だんだん「これは良くないな」って思い始めたわけです。

ーー27~8才くらいって将来への不安とか焦りが焦りが出てくる時期ですからね。

あとね、僕は事務職員っていう職業に求められる能力をあまり持ち合わせていなかったんですよ。一生懸命やっても間違えちゃって。でも、仕事をそつなくこなしている先輩を見ていると明らかに事務員向いてるし、しかも楽しんでやっているし、「こういう人がやる職業なんだな」って思った。

ーー事務員でも営業マンでも才能が必要ですからね。

自分はそれに向かなかったってことで、「ここで一回区切ろう」と思ったんですね。同時に、その当時知り合った仲間達と、後にgrafって呼ばれることになるデザインを軸にいろんなことをやる集団の原型になる動きが始まっていて、そっちで頑張ろうと思って退職したんです。grafってみんなバラバラのことをやっている連中が集まっているなかで自分はアートが軸だったんで、graf media gmっていうギャラリースペースの運営をやっていたんですね。50坪くらいの場所にカフェや本屋が併設された場をやっていて、いろんなアーティストやデザイナーの展覧会とか、演劇とかジャンルは問わず、人同士の繋がりで自分たちが面白いなって思えるものを紹介していたんです。インディペンデントでやっていたから、自分で制作もするし、企画もするし、チラシのデザインもするし、とにかく物事の1から10まで全部やらないと完了しないんですね。でも、そういうやり方が自分にはすごく向いていたみたいで、どのプロセスにも等しく力を注げて、楽しく取り組めたんです。それに僕たちももの作りをするから、アーティストの人たちとのコラボレーションもすごく活発にやっていて、それの集大成的なものが奈良美智さんとのプロジェクト(Yoshitomo Nara + graf AtoZ) で、小屋型の空間を僕らが作ってそこに奈良さんの絵を飾るっていうスタイルで全国を巡回して外国にも行って、それが結局その後7~8年続くことになった。


豊嶋さんが携われてきた仕事の一部 上:graf展「ワーキング・ワークショップ」金津創作の森(福井県あわら市)Photo.Hako Hosokawa 中:Yoshitomo Nara + graf BALTIC Center for Contemporary Art (イギリス)Photo.Hako Hosokawa 下:Yayoi Kusama Furniture by graf Photo.Yasunori Shimomura

■不摂生生活から山登り生活に

ーーその頃から山に登ったりもされてたんですか?

そのときは山登りとか一切興味なしで、夜の生活ばっかりで、煙草吸いまくって、酒飲みまくって、食べまくってぶくぶく太って、不摂生を全身で表している感じだったんですけど(笑)。

ーーたしかに豊嶋さん、現在はすごくすっきりされて精悍な印象ですけれど、取材の前に検索して昔の写真を拝見したら、今よりちょっとぷっくりされてましたね(笑)。逆にいまの方が印象が若返っているくらいで。

いちばん太っていたときは今より20キロくらい太ってたよ(笑)。で、ある日嫁さんと「今日は外でゴハン食べようよ」って話になって、当時は東京の中野に住んでいたんですけれど、中央線に乗るときに高尾行きの電車が来て、「そういえば高尾に高尾山っていう山あったよね」って。

――それは何年前くらいですか?

たぶん2006年とか7年の話かな? ミシュランに載る前でまだガラガラだったんですけれど。それで高尾山にお弁当持って行ったら思いのほか楽しくて。秋だったと思うんでけれど、枯れ葉の上をがしゃがしゃ歩くのとか、「この感じ懐かしいな」って。そしたら高尾山って正式には「明治の森高尾国定公園」でしょ? 僕の実家は大阪の箕面市ってとこなんですけど、子供の頃良く遊んでた箕面市の山も「明治の森箕面国定公園」っていうんですよ。そしたら箕面の山と高尾山が東海自然歩道の起点と終点だっていうことを知って、「え、ここから実家に歩いて帰れるの!? 山道ってスゴい!」ってなって(笑)。で、高尾山には普通のスニーカーで行って下りで何回も転んだんで、帰りに中央線を中野で下りずにそのまま新宿まで行って登山靴を買ったんです。そこからいきなり山登りが始まって、誰かに教えてもらったわけじゃないから雑誌や本読んだりお店の人に聞いたりしながら、その冬には冬山登山にも行くようになった(笑)。

春の北アルプス 双六岳(写真:中川裕司)

ーーいきなりすごいハマり方ですね(笑)。豊嶋さんにとって山の何がそんなに魅力的だったんですか?

初めて八ヶ岳登ったときに、天気が良かったんでまわりがぐるっと見渡せて、「世界ってこういう感じだったんだ!」っていうのを物理的に見た瞬間が大きかったかもしれない。

ーーパースペクティブが変わる瞬間ですよね。

そうそう。新しいパースペクティブで世界を見たっていう。「へー!」みたいな。それでもっといろんなとこを見たくなったっていうのはありますね。

ーーまた山に登るようになると日本を改めて発見しますよね。それまで日本って小さくて、壮大な大自然を見たければ海外へ行かなければならないって思い込んでいたんですけれど、それが完全に翻されました。

そうだね。いま頑張ってるクライミングとかスキーもそういう目線で見ているっていうのはあるかもしれないね。

ーーパースペクティブを変えるものとして?

うん。だってボルダリングなんて岩のほんの小さな出っ張りとか窪みを目指して毎日通ったりしてるわけでさ。あれって超ミクロのピンポイントな目線で自然を見てますよね。で、そのミクロな世界が大きな自然にも繋がっている。

ーーそれまで何とも思っていなかったものが急に目に入ってくるようになるときって面白いですよね。まさに世界が変わって見えるというか。

そうそう。それまで意識していなかったものが急に大事になものになってきたりしてね。

ーー僕も山を始めるまでは山のある場所って地図の空白で、何もない場所だと思っていたんですよ。でもそこに実は宝が埋まっていたっていう(笑)。そうすると本当に世界の見方が変わって、日本地図とか世界地図が全然違うように見えてきて。

それぞれの山に名前があるってこともわかっていなかったからね。まあそんな感じで登山を始めたんですけれど、同時期に不摂生生活との決別も始まってジョギングを始めて、ジョギングもハマりすぎて疲労骨折するまで走って、急に松葉杖生活になって。

ーー山とジョギングの生活から松葉杖生活に(笑)。

それで山登り生活も中止になったんですけど(笑)。

タイ ライレイ・ビーチでクライミング(写真:萩原豊)

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三田正明

三田正明

1974年東京都国立市出身。2001年に『Title』(文藝春秋)の連載「To The Boy /少年犯罪被害者の旅」でカメラマン/ライターとしての活動を始める。2001年にザンビアで皆既日食を見て以来南アフリカ・ジンバブエ・タイ・インド・オーストラリア・アルゼンチン・ブラジル・メキシコ・トルコ・ネパール・アメリカ・カナダ・モンゴルなどを放浪。これまでに皆既日食を五度、部分日食を二度、皆既月食を一度見ている。次第に旅の途上で出会った大自然の世界に傾倒し、気がつけばヒマラヤや北米大陸や日本各地のトレイルを歩くように。雑誌『スペクテイター』や『マーマーマガジン』を始めとする多くの雑誌にアウトドアにまつわるドキュメンタリーやトラベローグや連載記事を執筆、TRAILSではメインライターとエディターを務める。
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