Crossing The Himalayas #7 / トラウマの大ヒマラヤ山脈横断♯7
写真/文 ジャスティン・リクター
訳/構成 三田正明
ネパールを横断し、ついにインドへと足を踏み入れたトラウマ。ですがネパールとは微妙に違うインドの雰囲気に、戸惑うこともあったようで…。そんなわけで、今回はネパールとインドの違い、経済発展を続けるインドの現状、経済発展と自然保護のジレンマなど、ハイカー目線のインド文化論です。
■よそよそしいインド人
インドでの最初の2週間、僕は村や町を繫ぐ地元の人々の生活道になっているトレイルや、そこに隣接する森林保護区域を歩いた。それはこの旅のハイライトではなかったけれど、これまでの2ヶ月のハイキングとはまったく違う体験で、山麓の丘に広がるいくつもの町や村を通り抜けることで、僕はインドの文化的な側面や経済発展の現状を知ることができた。
インドとネパールは際立って対照的だ。たとえば、インドではレー/ラダック地域以外でのトレッキングはポピュラーな観光ではないため、僕は至る所で奇異な目で見られた。ネパール人はオープンで、旅行者を彼らの社会の一部として受け入れてくれている。ネパールのトレイルでよく見かけるティー・ハウス(茶店)も、そもそもは地元の人々が旅行者を自宅に招いて休憩させたことに始まり、それがいまのロッジ/ホテルが立ち並ぶ現状に繋がっている。インド人はネパール人よりよそよそしいので、休憩や食事のために旅行者を家に招くようなことはしてこなかったのだろう。
■「自然保護」対「経済発展」
政府から許可証を貰えず標高の高い場所に立ち入ることができなかったので、標高3000mあたりの地域を僕は歩いていた。山間の道の多くが未舗装だったネパールとは違い、ほとんどの道が舗装されていた。インドはいままさに経済発展と拡大を続けており、今後10年以内にあらゆる町と町を舗装路で繫ぐつもりなのだろう。舗装路が通じることによってクルマやバスでの移動が容易になり、経済が活性化し、人々の生活が楽になるのは良いことだ。けれど「自然」対「発展」、「自然保護」対「人々の暮らしがより豊かになること」というジレンマが、インドを歩く間ずっと僕の頭の中をこだましていた。
インドの山や野生地域の多くは、道路と開発に囲まれ孤立している。わずかばかりのハイキング・エリアやバックカントリーは、次の舗装路に出るまで80kmほどしかない。道路が伸びることによって、過疎地の住民も物資を得ることが簡単になった。大都市からのポテトチップやソーダや加工食品が送られ、村の小さな売店にもLay’sのポテトチップス(マサラ味のものもある!)やチョコレートやキャンディー・バーのパッケージが並んでいる。それによって僕もハイキングに必要なハイカロリーの食料を手に入れることができたのだけれど、そんな村の多くでは、自給のための耕作は行っていなかった。
ネパールもインドのように経済を発展させ、道路を舗装したいと思っている。けれどネパールには金がないので、道路を作り、それを持続させることができない。僕はネパールでモンスーンに流されてしまった何本もの道路を通過した。彼らは道路を作ることはできても、それを点検したり修復するお金がないので、結局道路は使えなくなってしまうのだ。
■ハイカーにうってつけなインドの食事情
他の地域では、道路に沿ってダバ(Dhabas)と呼ばれる手頃な価格でまともな料理が食べられる食堂が点在していた。また道を歩きながらチャイ・ワーラーの屋台からチャイを買うこともできて、それらは僕がこれまでに訪れたどんな場所とも違っていた。
僕は海外での食事、特に第二世界、第三世界と呼ばれる国での食事にはとても慎重だ。浄水されていない水で洗われた果物や野菜については、とくに気をつけるようにしている。これが病気を予防し、トレイルを離れなくてはならなくなる不必要な時間を作らないための大きな助けになっていると思っている。海外でのハイキングにおいて、これは僕の戦略と最終的なゴールを達成ために必要不可欠なものだ。その意味で、インドはハイカーにとって素晴らしい国だった。
インドの人が大好きなチャイはミルクと砂糖がたっぷり入っているので、甘いものを好む傾向のあるハイカーにはうってつけな飲み物だ。さらにチャイはいつもあつあつなので、安全性も高い。多くのインド料理にはたくさんの野菜が使われているけれど、こちらもソテーされているか炒められているので、用心深く健康志向な海外旅行者には完璧な組み合わせ~ほとんど生でない食事~が簡単に食べられるのだ。
■アウトドアに興味のないインド人
ともあれ、始めの5日間ほどは興味深かったものの、もの珍しさは徐々に減っていった。僕は村々を繫ぐトレイルを数日歩いたあと、許可証を得られなかった地域をパスするため、より遠隔な地域を通るトレイルを繫いでいった。標高が低く、地元の人々にもよく歩かれている道なので、それらの道はとても歩きやすかった。
一般的に舗装路ができてそこを行き交う人々が多くなると、その付近のトレイルは荒れてしまう。人々は舗装路を歩くかそこでクルマやバスに乗るためにすぐに舗装路に出ようとするので、トレイルを歩く人が減るからだ。インドの田舎のバックカントリーのトレイルには、外国人も地元住民もいなかった。
多くのインド人は、アウトドアでのリクリエ―ションにあまり興味がない。彼らにとってアウトドアは生活の場か旅行中に通り過ぎるだけの場所であり、キャンプしたり、リフレッシュするための場所ではないのだ。うまくいけば、現在続々と生まれつつある新興の中流階級にアウトドアはポピュラーなリクリエーションとなっていくかもしれない。さもなければ、インド人は自然を守ろうとはしないだろう。デリーで地図を探すことが困難だったりアウトドア用のガス缶がまったく見つからなかったのもこういう理由だ。
僕は次の補給地へと向けて歩き続けた。ネパールと違い、インドでは山のなかでも大きな街がある。そこには物資がたくさんあり、大都市に飛行機で戻らなくとも食料を補給することができた。そして僕はインドのヒマラヤでいちばん楽しみにしていたセクションに足を踏み入れていった。
(♯8に続く。英語原文は次ページに掲載しています)
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