TRAILS REPORT

Pacific Crest Trail #03/14人のPCTハイカー

2015.10.02
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企画編集/TRAILS  取材・構成/根津貴央

Pacific Crest Trailの連載も最終回を迎えました。前回は3名の女性ハイカーにフォーカスし、女性の視点からPCTを語っていただきました。

とはいえ、日本人でPCTを歩いた人は前回の3名だけではありません。これまでに数多くの日本人、老若男女がPCTを歩いています。バックグラウンドもさまざまで、登山が趣味の人もいれば、ハイキングすら経験したことのない人もいる。そしてきっかけも、歩き方も、楽しみ方も、感じ方も人それぞれ。PCTはひとつですが、味わい方は十人十色。

その多様性に富んだ魅力を探るべく、今回14名のスルーハイカー(全行程をワンシーズンで歩いた人)に話を伺いました。 総勢14名の日本人PCTハイカーが語るそれぞれのPCT。ぜひご覧ください。

■黎明期 〜日本人PCTハイカーあらわる〜

2000年頃、日本で知られていたロングトレイルといえば、ジョン・ミューア・トレイル(JMT)くらい。アメリカの3大トレイルであるパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)やアパラチアン・トレイル(AT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)は、まったくと言っていいほど知られていなかった。もちろん、スルーハイク(全行程をワンシーズンで歩き切ること)をする人などはいない。そんな中、2003年頃から徐々に歩く人が現れるようになった。

Q1.スルーハイクに要した日数

Q2.かかった費用

Q3.当時の年齢

Q4.PCTを歩いたきっかけ

Q5.どんな準備をしたか

Q6.実際に歩いてみて感じたこと

■日色健人(Taketo Hiiro)
〜 Class of 2003 〜

profile_hiiro

A1.142日間

A2.120万円程度(踏破後の約2週間の周遊費も含む)

A3.24歳

A4.1998年、ボーイスカウトの先輩がロサンゼルスに赴任して、現地のトレイル環境についての情報を得るようになりました。それがきっかけで、翌1999年にジョン・ミューア・トレイル(JMT)の一部を7泊8日の日程で歩きました。同時期に、加藤則芳さんの『ジョン・ミューア・トレイルを行く』(平凡社)を入手し、翌2000年にJMT全行程を踏破。その過程でPCTの存在を知り、憧れを持つようになりました。

A5.情報収集はインターネットが中心。日本人の記録はPCTの一部を2000年に歩いたものがわずかにあるだけで、PCTA(Pacific Crest Trail Association)の公式サイトを読み込みました。トレーニングはまったくと言っていいほどしていなくて、3カ月に1回くらい、近郊の日帰り登山に出かける程度でした。準備で苦労したのは3つ。B-2ビザ(観光ビザ)の取得(アメリカに3カ月以上滞在する際に必要)、会社を辞めること、家族(親)を説得することでした。

A6.とにかく楽しい毎日でした。歩くことそのものの楽しさ(ハイカーズハイと呼ばれる感覚)にたどり着いたのも初めての経験で、自分が動物であること、生きていることをまさに実感するものでした。僕にとってPCTへの挑戦は、自分の意思で自分の人生をコントロールした(一般的な社会のレールから外れてまでも、自らの興味関心に人生の一部を投じる)という点で価値があると考えています。無事、踏破に成功したことにより、その価値は強い自信となって今日までの毎日を支えてくれるものとなりました。

ロングトレイル(を歩くこと)の魅力は、一定の時間、現在自らが身を置いている社会から物理的に切り離されて、自然の中で、自らの生き方や、自らの内部にある野性と向き合えることにあると思います(残念ながら、2泊3日程度の短いセクションハイクではその価値には届かないと思います)。日本人にとってPCTへの挑戦はたしかにハードルが高い(特に、時間を確保する点で)ですが、そのぶん多くの経験を与えてくれる最高のフィールドであると思います。

■清水秀一(Hidekazu Shimizu)
〜 Class of 2004 

profile_shimizu

A1.163日

A2.約90万円(前後のアメリカ滞在費を含む)

A3.38歳

A4.スルーハイクの前年の2003年のこと。ジョン・ミューア・トレイル(JMT)を歩いている途中で、PCTを身近に感じるようになったことが大きかったですね。帰国後、翌年にPCTを歩こう!と決意しました。

A5.情報源は、アメリカで購入したガイドブック5冊。それに加えて、前年スルーハイクしたMR.Tea(日色さん)のホームページ(http://www.taketo2784.net/pct_report.htm) とmasa+tomo(石部さん夫婦)のホームページ(http://homepage3.nifty.com/pct/index.html)。B-2ビザ(観光ビザ)の取得に苦労しました。

A6.私にとっては、PCTが初めての超ロングトレイルでした。その半年間は未知なる日常の連続、緊張と興奮、不安感と好奇心の入り混じった期間で、それ以外の感情の入り込む余地がなかった。そして、それがたまらなく楽しかった!当時は、日本人に会うこともなく、それが余計に非日常感を高めていたのではないかと思います。何においても「初めて」というのは特別です。その新鮮さと不自由さがとても楽しかったのです。

歩き終えてからは、価値観が大きく変わりました。多くのことに対して、欲がなくなりました。あるもので死なずに、病気にならずに、生きていければいい、という感じ。他の人からみれば、ケチに見えたり、協調性がないように映っていたりするかも知れません。そのため社会復帰後、社会生活(特に職場)をする上で、まわりの価値観に合わせるのに苦労しています(苦笑)。

■舟田靖章(Yasuaki Funada)
 
Class of 2009 

profile_funada

A1.138日

A2.約80万円

A3.26歳

A4.2007年くらいに、たまたま日本人スルーハイカー日色健人さんのホームページを見たのがきっかけです。当時コリン・フレッチャーの『遊歩大全』を読み、アメリカのバックパッキング・カルチャーへの憧れを持っていたので「これだ!」と思いました。

A5.『Yogi’s PCT HandBook』やレイ・ジャーディンの『Trail Life』をコツコツ読み、道具を作ったり手直ししたりして準備しました。普段から山歩きを楽しんではいましたが、特別なトレーニングはしていません。アメリカに半年滞在するためのビザ(B-2ビザ)の取得が精神的に一番億劫でした。

A6. スタートするまでは不安で肩に力が入っていましたが、歩き出してしまえばさながら水を得た魚。バックパックひとつで長く歩いていると生活がどんどんシンプルになります。歩く生活がとにかく心地よく、歩いても歩いてもトレイルがさらに先へつづいていることがとにかく幸せでした。

でも、この心地よい生活も一時的なものだ、と歩きながら徐々に分かってきました。バックパックに衣食住すべてを積めて歩いていると「独力で歩いている」ような気分になりがちですが、実際には文明の手厚いサポートがあってのこと。トレイルを整備してくれる人がいなかったら、トレイルの情報をシェアしてくれる人がいなかったら、道具や食べ物をお金で買える世の中ではなかったら・・・何ひとつ欠けても長距離ハイキングは成立しません。

PCTは色眼鏡なしの等身大の自分を教えてくれる場でもあります。PCTを歩き終えて「決めたことをやり遂げた」というある種の自信を得たものの、一方で自分に足りない側面も思い知りました。与えられた生活ではなく、自分で生活を作り出したいと思い、現在茨城県の片田舎で有機農業を営み日々を畑で過ごしています。これもPCTからつづくトレイルのひとつかな、と思っています。

■長谷川晋(Shin Hasegawa)
Class of 2010 

profile_hasegawa

A1.156日

A2.100万円強

A3.32歳

A4.2000年頃にアパラチアン・トレイル(AT)の存在を知って、ずっと憧れていたロングトレイルでした。2009年にトリプルクラウン(アメリカの3大トレイルを踏破した人)の舟田靖章くんに出会い、「今しかない!」と思いました。

A5.舟田くんからの聞き取りと『Yogi’s PCT HandBook』。これをもとに計画を立てました。スルーハイクに向けてのトレーニングはしていません。準備において苦労したのはB-2ビザ(観光ビザ)の取得。申請時の手続きが面倒でしんどかったですね。

A6.トレイル自体は普通に山道なので、決してラクではありませんでした。でも、歩きつづけることや人と繋がること、歩くことでしかできないこと、人間の可能性など、さまざまなことを感じ、学ぶことができました。多くの人にとって、PCTを歩くことは人生の大きなターニングポイントになるかも知れません。

帰国直後、僕は現実と自分の心のギャップにかなり苦労しました。ドロップアウトしてしまいたい気がしました。ただ、ロングトレイルやロングハイキングを逃げる場所にしたくはない。そう思って、その後もっと正面から向き合う覚悟を持ち、日本でのロングハイキングなどにチャレンジするように。現在は、日本流ロングトレイルも頑張ってすべて歩くべく奮闘中です。

■坪井夏希(Natsuki Tsuboi)
Class of 2011 

profile_tsuboi

A1.150日

A2.100万円(留守にしていた5カ月間の家賃を含む)

A3.29〜30歳(スルーハイク中に誕生日を迎えた)

A4.PCTを知ったのは2005年です。アパラチアン・トレイル(AT)のことを調べていたら清水秀一さんのホームページ(http://www12.plala.or.jp/vagabond/)を見つけて、他にも長距離トレイルがあることを知りました。PCTを歩こうと思ったのは、2009年にATをスルーハイクした翌年の2010年のこと。ATを終えて「一生分歩いたから、もう山は歩きたくない」と思っていたのですが、時間が経つにつれてトレイルへ戻りたくなってきて。同時にトリプルクラウン(アメリカの3大トレイルを踏破すること)も意識するようになりました。

A5.情報収集は清水さんや舟田さんのホームページから。二人とも、準備段階をすごく詳しく記載してくれていたので必要書類等、外国人のハイカーとして必要な情報に困ることはありませんでした。

ただホームページを見過ぎた結果、歩いている時はつねに清水さんの背中を追いかけている感じになってしまって。「この区間、清水さんは5日で歩いていた」とか「清水さんはこの町でゼロデイ(休息日)を取っていたから、自分もゼロデイを取っちゃおう」とか、清水さんと自分を比較してしまったのです。スルーハイクは人と比べて歩くものではないので、見すぎるのも良くないなと思いました。

A6.2011年は、例年に比べて積雪量が200%も多かったシーズンでした。そのため、ハイシエラでは土の上を歩いた記憶がない。トレイルは雪に隠れ、前を行くハイカーの足跡を辿りつつも、毎日のように迷っていました。雪解け水で増水した川に2回流されて死ぬ思いをしたこともありました。

一番心に残っているエピソードは、VVRという補給地点で出会ったトレイルエンジェル「Dr.ナタリー」。受付がある食堂に入りオーナーに一晩泊めてほしいと言うと、日焼けでガサガサの顔とベロベロに皮が剥けた足を見て驚きながら「うちにはドクターがいるから、見てもらいなさい」と。まず、紅茶とオートミールで患部を消毒洗浄し、ラベンダーなど数種類のアロマオイルを塗布、さらに患部にハチミツとオートミールを混ぜて塗って包帯で保湿する。

このあと、自分でもできるようにとハチミツ、オイル、ティーバッグを持たせてくれました。でもそこは熊出没注意なエリア。ただ、足にたっぷりハチミツをつけていても大丈夫なのか?なんて聞けなかった・・・。今でも残る傷跡を見ると、ナタリーの優しさと熊の恐怖の混ざった思い出が蘇ります。

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WRITER
根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年、TRAILSに正式加入。2024年よりTRAILSのHIKING FELLOWに就任。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS) がある。

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