TRAILS REPORT

Pacific Crest Trail #03/14人のPCTハイカー

2015.10.02
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■発展期 〜日本人PCTハイカーの増加〜

2000年代初頭に歩き始めた日本人PCTハイカー、いわばパイオニアの面々がその記録を自身のホームページに掲載。そのおかげで、それまで主にアメリカのWebサイトや書籍に頼るしかなかった時代が終わり、PCTに関する情報の入手が容易になった。またそれに呼応するかのように雑誌などのメディアでもロングトレイルが取り上げられるように。日本ロングトレイル協議会も発足し、にわかにロングトレイルに脚光が集まり始める。2012年には、8人もの日本人がPCTのスルーハイクに挑戦。これは日本のロングハイキングシーンにおいてエポックメイキングな出来事である。

Q1.スルーハイクに要した日数

Q2.かかった費用

Q3.当時の年齢

Q4.PCTを歩いたきっかけ

Q5.どんな準備をしたか

Q6.実際に歩いてみて感じたこと

■筧啓一(Keiichi Kakei)
Class of 2012 

profile_kakei

A1.174日

A2.約70万円

A3.62歳

A4.日本人として初のPCTスルーハイカーになった日色健人さんの講演を2009年6月に聞き、PCTの存在を知りました。1965年の夏に訪れた、ヨセミテ国立公園のグレイシャーポイントから見たシエラネバダの自然の中を、いつの日にか歩いてみたいと思っていたこともあり、PCTを歩くことを決意しました。

A5.テント泊の経験は皆無だったので、2009年末から1年かけて地図やガイドブックを含むすべての装備の調達を行ないました。情報収集は、PCTA(Pacific Crest Trail Association)のホームページ、先人のブログ、グーグルアース等、すべてネットから。 トレーニングとして、2011年6月に八ヶ岳山麓一周(八ヶ岳山麓スーパートレイル)約220km(9泊10日)、同10月に立山雷鳥沢周辺〜五色ヶ原〜黒部湖(3泊4日)のハイキングを実施しました。装備をいかに少なく、軽くするかには苦労しましたね。結局ベースウェイト(食料や燃料などを除いた重量)は10kg程度になってしまいました。

A6.山頂に立つことに興味はないのですが、山を見ながら歩くのは好きなので、シエラネバダ、カスケードの雄大な山並みを眺めながらのトレイルハイクは、日々の肉体的な辛さを忘れさせてくれるほどの楽しさでした。

ただ極端に暑さに弱く、大汗かきなので、スタートからの砂漠地帯における水の確保が難しいセクションでは、熱中症から死に至るのではないかという恐怖を覚えることが度々ありました。

ケネディー・メドウを過ぎて、遥か彼方にハイシエラの花崗岩の白い山々が視界に入った時は、感激のあまり思わず涙が・・・(47年越しの夢が、現実のものになろうとしている瞬間でした)。

■長沼商史(Hisafumi Naganuma)
Class of 2012 

profile_naganuma

A1.162日

A2.100万円前後

A3.37歳

A4.2011年にハイカーズデポやトリプルクラウンの舟田くんの記事を見たり、加藤則芳さんの本を読んだりしたことがきっかけ。ハイカーズデポの長谷川晋さんの影響はかなり大きいですね。いろいろ調べるうちに「行きたい!」と単純に思ったんです。今までやってきた遊びをドーンとまとめるとこれじゃん!って感じました。

A5.情報収集は『Yogi’s PCT HandBook』、前に歩いた人たちのブログやHP、postholer.com(アメリカで有名なトレイル関連のコミュニティサイト)など。ハイカーズデポの土屋さんや長谷川さんにも相談しました。そもそもハイキング自体したことがなかったので、練習がてら宿泊込みの山歩きを1回、日帰り登山を2回ほどやってみました。

A6.歩く前は簡単、余裕って思ってました。でも、はっきり言ってツラいよ。みんな、歩き終えてすべての思い出(ツラかったことも)がまとめて美化される。そこまでがスルーハイク。だからこれから歩く人は、前に歩いた人の情報(Webサイトとか)はツラそうな所だけ探して、それの数倍キツイ所があることを覚悟したほうがいいと思います。

人生観なんて変わらない。もともと自然を敬愛、尊敬してた。それがやっぱり正解だったんだなと思っただけ。生き方は元々こんなだったから変わってない。価値観も変わってない。人生観とか価値観とかを変えるとか変えたいとかではなく、もともと歩くべくして歩いてる、来るべくして来ている人が大多数なんじゃないかな?

とにかく、あの経済からの解放、自由、大自然・・・今もこの遊びを超える遊びには出会っていません。オレにとって一番のロングディスタンスハイキングの魅力は、何カ月も働かないで、経済からある意味離脱し、自然を愛しそこで遊びつづけるあの解放感かな。人間という狭い世界ではなく地球の魅力だと思います。

■二宮勇太郎(Yutaro Ninomiya)
Class of 2012 

profile_ninomiya

A1.156日

A2.約100万円(ゴール後の観光含む)

A3.30歳

A4.20代前半で登山を始めたものの、2〜3年くらいやってみたあたりで他の遊びにハマりしばらく登山からは離れていました。でも、2011年頃にふとまた山に行きたくなって。せっかくならと新たにテント泊用のバックパックを探すべくインターネットで情報収集をしていたところ、たまたまUL系のバックパックを見つけたんです。それをきっかけにアメリカにとんでもない距離のトレイルがあることを知りました。

その頃は仕事や私生活は落ち着いていましたが、将来に対する漠然とした疑問や不安があって、すべてを一度リセットする必要があると感じていたんです。自分はそれまでに長期の旅を経験したことがなく、それを実現することで何か今後のヒントが得られるかも知れないという期待からPCTを歩いてみることにしました。

A5.主な情報源はインターネット。先にPCTを歩かれた清水さんや舟田さんのホームページを参考に、『Yogi’s PCT HandBook』や海外のサイトで現地の状況をできるだけ多く集めました。もともとすべて歩き切るという意気込みはなかったので、なんとかなるだろうぐらいの気軽な感じでした。

ただアメリカに長期滞在するために必要なB-2ビザ(観光ビザ)の申請においては、必要書類等に関する情報が少なく、一度申請を却下されると再申請も困難なことから、かなり気をつかいました。PCTに行く上でもっとも重要な準備はビザの申請だと思います。

A6.基本的に歩くのはラクではありませんし、長く歩いていると景色もデイハイクで感じるほど新鮮なものではなくなり、むしろ感動は薄れていきました。ただロングディスタンスハイキングという特殊な環境やそれを取り巻く人のなかに身を置くことで、それまでの自分にはなかった感性が生まれたことは確かです。

自分にとってはこの狂気じみたすばらしい人たちと出会えたことは大きな収穫で、それはトレイル上での出来事はもちろん、補給で降りた街での出来事も含めたすべてにおいてです。結局PCTを歩きに行ったところで社会との繋がりを断絶できないことに気づいてから、ようやく自分らしいハイキングができるようになりました。

■根本英樹(Hideki Nemoto)
Class of 2012 

profile_nemoto

A1.154日間

A2.約100万円

A3.29〜30歳(スルーハイク中に誕生日を迎えた)

A4.アウトドア系の雑誌でアメリカを縦断する長いトレイルの存在を知りました。その後、何となく興味を持ってインターネットで検索してPCTに出会ったんです。

もともと旅行好きで、いつか数年かけて世界放浪旅をする!という願望があって、20代前半頃から、休みを利用して海外旅行や日本各地を旅行(電車や車を使った普通の旅行)をしていました。でも、そういう旅のカタチ(目的地まで交通機関で直行し、また別の場所に移動して観光する)に徐々に虚しさを覚えるようになって。そもそも自分は目的地よりも、そこまで行く過程が好きなんだと自覚したんです。

そんな頃、ちょうど登山にハマったこともあって、“すべて歩いて移動する”という移動すること自体を楽しむ歩き旅をしたいと思い、PCTに行くことを決めました。

A5.トレーニング等は特にしていません。それまでと変わらず、月に何度か登山をして、会社を退職してから渡米まで4カ月あったので、その期間、近所を軽くランニングしたりする程度でした。

準備で苦労したことは、B-2ビザ(観光ビザ)の取得ですね。無職だと取得が難しいというのも聞いていたので。あと英語も苦手だったので、ネットでの必要事項の入力など間違えないように慎重にやりました。

A6.自称 “絶景ハンター” なので、素晴らしい景色を毎日眺められることが楽しかったです。世界各国から歩きに来ているハイカーに出会えたことも良かったですね。英語が苦手だったので大したコミュニケーションは図れませんでしたが、久々に会ったハイカーが痩せてたり、髭が伸びてたり、服がくたびれてきたりして。そんなハイカートラッシュ感(薄汚れたハイカーに対して、親しみを込めてハイカートラッシュと呼ぶ)に触れられることも面白かったですね。

ロングトレイルの魅力は、あくまでも感覚的な話ですが、“凝縮された人生” を一回経験できることですかね。歩き始めの不安感から、外で生活することに慣れてハイカーとして独り立ち(?)していく中で、色んな人と出会い、別れ、成長していく感じが人生っぽいと思いました。

■井手裕介(Yusuke Ide)
Class of 2013 

profile_ide

A1.150日間

A2.約30万円(円安の影響大。装備・食料費用はメーカーに負担してもらった)

A3.22歳

A4.2011年発売の雑誌トランジットの西海岸特集に、コロンビアのタイアップ記事としてPCTのことが書かれていたのを見たのがきっかけです。

もともとアメリカ西海岸の文化に興味があり、自分の足で歩くことでしか立ち寄れない町や人に出会いたかったんです。加えて、お金や技術ではなく、“時間”が一番の資源となる旅のスタイルに、学生という立場だからこそ挑戦できると。この機会を逃したくない、そう思いました。

A5.最初は現地のWebサイトや文献、地図、加藤則芳さんの本などを参考にイメージを膨らませてワクワクしていました。ただ、『Yogi’s PCT HandBook』やハイカーズデポのスタッフの方の話が至極具体的だったため、途中からは最低限の知識を入れつつ、なるべく「自分で考える」ことを大切にしました(失礼を承知で、情報をあえてシャットアウトしていた部分もあります)。

準備において苦労したのは、両親や学校などの説得、大学の休学手続き、スポンサーの獲得などです。

A6.歩き終えたら「えっへん、どうだコノヤロー!」と自分に自信を持てるのかなあと思っていたのですが、実際には「僕、なんもできねえや」と己のちっぽけさを痛感することに。多くの方々の協力や理解があって道を歩くことができていること、それを忘れてはならないなと感じました。とはいえ、踏破できたことはやっぱり嬉しかったです。雪が降る中でのゴールだったので、モーテルのバスルームに設置された浴槽に湯を張り、何度も頭を沈めました。

足を一歩踏み出すだけで確実に「前に」進むことができるこの充実感は、どの方向が自分にとっての「前」なのか分からない日常生活では見出しにくい。トレイルにおいて自分のペースでつねに前進できたのは貴重な体験でした。

また、歩くスピードだからこそ自分自身と向き合うこともできる。長い時間ひとり黙々と考え、身体を自然の中に置く経験は、本当の意味での “luxury” な感覚だと思います。トレイルで出会った友人がよく口にするこの単語の使い方が、僕はすごく好きでした。

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WRITER
根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年、TRAILSに正式加入。2024年よりTRAILSのHIKING FELLOWに就任。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS) がある。

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