NIPPON TRAIL #01 銀山街道(島根/広島)〜世界遺産・石見銀山から続く銀を運んだ道
文:根津貴央 構成:TRAILS
TRAILSと長らくあたためていた企画が、ついに実現する時がきた。
“ NIPPON TRAIL ”
アメリカのロングトレイル、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を歩いた僕は、あらゆる面においてカルチャーショックを受けた。とにかく、すべてが楽しかった。以来、毎年のように海外に足を運んではいるのだが、海外のトレイルを歩きまくるぞ!というよりも、むしろ僕の心は日本のトレイルに向いていた。
アメリカのロングトレイル・カルチャーをリスペクトしながらも、日本をもっと歩きたい。そう強く思うようになっていた。なぜなら、僕の心を奪ったのは、ロングトレイルという道ではなく、ロング・ディスタンス・ハイキングという行為だったからである。登山道ではなく登山に興味を抱いた、と言えばそのニュアンスがつかめるだろうか。
いまや日本にも数多くのロングトレイルが誕生した。もともと日本には、古道や旧街道などのいにしえの道をはじめ、歴史のある道も全国各地にある。主に自然を楽しむために作られた海外のトレイルとは、出自が異なるものが多い。そこがとてもおもしろいと思った。
そういう道も含めて、日本全国のローカルをフィールドに歩き旅をしたら、どれだけ楽しいことか。伝えたいのは、日本における歩き旅の楽しさである。登山でもない、ウォーキングでもない、ロング・ディスタンス・ハイキングをベースにした日本の歩き旅。それが、NIPPON TRAILというタイトルに込めた想いである。
この企画では毎回、僕とTRAILSで選んだ道と楽しみ方を紹介する。記念すべき第1弾は、島根県と広島県をむすぶ銀山街道。銀の道を舞台にした4泊5日の旅の模様をお届けしたい。
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石見銀山の銀を運んだ道。歴史の道にとどまらず、歩き旅の道にできるのでは!
石見銀山(いわみぎんざん)から尾道(おのみち)まで、約400年前に整備された約140kmの道「銀山街道」。
この街道を歩くことになったのは、ある出会いがきっかけだった。TRAILSの佐井聡・和沙夫妻、SHIMANE PROMOTIONの三浦大紀・卓也兄弟。2011年10月、ハイキングやトレイルカルチャーに詳しいTRAILS(ちなみに佐井和沙は島根出身)と、島根出身で町づくりなどを手がけるSHIMANE PROMOTIONが、とあるイベントで対面した。お互い島根好きということもあって意気投合。いずれ一緒になにかできたらと漠然と考えているさなか、ひょんなことから銀山街道が話題にのぼる。
そもそも銀山街道は、島根の人にとっては歴史的価値の高いものという認識であり、楽しむための対象ではなかったのだが、4人で話しているなかで「長い道として捉えたら、すごくおもしろいよね?」「じゃあ、みんなで歩いちゃおうか?」という思いつきにお互い盛り上がった。こんな軽いノリがこの旅の発端であったのだが、こういったピュアな初期衝動こそが旅をおもしろくするものだ。
江戸時代の前半、日本で産出される銀は、世界の銀の3分の1もの量をしめていた、と伝えられている。その多くが世界遺産にも登録された島根の石見銀山で採掘されていた。銀を運ぶためには、牛馬300頭に400人もの人々が集められた。この大輸送隊が、3泊4日で石見銀山から尾道の港まで銀を運んだルートが銀山街道である。
約400年も前に作られた道を、いま自分たちの足で辿りなおすんだ!という想像が、とにかく僕らをワクワクさせた。
歩いていると、道がもっている記憶とシンクロしていく不思議な感覚
銀山街道を歩いていると、疲れてきたなあと感じるタイミングで、なぜか屋根つきの小さな建物が現れる。これは辻堂と呼ばれるお堂・お社。銀を運んでいた人たちも、きっとここで休憩を入れて、疲れをとっていたんだろうなあ……僕たちはカラダを休めながら先人たちに思いを馳せていた。もっとも、当時はいま僕らが使用しているウルトラライトなギアなどはなく、かなりの重荷を担いでいたのだろうけれど。
辻堂のほかにも、常夜灯が残っていたり、古い道標があったりと、ここがたしかに銀山街道であったことを教えてくれる。その痕跡を見つけるたびに、僕たちは銀の道を歩いていることを強く実感し、まるでここが江戸時代かのような感覚に襲われる。もしかしたら前から銀を運ぶ輸送隊が歩いてくるんじゃないか……そんなあり得ないことまでも妄想してしまう。
島根と広島の県境にある赤名峠では、毎年「国盗り綱引き大会」というお祭りが開かれている。その昔、石見銀山をめぐっては、島根側と広島側で争奪戦が繰り広げられた。その歴史になぞらえて、現在、備後国(びんごのくに・広島県)と出雲国(いずものくに・島根県)で綱引きの対抗戦を開催。勝ったほうが領土を1m広げることができるのだそうだ。そして、境界線の目印である赤名峠上の立て札を、実際にその分ずらしていくのだという。どうやって”消えた”旧街道を探り当てていったのか?
市町村ごとに街道マップなるものがあったりするのだが、それはあくまで観光用であって歩き旅をする人のために作られたものではない。歩き旅をするには精度が低すぎて、あまり頼りにできるものではなかった。
ただ、文献や資料を読んだり、地元の人に聞いたりしてわかったことがあった。「幅2m10cm」。これが旧街道を見つけるヒントだというのだ。銀を運びはじめた当初は人力だけだったため道幅は狭かったが、道具の発達によって馬車を用いるようになり、拡張されて2m10cmの幅になったという。
そして銀を運ぶという役割を終えた道は、いまはひっそりと生活道の一部となっていたり、町の裏通りにある小道になっていたりする。僕たちはGPSやいくつかの地図を組み合わせながら、「幅2m10cm」を目安に旧街道を探り当てながら歩いていく。これは、という道を発見すると、通りすがりの人に聞いてみる。ひたすらそれを繰り返す。すると次第に、「こっちが旧街道だろう」という感覚がさえてくるようになる。
銀山街道のなかでも「やなしお道」は、ハイライトと呼べるセクション。この道には、竹が伸びて道を覆ってしまうのを防ぐために、草木が生えないように地面を固める版築工法(はんちくこうほう)と呼ばれる昔ながらの方法が取り入れられている。草刈りの手間を減らしてトレイルを維持する先人の知恵が、今も街道に残っているのだ。街道版トレイルエンジェル&マジックに遭遇!
なにせルートもきちんとわからない道。スムーズに歩けないことは事前にわかっていたことだった。だから本番の2カ月ほど前にTRAILSとSHIMANE PROMOTIONで、下見を行なっていた。市町村の役場などもたずねて、「すみません、今日ここを歩いているんですけど、テントを張ったりして泊まれる場所はありますか?」と聞くこと多数。地域振興や観光振興系の課をたずね、ゼロから情報収集もした。
4日目の夜にテント泊をした場所は、廃校になった横谷小学校の校庭。もちろん、勝手に泊まったわけではなく、下見の際にたまたま出会ったそのエリアの自治会長さんが、泊まれるように手配してくれていたのだ。下見のおかげもあって、事前にお会いした地元の人々のご厚意に恵まれた。わざわざ手作りのお弁当を届けにきてくれたり、地元特産のアスパラをたんまりと持ってくれたり。インスタント食品に頼りがちな長旅で、手作りの食事やフレッシュな野菜は、願ってもないプレゼントだった。
これこそ、まさしくトレイルエンジェル(*1)&トレイルマジック(*2)だ!
*1 トレイルエンジェル:さまざまなシーンで、ハイカーをボランティアでサポートしてくれる人
*2 トレイルマジック:トレイルエンジェルが、ハイカーのために用意してくれる食料や飲み物
旅の締めくくりは、世界遺産にも含まれる古き良き湯治場、温泉津温泉(ゆのつおんせん)
尾道から石見銀山のある大森を目指して北上した今回の歩き旅。そこから車で少し移動して、ゴールは、銀山のある大森町を越えた先にある温泉津(ゆのつ)だった。ここは昔からの佇まいと風情をを残す湯治場として栄えてきた温泉街。かつて銀山から尾道までの陸路ができる前は、この温泉津にある沖泊(おきどまり)が銀を運び出す港となっていた。温泉津と沖泊。ここの場所が持つ、かつての繁栄を感じさせるパワーはものすごい。もしも銀山街道に訪れることがあれば、行ってみてほしい場所だ。
1300年の歴史をもつ元湯の薬効は折り紙つきで、歩き旅で疲れた僕たちのカラダを癒してくれた。温泉からあがったあとは、そのまま一同で温泉街の宿に。地酒の「開春」を酌み交わしながら、温泉宿のきもちいい畳の肌触りの上に、ひとりまたひとりと突っ伏していく。子どものような大人の旅は、こうして幕引きとなっていった。
「街道歩き」というと、歴史探訪やウォーキングのイメージが強い。もちろんそういう楽しみ方も素晴らしいが、僕が提唱したいのはロングハイキングという文脈での楽しみ方。
数ある街道のなかでも銀山街道は、いい意味で道が整備されていないのが奏功した。おかげで、道を探すために人に話を聞くことになる。必然的に地元の人とかかわらなければならなかったからこそ、想像以上の驚きや発見があったし、サポートしてくれる人も現れた。
僕がアメリカのロングトレイルを歩いていたときも、数多くの人から恩恵を受けた。ろくに英語も話せない東洋人に対して本当によくしてくれた。食事を振る舞ってくれたこと、泊めてくれたこと、行きたい場所までクルマで送ってくれたこと、トラブルを解決してくれたこと……挙げだしたらキリがないほどだ。密な関わりがあったからこそ、いまでも親交がつづいている人がたくさんいる。
だから、僕がロングトレイルを歩く理由は、自然を楽しむことよりも人との出会いを楽しむことにある気がしている。それはNIPPON TRAILにおいても変わらないし、むしろ日本語の通じる日本だからこそ、より多くの出会いが待っていると思う。
また、自分たちが道をつくっている、自分たちの旅をつくっている、という感覚を味わうこともできた。これは海外をはじめとした既存のロングトレイルでは、なかなかないことである。銀山街道だけに限らず、埋もれているローカルトレイルはまだまだあるはず。今回のような遊び方が全国でできたら、日本はもっとおもしろくなるはずだ。
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