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土屋智哉の10年 ウルトラライトとロングトレイル / (前編)ULハイカーの葛藤

2017.03.10
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文:根津貴央 構成:TRAILS

土屋智哉。トレイルズ読者には、もはや説明は要らないであろうこの男。ウルトラライトハイキングと言えばこの人あり。日本でウルトラライトを広めた立役者であり、東京は三鷹にあるハイカーズデポのオーナーである。しかし、ウルトラライトが誕生する母胎となったロングディスタンスハイキングに対して、土屋さんは常に挑戦と葛藤をくり返してきていた。それは率直に土屋さんの「コンプレックス」でもあった。

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2005年、2007年にULの道具で奥多摩奥秩父全山縦走をした土屋さん。カリッカリのULの可能性にチャレンジしていた。これから10年近くの時がたち、ULカルチャーは大きく発展した

「ULは軽量化のための軽量化(手段の目的化)という落とし穴にはまったのではないか」。「ロングディスタンスハイキングの本質を知らなければ、ULは語れないのではないか」。そんなULのアイデンティティに抵触するような、すれすれの問いかけを自分に課していた。しかし、現在の土屋さんは今まで以上に軽やかだ。その契機となった、昨年、一昨年にあった2つの出来事。1つは「中央ハイトレイル」と名付けた奥多摩・奥秩父から八ヶ岳・北アルプスまでのスルーハイク。もう1つはULの父であるレイ・ジャーディンとの鳥取での邂逅だ。

ウルトラライトは、ゼロ年代から本格的なムーブメントとして勃興してきた。それから現在までの10数年間という時間をかけて、極限までつきつめた軽量化の実験と、ロングディスタンスハイキングの本質への希求との間を、行ったり来たりを繰り返すことで現在の形へと到達してきた。そのウルトラライトの約10年の歴史は、そのまま土屋さんが、ウルトラライト専門店の開業を決意してから、現在にいたるまでの10年と呼応する。

だから、今このタイミングで土屋さんの10年間の個人史を語ることが、日本のウルトラライトのネクストステップを語ることにつながると考えた。今回の記事は、今年の初めに開催されたLONG DISTANCE HIKERS DAYで、土屋さんが話した「ロングトレイル・コンプレックス」という発表をもとに、歴史的なバックグランドや、発表後の土屋さんの所感や発言などを補足し、再構成されたものである。

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2008年のハイカーズデポの立ち上げ直前にスルーハイクした、ジョン・ミューア・トレイルにて。




ウルトラライトの母=ロングディスタンスハイキング



ウルトラライトハイキング(ULH)ーー。これは軽い荷物で山を歩く行為のことだが、何をもってウルトラライトというのか。そこには、ベースウェイト(水・食料・燃料などの消費材を除いたバックパックの重量)が10ポンド(約4.5kg)以下であること、という一定の定義がある。

−土屋 「ULHがなんで生まれたかというと、発端はロングトレイルなんです。アメリカの三大トレイル ー アパラチアン・トレイル(AT)、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)ー をスルーハイクしようと思ったら、半年くらい必要になる。それだけ長期間歩く上では、装備はシンプルなほうがいいし、軽いほうがいいわけです。それでULHが実践されるようになったんです」

1992年にレイ・ジャーディンが出版した『Pacific Crest Trail Hiker Handbook』(後に『Beyond Backpacking』『Trail Life』と改題)。数々のロングトレイルをスルーハイクした彼ならではのライトウェイトでシンプルな方法論こそが、ULHの始まりだった。
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ロングディスタンスハイカーが育んだウルトラライトハイキング。長い歩き旅の生活を、快適にすごすための道具として生まれてきた。(写真提供) 左:清水秀一/中:ハイカーズデポ/右:清水秀一

レイ・ジャーディンが自身の著作で語っていることは、自然の中を長い期間にわたってより快適に旅するための方法であり、そのときの道具との向き合い方に関する哲学だ。昨年、レイ・ジャーディンが来日した際にも、「Comfortable」(快適)であることが大事だと語っている。「道具は自然を味わうための手段だからね。なにより自然を楽しめるなら何を持っていこうとも構わない」。バックパッキングという自然の中を旅するスタイルは、レイ・ジャーディンのイノベイティブな軽量化の手段を得て、重さやそれにまとわりつくシリアスさから自由になり、その姿はバックパッキングというよりもハイキングと呼ぶにふさわしいものになった。それが「Beyond Backpacking(バックパッキングの先にあるもの)」というタイトルに込められた思いではなかったか。そう、「軽さ」自体が目的ではなく、そこから得られるメリットこそ、真摯に受け止めるべきだったのだが・・・。



週末実験室的なULへの熱狂。その中で逃げていくロングディスタンスハイキングの本質



ところが2000年代以降レイ・ウェイはどう変化し、どこに着地していったかというと、スルーハイクを目的とするロングディスタンスハイカーにではなく、ULそのものを目的とするウルトラライトハイカーに定着していく。
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土屋さんの2008年JMTスルーハイクのときの道具。”超”がつくほどのカリッカリのULスタイル。しかし現地で出会ったリアルなハイカーには、ここまでの”超”ULなスタイルの人はほとんどいかなったことに違和感を覚え始めた、という土屋さん。

−土屋 「2000年代の中盤から、ULというものがマニアの遊びになってくるんです。僕自身は、ULによってより長く歩けるはずだ!と思って、日本で縦走したり、ジョン・ミューア・トレイル(JMT)を歩いたり、自分のお店をオープンしたりしたわけです。2008年に歩いたJMTの時なんかは、バックパックの自重は180g、タープも自分が寝られるだけといった感じで、カリッカリのUL。でも、僕みたいな人はJMTにほとんどいなかったんですよ。リアルなスルーハイカーに “超” ULな人なんてほとんどいないんですよ。ここで矛盾がでてきちゃいました、どうしよう俺 !? みたいな感じなんですよ」
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バックパッキングライト(BPL):ULハイキングの情報を発信する米国のウェブサイト。ハイカーが集う各種のフォーラム(掲示板)では、グラム単位でのきりつめた軽量化のアイディアなども盛んに議論されていた。Pic via https://backpackinglight.com/

ライアン・ジョーダンが主宰するバックパッキングライト(BPL)が、手法としてのULの熱量を集める中心地となり、ULの方法論や道具に革新的な発展をもたらした。またULをロングディスタンスハイカーという限られた層だけでなく、多くのハイカーに触れる機会を作り、ULを入り口にしたあらたなハイカーが生まれていった。しかし、リアルなスルーハイカーに “超” ULが必要だったのかといえば、必ずしもそうではない。土屋さんはこの当時の自分を振り返り、ロングハイキングに必要なものとして生まれたULと、自分が没入したULとの違いに気づき始めていたという。

−土屋 「手段であったはずの軽量化が、目的になっていったんです。ULがデイハイクにおける数字遊びであったり、ウィークエンドで1〜2泊する際に『こんなに軽くできるぜ!』という競争的なものだったり。もちろん、これはこれでカルチャーとして楽しいし、ここから革新的な道具も生まれてきたんです。メーカーの研究開発(R&D)みたいなことを本気でやっていて、それが促した技術や手法の革新はすごかったんです。でも、僕自身はロングディスタンスハイキングにつながるものとしてULを始めたわけなので、いまのULって、ぜんぜん違うところにあるの?どうしよーみたいな。そんな葛藤が生まれてきたんです」

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BPL主宰のライアン・ジョーダン。日本でもULが盛り上がり始めた2000年代の半ば、日本の最先端のULハイカーも、彼の発信する先鋭的なULスタイルを熱心にチェックしていた。 Pic via http://ryanjordan.com/




「ホンモノ」のULって? 「ホンモノ」のロングトレイルって?



「自分がやってるULは手段に過ぎないのか? それは母胎であるロングディスタンスハイキングに通底する何かがあるのか? ホンモノのULって何?」という問いが土屋さんの頭のなかをぐるぐるとかきまわす。そして土屋さんが抱きはじめた矛盾や葛藤は、日本人のスルーハイカーが増えるにつれて、さらに大きなものになっていく。

−土屋 「日本人初のトリプルクラウンである舟田くん(舟田靖章)と親しくなったり、ハイカーズデポのスタッフの長谷川(長谷川晋)がPCTのスルーハイカーになったり、さらに他のロングディスタンスハイカーがウチの店に集まってくるようになったり。みんなULのエッセンスは取り入れてくれるんだけど、僕個人としてはなんとなく取り残された感が出てくるんですよ。自分もJMTを歩いてるんだけど、みんなのようにロングトレイルを歩いた感じはなかったんですよね。だから、お店のなかにいても、なんか僕だけ仲間外れというか(笑)。でも、このコンプレックスがきっかけで、ロングディスタンスハイキングで得られるものとは何か? を考えるようになりました」
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2010年頃、ULのスタイルを取り入れた日本人スルーハイカーも多く登場する。ハイカーズデポは、ロングディスタンスハイカーの集まるターミナルとなっていく。土屋さんは、そのようなロングディスタンスハイカーのリアルに触れることで、自身が体験してきたULハイキングとのギャップも感じるようになる。(写真提供) 舟田靖章

2010年前後からロングトレイルという言葉がメディアでも取り上げられ、日本でも認知されるようになっていく。でも、そもそもロングトレイルとは何なのか?どのくらいの長さがあればそう呼べるのか?は明確になっていなかった。そこで2011年、前述の舟田氏と長谷川氏の二人が話し合って導き出した定義が、『1回以上の補給をともなう距離、時間のハイキング』だった。

−土屋 「舟田くんとか長谷川の話を聞いていて、ロングトレイルの面白さっていうのはきっと補給にあるんだろうなと思うようになったんです。でも、JMTを13日間歩いた際に補給もしたんですが、どうもしっくりこなかった。なんでだろう? と思ったときに、期間が足りないんじゃないかと。1カ月以上、800㎞以上歩けば違うんじゃないかと思ったのです」

そして土屋さんは、2011年、2012年と連続でコロラド・トレイル(CT)に足を運ぶ。歩いた距離は800㎞、日数は25日にもおよんだ。

−土屋 「CTを歩いて気づいたのは、大事なのは補給をすることよりも内面における変化だということ。それは山と街との関係の変化です。ロングディスタンスハイキングでは補給が必要なので、ずっとウィルダネスというわけではありません。自然のほかに人との関わり、街での出会い、文化との触れ合いがあるわけで、そういう山と街との関係をどうとらえるかが重要なのだろうと思ったんです」



ロングディスタンスハイキングで経験する「非日常の日常化」を求めて



土屋さんが気づいた山と街との関係性の変化。これに関して、舟田氏は「日常と非日常の逆転」と言い、長谷川氏は「非日常の日常化」と表現した。
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ロングディスタンスハイカーの「日常」。土屋さんはジョン・ミューア・トレイルでも、コロラド・トレイルでも、ロングディスタンスハイカー特有の日常感覚を得ることができなかったことで、葛藤が深まっていく。(写真提供) 舟田靖章

土屋さん自身は、JMTおよびCTを歩いた際に、そういう感覚は得られなかったと語る。でも、自分自身の体験と照らし合わせて、ロングディスタンスハイキングにおける4つの内的要素を導き出した。

−土屋「まずは『日常と非日常との連続性』。次に、この行為自体は誰もができることなので『特別ではない普通のこと』。そして、長期にわたる行為ゆえがんばりつづけるのは難しいため『がんばらなくなる』『気負わなくなる』。これらの感覚を見出せれば、たとえ半年間にもおよぶスルーハイクをしなくても、ロングディスタンスハイキングの楽しさが味わえるんじゃないかと考えたのです」

「ロングディスタンスハイキングの本質を知らずして、ホンモノのULを語れるのか」そんな葛藤のなかで見えてきた、解答を示すぼんやりとした光。そこにウルトラライトの本質と、ロングディスタンスハイキングの本質とを結びつける、ミッシングリンクがあるのではーー。

(後編につづく: 週末UL実験室の終焉とUL2.0)

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WRITER
土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京・三鷹にあるウルトラライト•ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト•ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョンミューアトレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。
著書 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)

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