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土屋智哉の10年 ウルトラライトとロングトレイル / (後編)週末UL実験室の終焉とUL2.0

2017.04.05
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文:根津貴央 構成:TRAILS 写真提供:ハイカーズデポ

「UL級軽量化」が当たり前に実現できるようになった今、ウルトラライト(UL)が私たちにもたらしてくれるものは何だろうか。土屋さんは「ULの出自であるロングディスタンスハイキングの本質を知らずして、ULの本質を語れるのか」という問いかけをくり返してきた。そのなかでゼロ年代のUL1.0の渾然とした熱狂の時代を経て、現在の土屋さんは、ULがもたらしてくれる本来の価値を気負いなく見つめている。今はUL1.0的な時代ではなく、あきらかに次のステージにはいった。UL1.0への懐古でなく、現在の視点でウルトラライトの楽しさを享受するために「UL2.0」という名前を使った。

本稿は土屋さん個人の、ロングディスタンスハイキングの葛藤の軌跡を追いつつ、「UL2.0とは何か」というアクチュアルなULの現在地について語られたものである。それは同時に、土屋さんの道具論、ハイキング論の現在地を語るものとなった。

前編から続き、LONG DISTANCE HIKERS DAYでの「ロングトレイル・コンプレックス」という土屋さんの発表を再構成した内容に加え、本レポートでは「UL2.0とは何か」という土屋さんへの追跡インタビューを加えたもので構成した。

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2016年、鳥取に来日したレイ・ジャーディンと対面した土屋さん。「軽さ」だけではない「シンプル」をベースにした道具に対するレイの哲学を聞き、ULの本質に立ち返る。(写真提供) Ryu Katsumata




ULはロングトレイルでも使えるんだ、という証明だけではおわれなかった




本稿の前編でも触れたように、ゼロ年代に興隆したUL1.0の時代は、大きく2つの流れがあった。ひとつはロングディスタンスハイキングのための、軽くてシンプルな道具という流れ。これは自然のなかで長い歩き旅をしたいというモチベーションにより駆動していた。もう一方で、バックパッキングライト(BPL)に代表されるような、極限的な軽さを求める実験的な道具の進化という流れがあった。これは道具やスタイルの革新性を求めるモチベーションによって駆動していた。この2つの流れが一緒くたとなって、UL1.0はあらたなバックパッキングのムーブメントとして成長していった。

しかし「軽さ」というわかりやすい基準を前に、この2つの動きは目的やモチベーションが混合して発展してきた。むしろ渾然一体となった動きに魅了されるなかで、土屋さん自身も、軽さの実験と、ロングディスタンスハイキングの本質との関係性をつかみきれず、ある種の負い目を感じていくこととなる。

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2005年頃。ULの装備で、奥多摩奥秩父主稜線の縦走路を歩く土屋さん。

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2008年ジョン・ミューア・トレイルでの土屋さんの道具。「ULってほんとに使えるの?って議論がまだまだ多かったときなんで、使えるんだよ!っていうのを本場で証明したかったんです」(土屋)

土屋さんの現在にいたるまでの約10 年のなかで、トピックとなるロングディスタンスハイキングを以下にリスト化してみた。

2005年 奥多摩奥秩父主稜線/80㎞・3日間
2008年 ジョン・ミューア・トレイル(JMT)/340㎞・13日間
2011年 コロラド・トレイル(CT)/640㎞・19日間
2012年 コロラド・トレイル(CT)/160㎞・6日間
2014年 100マイルズ・ウィルダネス(アパラチアン・トレイル)/240㎞・10日間
2015年 中央ハイトレイル(CHT)/300㎞・16日間

−土屋 「2005年当時は、ネットの掲示板とかでULはすごい叩かれていたんですよ。僕はふざけるな!ULは使えるんだ!って思ってたので、それを試すために奥多摩奥秩父の主稜線を歩きました。要は実験なんで、ハイキングが楽しいというよりも、ULの証明に一生懸命になっていたんだと思います(苦笑)。JMTもそう。ULってほんとに使えるの?って議論がまだまだ多かったときなんで、使えるんだよ!っていうのを本場で証明したかったんです」

2005年奥秩父縦走〜2008年JMTまでは、ULは使える道具だ、という証明のためのロングハイキングだった。ハイカーズデポ開業から3年ほどたった頃、ULも一定に認知を獲得し、ULの有用性を示す実験的なハイキングの必要性も薄れてく。2011年のコロラド・トレイル以降は、「UL誕生の母体となったロングトレイルの旅とは何か」というリアルな体験をすることが、あらたな旅の目的となった。

−土屋 「この頃は舟田くんとか長谷川とかが言う、リアルなロングディスタンスハイキングっていうものを、自分もきちんと実感しようという思いが強かったんです。それで2011〜2012年のコロラド・トレイルとその後のアパラチアン・トレイルのセクションハイク。ただこの頃は、街で補給しながら、トレイルと街をつなぐ旅さえすればロングディスタンスハイキングになるのかな?と思っているふしがあるわけです。でも補給をしながら一定の長さを歩いたけれど、『日常と非日常の逆転』とか『非日常の日常化』みたいなスルーハイカーたちが話していたロングトレイルの醍醐味が味わえない。体感知としてわかんない!って言うのが、このときの正直な感想だったんです。だから帰ってからも悶々としているわけです…」

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ULの証明のためのハイキングというステージを通過し、ULスタイルでのリアルなロングトレイルの旅を求めて歩いたコロラド・トレイル(2011〜2012年)。しかしスルーハイカーの実感をつかみきれずに帰国することに…




土屋さんのUL前史。目的とチャレンジが前面にあった探検部時代。




土屋さんが、スルーハイカーの話から汲み取った、ロングディスタンスハイキングの4つの要素。「日常と非日常との連続性」。誰もができる「特別ではない普通のこと」。長いがゆえ「がんばらなくなる」「気負わなくなる」こと。それはおそらくは、純粋なハイカーであればジョン・ミューア・トレイルやコロラド・トレイルでも、十分に味わえることだと土屋さんは言う。問題はトレイルや距離ではなく、土屋さんのなかで積み重なってきた歴史だった。

−土屋 「振り返ってみれば個人旅行とか自分のための旅っていうのが、僕にはほとんどなかったんです。僕は学生時代から山をやってるんで、今まで25年間くらい山やってるんですよね。昔は探検部で、洞窟調査とかで海外遠征はよく行っていたんです。アラスカ、ニューギニア、東チベットとか。2~3ヶ月にわたって海外に長くいるという経験もたくさんしている。ただ、それがぜんぶ旅行じゃないんですよ。目的がある遠征だから。計画書をつくって、トレーニングして、渉外やって、許可証とって、隊員のマネジメントもやって。お仕事だし、充実感もあった。ただ、すべてが目的をもっていく旅だったんです」

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学生時代からずっと土屋さんのアウトドアの旅には、明確な目的があった。ULに衝撃と可能性を感じたあとも、「ウルトラライトのための」旅を続けた。それがロングトレイルのリアルを体感したいと思ったときに、知らずのうちに邪魔をするようになっていた。

−土屋 「その性分みたいなものは、自分のなかにずっと残っているので、実は今までやってきたロングディスタンスハイキングも、自分個人の旅をしているようでも、ぜんぶ実験とか、目的が強すぎるんです。山や自然を楽しむとか、歩くことを楽しむとか、そういうのって感じてはいるけど、そこじゃない目的があまりにも強すぎたんですよね」

土屋さんの2014年までのハイキングトリップは、ULの実験だったり、ロングディスタンスハイキングの体感だったりと、そのすべてに目指すべき目的がしっかりとあった。目的が強すぎたことが、ロングディスタンスハイキングの本質を見えづらくしていた。そのことに気づいたのは、2015年の中央ハイトレイルの旅だった。



母国日本でのロングディスタンスハイキングが教えてくれたこと




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−土屋 「2015年に歩いた奥多摩奥秩父〜北アルプスまでの中央ハイトレイルは、原点回帰のULスタイルで日本を長い距離歩こうということは決めていたんです。でも今までのような強い目的はなかったんですよ。でも目的がないことに慣れていないので、前半はどうしていいかわからなくて戸惑っていて。でも、後半からすごく楽しくなって。たぶん目的がないことに慣れたのかなって。それが自分にはすごく新鮮だったんです。今日はビール飲みたいから山小屋泊まろう!とか、今日はこの谷を下りたところにタープ張ろう!とか。森の中でコーヒーを飲みながら横になって一服したりとか。とにかく自由で楽しかったんですよね。この感覚がロングハイクをした人と同じだったのかなぁって思いました」

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言葉も文化もわかる母国日本でハイキングをする楽しさ。日本の山や自然、その間にある街や宿を、気負いなく楽しむロングハイクをしたときに、土屋さんは本当に自然体のULハイカーになっていたのだろう。そこにはULの有用性を証明する実験もなく、本場アメリカのロングトレイルを知るという目的もなく、ただULスタイルで日本をハイキングする土屋さんがいた。

半年間にわたるスルーハイクでなくても、ULの道具と思想は、ロングディスタンスハイキングの本質的な体験を与えてくれる。日本の中央ハイトレイルの旅は、土屋さんにそのことを教えてくれた。「日常と非日常との連続性」「特別ではない普通のこと」「がんばらなくなる」「気負わなくなる」というのは、ULの軽さがもたらしてくれる旅の自由であり、言葉も文化もわかる母国日本だからリラックスできる「心の軽さ」が気づかせてくれたハイキングの本質だった。

【次へ:UL2.0 土屋さんの道具論、ハイキング論の現在地】


WRITER
土屋智哉

土屋智哉

1971年、埼玉県生まれ。東京・三鷹にあるウルトラライト•ハイキングをテーマにしたショップ、ハイカーズデポのオーナー。古書店で手にした『バックパッキング入門』に魅了され、大学探検部で山を始め、のちに洞窟探検に没頭する。アウトドアショップバイヤー時代にアメリカでウルトラライト•ハイキングに出会い、自らの原点でもある「山歩き」のすばらしさを再発見。2008年、ジョンミューアトレイルをスルーハイクしたのち、幼少期を過ごした三鷹にハイカーズデポをオープンした。現在は自ら経営するショップではもちろん、雑誌、ウェブなど様々なメディアで、ハイキングの楽しみ方やカルチャーを発信している。
著書 『ウルトラライトハイキング』(山と渓谷社)

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