ヘキサトレック (Hexatrek) | #08 トリップ編 その5 DAY48~DAY64 by Beyoncé(class of 2023)

文・写真:Beyoncé 構成:TRAILS
ハイカーが自らのロング・ディスタンス・ハイキングの体験談を綴る、ハイカーによるレポートシリーズ。
今回は2023年に開通間もないフランスのヘキサトレック (Hexatrek) をスルーハイキングした、トレイルネーム (※1) Beyoncéによるレポート。
全8回でレポートするトリップ編のその5。今回は、ヘキサトレックのスルーハイキングのDAY48からDAY64での旅の内容をレポートする。
※1 トレイルネーム:トレイル上のニックネーム。特にアメリカのトレイルでは、このトレイルネームで呼び合うことが多い。自分でつける場合と、周りの人につけられる場合の2通りある。
ヘキサトレック:Hexatrek。フランスを中心にアルプスやピレネーの高山地帯、ヨーロッパの田舎町などを通る3,034kmのトレイル。2022年にオフィシャルに開通したばかりで、世界でも日本でもまだ情報が少ないトレイル。スルーハイキングに要する期間は3~5ヶ月。Beyoncéは、北端のヴァイセンブルク (Wissembourg) からスタートして南端のアンダイエ (Hendaye) を目指すSOBO (サウスバウンド) で歩いた。
早50日。エギュイユ山の圧巻の景色からローヌ地方のワイン畑へ。 (DAY48〜DAY50)
左の山はHexatrekのエンブレムにもなっているMont Aiguille(エギュイユ山)。
遠くの山が朝日を浴びているのを横目に準備をして出発。
緑深い林の中を10km弱歩き、少し上った先で小砂利がゴロゴロとした道と合流した。そこから左右にトラバースしながら上っている最中に雨が降ってきて、目の前を霧が覆った。霧が晴れると、10時の方向にどでかい一枚岩のような山 (エギュイユ山) が出現。人間を寄せ付けない圧倒的な存在感に何度も目を奪われた。
その後もカルストの地形や、両側が切り立った崖といったインパクトの強い場所を通ったが、この日のハイライトは間違いなくエギュイユ山だった。
ディの町並み。
翌日は31km歩いた。
その間に、シャティオン=アン=ディオワとディという2つの町を通過した。ディではスーパーで食料調達をして町のキャンプサイトに泊まる予定だったが、まさかの予約いっぱいで宿泊できなかった。せっかく奮発して好きなビールを2本買ったのに台無しだ。
町の宿には泊まる気にならなかったので、仕方なくトレイル歩きを再開し、つづら折りの砂利道のスペースにテントを張り、ビールを飲みながら一夜を過ごした。
ワイン畑と小さな村。
50日目。日にちを意識してなかったので50日過ぎた実感がない。考えているのは毎日の歩く距離くらいだ。
南アルプスは既に通過したので、標高はそこまで上がらない。5時間ほど歩くとワイン畑が一帯に広がるエリアに到着。ワイン畑はステージ1のアルザス地方以来なので懐かしい。このステージ3の後に連休を取ると決めているから、ここローヌ地方のワインを飲むとしよう。
ワイン畑近くのレストランでアイスを注文し、無くなったバッテリーの充電をさせてもらった。ある程度の充電確保に時間を費やし、思ったより長居してしまった。その分、この日は20時過ぎまで歩いた。
1,500km突破、そしてステージ3も終了。 (DAY51〜DAY52)
ブルドーの町並み。
この日は朝から600mの上り。ピークのル・シグナルでは濃霧のせいで何も見えず、さらに強風と雨で視界も悪くなり急いで下り道を進んだ。雨が止んだ頃にブルドーに到着。シックな色の建物が並ぶ町で、ゆっくり散策しようか悩んだが、さっさとステージ3を歩き終えたかったので先を急いだ。
長い下り調子の道の途中に、石で並べられた「1600」の文字を発見。本来は1500km通過を示すサインなのだろうが、誰かのイタズラだろう。1500km地点に着いた時の率直な思いは、疲れてネガティブ思考だったこともあり「ここまで来たんやー、でもまだ半分もあるのか」だった。
この日は35km歩き、デュールフィという町の私有地ではなさそうな芝生スペースで野営をした。
ヘキサトレック・ハイカーしか分からないであろう文字。
昨夜から発生した強風は、翌日も続いた。歩き始めはその風を涼しく感じていたが、強さが台風並みになってくるとさすがに耳障りになってきた。「うるせー!!」と叫んだが、風は聞いちゃいない。叫びは空に消え、代わりに周辺の風車が忙しく回り始めた。
ステージ3完歩のお祝いにビールと抹茶プリンを購入。
特に目を見張る景色はなく黙々と歩き、46km歩いたところでステージ3の終着点に到着。
一心不乱に歩いたからか、達成感はないというか何も感じない。来た道を少し戻ったところにあった小さな公園にテントを張り、目覚ましタイマーをセットせずに目を閉じた。
5泊6日の長いゼロデイを取り、彼女と過ごす。 (DAY53〜DAY58)
リヨンの街並み。
翌朝、公園を出発し、ヒッチハイクと鉄道を使って北東150kmに位置するグルノーブルへ移動した。そこで日本から遥か遠いこの地まで会いに来てくれた、当時の彼女で今の奥さんと再会した。
5日間のゼロデイでは、グルノーブルを拠点に2人で地元のスーパーに行ったり、リヨンまで日帰り旅行に行ったり、知人おすすめのイタリアンやフレンチレストランに行ったりと、トレイルのことを忘れ、リラックスしながら充実した日々を過ごした。
気心知れた彼女とフランス旅行なんて、自分の人生にこんな展開が待っていたとは。来てくれて本当にありがとう。
ある日のディナー (仔羊のソテーとサラダ)。
58日目。グルノーブルのバス停で彼女と一旦解散し、私はステージ3の終着点(ステージ4の出発点)へ向かった。
この日は町中の舗装路を14km歩き、道脇の小さなスペースでこっそり野営をした。
暑さと癒しと。日本人の旅人と出会い宿に泊まる。 (DAY59〜DAY61)
アルデシュ渓谷。
朝から3時間ほど舗装路を歩き、アルデシュ渓谷に到着。渓谷脇の狭い茂みや岩場を進んでいく。標高は200m位とかなり低く、気温も35℃超。暑さに弱い自分としてはアルプスよりも過酷な環境だ。
その途中、ヌーディストビーチのエリアを通った。全員が真っ裸の中、無精ヒゲを蓄えた汚い格好のアジア人が現れ、ピンと空気が張り詰めたのが逆に面白かった。
さらに二度の渡渉も経験し、舗装路に戻る頃には既に夕闇が終わっていた。
日陰のない道。
翌日も茹だるような暑さが続いた。特に15時くらいが最も暑く、日陰で休まざるを得ないくらいだ。夕方になって、熱中症のような症状で左手が攣 (つ) ってきたので、レ・ヴァンという町の小さな教会で一時間休んだ。目の前にピザ屋があったが、全く惹かれなかった。
暑さが弱まった頃に再出発し、上り調子の舗装やダートロードを歩いた。野営地探しに苦労したが、21時に蛇行している道路脇のスペースで野営した。
61日目、テント場から見る朝の景色。
61日目は久々に上りの多い一日だった。しかし、標高が1,000mを超えたおかげで熱中症の心配もなかった。
18時にレストラン兼民宿で水をもらっていると、店員から「ここに日本人いるよ、ちょっと待ってて」と引き留められた。そこで出会ったのがケンさんだ。40-50代くらいの男性で、自転車旅の最中にケガをしてしまい、治るまでの間この民宿で働くらしい。
空室があったので無料で一泊させてもらった。
今日は宿の空室があるらしく、ケンさんから無料で部屋を提供してもらった。冷たいシャワーを浴びた後、何をするでもなくベッドでゆっくり過ごし、そのまま眠った。
イライラが募り、ヒッチハイクで逃走。 (DAY62〜DAY64)
昼までお世話になった民宿。
早朝、コーヒーを飲みながらのんびり過ごす。手の空いたケンさんと会話。自転車旅、登山事情、お互いのこれまでの道のり、そしてこれからのことを話し、別れ際に記念撮影をして宿を後にした。
比較的フラットな道が、ダートロードから草むら、川沿いへと表情を変えながら続いていく。ル・ポン=ド=モンヴェールでパンを買い、橋の下で休憩。観光客が水浴びしてはしゃいでいた。静かに休憩したかったが、騒がしかった。
遠くから水浴びの様子を眺めた。
休憩後、町から300m上った芝生エリアにテントを張り、ケンさんと話したことを思い出しながら夕食を摂った。
翌日は20km歩き、セヴェンヌ国立公園の中心に位置するフロラックで観光しながらリサプライをした。その後、もう一つ町を通過し林の中を歩いた。20時でも外はまだ明るく、まだ歩く体力は残っていたが、先に野営できそうな場所がなかったので34km地点の川沿いスペースにテントを張った。
サン=テミニーの町。
64日目。午後にサン=テミニーからカヌーでトレイルを進むというイベントデーだったが、12km先のカヌーの受付場所に着いた時には、参加者もガイドも既に出払っていた。間に合わなかった‥。
町の中心地に戻ったが、ステージ4に入ってから観光客や町へ下りる頻度の多さにイライラが募り、ついに爆発した。翌日のカヌーを諦め、一刻も早くこの町から離れて静かな場所に行きたい一心でヒッチハイクをした。
18時ごろにヘキサトレックハイカーのデニーと出会った。SNSでお互いのことは知っていて今日一緒にカヌーをする予定だったが、それは叶わなかった。
カヌーセクションを道路脇から見下ろす。
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