TRAILS REPORT

NIPPON TRAIL #04 富士講 〜【前編】旅のコンセプトはこうして生まれた

2018.04.11
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文:根津貴央 構成:TRAILS

富士講と聞いてピンとこない人も多いかもしれない。それもそのはず、これまで3回の連載ではいずれもタイトルが道の名前だった。たとえ聞いたことのない道だったとしても、過去に使われていたのだろうな、と想像くらいはできただろう。

でも今回は違う。富士講とは江戸時代に盛んに行なわれていた富士山の信仰登山。数多くの人が江戸から富士山を目指して1週間ほどの旅にでていた。畏怖の念をいだき遠くから拝む山でもなく、近代登山のような登るためだけの山でもなく、「歩いて富士山を目指す」という行為に僕たちは強く惹かれた。

いまや富士山に行くといえば電車やクルマを利用するのが当たり前。でも、昔は数日かけて歩いていたのだ。富士講においては、その歩くというプロセス自体に非日常感があり、それが旅そのものだった。

つまり、今回のテーマは富士山。当初、富士山というすでに完成されたイメージのある山を扱うことに、編集部内で意見が分かれた。しかし、富士講をモチーフに検討を進めるうちに、TRAILS的なロングハイクのイメージが沸々とわきあがってきた。そして、江戸・東京を代表する高尾山から富士山まで、山と町をつなぎながら歩く旅のコンセプトができあがった。

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ちなみに僕たちが実践しているNIPPON TRAILは、すでに企画段階から旅が始まっているといっても過言ではない。そして、旅そのものと同じくらいプランニングを楽しんでいる。

そこで今回は、前編・後編にわけて、富士講にインスパイアされた背景から実際の旅の様子まですべてをお届けしたい。はじめに断っておくと、別段、企画のテクニックとかノウハウがあるわけではない。編集部内の議論の模様も含め、この旅のコンセプトがどうやってできあがったかを、楽しんでもらえたらと思う。僕たちの試みを通じて、読者のみなさんのハイキング欲や旅欲をちょっとでも刺激できればうれしい。


江戸の庶民が熱狂した富士山を目指す旅


富士山諸人参詣之図

江戸時代の富士講を描いた絵図。登山者で溢れる富士山の様子から、その熱狂ぶりをうかがい知ることができる。「富士山諸人参詣之図」二代歌川国輝。(ふじさんミュージアム所蔵)

僕たちは、かつて江戸の人々が富士山を目指して歩いていたことを知り、まずはその歴史を紐解いてみることにした。源流に触れることこそが僕たちの旅の出発点になると思ったのだ。

古来より富士山は畏れ崇める対象であり、山そのものが神とされていた。そのため遠くから「拝む山」だったのだが、時代とともに修験者などが修行のための「登る山」として捉えるようになり、その意味合いが変わっていった。

江戸時代に入ると、東海道、甲州街道も含む五街道が整備され、街道沿いの宿場町も発展し、民衆の旅のインフラも整っていく。そして登拝による富士山信仰が大流行したのが江戸中期。富士講の開祖とされる角行(かくぎょう)が教義をまとめ、広めたのがきっかけだった。「講」とは富士登山をする有志のグループのこと。当時、富士登山は現代とは比べものにならないほど費用がかかったため、講のなかで積立金を貯めて旅をする仕組みができあがった。

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講ごとに作られた「マネキ」と呼ばれる旗。富士講というムーブメントを象徴するアイテムのひとつ。ふじさんミュージアムには、富士講の歴史、旅の道具など、当時を知ることのできる豊富な展示物がある。一見の価値あり。(ふじさんミュージアム所蔵)

江戸時代の末期には、「江戸八百八町に八百八講」という言葉が生まれた。つまり、江戸のどの町にも富士講があったといわれるほど、庶民の間で富士山信仰が盛んになったのだ。多くの人が江戸の日本橋を起点に、甲州街道を歩き、大月から富士みちを経て、登山口のある富士吉田(上吉田)へと向かった。

その富士吉田で、登拝する人の世話をしたのが御師(おし)である。食事や宿泊場所の提供に加え、祈祷も行なうなど、富士山信仰を広める役割を担っていた。江戸時代末期、御師の家は、上吉田においておよそ1㎞の道の両脇にひしめくように86軒もあった。なお、今も宿泊できる御師の宿は、上吉田の町に3軒ある(筒屋、大国屋、大鴈丸)。

庚申年冨士山参詣群集之図2

右下に描かれた鳥居に注目。この鳥居から先が、富士吉田の御師(おし)の宿が並んでいる上吉田のエリア。多くの人が江戸から富士山を目指し、麓の富士吉田を目指した。そこで祈祷や登山の支度をして、富士山登拝に向かった。「庚申年冨士山参詣群集之図」歌川芳藤(ふじさんミュージアム所蔵)


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上の絵図で描かれた富士吉田の鳥居。昔は、ここから先に御師の宿がずらっと何十軒も並んでいた。今も数軒の御師が、現役の宿として富士講の人々を受け入れている。この鳥居は、聖なる世界と俗界とを分かつ結界でもある。富士講の人々にとっては、ここをくぐれば「聖地」に入ることを意味した。


世界一の高尾山から日本一の富士山へ


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そもそも、この企画が産声をあげた当初、TRAILSの編集長・佐井は、あまりにメジャーで観光登山のイメージが根強い富士山を扱うことに抵抗があった。わざわざTRAILSで扱うだけの意義や面白さを感じられなかったのだ。富士講の話は興味深いが、自分たちの旅として実行する必然性を見いだせずにいた。

一方、編集部の小川は仕事の関係で、以前から頻繁に富士吉田に通っており、他の編集部メンバーよりも、この旅の潜在的な面白さを感じていた。小川は、富士吉田の町が持っているエネルギーに惹かれていた。高度成長期には、富士山麓の水資源を活かして織物産業が爆発的に町をうるおし、「新世界通り」「ミリオン通り」など日本有数の歓楽街もあった。

そして何度か足を運ぶうちにそこが御師の町として栄えたことを知り、富士講に興味を抱いた。「かつて日本橋から富士山をつなぐ道があったのか。これを今、自分たちの感覚で歩き直してみるのも面白いんじゃないか?」。そう思い、下図を編集部に持ち込んだ。

富士講ルート図

日本橋からはじまる甲州街道をメインにした富士講のメジャールート。江戸時代末期に版行された『富士山道しるべ』をもとにかつてのルートを現在の地図に照らし合わせて、江戸・東京からの登拝路を再現した図。ふじさんミュージアム刊行の書籍「富士山道しるべを歩く 改」より。

この日本橋から始まるかつての旅のルート図を見て、編集長・佐井の頭のなかで旅の構想が芽生えた。TRAILSのオフィスは、江戸時代につくられた五街道の起点である日本橋にある。実は、江戸時代の日本橋の人々が発していたエネルギーやそこから生まれたカルチャーに感化されて、2016年12月にあえてオフィスを移転したのだ。ここを出発点にした江戸から富士山への旅が富士講だったのか。これを自分たちのロングハイクという旅の方法で置き換えたら、TRAILSクルーが歩く必然性のある面白い旅になるかもしれない。

とはいえ、当時歩かれていた道はいまやほとんどが舗装路になっているし、そのままなぞるだけではつまらない。街道歩き、古道歩きとしては楽しめるだろうけど、NIPPON TRAILとして、ロングハイキングとしては楽しめそうにない。富士講自体は興味深いけど歩くには……編集部内でも意見はわれていた。

できれば山道をメインにしたい。そう思い、何の気なしにホームマウンテンでもある高尾山について調べてみた。高尾山が人気の山であることはいわずもがなだが、あらためて調べてみると、年間登山者数が270万人にものぼることがわかった。実はこの数字は、世界一の登山者数!しかもギネスブックにも認定されているとのこと。

「世界一の高尾山から日本一の富士山へ」

現在の江戸を代表する山である高尾山をスタート地点とすることで、自分たちなりの富士講を体現できるのではないか。TRAILSクルーも、この旅のプランに前のめりになってきた。


始点と終点は決まった。それをどうつなぐか、ここがプランニングの醍醐味だ。


江戸・東京から富士山を目指す。世界一の高尾山と日本一の富士山をつなぐ。ロマンを感じるルートではないか。

しかし、グーグルマップでルートを検索してみると、甲州街道をたどれば「15時間」で歩ける、という検索結果が表示された。ロングハイクとしては、これでは2〜3日で終わってしまうし、舗装路ばかりで飽きてしまいそう。さてどうしたものか。そこで書棚から山と高原地図の高尾・陣馬、富士山の2つを取り出し、机の上に広げてみた。

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「高尾山・陣馬」と「富士山」の地図をつなげてルート計画をつくっていく。見れば見るほど、たくさんのルートが描けてしまう。しかし、12月末の旅ゆえ、冬季閉鎖のキャンプ場が多いのが課題でもあった。

高尾山と富士山に挟まれた山域はさまざまで、丹沢もあれば、奥多摩もあるし、秀麗富嶽十二景もある。とにかく選択肢はたくさんあった。そのなかで僕たちが目を付けたのは、道志渓谷だった。高尾・陣馬の地図を見ていて、道志村の北側に渓谷沿って低山が連なっていることに気づいた。今ではメディアでもほとんど紹介されない山域だが、そこに知られざる山道が潜んでいそうだった。くわえて、道志渓谷沿いの道は江戸と富士山の麓町を結ぶ旅路でもあり、実は甲州街道の裏を通るもうひとつの主要ルートだったということにも興味をひかれた。

道志を抜けたら、御正体山、石割山、扚子山を通って富士吉田に降りて富士山へと向かう。

正直、地味なルートだ。でも、そこがこの旅の真骨頂でもある。奥多摩と丹沢の二大山域に挟まれ、ひっそりと佇むこのエリアにこそ、なにか底知れぬ魅力が隠されている気がした。

そしてこの旅のプランを決定づけたのは、ちょっとした遊びからだった。編集部の小川が、ルートを描いたグーグルマップをなんとなく90度回転させてみたのだ(下図参照)。すると、高尾山から富士山へと上に向かって延びていく一本の線が、くっきりと浮かび上がった。編集長の佐井も、このマップを見て心が大きく動いた。

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Google Earthをフル3Dモードで、東京から富士山へ向かう道すじを描いた。高尾山の奥に広がる山々をつなげれば富士山まで歩いていける。そんな想像を具体化することができた。

手前の関東平野に江戸の町が広がり、高尾山を山の玄関口としてそのままずっと山と町をつないで歩いていけば “これぞ日本の象徴” 富士山にたどり着く。少しだけ、江戸時代の日本人が富士山を目指したくなった気持ちがわかった気がした。これで江戸から富士山を目指すロングハイキングの構想の解像度が一気に上がった。この感覚があれば、TRAILSクルーなりの富士講ができると確信がもてた瞬間だった。


テント泊にこだわらず里の宿も利用し、ローカルの文化に浸る。


ルートは決定した。日程としては4泊5日で富士吉田に到着し、6日目に富士山(5合目まで)に登るのが良さそうだ。

FujikoMAP

高尾山から富士山まで89km、6日間のロングハイク。高尾を出発して青根までは東海自然歩道を通る。その後、道志の稜線をたどって富士外輪山へ。杓子山から富士吉田に降りて、さいごに富士山5合目を目指す。

5日目は富士吉田の宿に泊まるとしても、今回はほとんどが山道ということもあり、そこまでの4泊はすべてテント泊ということも可能だった。でも、あえてそうしなかった。なぜなら僕たちは、チャレンジングな山行をしたいわけでも過酷な旅をしたいわけでもなく、山も町も、人との出会いも、その土地の文化も楽しむロングハイキングをしたいからである。

結果、4泊中2泊は宿に泊まることにした。宿泊の最初は1日目。高尾山を越えて相模湖の近くにあるビジネス旅館もみぢ。この字面、響きだけでもう泊まらずにはいられない。次は3日目。道志渓谷沿いある日野出屋旅館。ここはご主人が元猟師で、イノシシや鹿の料理が食べられるとのこと。山旅の途中でローカルの猟師料理を味わえるなんてそうそうあるものではない。

ちなみに、この富士講ロングハイクは2017年の年末企画で31日の大晦日に富士山に登るプラン。下山後そのまま家路につくこともできたが、富士吉田には北口本宮冨士浅間神社がある。せっかくだからと、もう1泊して初詣をすることにした。


いざ、高尾山へ!通い慣れた高尾山が、別もののように思えた。


幾度となく足を運んでいる高尾山。いわばホームマウンテンが出発地点だ。でも、今回はいつもとは心持ちが異なる。これまでは高尾山の山頂がゴールだったが、今回はそこがスタートなのだ。ここから旅が始まる。ここから富士山へと向かうストーリーが始まる。そう思うと、通い慣れた高尾山が、また別もののように思えてくるから不思議だ。

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実は高尾山の薬王院の裏には、富士浅間社がある。いくら江戸の庶民に富士講が人気だったとはいえ、誰もがその長旅の機会を得られたわけではない。富士登拝ができない人もたくさんいた。その人たちは、富士山に行く代わりにこの高尾山の富士浅間社を拝んでいたそうである。

僕たちは心静かに参拝した。江戸から歩いて富士山を目指す僕たちの富士講ロングハイクが幕を明けた。

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【後編へ:5泊6日の旅のストーリー。高尾山から富士山までのロングハイクのレポート。

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WRITER
根津 貴央

根津 貴央

1976年、栃木県宇都宮市生まれ。幼少期から宇宙に興味を抱き、大学では物理学を専攻。卒業後、紆余曲折を経て広告業界に入り、12年弱コピーライター職に従事する。2012年に独立し、かねてより憧れていたアメリカのロングトレイル「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT/総延長4,265km)」のスルーハイクのために渡米。約5カ月間歩きつづける。2014年には「アパラチアン・トレイル(AT/総延長3,500km)」の有名なイベント「Trail Days」に参加し、約260kmのセクションを歩く。同年より、グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)を踏査する日本初のプロジェクト『GHT Project(www.facebook.com/ghtproject)』を仲間と共に推進中。2018年、TRAILSに正式加入。2024年よりTRAILSのHIKING FELLOWに就任。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS) がある。

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