NIPPON TRAIL #06 北加伊道・クスリの道 〜【前編】旅のテーマを探りに、道東の屈斜路湖へ
文:根津貴央 構成:TRAILS
NIPPON TRAILの第6弾は『北加伊道・クスリの道』。北加伊道(ほっかいどう)とは、江戸時代末期、北海道の名付け親である松浦武四郎(※)が、蝦夷地(えぞち)にかわる名称として政府に提案したもののひとつ。
“カイ” とは、アイヌ語で「この地に生まれた者」という意。彼は、先住していたアイヌへの敬意をこめて「北にあるアイヌ民族が暮らす大地」と命名しようとした。
なぜ今回、NIPPON TRAILでこの『北加伊道』という名前を使用したのか? そしてなぜ『クスリの道』としたのか?
それについての詳細は次回の後編にゆずるとして、前編では、このエリアにTRAILS編集部が興味を抱いたきっかけから、旅をするに至るまでのストーリーをお届けしたい。
※松浦武四郎(まつうらたけしろう):江戸時代末期〜明治初期に活躍した、三重県松阪市出身の探検家。計6回の蝦夷地(えぞち)探検を実施し、詳細の解明に貢献した。
NIPPON TRAILでは編集部がその土地に魅了された初期衝動だけでなく、その後のリサーチやインタビューを重ね、その地をロングハイキングしたい根源的な衝動は何か? まで掘りさげる作業を繰り返し行なっている。
そして今回の舞台は、道東の弟子屈町(てしかがちょう)にある屈斜路湖エリア。ここに興味を抱いたのは、あるロングトレイルがきっかけだった。
TRAILS全員が歩いた北根室ランチウェイ。
北根室ランチウェイを、編集長の佐井が家族(子連れ)で旅した時のひとコマ。遠くに見えるは摩周湖。
北根室ランチウェイは、TRAILS編集部全員がそれぞれ別のタイミングで歩いていて、みんな大好きなトレイルだ。広大な牧場、なだらかに大きく広がる地平線、カラマツの林など、北海道ならではの景観が広がる。
比較的アップダウンも少なく、とにかく気持ちよく歩き続けることができる。登山でもなく、ウォーキングでもなく、まさにロング・ディスタンス・ハイキングが味わえるトレイルだ。
北根室ランチウェイを歩く根津。トレイル上で何度も牛と出会ったのも、いい思い出。
また忘れてならないのが、このトレイルを作った佐伯雅視さんの存在。北根室ランチウェイを歩くにあたっては、佐伯さんの牧舎に1泊するのがTRAILS的なマスト! 佐伯さんと過ごすひと時が、旅をより濃密にするスパイスになるのだ。
北根室ランチウェイの代表、佐伯雅視さん。人一倍の熱意を持って、歩く文化の醸成に尽力している。ちなみに、彼が営む『レストラン牧舎』のカレーは絶品!
そんな佐伯さんから連絡があったのは、根津が北根室ランチウェイを歩き終えた時のこと。
「実は、会ってほしい人がいるんだよねぇ」
そう言われたのだ。
同世代の地元ガイドと出会い屈斜路に通う。
聞けば、北根室ランチウェイの西側にある屈斜路湖(くっしゃろこ)周辺でトレイルを作りたいと思っている男性だという。
実は佐井夫妻も、ずいぶん前に佐伯さんから、「北根室ランチウェイの先(西)に、トレイルをつくる動きがあるらしい」という話を聞いていた。そのトレイルが、いよいよ現実味を帯びてきたのかもしれない。
藤原ジンさん(左)は、神奈川県出身だが、大学進学を機に北海道にきてこの地が大好きになり、以来ずっと道内暮らし。現在は、今回歩いたトレイルのすぐそばに住んでいる。
そのとき紹介されたのが、藤原ジンさん。このエリアでガイド業を営む人だ。同世代で、かつアウトドア好きという共通点もあり、あっという間に意気投合した。
ジンさんの話を聞き、北根室ランチウェイのその先の道に興味を抱いた僕は、それ以降、何度もこの地に足を運ぶことになった。
編集部の小川と訪れた時は、屈斜路湖の中を歩くという貴重な体験もした。
そして、現地で暮らしている人と何人も会い、ときにお酒を酌み交わしたりしながら、屈斜路湖にまつわる話をいろいろと聞くことになる。
川湯温泉では地元の人と何軒もの居酒屋をハシゴして語り合った。
地図を広げて未開のトレイルを探す。
まず僕らとジンさんが探したのは、北根室ランチウェイから屈斜路湖までをつなぐトレイルだ。
北根室ランチウェイの終点であるJR釧網本線の『美留和駅』から、屈斜路湖方面に1駅行ったところに『川湯温泉駅』がある。駅間の距離は約8km。まずはこの川湯温泉駅までをつなごうと考え、ジンさんに話を聞きながら、線路沿いの林道などを使って北上していく道を見つけた。
地形図を見ながら、ジンさんをはじめ地元の人たちと話しながらトレイルのさまざまな可能性を探った。
人もクルマもほとんど通らない、広大な農業地帯を歩いていく。別にこれといって何があるわけではない。でも、その何もなさが気持ちいい。
美留和駅〜川湯温泉駅までのセクションにある休憩スポット。空が、近くて青くて大きい。
林道に入ってしばらく進んでいくと、前方に赤い屋根の建物が見えてきた。近づいてみると、それは駅舎だった。なにか違和感があると思ったら、それは駅の正面玄関ではなく、駅の裏手だった。駅の裏から入って線路を渡って駅舎に入っていくという、冒険気分を味わえるトリッキーなルートだ。気分は、さながら映画『スタンド・バイ・ミー』の少年たちだった。
樹林帯を抜けたところにある駅舎。最初、遠くに見えはじめた時は、え、なに? お店? 家? いったい誰の? といった感じで、ドキドキワクワクした。
緑のトンネルを抜けて噴煙あがる硫黄山へ。
川湯温泉駅の先につづく、青葉トンネル、夏はまさにその名のとおり青葉につつまれ、秋になると紅葉、そして落葉したあとはフカフカの落葉歩きが楽しめる。
1kmほど進んで自然のトンネルを抜けると、目の前には異様な光景が広がっていた。山から立ち上る噴煙、いまにも爆発するんじゃないかと思うほどの山容。
これが、活火山として有名な硫黄山。アイヌ語ではアトサヌプリと呼ばれ、『アトサ=裸』の『ヌプリ=山』という意味がある。あちこちから立ちのぼっているのは水蒸気で、あたりは硫黄の匂いが充満している。地球の息吹というか、生きた地球に触れた感じがした。
ゴゥゴゥと音を立てる硫黄山。昔は登ることができたが、現在は落石の危険性があるため途中から立入禁止となっている。
しかもその火山ガスや強酸性の土壌の影響で、この周辺は標高150mほどにもかかわらず、イソツツジやハイマツなどの高山性植物など、限られた植物しか存在しない。
どこか他の惑星に来たのではないかと思うような、荒漠とした景色が広がっていた。さきほどまでの牧場や農業地帯の緑の景色が嘘のようだ。
湖畔の砂浜を掘り自作の野湯(のゆ)に入る。
ここ一帯は、硫黄山の噴気現象により地下水が熱せられ、温泉が湧き出している。約100年前〜600年前は、この周辺の原生林のなかをお湯が流れていたそうだ。そのため現在の川湯温泉(※)周辺は、アイヌ語で『セセキペツ(熱い川・湯の川)』と呼ばれていたらしい。
※川湯温泉:弟子屈町にある温泉街。日本でも珍しい『源泉100%かけ流し宣言』をしている。町中には、湯の川が流れ硫黄の香りが漂っている。
さらに西に進んでいくと日本最大のカルデラ湖『屈斜路湖』が現れる。あまりに大きすぎてその全貌をとらえることはできない。
コバルトブルーが美しい屈斜路湖。この湖がある一帯は、九州の阿蘇カルデラをしのぐ、日本最大のカルデラでもある(屈斜路カルデラ)。
湖畔の南側を歩いていくと、砂湯という砂浜のあるエリアにたどり着く。まるで温泉地のような名前だが、まさしくその通りで、なんと湖畔の砂浜を掘るとお湯が湧いてきて、自作の露天風呂(野湯 ※)を楽しむことができるのだ。
※野湯(のゆ):自然のなかで湧いている温泉のこと。
砂湯ではしゃぐTRAILS編集部の佐井和沙と息子。ここは砂浜をちょっと掘っただけで、すぐに温泉が湧きでてくるという不思議なところ。
まさかこんなところで、湧きでる温泉を直に感じることができるとは思わなかった。温泉に入りながら歩けるロングハイキングなんて、最高じゃないか。
アイヌの生活に欠かせなかった『池の湯』。
屈斜路湖畔は、温泉が驚くほどたくさんあって、野湯も砂湯だけではない。さらに西に進み林道を抜けると『池の湯』がある。この野湯は、つい50年ほど前までお風呂として日常的に使用されていた。
ここから5kmほど離れたところに、アイヌの集落(コタン)がある。かつてはアイヌの人々が、このコタンから湖畔の道をたどってこの『池の湯』に入りにきていたという。まさに、この地に住む人々の生活に根ざした温泉だったのだ。
せっかくだからと、そのお湯に少しだけ足を入れてみた。ほどよく温かい、いいお湯だ。歩き旅による足の疲れがすっと和らいでいった。
かつて、お風呂として使用されていた池の湯。1966年に、屈斜路湖の湖畔にあるアイヌの集落(屈斜路コタン)に公衆浴場が整備されてからは、ここに通うことがなくなったという。
川湯温泉で見た看板に、屈斜路湖畔に住んでいたアイヌの人たちは、この土地に湧く温泉を病気やケガの「クスリ」(和語の薬と同じ意味)と呼んでいた、という話が書いてあった。そして屈斜路湖は「クスリ・トゥ(湖)」、釧路川は「クスリ・ベツ(川)」と呼ばれていた。つまり、この一帯がクスリの地であったのだ。
屈斜路湖の外輪山に沈んでいく夕日を眺めながら1日が終わっていく。湖の南側にある和琴半島は最高のテント場だった。
活火山、湖、野湯、アイヌの暮らし……歩くほどに、知らないものや興味深いものがとめどなく現れてくる。これは、江戸時代末期、松浦武四郎が蝦夷地探検に見た世界と近いのかもしれない。
次回、『NIPPON TRAIL #06 北加伊道・クスリの道 後編』(3/8掲載)では、より詳細なリサーチを目的とした、TRAILS編集部の全メンバーによる実験的な旅の模様をお届けします。
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