フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #05 空から降る水
<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。
#05「空から降る水」
ノアの箱船というのは、とんでもない洪水が大地をくまなく覆ってしまう話だ、くらいは知っていたがこないだ人に教えてもらったのには、それはとても長いこと続く雨が降ったせいでそうなった。それまで人々は雨を知らなかった。それまで水は下から湧き上がってくるものだった。ノアは水が空から降ってくると人々に警告したが、誰も聞く耳をもたなかった。
そうして人々は空から水が降ってくるのをみた。この現象はまだ雨という名前ではなかった。空から降ってくる水はバケツをひっくりかえしてビシャッと落ちてくるようなものではなかった。小さなつぶつぶだった。「なんだー意外、こんなのたいしたことないじゃん、むしろかわいい」とか思ったのではないか。しかしそれは間違いで、全然たいしたことだった。はじまりはつぶつぶだろうが、ひとたび集まってうねって流れ出すと、またたく間に巨きな水の塊となって大地を飲み込んだ。あんな小さなつぶつぶがまさか……というこの飛躍は、どう想像しても追いつかない。それは人間の憶測を超える。
僕は4年前、カリフォルニアのジョン・ミューア・トレイル(JMT)を歩いた。JMTは水が豊富で、いたるところに湖が点在して、水の流れる音がした。場所によってはものすごい勢いで流れる、その様子を間近で眺めていると「よく途切れてなくならないものだ」と感心してしまう。どうやら雨が降ると、それが集まって流れてくるものらしい。そんなことは誰でも知っている。だけどそれは知識として知っているだけで、実感としてはわからない。山が水を蓄えるとはいうが、これだけの量の水をいったいどこに隠しているのだろうか?もう何日も晴れが続いているというのに途切れてなくならないなんて!やはり想像は追いつかない。
山の登り途中、一息ついて後ろを振り返ると、眼下に景色が広がる。「わあ」と胸がふくらむ。「もうこんなに上がったのかー」と驚く。たいがい「まだこれだけか」とは思わない。「もうこんなに」となる。意識は一歩一歩積み重ねてきた歩みの感覚をどうしてか過小評価するようだ。だから振り返ったときの景色からくる高度感にいつもズレが生じる。そのズレが「もうこんなに」という驚きとなって、広々とした景観の気持ちよさとあわさると、それまでの苦労が喜びに反転する。素敵な錯覚のメカニズム。これはエレベーターで上がるビルとかスカイツリーでは味わうことができない。
人は間違える。錯覚する。それが自然をより大きくみせて、追いつけないから、気持ちよく遊ぶことができる。
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