IN THE TRAIL TODAY #02|9つのトレイルエンジェル・ストーリー
話・写真:LONG DISTANCE HIKERS 取材・構成:TRAILS
Whtat’s IN THE TRAIL TODAY / TRAILSは、トレイルで遊ぶことに魅せられたピュアなトレイルズたちの日常の中で発生した、 “些細でリアルなトレイルカルチャー” を発信するハンドメイドのコミュニケーションツール『ZINE – IN THE TRAIL TODAY』をスタートさせました。
いちばん伝えたいことはZINEの中に込められていますが、そこには記されていない、ZINEを作るにあたっての初期衝動や秘められた想い、さらにはこぼれ話など、他にも伝えたい話がたくさんあるのです。
そこで私たちは、そういったTRAILSのZINEにまつわるストーリーを読者のみなさんにお届けすべく、新連載をスタートさせることにしました。その名も『 IN THE TRAIL TODAY』。本連載が、TRAILSのZINEをより楽しんでいただくための一助となりますように。
僕にとって、最愛のトレイルエンジェルは、PCT Momことアンドレア・ディンスモアだった。彼女は、PCTの母であり、私にとっての母でもあった。
でもそれは、何も僕だけに限ったことではない。他のハイカーにも、ロング・ディスタンス・ハイキングにおける忘れられない思い出のなかに、トレイルエンジェルが存在している。そこで今回の#02の記事では、僕以外のさまざまなハイカーのリアルな体験談を紹介したい。
舞台となるのは、アメリカ3大トレイル、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、アパラチアン・トレイル(AT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)に、アリゾナ・トレイル(AZT)を加えた、4つのトレイル。
9人のハイカーによる、9つのストーリーをお楽しみください。
■ パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)編
会ったこともないのに、心配して励ましのメッセージを送ってきてくれたんです。(中沢 美帆 Class of 2016)
中沢さんは、PCTおよびJMTを歩く日本人ハイカーをサポートしているテッド&みほこ夫妻にお世話になった。Facebookで繋がってはいたものの、立ち寄る予定はなかったそうだ。
「PCTを歩き始めた当初、精神的にきつくて、私がFacebook上で、もう帰りたい!といった投稿をしてしまって。それがきっかけだと思うのですが、お二人が励ましのメッセージを送ってきてくれたんです。
“ PCTをハイクすることは簡単なことじゃない。辛いこともたくさんある。だけど君がフィニッシュすることを私は望んでいる。人は簡単で単純な経験はすぐに忘れてしまうけど、困難な出来事やその時間は歳を取っても忘れない。それはきっと君の財産になるし、素晴らしい経験になるから ” というような内容でした。
おかげで自分のペースで前進してみようという気持ちになれたし、まだ会ってもいないのに親身になって見守ってくれていることがありがたくて、胸がいっぱいになりました。これは、会って気持ちを伝えなければと思い伺いました。
テッド邸では、シャワーやジャグジー、プール、寝心地のいい綺麗なベッドでのんびりしました。奥さんのみほこさんの手料理も最高でした。でもそういう環境以上に、なんというか、お二人とも居心地の良い距離感でいてくれて、気持ちよく放っておいてくれるのです。もちろん楽しくおしゃべりもするのですが。そういう、日本人ハイカーが本当にリラックスできる空気を作ってくれているのが心に響きました」
“ アホなことマジメにやってるおまえら最高だぜ、なんか手伝うぜ ” って感覚がかっこいい。(長沼 商史 Class of 2012)
長沼さんは、PCTのアグアドルチェという町でトレイルエンジェルの親切に触れた。ここはハイカー・ヘブンと呼ばれる有名な場所で、PCTハイカーがかならずと言っていいほど訪れるところでもある。
「ここでは、ひさびさに日本人も含めて仲間のハイカーと再会できて嬉しかった。エンジェルをボランティアで手伝ってる人たちもいて、活気もあるけどリラックスもできる感じでいいバランスだった。
長く歩くためには身体のケアもそうだけど、心のケアも必要だと思っていて。その点、トレイルエンジェルの存在は大きいのかもしれない。彼らに相談にのってもらう人もいるし、何かしら彼らに助けてもらうことがある。水のない区間に水を置いてくれてるのとかもそうだしね。
オレ的にいちばんでかいのは、やっぱりトレイルエンジェルのところにはハイカーが集まるってこと。仲のいい奴らも。そこで会う仲間、同志と話すのがケアになってたのかもなあと思う。トレイルエンジェルは大きな木みたいな存在かなあ。蜜に、木の実に、木陰にハイカーが集まってくる。そしてエンジェルはいろいろ与えてくれるが、決して自分が主役にはなろうとしない。そんなイカした木だよね。
本来、人とはそういうものなんだと思うけど、トレイルエンジェルに関して言うとやっぱ『アホなことマジメにやってるおまえら最高だぜ、なんか手伝うぜ』って感覚がかっこいいし素敵だと思う」
前から歩いて来たのは、全裸にニーウォーマーとバックパックだけ、というヤバイ佇まいのおじさん。(深町 和代 Class of 2013 )
深町さんは、スルーハイク中に、とあるトレイルエンジェルに8回以上も遭遇した。なんと、移動しながらハイカーをサポートしている人がいたのだ。
「かなり強烈なファーストインプレッションでした。前から歩いて来たのは全裸にニーウォーマーとバックパックだけ、というかなりヤバイ佇まいのおじさん。関わらないようにすれ違おうとしたそのとき、 “ こんにちは日本人ですか?私は東京に5年住んでました。日本大好きです ” と言われて。
実は彼は、2006年のPCTハイカーでトレイルネームはコパトーン。毎年トレイルエンジェルをするために、ミネソタからPCTに通っているのだと。キャンピングカーで過ごしながら、ハイカーにあわせて北上しサポートしていると言っていました。
ハイキング中、私は8回以上彼と遭遇しました。彼からもらえるルートビアフロートはたしかに嬉しい。でもそれ以上に、だんだん会えるのが嬉しい存在、言ってみれば友だちになっていました。
私は、誰かを頼ったり頼られたりすることが得意ではない。なんだか自分が弱者になるようで居心地が悪い。ひとりで物事を完結させるほうがシンプルだし自由で好きだ。でも、私のロング・ディスタンス・ハイキングは、トレイルエンジェルをはじめとする誰かに頼り、助けてもらわないと、成立しないものでした」
■ アパラチアン・トレイル(AT)編
僕にとっては、自然やハイキングそのものよりトレイルエンジェルとの交流のほうが思い出です。(岡松 岳史 Class of 2017)
岡松さんが出会うべくして出会った『オムレットガイ』。彼は、その名のとおり、オムレットを作ってくれるナイスガイだった。
「バーモント州あたりから、南下するハイカーとすれ違う際にトレイルの状況やホステルなどの情報交換をするのですが、ほとんどのハイカーから “ オムレットを作ってくれるエンジェルがいる ” と、言われました。それがオムレットガイです。
今回、2度もオムレットをご馳走になり、ホステルまで何度も送迎していただいたので、せめてガソリン代でもとお金を渡そうとしました。そうしたら “ 自分の意志でやっているからいいんだ ” と断られてしまって。彼はハイカーと出会うのが楽しいからと、優しく笑っていました。
あの日以来、僕はオムレットを食べるのをやめました。それは、今まで食べたなかでいちばんのオムレットがそこにあったからです。そして、次に食べるオムレットはそこ以外考えられないと思ったからです。そして何より、『オムレットガイ』にもう一度会いに行く!と、夢のひとつに加えたからです。
僕にとっては、自然やハイキングそのものよりトレイルエンジェルとの交流のほうがロング・ディスタンス・ハイキングの思い出になっています」
恩返しの循環が、新たなトレイルマジック、トレイルエンジェルを生んでいるんだと実感しました。(山田 富郎 Class of 2016)
山田さんが町で偶然出会った女性は、実はトレイルエンジェルだった。以来、何度も助けてもらった彼は、ハイカーが歩けるのは支えてくれる人のおかげであることを実感した。
「とある町でコインランドリーを探していた時のこと。突然一台の乗用車が止まり、“ どこへ行くの? ” と女性に尋ねられました。行き先を伝えると、“ 私の家に来なさい、泊めてあげるし、ランドリーもあるわ ” と。
女性の家につくと、“ ジャネットハウスへようこそ、その写真はママよ ” と壁にかけられた写真を説明してくれました。一泊して、翌日出発する際、“ 何かあった時は連絡してね、どこへでも向かうから ” とメールアドレスと電話番号が書かれた紙を渡されました。
直接呼ぶことはなかったんですが、ここに行きたいなあとなんとなく思っている時に限って現れ、手をあげるとすぐに止まってくれました。まるでテレパシーをキャッチされたかのようで驚きました。バンダナ!元気? どこまで行くの? ジャネット!!また会ったね、ここまで行きたいんだけどいい? もちろんよ! これが彼女と私の挨拶になっていました。
ジャネット以外のエンジェルや、ヒッチハイクで乗せてくれた人に話を聞くと、自分自身や知り合いがATを歩いたことがある人だったり、あるいはハイキングが好きな人など、ハイカーとなにかしら関わりがあった人が多かったように思います。恩返しの循環が、新たなトレイルマジック、トレイルエンジェルを生んでいるんだと実感しました」
“ 私は歩かないけど、ハイカーがここを通り過ぎるのを見ていると、旅をしている気分になるの ” とお母さんは言った。(鈴木 栄治・佳乃 Class of 2016)
鈴木夫妻は、トレイル上で食事を提供している夫婦に出会った。そこで感じたのは、親切をする側・される側という立場の違いや隔たりではなく、対等な関係性と距離感だった。
「夕方4時ごろ。峠までの下り坂。後ろから来た女性ハイカーが、この先にすっごいパーティーがあるんだって!と言い残して下っていきました。しばらく行くと肉を焼くいい匂いが漂ってきました。せっせと調理する中年のご夫婦、くつろぐハイカーたち。もっと先に進むつもりが、とてもよい雰囲気だったのでそこにテントを張ることにしました。
“ 私は歩かないけど、たくさんのハイカーがここを通り過ぎるのを見ていると、旅をしている気分になるの ” というお母さんの言葉が印象的でした。エンジェルはただハイカーをもてなすだけの人ではない。ハイカーと同じようにトレイルにいる人。対等に付き合えるのが心地良かったです」
「トレイルエンジェルはもてなすことを楽しみとしていて、それを隠さない。親切とか接待というよりも、ただ楽しみでやっている、という印象を受けました。それが気持ちいいし、おかげでこっちも大いに甘えるぞ、というスタンスになります」(栄治)
「 私は、“ 知らない人からお菓子あげるからと言われても、ついていってはいけない ” と言われて育ったので、親切にされると勘繰ってしまうタイプでした。でも次第にトレイルエンジェルの存在を疑わなくなりました。無償の親切をするエンジェル、無条件に信用するハイカー。この信頼関係がすごい!と思いました」(佳乃)
■ コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)編
あの時急に足が痛くなったのも、あの場所にテントを張ろうと思ったのも、神の思し召しだった気がします。(坪井 夏希 Class of 2015)
坪井さんは、CDTを歩きはじめて10日足らずで足を痛めてしまい、その場にテントを張り、2〜3日様子を見ることにした。そこに現れたのがドグ・モンロー。彼は、CDT沿いの山奥にカトリック教の隠者として俗世間から離れて生活をしている男だった。
「足を痛めて停滞していた時に、Hello !と言いながら近寄ってきたのがドグでした。実は足を痛めて今日は休んでいると伝えたら、近くに自分が住んでいる小屋があるから来るかと誘ってくれました。
結局3泊お世話になり、4日目の出発の時。彼が、短い距離でしたが時間をかけてゆっくり一緒に歩いてくれました。そして足が痛くなったら戻って来いと言ってくれました。短い言葉だけどこの数日間の感謝を伝えてお別れをしました。
ドグ自身が積極的にハイカーと関わりを持とうとしているわけではないので、もしかしたらCDTでいちばん出会うのが難しいトレイルエンジェルかもしれない。きっとドグが聖なるオイルを塗ってくれていなくても歩けるようになっていたと思うけれど、あの時急に足が痛くなったのも、あの場所にテントを張ろうと思ったのも、神の思し召しだったのだろうと思います。
長い距離を歩いている時は自分ひとりで頑張っているつもりになってしまいがちだけど、それは多くの人の支えがあるからこそできること。直にそれを感じられるのがトレイルエンジェルの存在で、歩ききった時には感謝の気持ちとともに彼らの顔が浮かんできます。
それは海外のトレイルでないと体験できないものではありません。長距離ハイキング自体が人生の縮図のような体験ができるように、トレイルエンジェルのような人たちは日常でも存在します。普段の生活のなかでは忘れがちですが、ハイキングでの体験を思い出すたびに自分のまわりにいる人たちへの感謝の気持ちを思い出させてくれます」
トレイルエンジェルは、予期せぬハプニングや魅力的なコンテンツを提供してくれる人でもある。(黒川 小角 Class of 2017)
CDTはまだまだ地名度がなく、ハイキングカルチャーも発展途上。トレイルエンジェルの存在も明確ではない。そんなトレイルで、黒川さんはジョーという男性のクルマに乗せてもらい、なぜかインディアン居留地に行くことになった。
「リンカーンの町外れまで移動し、トレイルヘッドに戻るため路上でヒッチハイクをしているとそこに一台の車が止まってくれた。その運転手がジョーでした。後で聞いたところ、私の笑顔を見て “ 君を乗せなければならない ” と直感的に思ったそうです。
クルマから降りてきた彼はやや熱量を帯びた口調で “ これからネイティブアメリカンの儀式に参加しに行くところなんだが、君もぜひどうだい?アメリカに住んでいてもこんな機会は滅多にあるものじゃないよ ” と言ってきました。僕は、ちょうどケガをしていて進むことに不安を感じていたので、便乗することにしました。
現地に到着すると、スウェット・ロッジ(儀式を行なう小屋)を作っていて、その作業に僕も参加しました。名前を聞かれたけど僕の『おづぬ』という名前は発音が難しいらしく『ズーチャンチャ』というナコタ語の名前をもらいました。ピーチクうるさくさえずる小鳥という意味らしい。そして翌日から儀式に参加しました。
ジョーを通して知ったのは、トレイルエンジェルのサポートは何も寝食や送迎だけではないということ。ハイカーの旅をより豊かなものにするべく、予期せぬハプニングや魅力的なコンテンツを提供してくれることでもあると思います。ジョーは、私に対して素晴らしい体験を提供してくれた。そしてそこでの体験が結果としてもっとも印象に残った出来事になりました」
■ アリゾナ・トレイル(AZT)編
“ 鍵はここにあるからいつでもおいで。お前はもはや息子だからな ” (宇部 佑一朗 Class of 2016)
宇部さんは、アリゾナ・トレイルのWEBサイトでトレイルエンジェル(ティム&メロディ夫婦)の連絡先を入手し、訪ねることにした。その夫婦にとって初めて受け入れたハイカー、それが宇部さんだった。
「アリゾナ・トレイルでは、めったに他のハイカーに会うこともなく、孤独な時間がほとんど。そういう時間が多かったことで、彼らとの出会い、彼らの優しさがより心にしみました。 “ 鍵はここにあるからいつでもおいで。お前はもはや息子だからな ” とお別れの際に言葉をかけてくれて、嬉しさが込み上げてきたことを今でも覚えています。彼らに出会えたことが、アリゾナトレイルのハイライトであり、彼らの存在がこのトレイルをより魅力的なものにしているのだと思います。
最終日、ゴールまであと15kmの地点で、遠くに見えるデイハイカーらしき人が “ yahoo!!congrats! ” と叫んでいました。こちらも “ I made it! ” と返しました。そして、徐々に近づいていくと、見覚えのある老夫婦に2匹の犬。そうです、あのティム&メロディでした。
僕のためだけに、わざわざ自宅から300kmも離れた荒野に来てくれたんです。会えるかどうかもわからないのに。そして “ ゴールでお前の好きなサッポロビールを用意しとくから、最後まで楽しんで歩けよ ” と言ってくれました。
誰かが自分のゴールを一緒に喜んでくれるというのが嬉しくてたまらなかった。これまでは、 自分の人生、自分のために生きなきゃ、みたいな考えがあったのですが、トレイルエンジェルの存在を知って、誰かのために奉仕することの素晴らしさに気づかされました」
■ 『IN THE TRAIL TODAY』はどのようにして誕生したのか、そして何を目指しているのか。ぜひこちらをご覧ください。
TRAILSの出版レーベル第二弾、『ZINE – IN THE TRAIL TODAY』をスタート!
ZINE#01 根津貴央『TRAIL ANGEL』
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