フォロワーゼロのつぶやき 中島悠二 #06 中林さん
<フォロワーゼロのつぶやき> 中島君(写真家)による、山や旅にまつわる写真と、その記録の断面を描いたエッセイ。SNSでフォロワーゼロのユーザーがポストしている投稿のような、誰でもない誰かの視点、しかし間違いなくそこに主体が存在していることを示す記録。それがTRAILSが中島君の写真に出会ったときの印象だった。そんな印象をモチーフに綴られる中島君の連載。
#06「中林さん」
中林さんというおじさんは実在する。
安曇野に住む、ベテランのカメラマンで去年還暦を迎えた。
せっかちで食べるのが早く、目の前にあるとなんでも食べる、布団をしいて横になると、すぐにいびきがきこえる、動物みたいだ、寝起きもいい。
顔も野性味だ。最初に会うと、声が大きく、威圧感を感じるだろう。
こうかくと、そういう類いの人と思われるかもしれないが(そういう人だけど)、実際の中林さんはもっといろんなふくらみがあって、でもそれはうまくはいえない。
奥さんと、サッカーの上手い三男と暮らす、あと小さな鳥がいる。鳥の名前はピーちゃんという。
中林さんは2011年に東京から安曇野に移住した。
それをきっかけに僕から山に誘って歩くようになった。中林さんはそれからしばらく僕にとって唯一の山友達だった。
最初は二人とも初心者だからへたくそで、地図を見ながら指さす方向が全然違ったりした。
中林さんの自宅は高台にあって、窓から北アルプスの山が横にひろい、パノラマだ。蝶ヶ岳の三又登山口が最寄なので、よく蝶ヶ岳を歩いた。他にも北アルプスの山はいくつも歩いた。少しずつ指をさして山の名前を言えるようになった。しだいに道具も揃えて、雪の上でテントも張った。テントのチャックを開けて顔を出すと、朝日に穂高がまぶしかった。僕が調子が悪いときもあれば、中林さんが調子が悪いときもあった。天気が悪いと一日ずらして映画館に行った。「風立ちぬ」をみて、ふたりともすごい満足はしなかった。翌日はよく晴れて、山頂で声をあげてパシャパシャと写真を撮りあった。それが笠ヶ岳だったろうか。
中林さんみたいなテンションが高い人は脳にくるタイプだと、冗談で話していたらほんとにそうなった。朝起きてみると身体が動かなかった。
脳の血管が切れた。
退院してから初めて自宅を訪ねると、中林さんはだいぶ中林さんのままだったのでほっとした。
とはいえ左足がうまく効かないので、歩くのが遅くなった。
散歩することになっていっしょに外にでた。
夕暮れ時の、いくつか色が混じった光の中に、北アルプスのシルエットが向こうまで続いている、とてもきれい。その手前を中林さんは杖をついてゆっくりと歩く。山の端にかかる、雲がみえる。じっと見れば、動いている。
その緩慢な自然の動きが、中林さんと同じように遅くて、いっしょになって、時間がゆっくり進むようだった。
中林さんは中林さんのまま、新しく遅くなった。
でもそれは自然の遅さに追いついていくことなのだと、変だけど、そう思うとかっこいい。
さすがに山はまだ行けない。登りはあれだが下りが恐い。
それでも中林さんは元気で仕事もしている。
変わらずたまに泊まりに行く。
朝起きると、いっしょに聖書を読む。
中林さんは数年前からクリスチャンになった。
中林さんと奥さんと僕が、順番に交代しながら声を出して読んでいく。
窓の外には北アルプス。ピーちゃんが羽をバタバタさせる。
声をそろえてお祈り。
アーメン。
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