リズ・トーマスのハイキング・アズ・ア・ウーマン#24 / スルーハイカーは冬に何をしているの?(後編)節約して暮らす&冬に歩くハイカー
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文:リズ・トーマス 写真:リズ・トーマス、ナオミ・フデッツ、ポール・マグナンティ、ジョン・カー、ダンカン・チェウン、アーレット・ラーン 訳:トロニー 構成:TRAILS
ロング・ディスタンス・ハイキングを経験してしまったハイカーの多くは、また次の旅に出たいと渇望するようになります。しかしロング・ディスタンス・ハイキングを毎年つづけていくことは、簡単ではありません。
アメリカのロング・ディスタンス・ハイカーたちは、どのように旅と仕事の生活を両立させているのでしょう?
そして、どうやって旅と生活の資金を調達しているのでしょうか?
前編では、冬のシーズンに、独立したプロワーカーとして働くハイカーと、個人事業主として働くハイカーを紹介しました。
この後編では、倹約生活を送るハイカー、冬にスルーハイクに挑むハイカー、という2組が登場。さらに、定年後にスルーハイクするようになった人のスタイルも紹介します。
旅しつづける人生をどのように実現するのか。ハイカーとしての生き方について、刺激をもらえる内容です。
スルーハイクのために、自分が犠牲にしてもいいものは何か? (ザ・プロディジー)
コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)をスルーハイクしている時のプロディジー。
2018年、「ザ・プロディジー」(プロディジーとは天才のこと)というトレイルネームのタイラー・ラウは、アパラチアン・トレイル(AT)、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)の3本を、1年以内に踏破した数少ないハイカーの一人となり、さらにこれまでの記録を塗り替えました。
私は、今年の1月にアウトドア・リテーラー・ショー(※) で彼に会い、冬に何をするのか、シーズンオフのハイキングについてどんなフィロソフィーを持っているのか、聞いてみました。
※ Outdoor Retailer Show:世界最大級のアウトドアギア見本市。アメリカにて年3回開催。会場は、以前はユタ州・ソルトレイクシティだったが、2018年からコロラド州・デンバーに。ORあるいはOR showと呼ばれることが多い。
ザ・プロディジーは、環境システムと都市計画を研究するために大学に行きましたが、そこでアウトドアに心を掴まれました。2016年にPCTの最初のスルーハイキングを行なう前、彼は7シーズンもトレイルづくりに従事し、2017年にはパシフィック・クレスト・トレイル・アソシエーション(PCTA)で季節限定の仕事をしたり、森林での消防活動に参加したりしていました。
ただ、トレイル整備や消防活動はもともと夏の仕事です。こういった季節的な仕事は、大半のハイカーにとってトレイルにいる時期とスケジュールが被ってしまいます。そこで彼は、夏にスルーハイクをするため、モンタナ州にいる友人のインド料理店や、シルク・ド・ソレイユでの売店などで副業をしています。
トレーニングに関しては、ザ・プロディジーは南カリフォルニアのオレンジ郡に住んでいるので、冬でもハイキングもトレイルランもロッククライミングも、快適な気候と気温のなかですることができます。また彼はヨガも実践しています。
「自分が何を犠牲にしてもよいかを考えなければならないよね」とトレイルに戻るときに彼は言っていました。「僕の場合はお金を節約するために実家に住んでいる。だから僕の生活はプライバシーはあまりないんだよ」と彼は話してくれました。
これは、彼がハイキングに出かけられるために、犠牲にしていることのひとつです。彼はトレイルライフを送るために、冬の間の出費も計画的に考えています。
彼は、犬を飼いたかったけど費用と責任を削減するためにあきらめることにした、とも教えてくれました。そして、冬の間はあまり外出しないそうです。
「だって、友だちとビールを飲むのって、スルーハイク中に町に立ち寄って食べるご飯2回分くらいお金がかかるんじゃないかな?」
パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)の北端、カナダ国境のモニュメントにて。
ハイキング後の憂うつな気分や冬場のブルーな気持ち(post-hike blues ※詳しくはこちらの記事を参照ください)について聞くと、こう答えてくれました。
「人生を変えるような経験をして、日常生活に戻ってくるのは難しいことだ。トラウマからスピリチュアルなものまで、とにかくあらゆることすべてを経験するのだから」。彼は、トリプルクラウン(AT, PCT, CDTの3つのトレイルのこと)踏破から戻ってきた最初の日は、ただただ彼の旅を終わらせることに費やしたと言います。
「ハイカーの中には、ハイキング後の憂うつな気分を、もう一度ハイキングの時に感じた気持を思い出すことで解決しようとする人もいる。彼らはハイキングのときの気持ちを維持するために何でもするだろうね」
でも、この解決策は誰にとっても有効なわけではないと彼は言います。ハイキングと同じように、金銭的にも、精神的にも、感情的にも、冬の過ごし方はそれぞれのスルーハイカーによって異なります。それもまた「Hike Your Own Hike(自分自身のハイクをすること)と似たようなこと」です。
冬のスルーハイクこそが、最後のフロンティア。(アップルパイ & グリーンリーフ)
アップルパイ(右)とグリーンリーフが、とあるウィンター・スルーハイクをフィニッシュした瞬間。
すべてのスルーハイカーが、冬をインドアで過ごす時間だと考えているわけではありません。アーレット・ラーン a.k.a. アップルパイと彼女の夫グリーンリーフは、冬が、ことスルーハイクにおいては最後のフロンティアのひとつであることを知っています。
もしあなたが今までやったことのないことをやりたいのなら、冬です。二人は、2019年12月から2020年1月にかけて、ニューハンプシャー州ホワイトマウンテン山脈の4000フィート(1200メートル)を超える全48峰を結ぶ313マイル(500キロ)のルート「ダイアティッシマ・ルート」を世界で初めてハイクしました。
もちろん、そもそも冬のスルーハイクにはそれなりの困難があります。ダイアティッシマ・ルートにおける彼らのウィンター・スルーハイクでは、冬の装備とレイヤリングに関する知識が不可欠でした。
平らな場所ではスキーとそりを使いました。ルートの残りの大部分では、スノーシューとチェーンスパイクを用いました。さらに最初の2週間は、急勾配のピークに備えてアイスアックスとアイゼンも持ち運んでいました。
「おそらくですが、長期の冬のバックパッキングからハイカーを遠ざけている理由は、装備の重さもありますが、暖かく快適な状態を維持しなければいけないという問題もあるでしょう」と、アップルパイは振り返ります。
「日も短いので、ヘッドライトを付けてハイキングを始めて、その日をハイキングの最後もまたヘッドライトを付けて歩いいていることも多いです」。ダイアティッシマ・ルートのウィンター・スルーハイクを試す前に、二人は、以前スルーハイクしたベントン・マッケイ・トレイル(BMT)とアパラチアン・トレイル(AT)をフィールドにして、冬のスキルとレイヤリングのテストをしました。
アップルパイとグリーンリーフが冬と春のハイキングに惹かれるのは、仕事のスケジュールが理由です。そしてこの二人のおかげで、「冬に仕事をし、夏にハイクをする」という普通のスルーハイカーのモデルが逆転しました。
彼女はこう説明します。「夫は材木業を営んでいて、冬はオフシーズンです。私は靴下人形を作るというクリエイティブな仕事をしているし、ニューハンプシャー州のホワイトマウンテンでのガイドもしています。
冬にできるハイキングを探し始めたとき、私たちは暖かい気候と、南半球をチェックしました。そして、アメリカではアリゾナ・トレイル、グランド・エンチャントメント・トレイル、フロリダ・トレイル、ニュージーランドではテ・アラロア、パタゴニアではトーレス・デル・パイネをハイキングしました」
アップルパイもグリーンリーフも自営業なので、自分でスケジュールを決めてハイキングすることができるのです。
冬のスルーハイクは決して万人向けではありません。でも、アップルパイとグリーンリーフは、夏場に働いている人であったとしても、スルーハイクの生活を送ることができることを示してくれました。
定年後にスルーハイクをするようになった人たち
定年後にロング・ディスタンス・ハイキングを始める人もたくさんいます。
毎年スルーハイクをするにはいろいろな方法がありますが、私がインタビューしたハイカーたちはみな、ひとつの示唆を与えてくれました。それは、家族がハイキングを理解し、サポートしてくれるようになることです。
私は別途、定年退職して初めて毎年ハイキングをするようになったスルーハイカー数人に取材しました。多くの人は、引退したら一年中好きなだけハイキングできると思うかもしれません。でも、60代でスルーハイキングを始めた人たちにとっては、そうではありません。
スコット “ シュルーマー” ウィリアムズは、保護観察官の仕事を引退した後、トリプルクラウン(AT, PCT, CDT)、ニュージーランドのテ・アラロア、スペインのカミーノ・デ・サンティアゴ、イスラエル・ナショナル・トレイルをはじめ、その他多くのトレイルをスルーハイクしてきました。
でも彼は、家族との時間のバランスが取れているからこそ、ここまでたくさんハイクができるのだと言っています。
彼の妻、娘、そして同居する娘一家などの家族たちは、彼と一緒に時間を過ごしたいと思っていて、彼もまた家族とともに時間を過ごしたいと思っています。
だから彼は1年間スルーハイクをすると、次の年は家族でのアドベンチャーに行きたい場所を奥さんに選んでもらいます。ハイキングする年とハイキングしない年を交互に過ごすことで、彼はさまざまな方法で世界を見ることだけでなく、家族と多くの時間を過ごすことができるのです。
最後に:スルーハイクをつづけている人の共通点
ハイカーには、それぞれのハイキングライフを送るための戦略がありますが、今回、私が話をしたスルーハイカーに共通するテーマを整理してみました。
1) 毎年ハイクをするためにできることを優先する。
2) 自分の会社を持ったり、季節限定の仕事をしたりして、自分自身のスケジュールを立てる。
3) オフシーズン中もハイクをして、つねに活動的でいつづけ、体力を維持するよう心がける。
ハイカーの冬の過ごし方に唯一の方法というものはありません。だけど、ハイキングライフをうまく送っているハイカーたちの戦略や物語を読むことで、夢を追うチャンスを得るきっかけになれば幸いです。
リズも、オフシーズンの過ごし方を緻密にプランニングしているからこそ、夏のスルーハイクをつづけることができるのです。
リアルなスルーハイカーの冬の生活を知ることができる、貴重なインタビューだったのではないでしょうか。
日本とアメリカでは、文化も環境も異なるだけにそっくりそのままマネできるわけではありませんが、日本人のスルーハイカーが年々増えているなか、参考にできる部分も大いにあったと思います。
スルーハイクと、仕事と、家庭と、それぞれのバランスをうまく取って、人生を楽しみたいものです。
TRAILS AMBASSADOR / リズ・トーマス
リズ・トーマスは、ロング・ディスタンス・ハイキングにおいて世界トップクラスの経験を持ち、さまざまなメディアを通じてトレイルカルチャーを発信しているハイカー。2011年には、当時のアパラチアン・トレイルにおける女性のセルフサポーティッド(サポートスタッフなし)による最速踏破記録(FKT)を更新。トリプルクラウナー(アメリカ3大トレイルAT,PCT,CDTを踏破)でもあり、これまで1万5,000マイル以上の距離をハイキングしている。ハイカーとしての実績もさることながら、ハイキングの魅力やカルチャーの普及に尽力しているのも彼女ならでは。2017年に出版した『LONG TRAILS』は、ナショナル・アウトドア・ブック・アワード(NOBA)において最優秀入門書を受賞。さらにメディアへの寄稿や、オンラインコーチングなども行なっている。豊富な経験と実績に裏打ちされたノウハウは、日本のハイキングやトレイルカルチャーの醸成にもかならず役立つはずだ。
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(英語の原文は次ページに掲載しています)
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